レジェンド"クリプト"。本名キム・ヒョン、ソラス出身。それ以上の情報は多くなく、せいぜい年齢くらいしか判明していない謎に満ちた男だ。
　彼のドローンによる斥候能力は高く、遠隔でドアを開閉したり調査ビーコンによるリング縮小予測を迅速に行ったりと多岐に渡る活躍を見せている。
　更にはアルティメットアビリティとして持つ、EMPリブートスキル。ボディシールドや設置物にのみ作用する波形を用いてこそいるものの、周辺機器を壊さないかいつも不安に思っている代物だ。
　そんな一歩間違えればAPEXゲームのシステムさえをも壊してしまいかねない危険な技術の持ち主に、正確には彼のドローンに、僕はどこか不思議な既視感を抱いていた。

「またエラー吐いてる…何だこれ。こういうの、テジュンなら一瞬で直せそうなのにな」

　何をしたのか知らないが突然指名手配になって以降音沙汰のない知人の不在を嘆きながら、エラーの原因の調査を始める。
　システムデバッグが万全でないのは薄々勘づいてはいたことだったが、ここ最近はエラーが頻発しすぎで本当にストレスが溜まって仕方がない。
　尤も今日は先述のクリプトさんが手伝いに来てくれるという話なので、まだ気が楽だけれど。

「うーん」

　システム保護プログラム自体は問題ないように見えるのだが、どうにも違和感が拭えない。それにエラーも解決してくれない。
　まるで頭を悩ませている僕を見兼ねたかのように、慌てた様子で一人の男が駆け寄ってきた。予定外の来客ではなく、ちゃんとクリプトさんだった。

「…待たせた、マキネッタ」
「ああどうもクリプトさん。来て早々で悪いんですけど、これ見てもらえますか」

　挨拶もそこそこに、早速エラーコードを見せる。詳しい人ならこれを見るだけでもどこを直せばいいかわかるらしい。
　僕は機械いじりにおいては人より長けている自負があるけれど、プログラム解析や保守業務は専門から外れる分野なので、こういうのは有識者に任せた方が早いだろう。

「見せてみろ」

　画面を食い入るように覗き込むクリプトさん。僕が居るのも構わず彼はどんどんモニターへと近付いていき、端に追いやられる。
　目的に集中するあまり他のことに気を配ることなく突き進む様が、どことなくミラが指した画面を自分の身体で覆ってしまい怒られるテジュンを思い起こさせた。

「…なんだ？」

　視線の先が画面ではなく彼の方へ向いていたのに気付かれたのか、怪訝そうな声で尋ねられる。
　無理矢理に押し退けてきたこと自体はさして気にしてないが、こうも完全にスルーされると流石にちゃんと指摘すべきだったかと思ってしまう。
　ただ折角手伝いに来てくれている人を咎めるのも憚られたので、話題を転換しつつそれとなく伝えようと試みる。

「いや…知り合いに似てる挙動だなと。回転出来ないモニターはやっぱり不便ですね」

　昔、あまりにもテジュンが画面を遮るのだと嘆くミラを宥める為に、モニターの向きを自在に変えられるアームを自作してプレゼントしたことを思い出す。
　もし今目の前にいる彼が本当に僕が知るテジュンであるなら、もしかしたらその話に反応するかもしれないと期待を込めて告げるが、"クリプトさん"は視線をモニターに戻し表情を悟らせることなく、淡々と非を詫びるだけだった。

「邪魔して悪かったな」
「あぁいや、咎めるつもりはなかったんですが…」

　それ以上僕は何も言えないまま、クリプトさんも無言でエラー修正処理を進め、キーボードを叩く音だけが室内に響く。
　呆然と眺めている内に彼はキーボードから離れ、作業を完了したことを報告する。え、もう？

「…ひとまず解決した。また同じエラーが出たら今度は自分で直せ。俺のやった通りにすればいい」
「いや、無理言わないでくださいよ」
「目の前で見ていたんだからわかるだろ？」

