ぎんたま
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「…くしゅん!」
いつものように真選組に持ち込んだ荷物を引き渡しながら、可愛げこそあるものの盛大に汚いクシャミをしてしまう祈莉。
「どーした祈莉、風邪か?」
「かもしれません…くしゅっ! うう、こんな稼ぎ時シーズンに風邪ひいてる場合じゃないんですけど…」
「今年の冬はヤケに寒くなるの早いですからねィ。隊士達の仲にも何人か風邪っぴきの軟弱者が居やすぜ」
心配そうに見つめる勲に再びクシャミを零しながら同意しつつ、祈莉は今は休む訳には行かない大事な時期であると告げる。
そして、勲が受け取った荷物を確認する傍らで、屯所においても風邪が流行していることを語る総悟。
表立って彼女を案ずる言葉をかけるようなことこそなかったが、無私の心で働き詰めてばかりで自分を省みない祈莉のことを、少年は彼女と一番長い付き合いの身として他の誰よりも密かに気にかけていた。
「総悟くんは風邪…ゲフン、引いてるの見たことないね」
「言われてみれば確かにそうかもしれん。江戸 に来てからも健康そのものだしな…何か食ってるモン違うとかか?」
意外か必然か真相は不明だが、総悟は病に弱ったところを仲間内に殆ど見せたことがなかった。咳き込む祈莉が指摘した事実に勲は深々と頷いて、その健康体に何か秘密が隠されてはいまいか訝しむ。
「近藤さん、アンタが真冬に全裸になって風邪だけで済んでる方が俺からしたら怪奇現象でさァ」
彼の想い人による嫌がらせによって数々の奇行を強要され、その度に人知れず体調を崩している勲だが、幸運にも大病に臥せることなくすぐに職務復帰出来ていた。
何もおかしなことをせず平穏な日々を過ごしている自分が健康を保つことより、そうした波の激しい生活の勲の方が余程奇特な体質ではないかと嘆息混じりに告げると、彼はそれを愛によるものと豪語した。
「あれは愛の力がなせる技だ。お前もそれぐらいのことをしてもいいと思えるぐらい好きな人が出来ればわかる!」
「…じゃあ私達には一生わからなさそうだね、総悟くん」
自分の世界に入り込み、好意を寄せる相手の為なら何だって出来ると力説する勲。ある意味不知の病とも言える奇病に罹患しているのを目の当たりにした祈莉は、呆れ顔で総悟に同意を求めた。
「そうすね」
自分と同じように苦笑を零し、勲を茶化してくれるだろうと信じていた祈莉の想定よりも遥かに無機質な返事。
どこか上の空な彼の態度に違和感を覚える祈莉だったが、その理由を探るには今の彼女の頭脳は処理能力に欠けていて。
「痛…っ」
「祈莉、大丈夫か!?」
劈くような頭痛に、膝から崩れ落ちる祈莉。傍にいた二人が寸でのところで倒れる前に彼女の身体を支えるも、その身体は既に酷い高熱によって蝕まれていた。
「ひでぇ熱だな。総悟、客間まで頼んだ。俺は医者呼んで来る」
「あっちょ、近藤さ…行っちまった」
突然のことに困惑を隠せない総悟が、祈莉を抱えたまま嘆くように吐き捨てる。残されたまま呆然としている余裕は全くない緊迫した状況の中にありながら、焦燥からか正常な判断に至れずにいた。
熱に魘される祈莉を前に彼は、何年も前に自らの姉が似たような苦しみに苛まれた時のことを思い起こす。その時も自分では何も出来ず、その場に居合わせた祈莉達が対処して事なきを得たことも。
「そ…ぅ、んん…ごめんね…ゲホゲホッ。帰って休めば治るだろうから…」
寒空の冷えた空気によって目を覚ましたらしい祈莉が、緩やかに立ち上がろうと力を込めながら総悟に微笑みかける。
