えぺ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
レヴのメンテナンスをしている最中、彼ではない別の誰かが持つ金属の足音が聞こえてきた。一体誰だろう。
オクタンかと少し考えたが、彼は曲がりなりにも大企業の御曹司で、その上同接が百万人単位を超える超人気ストリーマーでもある。倫理観的にも多忙な身の上的にも、アポなしでこんな所に来る人間ではないはずだ。
やがて足音は止まり、扉の前で何やらロックを解除しようと画策しているようだった。この動きでようやくわかった、訪問者はパスファインダー。
リング収縮予測の際に調査ビーコンにアクセスする際、彼は自らの手を変形させてハッキングする。それと同じ時の音が聞こえたことで確信を得た。
「やあマキナ…って、あれ。お兄ちゃんも来てたんだ! 奇遇だね」
「私がこいつの元に来ていては不満か、パスファインダー」
「全然問題ないよ。でもいつもは人気のない所に居るはずの君が、どうしてマキナの所に?」
僕をお構い無しに、機械の義兄弟は歓談を始める。いつからパスがレヴを兄と慕うようになったのか全く覚えがないけれど、何だかんだ同志として互いに認め合っているようだ。
ちなみに彼の代わりに説明すると、レヴが僕の元に来ていたのは僕からの緊急要請だ。
保管倉庫の爆発により吹き飛ばされて散らばってしまったジャンクの体に彼の精神が移されてしまいかねないほどの損傷を受けていたのを直すためだった。
「この小娘がどうしてもと言って聞かぬからな。仕方なく来てやったまでだ」
「そうしないと危うく片腕でゲームに参戦することになりかねないところだったからね。でもそういう訳でパス、ごめんね。レヴを直すのに時間がかかるから…暫く待てるかい」
レヴナント修復作業の傍らに横目で見る限りは、パスもパスでかなりの傷を負っているように見えた。
グラップル用のワイヤーは綺麗に巻き取れておらずグチャグチャだし、腹部のモニターも元気がないマークばかりを映している。
そんな様子から薄らと感じていた悪寒は当たらずとも遠からず、基本的に誰にでも従順で温和なパスにしては珍しく、素直に頷かず反抗の意を露わにするのだった。
「うーん…でも、僕もマキナに直してもらいたくて急いで来たんだよ」
「私が先だ。貴様はその辺の別のエンジニアが幾らでも居るだろう」
「皆は僕が怪我をしていても、機械だからと言って気にかけてくれないよ。不調を直してくれるのはマキナだけだ」
自身を優先させたいレヴの態度に、パスがすかさず異を唱える。いくらなんでも直してもらえないなどということは決して起こり得ないと思うが。
しかし喜ぶべきか僕は随分と重い信頼を得ているらしく、レヴが凄んでも頑として首を縦に振らないパス。
僕の身体が二つあれば同時に対応出来たのだろうが、生憎生身の人間が分裂するなんてことは不可能、一旦作業を止めてパスの様子を見ることにする。
「ちょっとごめんレヴ。一旦そのままその中で大人しくしてて」
「どういうことだクオレ・マキネッタ、私よりもその鉄クズを取るのか」
「表面のクリーンはこの装置ででも出来るから、その間だけだよ。"お兄ちゃん"なら少しくらい"弟"の為に頑張って」
レヴをエアーシャワー用クローゼットに押し込み、半ば強引に作業を進める。その隙にパスの元へ走り、痛んだボディのどこが重傷か確かめる。
クローゼットの中でレヴが何やら呻いているのが聞こえる気がするが、風圧の音で掻き消えて認識出来ないので今は無視することにする。出て来た後が怖いが。
「ここまで傷だらけだと、どこかしらエラーが出てそうだけど…どう?」
「踵が片方無くなってるのと、膝が変な方向を向いてるよ。あ、あと指も何本か取れてる。ほら!」