　わかれば最初から苦労していない。そう反論したい気持ちが喉まで出かかったが、僕も機械工の分野では似たようなことをやる側の人間なので言い返せなかった。

「すみません、貴方の技術が凄すぎて追いつけません」

　正直にそう言ってみたが、すぐに返事はなかった。どうやらこれは納得行ってない様子だ。
　普通の人はこうやっておだてるように言えば気を良くして許してくれることが多いのだが、クリプトさんは残念なことにそういうタイプではないらしい。

「お前は優れたエンジニアだろう、これくらい容易に出来てもらわなきゃ困る」
「へぇ…随分僕を高く買ってくれているんですね。意外だな」

　自分以外の人間に対して信用や評価をしなさそうな人だと思っていたのだが、僕のことは認めてくれているのか。
　そこまでクリプトさんに何か特別なことをした覚えはないから、なんだか少し不思議な気分だ。

「あ…ああ。他の参加者からそう聞いたのをそのまま言っただけだ」

　納得できる理由ではあったが、微かに彼の瞳孔が開かれたのを見逃さず、彼が何かを隠そうとしているのを察知してしまう。
　レジェンド・クリプトについて、僕は先述したように公開されている以上の情報はほとんど知らない。顔を合わせたのも今日で二度目か三度目で、仲がいいとはとても言い難い。
　つまりは未知に等しく、この僅かに感じる違和感の原因について突き止めることは困難を極めるだろうと悟り、特に追求することなくこの場を収める。

「そうでしたか。でも僕の専門はあくまで機材メンテやパーツ改修なので…エンジニアとしての技術が認められているのはありがたいんですがね」
「基礎知識さえ身に着けばこのくらいはすぐにマスター出来る。作者が余程馬鹿でない限りは、読み解くのも改変するのもそう難しくはない。そういう作りにする義務があるからな」

　いつだったか、何かのプログラムを組んだ時にテジュンに似たようなことを言われたのを思い出す。
　その時は僕があまりにも酷いスパゲティコードを完成させてしまい、酷く激昂されたのをよく覚えている。

「はは…前にそれで失敗して激怒されたことがある身としては耳が痛いな」

　懐かしい、と言うにはそう昔のことでもない筈だけれど、何故だかとてつもなく遠い過去のことのように感じる。

「…俺にはそいつの気持ちがよくわかる。正直、解読不可能なほどに乱雑なプログラムは見ただけで吐き気がしてくる」

　正直なところ実感はないが、コンピューター技術者としては全能的な知を持つ彼にそこまで言わせるほどなのか。
　だとすると、僕に激怒した後も変わらず接してくれたテジュンの寛容さには感謝しなければ。

「そう、なんですね。彼に…テジュンにもしまた会えたら、もう一度謝らないと」
「また会えたら、か。まるでどこか遠くに行ったような言い方だな」

　少し気持ちが感傷に浸ってしまい、一抹の寂しさを口にしていた。しかしテジュンのことなど知るはずもないクリプトさんは、僕の言葉に対して抱くに相応しい感想を告げる。

「本当に…どこに行ったのやら。彼の幼馴染のミラ共々行方不明になって音沙汰無しですから」

　僕にとって、ミラがテジュンに殺されたという報は信じるに値しない噂だった。テジュンが肉親同然の彼女を手に掛けるなど有り得ないし、そもそも彼がそんなことをする理由がどこにもない。
　だからはじめに"何をしたかは知らない"と表現したのだ。真実は闇の中に隠され、僕が到底辿り着けない領域に深く潜り込んでしまっているから。

「…俺が」
「？」
「いや…なんでもない」

　何かを言いかけてやめるクリプトさん。もしここで何を言おうとしたかを無理にでも聞き出していたら、未来はまた違ったものになったのかもしれない。
　でもそれは別の分岐路の話。結果論には過ぎないものの、これで良かったのだと、この後に起こる多くの出来事を経た僕は思う。