だがその動きは明らかに不安定極まりないもので、とても彼女の言葉を素直に信じて送り出すことが出来るような様子ではなく。
「目の前でぶっ倒れられてる以上、そのまま帰す訳にはいかねーでしょ。それに近藤さんも医者呼んで来るっつって走ってっちまいましたし」
勲が既に救護のために駆け出していることを伝えると、大事にしたくない祈莉は驚きに首を振るが、その短い言葉の合間にもクシャミが挟まる始末。
「そんな、大じょ…くしゅん! 大丈夫なのに…」
「どこが大丈夫なんですかねィ…ま、いいや。起きたんなら自分で歩いてくだせェ、客間までは付き添いまさァ」
まともな会話さえ出来ていない彼女の現状を憂いつつ、総悟は渋々といった態度を露わにして祈莉に手を差し伸べる。
足元の覚束無い彼女を抱えて運ぶのは容易いが、唯でさえ真選組の中では可憐な女子と非常に目立つ存在となる祈莉である。派手な行動によって他の隊士達からの注目を集めるのは得策ではない。
そもそも、そんなことをすれば後々その事実を知った彼女が激昂することを知っている以上、彼の中に燻るサディスティックな好奇心を発揮させる訳には行かなかった。
「…本当にごめん、ううん…ありがとう」
総悟の脳裏で様々な思考が駆け巡っていることなど露知らず、差し伸べられた手を取ってぎこちなく笑いかける祈莉。
悴んだその手は指先は熟れた果実のように赤らみ冷えきっているのに対し、掌はその真逆で焦がれるような熱を帯びており温かさよりも熱さをも感じさせる。
チグハグな身体が訴える不調のシグナルをその身にひしひしと感じながら、総悟は彼女に寄り添って人の通りの少ない道程を歩く。
「それにしても…ケフッ、情けない所見られちゃったね…いつもは風邪かなって思ったらすぐ病院で薬貰ってたんだけど」
「…俺はネェさんが前々からよく風邪引いてるの知ってましたがね。新見の兄さん、ネェさんが風邪引く度に看病するの大変だって嬉しそうに嘆いてたもんで」
不摂生による頻繁な体調不良を隠し通していたつもりの祈莉に、少年は生前に彼女の兄である一識から聞き及んでいたことを告げる。
周知だったことに驚くと共に、彼女は自分に対し過保護の極みだった兄が付きっきりで看病してくれていた過去を思い出し、懐かしさに顔を綻ばせた。
「はは、そっか…そりゃそうだよね。うん…いつもお兄が傍で看ててくれてたの、今でもよく覚えてる」
「まぁでも気ぃ遣わせたくなかったのか、近藤さん達にはいつも俺から誤魔化すように頼まれてましたけども」
「そ…そうなの? なんか罪悪感で熱が引きそう…」
知らず知らずの内に少年に多大な迷惑をかけていたのを暴露され、思わず血の気が引き体温の低下を感じる祈莉。
頭痛の響く頭を抑え蛇行して歩く彼女を真っ直ぐ導きながら、総悟が気休めにもならない慰めを投げかける。
「別に今更気にしちゃいねーでさァ。それに…武州にいた頃はウチも散々世話になってたでしょ」
総悟が続け様に懺悔のように吐き捨てたのは、つい数刻前に思い起こしたかつての後悔。
たった一人の姉ミツバの一大事に何も出来なかった幼い時分に負った傷は、今も彼の深い奥底に隠されていたままで。
「…いいんだよ。私もお兄も、ミツバ姉の助けになりたかっただけだから」
多くは語らず、彼女は総悟の痛みを和らげるべく微笑む。そうしてすれ違っていく隊士達の視線から気を紛らわす内に、二人は誰の采配か既に布団の敷かれた客間に辿り着いていた。
「遅かったじゃねェーか総悟、祈莉は大丈夫なのか」