僕が聞きたかった内部のエラーではなく、外から見て分かる欠損を何故か誇らしげに見せびらかして来るパス。
人間だったらグロテスクでは済まないような痛々しい姿に、寧ろよくここまで来れたものだとも思ってしまう。
「いや、そんな間近で見せなくていい…気が滅入るから」
酷い所が多くどこから手をつけたものか悩ましい状態はパスを余所に、レヴのクリーンナップ作業が着実に進んで行く。
残り時間が僅かであることを示す予備アラームが耳を劈くが、パスはパスで一刻も早く直さねばならない。
幸いにもパスはベースはマーヴィンと同じだから、換装パーツは豊富にある。下半身を丸ごと移し替え、一先ず彼の自己申告にあった踵と膝の問題は解決した。
「とりあえず足は修復出来たよ。歩けるかい、パス」
「…クオレ・マキネッタ。私を差し置いて、随分と楽しそうだな」
怨念の篭った声で、いやそれはいつも通りなのだが、いつも以上に忌々しさを込めた声音で、レヴが背後から寄ってくる。
束縛が激しいこの亡霊は、どうしても僕にご執心のようだ。それ自体には悪い気はしないと思ってしまう辺り、僕も僕で狂っている。
「ありがとうマキナ、お兄ちゃん! お陰でこの通り、いつものように機敏に動けるよ」
嬉しそうに感謝を告げて脚を動かすパスに毒気を抜かれたのか、それとも自分の体も綺麗になったことである程度溜飲が下がってくれていたのか、レヴは嫌味を零すことなく顔を背けて嘆息するのみに留める。
「…フン」
「満更でもないみたいだね」
「私がか? まさか。貴様の耳は腐っているのか」
僕には変わらず悪態を吐くレヴだが、その声音もどことなく柔らかく感じる。彼のこの微細な感情の振れ幅に気が付けるのは僕以外にあと何人居るのだろうか。
「いや、マキナが言っていることは正しいよ。今の君の嘆息は、いつもの苛立ちに満ちたものとは明確に違っていた」
「ああやっぱりそうなんだ。気のせいかとも思ったけれど」
パスがそう告げて、僕の認識が間違いでなかったことに安堵する。どうやらレヴは、僕が想定しているよりもずっとパスには心を開いているようだ。
兄と慕われることが内心では嬉しいのも勿論、彼を同じ金属の体を持つ仲間として認めているように見える。
生身の人間と違って、迂闊に傷つけて遠ざけることもないという信頼があるのも大きいのだろう。
「…クオレ・マキネッタ」
「はいはい」
恨めしそうに名を呼ばれ、まだ彼の修復作業が完全には終わっていないことを念押される。汚れは確かに綺麗になったが、肝心の駆動機構はまだ十全ではない。
壁や崖を素早く高く登る為の手足は所々が傷ついており、いつものような自然な動きはまだ不可能そうだった。
一方でパスは損傷が下半身に集中していたらしく、あとは自己修復でどうにかなりそうな程度だと言える。そちらは本人に任せて、僕はレヴを診ることにする。
「ねえ、レヴ。レヴはスペアボディに意識が移ることでまた戻って来ることが出来るけど、それがないシミュラクラムは…体が壊れた後、心はどこに行くんだろう」
ふと思い立ち、藁にも縋るような想いで、僕は日常の中で胸に秘めている悲愴を零す。
二十年近く前のあの日、ミリシアの屈強な戦士に敗北し壊れてしまった彼女を、どうにかして蘇らせる術を知ってはいないかと、願いを込めて問う。
だが彼は当然のごとく残酷な答えを返す。それもそうだ。レヴは最古にして最上のシミュラクラム、他のシミュラクラムについてなんて知らなくても仕方ない。
「そんなこと、私が知っていると思うな」
「…そっか。それもそうだね…ごめん、変なこと聞いて」
会話がそこで途切れ、僕がレヴを、パスが自分を直す音だけが響く。でもそれでいい。金属の刻むメロディに集中することが出来る。
しかしそれは長くは続かず、パスが徐に声を上げる。空気の重さを少しでも和らげようとしたのだろう、救いを差し伸べるように、僕へ自らの経験を語ってくれた。
「シミュラクラムじゃない僕のことが参考になるかはわからないけど、僕が目覚める前はやっぱりすごく深い眠りについていたような気分だったよ」
「ああ…そういえば、パスも長い間休んでいた時期があったんだっけ」
パスが生まれてから今に至るまでの間に、長い休息期間があったことについては僕も知っている。
その休息期間の記憶を、朧気ながら彼は覚えているらしい。シミュラクラムのそれとは厳密には違うものかもしれないけれど、きっと限りなく近いものだろう。
そう聞くと少しだけ心が軽くなってくる。彼女も今は長い眠りについているだけで、いつか目覚める日が来るはずだと思えるから。
「ふむ…興味深いな」
僕とパスが話していると、レヴが意外な反応を見せる。パスの話に対して自分も同じだったとは確かに一言も言っていないし、彼はまた違う過程で今まで生きてきたということか。
「レヴはそういう経験ないんだ」
「私は二十五年ほど前までは自分が人間だと信じて生きていたからな。そうプログラムされていた、と言うべきか…」
「えっと、どういうこと?」
彼の口から放たれた衝撃的な発言に、僕は驚きを隠せなくなる。しかしパスはこれを知っていたらしく、僕とは真逆に、至って平静を保ってそれを聞いていた。
「言葉の通りだ。それ以上でもそれ以下でもない」
僕の問いに深く答えてはくれず、随分とわかりやすく誤魔化されてしまう。
だがそこで素直に納得して引き下がる僕ではないことは、レヴも知っている筈だ。推測を語ると、それを是と頷いた。
「体がシミュラクラムになった後も、人間と同じ暮らしていた、と」
「…ああ、そうだ。伸びるはずのない髭を剃り、呑めもしない酒を浴びる…そんな生活を何百年と続けていた。そしてそれに気付いたのが、あの日…ローバの両親を殺した日だった」
悲しげに嘲笑い、失われた歳月を自虐する。僕らが想像もつかない程に永い刻を、彼はそのことに気付きすらせず独りでただ殺すだけだったと、そう告げる。
ある意味、ローバ女史はレヴナントではない"ヒトとしての彼"の呪いを絶った遠因なのかもしれない。僕から見ると、それが巡り巡って新たな因果を生んだようにしか思えないが。
「でも待ってレヴ、なぜハモンドは…そんな面倒で、かつ危険なプログラムを組んだんだ」
シミュラクラムの例は他にアッシュしか知らないが、少なくとも僕が知る彼女は自分の体が鋼鉄で包まれていることを理解していた。
そして、僕を含め周囲にいた人間の誰もが彼女を自分たちとは異なるのだと"区別"していた。互いの認識にズレは生じていなかった。
だが、死神レヴナントが人に紛れて過ごしてきた悪夢の日々は、それとは全く真逆に値するものだ。
結果として彼が自分の正体を自覚するまでに相当の月日が流れたのは確かなのだが、いつ綻びが生じてもおかしくない、非常に危ういものだったと言える。
そこまでするだけの理由を見つけられないでいる僕に、レヴが悪魔のように笑んで顔を寄せる。
「わかるだろう。奴らと同じ汚れ方をした、貴様にならな」
「待って、マキナは彼らとは違うでしょ」
僕が何かを思うよりもずっと早く、即座にパスが割って入ってはレヴの言葉を否定する。ああ、庇ってくれているのか。
だけど、僕もまたレヴナントの存在によって恩恵を受けている者の一人という意味では、ハモンドやシンジケートの暗部に属する者達と同類であることには違いない。彼の言葉によって、それを知ってしまった。
「…似たようなものだよ。彼らはレヴを駒として必要としたから生かし続けた。そして僕は、自分の技術を振るえる仕事を無くさない為に…レヴを必要としているのだから」