「だいじょ…ぶ、ぶぇくしゅ! …です」
勲に頼まれて布団を用意し、そのまま二人が来るのを待っていたらしい十四郎。彼に無事を問われた総悟よりも先に、祈莉が心配かけまいと勢いに任せて返事をしようとする。
しかし盛大な飛沫を伴う不格好極まりないクシャミによってその虚勢はかき消されてしまう。お約束のようなその一連の流れは、男が祈莉の不調を悟るには充分過ぎるものだった。
「おう、よーくわかった。全く大丈夫じゃねえってことが」
「そーいうわけなんで、んじゃ折角居るんなら後は頼んます土方さん」
「待て総悟。どーせ仕事なんかする気ねー癖に逃げんな、ちゃんと看病してやれ」
役目は終えたと言わんばかりに去ろうとする総悟を、胡座のまま十四郎は隊服の裾を掴み無理矢理捕らえる。
少年の複雑な心境など一切考慮する気もない鋭い視線が彼の背中に突き刺さるが、総悟は俯いたまま振り返ろうとはせず。
「…総悟くん、私なら大丈夫だから…コホッ」
「いいからお前はさっさと寝ろ、適当なこと言ってっと治るモンも治んねーぞ」
ここまで連れ立って来てくれただけでも有難いと、総悟に気を遣わせたくないと思い気丈に笑みを向ける祈莉だが、やはり咳き込んでしまい見かねた十四郎に布団に押し込まれてしまう。
祈莉にとってはたかが風邪と慣れたことの筈なのに、その姿を目の当たりにするのが初めてとなる三人を巻き込むとここまで大事になってしまうのだと身を以て知り、彼女は二度と弱ったところを見せまいと病床で密かに誓った。
「で、祈莉、風邪で倒れるなんざお前らしくねーじゃねーか。マヨネーズいるか? 栄養採れるぞ」
心配するあまり、自らが携帯しているマヨネーズのボトルを祈莉の頬に押し付ける十四郎。しかし平時でさえマヨネーズを積極的に口にすることのない彼女は必死に抵抗する。
「い、要らない…」
「土方さん、病人にそんな胃がもたれるモン与えたら余計寝込む羽目になりまさァ」
「うっ…そ、それもそうだな。悪ィ祈莉」
普段ならば食って掛かるであろう総悟の指摘にも素直に頷き、非を詫びる。病人である祈莉自身よりも不安がる十四郎の殊勝な姿に、彼女は恥ずかしさが勝り布団を頭まで引っ被ってしまう。
「あーらら。土方さんがあんまり変なこと言うから、ネェさん本当に寝込んじまいましたよ」
「って俺のせいにすんじゃねェーよ! お前がここに連れて来るのに上着のひとつも貸さねーから冷えたんだろうが」
喧々囂々の口論を微笑ましく聞く傍らで、祈莉は再び自分の体温が意志とは無関係に急激に上がって行くのを感じる。
背筋から襲う寒気に身体が震え、呼吸が苦しくなっていく。嘔吐する一歩手前の激しい咳に、いつの間にか彼女を放置したまま言い争いを始めていた二人がすかさず祈莉の元に寄り添う。
「ネェさん!」
「おい、大丈夫か!? 水飲めるか?」
「うぅ…」
布団と共に用意していたコップを宛てがい、乾燥した喉を潤す。しかし水道から適当に注いだだけの金属の溶けた味の不味い水に、祈莉は不満を露に顔を顰め咳き込む。
「にが…んん"ッ! 風邪の時だから…甘いのだと思ったのに、苦い…から、ごほん、余計気持ち悪…ゲホッゲホッ」
「あァ? こんな時まで甘いモンなんて我儘言ってねーでとにかく飲め」
祈莉の要求の真意に気付いていない十四郎が無理矢理コップを傾けて水分を摂らせようと画策するが、過去の記憶を手繰り寄せて何かに気付いた総悟がそれをやんわりと制止する。
「いや、確かに風邪んときにゃ普通の水よかスポーツ飲料の方が良いって言いますぜ土方さん。さっきのも、ネェさんがゲロのつく甘党だからじゃなくて、一般的な要求の範囲でさァ」