アッシュといた頃に培ったシミュラクラムへの技術を活かす対象として、レヴナントはこの上なく都合が良い存在なのは確かだ。
普段流れるままに生きている僕がそんな打算的なことを考えてレヴと交流を深めたつもりはなくても、そう見られるのを否定するだけの手札 が僕にはない。
「やっぱり違うよ、マキナは汚れてなんかないよ。悪いやつは、もっと自分が悪いことを誇るような顔をする筈だ」
「私のようにか?」
「レヴナントは黙ってて!」
珍しく激昂し、煽るレヴを遮る。パスがこんなに怒りを見せてくれることに驚きつつも、そんな感情を露わにしてまで護ってもらえる価値のない自分に反吐が出る。
「ありがとうパス、僕の為に怒ってくれて。でも…ごめん、僕は決して善人ではない。殺されない為に必死で、ちっとも真っ当な生き方は出来なかった。そしてそれは、今もそんなに変わらない」
「昔のことはわからない。けど僕らは皆、シンジケートに利用されているのも承知の上で各々の理由の為に戦ってる。それで君だけが悪人かのような言い方は、間違ってる」
パスが真っ直ぐに僕の方を向いて、そう告げる。口調はいつもと変わらない平坦な機械音でこそあったが、そこには明確に憤りの念が込められていた。
僕はと言うと、顔に値するレンズと表情を示す胸部モニターのどちらを見るべきか迷い、否、どちらを見ることも許されないと感じ、下を向くしか出来なかった。
「…」
全く何も反論出来ず押し黙る僕に対し、パスは自身も沈黙する。そして不思議なことに、それまで散々横槍を入れて来たレヴも何も言ってこなかった。
パスに黙れと怒声を上げられこそしたが、それに従う殊勝さなどあるはずもない彼が静かなことには違和感しかない。
「マキナ、自分を責めすぎないで。暗いことばかり考えてると心が壊れちゃう」
一生懸命どうすれば僕が笑みを取り戻すか考えて慰めの言葉をかけてくれる優しいパスに対し、レヴが悪魔のような笑みで嘯く。
「何を言う、パス。もう既に壊れているだろう?」
オクタンかと少し考えたが、彼は曲がりなりにも大企業の御曹司で、その上同接が百万人単位を超える超人気ストリーマーでもある。倫理観的にも多忙な身の上的にも、アポなしでこんな所に来る人間ではないはずだ。
やがて足音は止まり、扉の前で何やらロックを解除しようと画策しているようだった。この動きでようやくわかった、訪問者はパスファインダー。
リング収縮予測の際に調査ビーコンにアクセスする際、彼は自らの手を変形させてハッキングする。それと同じ時の音が聞こえたことで確信を得た。
「やあマキナ…って、あれ。お兄ちゃんも来てたんだ! 奇遇だね」
「私がこいつの元に来ていては不満か、パスファインダー」
「全然問題ないよ。でもいつもは人気のない所に居るはずの君が、どうしてマキナの所に?」
僕をお構い無しに、機械の義兄弟は歓談を始める。いつからパスがレヴを兄と慕うようになったのか全く覚えがないけれど、何だかんだ同志として互いに認め合っているようだ。
ちなみに彼の代わりに説明すると、レヴが僕の元に来ていたのは僕からの緊急要請だ。
保管倉庫の爆発により吹き飛ばされて散らばってしまったジャンクの体に彼の精神が移されてしまいかねないほどの損傷を受けていたのを直すためだった。
「この小娘がどうしてもと言って聞かぬからな。仕方なく来てやったまでだ」
「そうしないと危うく片腕でゲームに参戦することになりかねないところだったからね。でもそういう訳でパス、ごめんね。レヴを直すのに時間がかかるから…暫く待てるかい」
レヴナント修復作業の傍らに横目で見る限りは、パスもパスでかなりの傷を負っているように見えた。
グラップル用のワイヤーは綺麗に巻き取れておらずグチャグチャだし、腹部のモニターも元気がないマークばかりを映している。