「そー…総悟くんの言う通りですよ土方さん、風邪の時はボコリスエットが定番なんです」
二人がかりで無知を詰られ怒りが頂点に達した彼は徐に立ち上がって、病人の頼みを聞く為に所望したスポーツ飲料を買って来ることを告げる。
「んじゃ買ってきてやっから、近藤さん達来るまで大人しく寝てろ。総悟はどーする、お前も一緒に来るか」
平静を保っているように見せつつもどこか不安げな総悟の胸中を知ってか知らずか、同伴を提案する十四郎。
しかし日頃から目の上の瘤と認識している相手に弱みを握られたくない少年が悩み抜いて出した答えは、彼の神経を逆撫でする意地の悪いもので。
「…なんか奢ってくれるんなら」
「前言撤回やっぱ来んな。気ィ遣って損した」
吐き捨てるようにそう言い残して、十四郎はピシャリと小気味よく音を立てて戸を閉め出て行く。
残された総悟が祈莉へと視線を向けると、彼女もまた布団の中から不安そうに弟分である少年を見つめていた。
「行かなくてよかったの…?」
「二人で行く必要があるほど大荷物になる訳でもなし、それに…」
身体は襖の外に向けたまま、枕のすぐ横に手を置いた総悟はその腕にゆっくりと重心をかけていく。
間近に縋れる部分を見つけた祈莉は額を彼の手首に触れさせて、その表面から伝わってくる冷たさからは想像も出来ないような、隠しきれない心奥の温かさを堪能するのだった。
「しんどい時に独りで寝てるだけってのは…想像以上に辛いだろーなと」
「…ありがとう、総悟くん」
総悟の手首によるひんやりとした心地良さを享受しながら、静かに瞳を閉じる祈莉。
素直とはかけ離れた不器用な少年達を安心させるには、確り身体を休めて元気な姿を見せることが第一だと、彼女は安らかな眠りに就いた。
「すぅ…すぅ」
安眠の証である規則的な寝息を耳にした少年が、起こしてしまわぬよう細心の注意を払って振り返り表情を窺う。
熱を帯びた額からは僅かに汗が滴っているものの、彼女の寝顔から苦悶する様子は感じられず、安心して眠っているのが見て取れる。
祈莉の汗を拭おうと、寝床の準備をした十四郎がタオルのひとつでも置いていってはいないか見渡すが、残念ながら使えそうなものは見当たらなかった。
立ち上がろうと足に力を込めようとした瞬間、それを見計らっていたかのように祈莉が身動ぎ、総悟の腕にしがみついて来た。
「…マジか」
無理に振りほどくには惜しい、穏やかな表情を見せる祈莉。その安らいだ笑みから察するに、年の瀬を控えた繁忙期に着実に稼ぐべく必要以上に気を張っていたのだろうことがわかる。
総悟は彼女の持つ不安や疲労を和らげる為の一因となれた喜びを感じる一方で、勲や十四郎にこの光景を見せる訳には行かないと苦笑を零した。
しかしそんな少年の葛藤も虚しく、騒がしい足音を伴い襖が唐突に開かれる。ひとつしかない足音から十四郎が戻ったのだろうと推測し、祈莉の安寧を奪う不快な騒音を立てられぬようにすべく刀を構えて待つ。
「総悟ォォ! すまねえ、医者は呼べなかったが…代わりに薬もらって来たぞ」
「なんだ近藤さんか…静かにしてくだせェ、折角寝たネェさんが起きちまうでしょ」
総悟の予想に反して、現れたのは十四郎ではなく勲だった。彼の姿を前にした瞬間、少年はすぐに平静を装い彼の騒音をやんわりと咎めるに留める。
そんな中祈莉はと言うと、布団に入るまでに繰り返していた酷い咳はほぼ治まり、喧騒もものともせず幸せそうな寝顔を見せていた。