そんな様子から薄らと感じていた悪寒は当たらずとも遠からず、基本的に誰にでも従順で温和なパスにしては珍しく、素直に頷かず反抗の意を露わにするのだった。
「うーん…でも、僕もマキナに直してもらいたくて急いで来たんだよ」
「私が先だ。貴様はその辺の別のエンジニアが幾らでも居るだろう」
「皆は僕が怪我をしていても、機械だからと言って気にかけてくれないよ。不調を直してくれるのはマキナだけだ」
自身を優先させたいレヴの態度に、パスがすかさず異を唱える。いくらなんでも直してもらえないなどということは決して起こり得ないと思うが。
しかし喜ぶべきか僕は随分と重い信頼を得ているらしく、レヴが凄んでも頑として首を縦に振らないパス。
僕の身体が二つあれば同時に対応出来たのだろうが、生憎生身の人間が分裂するなんてことは不可能、一旦作業を止めてパスの様子を見ることにする。
「ちょっとごめんレヴ。一旦そのままその中で大人しくしてて」
「どういうことだクオレ・マキネッタ、私よりもその鉄クズを取るのか」
「表面のクリーンはこの装置ででも出来るから、その間だけだよ。"お兄ちゃん"なら少しくらい"弟"の為に頑張って」
レヴをエアーシャワー用クローゼットに押し込み、半ば強引に作業を進める。その隙にパスの元へ走り、痛んだボディのどこが重傷か確かめる。
クローゼットの中でレヴが何やら呻いているのが聞こえる気がするが、風圧の音で掻き消えて認識出来ないので今は無視することにする。出て来た後が怖いが。
「ここまで傷だらけだと、どこかしらエラーが出てそうだけど…どう?」
「踵が片方無くなってるのと、膝が変な方向を向いてるよ。あ、あと指も何本か取れてる。ほら!」
僕が聞きたかった内部のエラーではなく、外から見て分かる欠損を何故か誇らしげに見せびらかして来るパス。
人間だったらグロテスクでは済まないような痛々しい姿に、寧ろよくここまで来れたものだとも思ってしまう。
「いや、そんな間近で見せなくていい…気が滅入るから」
酷い所が多くどこから手をつけたものか悩ましい状態はパスを余所に、レヴのクリーンナップ作業が着実に進んで行く。
残り時間が僅かであることを示す予備アラームが耳を劈くが、パスはパスで一刻も早く直さねばならない。
幸いにもパスはベースはマーヴィンと同じだから、換装パーツは豊富にある。下半身を丸ごと移し替え、一先ず彼の自己申告にあった踵と膝の問題は解決した。
「とりあえず足は修復出来たよ。歩けるかい、パス」
「…クオレ・マキネッタ。私を差し置いて、随分と楽しそうだな」
怨念の篭った声で、いやそれはいつも通りなのだが、いつも以上に忌々しさを込めた声音で、レヴが背後から寄ってくる。
束縛が激しいこの亡霊は、どうしても僕にご執心のようだ。それ自体には悪い気はしないと思ってしまう辺り、僕も僕で狂っている。
「ありがとうマキナ、お兄ちゃん! お陰でこの通り、いつものように機敏に動けるよ」
嬉しそうに感謝を告げて脚を動かすパスに毒気を抜かれたのか、それとも自分の体も綺麗になったことである程度溜飲が下がってくれていたのか、レヴは嫌味を零すことなく顔を背けて嘆息するのみに留める。
「…フン」
「満更でもないみたいだね」
「私がか? まさか。貴様の耳は腐っているのか」
僕には変わらず悪態を吐くレヴだが、その声音もどことなく柔らかく感じる。彼のこの微細な感情の振れ幅に気が付けるのは僕以外にあと何人居るのだろうか。
「いや、マキナが言っていることは正しいよ。今の君の嘆息は、いつもの苛立ちに満ちたものとは明確に違っていた」
「ああやっぱりそうなんだ。気のせいかとも思ったけれど」