その光景を見て、二人は互いに顔を見合わせて肩を竦める。歳相応というには幼さの残る無防備な寝顔は、彼らが武州に居た頃の郷愁を思い出させた。
「ハハッ、こりゃ確かに薬飲ませる為だけに無理矢理起こすのは気が引ける爆睡っぷりだな」
医者を探しに奔走する間、胸の奥で不安を抱き続けていた勲は、ようやく安堵出来たと息を零して、微かに瞳を潤ませた。
「本当に…無事でよかった」
「…そうすね。一時はどうなることかと思いやしたが、今はもうだいぶ落ち着いたみてーですし」
今にも泣き出しそうになるのを堪える勲の奇怪な表情には敢えて一切触れることなく、淡々と同意の言葉のみを口にする総悟。
身近な人の不調は何度経験しても焦るばかりで何も出来ていないと悲観していた総悟にとって、今回の騒動は多少なりとも祈莉の助けになれた貴重な経験となった出来事だった。
「でもまあ、そもそも倒れる前に休んで欲しいんですがね」
「総悟と祈莉、互いに爪の垢煎じて飲むくらいで丁度いいかもな」
「俺はもう充分でしょ、ストーカーに時間費やしてる近藤さんのがネェさん見習った方がいいんじゃありやせんか」
いつものように真選組に持ち込んだ荷物を引き渡しながら、可愛げこそあるものの盛大に汚いクシャミをしてしまう祈莉。
「どーした祈莉、風邪か?」
「かもしれません…くしゅっ! うう、こんな稼ぎ時シーズンに風邪ひいてる場合じゃないんですけど…」
「今年の冬はヤケに寒くなるの早いですからねィ。隊士達の仲にも何人か風邪っぴきの軟弱者が居やすぜ」
心配そうに見つめる勲に再びクシャミを零しながら同意しつつ、祈莉は今は休む訳には行かない大事な時期であると告げる。
そして、勲が受け取った荷物を確認する傍らで、屯所においても風邪が流行していることを語る総悟。
表立って彼女を案ずる言葉をかけるようなことこそなかったが、無私の心で働き詰めてばかりで自分を省みない祈莉のことを、少年は彼女と一番長い付き合いの身として他の誰よりも密かに気にかけていた。
「総悟くんは風邪…ゲフン、引いてるの見たことないね」
「言われてみれば確かにそうかもしれん。
意外か必然か真相は不明だが、総悟は病に弱ったところを仲間内に殆ど見せたことがなかった。咳き込む祈莉が指摘した事実に勲は深々と頷いて、その健康体に何か秘密が隠されてはいまいか訝しむ。
「近藤さん、アンタが真冬に全裸になって風邪だけで済んでる方が俺からしたら怪奇現象でさァ」
彼の想い人による嫌がらせによって数々の奇行を強要され、その度に人知れず体調を崩している勲だが、幸運にも大病に臥せることなくすぐに職務復帰出来ていた。
何もおかしなことをせず平穏な日々を過ごしている自分が健康を保つことより、そうした波の激しい生活の勲の方が余程奇特な体質ではないかと嘆息混じりに告げると、彼はそれを愛によるものと豪語した。
「あれは愛の力がなせる技だ。お前もそれぐらいのことをしてもいいと思えるぐらい好きな人が出来ればわかる!」
「…じゃあ私達には一生わからなさそうだね、総悟くん」
自分の世界に入り込み、好意を寄せる相手の為なら何だって出来ると力説する勲。ある意味不知の病とも言える奇病に罹患しているのを目の当たりにした祈莉は、呆れ顔で総悟に同意を求めた。
「そうすね」
自分と同じように苦笑を零し、勲を茶化してくれるだろうと信じていた祈莉の想定よりも遥かに無機質な返事。
どこか上の空な彼の態度に違和感を覚える祈莉だったが、その理由を探るには今の彼女の頭脳は処理能力に欠けていて。
「痛…っ」
「祈莉、大丈夫か!?」