パスがそう告げて、僕の認識が間違いでなかったことに安堵する。どうやらレヴは、僕が想定しているよりもずっとパスには心を開いているようだ。
兄と慕われることが内心では嬉しいのも勿論、彼を同じ金属の体を持つ仲間として認めているように見える。
生身の人間と違って、迂闊に傷つけて遠ざけることもないという信頼があるのも大きいのだろう。
「…クオレ・マキネッタ」
「はいはい」
恨めしそうに名を呼ばれ、まだ彼の修復作業が完全には終わっていないことを念押される。汚れは確かに綺麗になったが、肝心の駆動機構はまだ十全ではない。
壁や崖を素早く高く登る為の手足は所々が傷ついており、いつものような自然な動きはまだ不可能そうだった。
一方でパスは損傷が下半身に集中していたらしく、あとは自己修復でどうにかなりそうな程度だと言える。そちらは本人に任せて、僕はレヴを診ることにする。
「ねえ、レヴ。レヴはスペアボディに意識が移ることでまた戻って来ることが出来るけど、それがないシミュラクラムは…体が壊れた後、心はどこに行くんだろう」
ふと思い立ち、藁にも縋るような想いで、僕は日常の中で胸に秘めている悲愴を零す。
二十年近く前のあの日、ミリシアの屈強な戦士に敗北し壊れてしまった彼女を、どうにかして蘇らせる術を知ってはいないかと、願いを込めて問う。
だが彼は当然のごとく残酷な答えを返す。それもそうだ。レヴは最古にして最上のシミュラクラム、他のシミュラクラムについてなんて知らなくても仕方ない。
「そんなこと、私が知っていると思うな」
「…そっか。それもそうだね…ごめん、変なこと聞いて」
会話がそこで途切れ、僕がレヴを、パスが自分を直す音だけが響く。でもそれでいい。金属の刻むメロディに集中することが出来る。
しかしそれは長くは続かず、パスが徐に声を上げる。空気の重さを少しでも和らげようとしたのだろう、救いを差し伸べるように、僕へ自らの経験を語ってくれた。
「シミュラクラムじゃない僕のことが参考になるかはわからないけど、僕が目覚める前はやっぱりすごく深い眠りについていたような気分だったよ」
「ああ…そういえば、パスも長い間休んでいた時期があったんだっけ」
パスが生まれてから今に至るまでの間に、長い休息期間があったことについては僕も知っている。
その休息期間の記憶を、朧気ながら彼は覚えているらしい。シミュラクラムのそれとは厳密には違うものかもしれないけれど、きっと限りなく近いものだろう。
そう聞くと少しだけ心が軽くなってくる。彼女も今は長い眠りについているだけで、いつか目覚める日が来るはずだと思えるから。
「ふむ…興味深いな」
僕とパスが話していると、レヴが意外な反応を見せる。パスの話に対して自分も同じだったとは確かに一言も言っていないし、彼はまた違う過程で今まで生きてきたということか。
「レヴはそういう経験ないんだ」
「私は二十五年ほど前までは自分が人間だと信じて生きていたからな。そうプログラムされていた、と言うべきか…」
「えっと、どういうこと?」
彼の口から放たれた衝撃的な発言に、僕は驚きを隠せなくなる。しかしパスはこれを知っていたらしく、僕とは真逆に、至って平静を保ってそれを聞いていた。
「言葉の通りだ。それ以上でもそれ以下でもない」
僕の問いに深く答えてはくれず、随分とわかりやすく誤魔化されてしまう。
だがそこで素直に納得して引き下がる僕ではないことは、レヴも知っている筈だ。推測を語ると、それを是と頷いた。
「体がシミュラクラムになった後も、人間と同じ暮らしていた、と」
「…ああ、そうだ。伸びるはずのない髭を剃り、呑めもしない酒を浴びる…そんな生活を何百年と続けていた。そしてそれに気付いたのが、あの日…ローバの両親を殺した日だった」