劈くような頭痛に、膝から崩れ落ちる祈莉。傍にいた二人が寸でのところで倒れる前に彼女の身体を支えるも、その身体は既に酷い高熱によって蝕まれていた。
「ひでぇ熱だな。総悟、客間まで頼んだ。俺は医者呼んで来る」
「あっちょ、近藤さ…行っちまった」
突然のことに困惑を隠せない総悟が、祈莉を抱えたまま嘆くように吐き捨てる。残されたまま呆然としている余裕は全くない緊迫した状況の中にありながら、焦燥からか正常な判断に至れずにいた。
熱に魘される祈莉を前に彼は、何年も前に自らの姉が似たような苦しみに苛まれた時のことを思い起こす。その時も自分では何も出来ず、その場に居合わせた祈莉達が対処して事なきを得たことも。
「そ…ぅ、んん…ごめんね…ゲホゲホッ。帰って休めば治るだろうから…」
寒空の冷えた空気によって目を覚ましたらしい祈莉が、緩やかに立ち上がろうと力を込めながら総悟に微笑みかける。
だがその動きは明らかに不安定極まりないもので、とても彼女の言葉を素直に信じて送り出すことが出来るような様子ではなく。
「目の前でぶっ倒れられてる以上、そのまま帰す訳にはいかねーでしょ。それに近藤さんも医者呼んで来るっつって走ってっちまいましたし」
勲が既に救護のために駆け出していることを伝えると、大事にしたくない祈莉は驚きに首を振るが、その短い言葉の合間にもクシャミが挟まる始末。
「そんな、大じょ…くしゅん! 大丈夫なのに…」
「どこが大丈夫なんですかねィ…ま、いいや。起きたんなら自分で歩いてくだせェ、客間までは付き添いまさァ」
まともな会話さえ出来ていない彼女の現状を憂いつつ、総悟は渋々といった態度を露わにして祈莉に手を差し伸べる。
足元の覚束無い彼女を抱えて運ぶのは容易いが、唯でさえ真選組の中では可憐な女子と非常に目立つ存在となる祈莉である。派手な行動によって他の隊士達からの注目を集めるのは得策ではない。
そもそも、そんなことをすれば後々その事実を知った彼女が激昂することを知っている以上、彼の中に燻るサディスティックな好奇心を発揮させる訳には行かなかった。
「…本当にごめん、ううん…ありがとう」
総悟の脳裏で様々な思考が駆け巡っていることなど露知らず、差し伸べられた手を取ってぎこちなく笑いかける祈莉。
悴んだその手は指先は熟れた果実のように赤らみ冷えきっているのに対し、掌はその真逆で焦がれるような熱を帯びており温かさよりも熱さをも感じさせる。
チグハグな身体が訴える不調のシグナルをその身にひしひしと感じながら、総悟は彼女に寄り添って人の通りの少ない道程を歩く。
「それにしても…ケフッ、情けない所見られちゃったね…いつもは風邪かなって思ったらすぐ病院で薬貰ってたんだけど」
「…俺はネェさんが前々からよく風邪引いてるの知ってましたがね。新見の兄さん、ネェさんが風邪引く度に看病するの大変だって嬉しそうに嘆いてたもんで」
不摂生による頻繁な体調不良を隠し通していたつもりの祈莉に、少年は生前に彼女の兄である一識から聞き及んでいたことを告げる。
周知だったことに驚くと共に、彼女は自分に対し過保護の極みだった兄が付きっきりで看病してくれていた過去を思い出し、懐かしさに顔を綻ばせた。
「はは、そっか…そりゃそうだよね。うん…いつもお兄が傍で看ててくれてたの、今でもよく覚えてる」
「まぁでも気ぃ遣わせたくなかったのか、近藤さん達にはいつも俺から誤魔化すように頼まれてましたけども」
「そ…そうなの? なんか罪悪感で熱が引きそう…」
知らず知らずの内に少年に多大な迷惑をかけていたのを暴露され、思わず血の気が引き体温の低下を感じる祈莉。
頭痛の響く頭を抑え蛇行して歩く彼女を真っ直ぐ導きながら、総悟が気休めにもならない慰めを投げかける。
「別に今更気にしちゃいねーでさァ。それに…武州にいた頃はウチも散々世話になってたでしょ」
総悟が続け様に懺悔のように吐き捨てたのは、つい数刻前に思い起こしたかつての後悔。
たった一人の姉ミツバの一大事に何も出来なかった幼い時分に負った傷は、今も彼の深い奥底に隠されていたままで。
「…いいんだよ。私もお兄も、ミツバ姉の助けになりたかっただけだから」
多くは語らず、彼女は総悟の痛みを和らげるべく微笑む。そうしてすれ違っていく隊士達の視線から気を紛らわす内に、二人は誰の采配か既に布団の敷かれた客間に辿り着いていた。
「遅かったじゃねェーか総悟、祈莉は大丈夫なのか」
「だいじょ…ぶ、ぶぇくしゅ! …です」
勲に頼まれて布団を用意し、そのまま二人が来るのを待っていたらしい十四郎。彼に無事を問われた総悟よりも先に、祈莉が心配かけまいと勢いに任せて返事をしようとする。
しかし盛大な飛沫を伴う不格好極まりないクシャミによってその虚勢はかき消されてしまう。お約束のようなその一連の流れは、男が祈莉の不調を悟るには充分過ぎるものだった。
「おう、よーくわかった。全く大丈夫じゃねえってことが」
「そーいうわけなんで、んじゃ折角居るんなら後は頼んます土方さん」
「待て総悟。どーせ仕事なんかする気ねー癖に逃げんな、ちゃんと看病してやれ」
役目は終えたと言わんばかりに去ろうとする総悟を、胡座のまま十四郎は隊服の裾を掴み無理矢理捕らえる。
少年の複雑な心境など一切考慮する気もない鋭い視線が彼の背中に突き刺さるが、総悟は俯いたまま振り返ろうとはせず。
「…総悟くん、私なら大丈夫だから…コホッ」
「いいからお前はさっさと寝ろ、適当なこと言ってっと治るモンも治んねーぞ」
ここまで連れ立って来てくれただけでも有難いと、総悟に気を遣わせたくないと思い気丈に笑みを向ける祈莉だが、やはり咳き込んでしまい見かねた十四郎に布団に押し込まれてしまう。
祈莉にとってはたかが風邪と慣れたことの筈なのに、その姿を目の当たりにするのが初めてとなる三人を巻き込むとここまで大事になってしまうのだと身を以て知り、彼女は二度と弱ったところを見せまいと病床で密かに誓った。
「で、祈莉、風邪で倒れるなんざお前らしくねーじゃねーか。マヨネーズいるか? 栄養採れるぞ」
心配するあまり、自らが携帯しているマヨネーズのボトルを祈莉の頬に押し付ける十四郎。しかし平時でさえマヨネーズを積極的に口にすることのない彼女は必死に抵抗する。
「い、要らない…」
「土方さん、病人にそんな胃がもたれるモン与えたら余計寝込む羽目になりまさァ」
「うっ…そ、それもそうだな。悪ィ祈莉」
普段ならば食って掛かるであろう総悟の指摘にも素直に頷き、非を詫びる。病人である祈莉自身よりも不安がる十四郎の殊勝な姿に、彼女は恥ずかしさが勝り布団を頭まで引っ被ってしまう。
「あーらら。土方さんがあんまり変なこと言うから、ネェさん本当に寝込んじまいましたよ」
「って俺のせいにすんじゃねェーよ! お前がここに連れて来るのに上着のひとつも貸さねーから冷えたんだろうが」
喧々囂々の口論を微笑ましく聞く傍らで、祈莉は再び自分の体温が意志とは無関係に急激に上がって行くのを感じる。
背筋から襲う寒気に身体が震え、呼吸が苦しくなっていく。嘔吐する一歩手前の激しい咳に、いつの間にか彼女を放置したまま言い争いを始めていた二人がすかさず祈莉の元に寄り添う。