悲しげに嘲笑い、失われた歳月を自虐する。僕らが想像もつかない程に永い刻を、彼はそのことに気付きすらせず独りでただ殺すだけだったと、そう告げる。
ある意味、ローバ女史はレヴナントではない"ヒトとしての彼"の呪いを絶った遠因なのかもしれない。僕から見ると、それが巡り巡って新たな因果を生んだようにしか思えないが。
「でも待ってレヴ、なぜハモンドは…そんな面倒で、かつ危険なプログラムを組んだんだ」
シミュラクラムの例は他にアッシュしか知らないが、少なくとも僕が知る彼女は自分の体が鋼鉄で包まれていることを理解していた。
そして、僕を含め周囲にいた人間の誰もが彼女を自分たちとは異なるのだと"区別"していた。互いの認識にズレは生じていなかった。
だが、死神レヴナントが人に紛れて過ごしてきた悪夢の日々は、それとは全く真逆に値するものだ。
結果として彼が自分の正体を自覚するまでに相当の月日が流れたのは確かなのだが、いつ綻びが生じてもおかしくない、非常に危ういものだったと言える。
そこまでするだけの理由を見つけられないでいる僕に、レヴが悪魔のように笑んで顔を寄せる。
「わかるだろう。奴らと同じ汚れ方をした、貴様にならな」
「待って、マキナは彼らとは違うでしょ」
僕が何かを思うよりもずっと早く、即座にパスが割って入ってはレヴの言葉を否定する。ああ、庇ってくれているのか。
だけど、僕もまたレヴナントの存在によって恩恵を受けている者の一人という意味では、ハモンドやシンジケートの暗部に属する者達と同類であることには違いない。彼の言葉によって、それを知ってしまった。
「…似たようなものだよ。彼らはレヴを駒として必要としたから生かし続けた。そして僕は、自分の技術を振るえる仕事を無くさない為に…レヴを必要としているのだから」
アッシュといた頃に培ったシミュラクラムへの技術を活かす対象として、レヴナントはこの上なく都合が良い存在なのは確かだ。
普段流れるままに生きている僕がそんな打算的なことを考えてレヴと交流を深めたつもりはなくても、そう見られるのを否定するだけの
「やっぱり違うよ、マキナは汚れてなんかないよ。悪いやつは、もっと自分が悪いことを誇るような顔をする筈だ」
「私のようにか?」
「レヴナントは黙ってて!」
珍しく激昂し、煽るレヴを遮る。パスがこんなに怒りを見せてくれることに驚きつつも、そんな感情を露わにしてまで護ってもらえる価値のない自分に反吐が出る。
「ありがとうパス、僕の為に怒ってくれて。でも…ごめん、僕は決して善人ではない。殺されない為に必死で、ちっとも真っ当な生き方は出来なかった。そしてそれは、今もそんなに変わらない」
「昔のことはわからない。けど僕らは皆、シンジケートに利用されているのも承知の上で各々の理由の為に戦ってる。それで君だけが悪人かのような言い方は、間違ってる」
パスが真っ直ぐに僕の方を向いて、そう告げる。口調はいつもと変わらない平坦な機械音でこそあったが、そこには明確に憤りの念が込められていた。
僕はと言うと、顔に値するレンズと表情を示す胸部モニターのどちらを見るべきか迷い、否、どちらを見ることも許されないと感じ、下を向くしか出来なかった。
「…」
全く何も反論出来ず押し黙る僕に対し、パスは自身も沈黙する。そして不思議なことに、それまで散々横槍を入れて来たレヴも何も言ってこなかった。
パスに黙れと怒声を上げられこそしたが、それに従う殊勝さなどあるはずもない彼が静かなことには違和感しかない。
「マキナ、自分を責めすぎないで。暗いことばかり考えてると心が壊れちゃう」
一生懸命どうすれば僕が笑みを取り戻すか考えて慰めの言葉をかけてくれる優しいパスに対し、レヴが悪魔のような笑みで嘯く。
「何を言う、パス。もう既に壊れているだろう?」
21/28ページ