「ネェさん!」
「おい、大丈夫か!? 水飲めるか?」
「うぅ…」
布団と共に用意していたコップを宛てがい、乾燥した喉を潤す。しかし水道から適当に注いだだけの金属の溶けた味の不味い水に、祈莉は不満を露に顔を顰め咳き込む。
「にが…んん"ッ! 風邪の時だから…甘いのだと思ったのに、苦い…から、ごほん、余計気持ち悪…ゲホッゲホッ」
「あァ? こんな時まで甘いモンなんて我儘言ってねーでとにかく飲め」
祈莉の要求の真意に気付いていない十四郎が無理矢理コップを傾けて水分を摂らせようと画策するが、過去の記憶を手繰り寄せて何かに気付いた総悟がそれをやんわりと制止する。
「いや、確かに風邪んときにゃ普通の水よかスポーツ飲料の方が良いって言いますぜ土方さん。さっきのも、ネェさんがゲロのつく甘党だからじゃなくて、一般的な要求の範囲でさァ」
「そー…総悟くんの言う通りですよ土方さん、風邪の時はボコリスエットが定番なんです」
二人がかりで無知を詰られ怒りが頂点に達した彼は徐に立ち上がって、病人の頼みを聞く為に所望したスポーツ飲料を買って来ることを告げる。
「んじゃ買ってきてやっから、近藤さん達来るまで大人しく寝てろ。総悟はどーする、お前も一緒に来るか」
平静を保っているように見せつつもどこか不安げな総悟の胸中を知ってか知らずか、同伴を提案する十四郎。
しかし日頃から目の上の瘤と認識している相手に弱みを握られたくない少年が悩み抜いて出した答えは、彼の神経を逆撫でする意地の悪いもので。
「…なんか奢ってくれるんなら」
「前言撤回やっぱ来んな。気ィ遣って損した」
吐き捨てるようにそう言い残して、十四郎はピシャリと小気味よく音を立てて戸を閉め出て行く。
残された総悟が祈莉へと視線を向けると、彼女もまた布団の中から不安そうに弟分である少年を見つめていた。
「行かなくてよかったの…?」
「二人で行く必要があるほど大荷物になる訳でもなし、それに…」
身体は襖の外に向けたまま、枕のすぐ横に手を置いた総悟はその腕にゆっくりと重心をかけていく。
間近に縋れる部分を見つけた祈莉は額を彼の手首に触れさせて、その表面から伝わってくる冷たさからは想像も出来ないような、隠しきれない心奥の温かさを堪能するのだった。
「しんどい時に独りで寝てるだけってのは…想像以上に辛いだろーなと」
「…ありがとう、総悟くん」
総悟の手首によるひんやりとした心地良さを享受しながら、静かに瞳を閉じる祈莉。
素直とはかけ離れた不器用な少年達を安心させるには、確り身体を休めて元気な姿を見せることが第一だと、彼女は安らかな眠りに就いた。
「すぅ…すぅ」
安眠の証である規則的な寝息を耳にした少年が、起こしてしまわぬよう細心の注意を払って振り返り表情を窺う。
熱を帯びた額からは僅かに汗が滴っているものの、彼女の寝顔から苦悶する様子は感じられず、安心して眠っているのが見て取れる。
祈莉の汗を拭おうと、寝床の準備をした十四郎がタオルのひとつでも置いていってはいないか見渡すが、残念ながら使えそうなものは見当たらなかった。
立ち上がろうと足に力を込めようとした瞬間、それを見計らっていたかのように祈莉が身動ぎ、総悟の腕にしがみついて来た。
「…マジか」
無理に振りほどくには惜しい、穏やかな表情を見せる祈莉。その安らいだ笑みから察するに、年の瀬を控えた繁忙期に着実に稼ぐべく必要以上に気を張っていたのだろうことがわかる。
総悟は彼女の持つ不安や疲労を和らげる為の一因となれた喜びを感じる一方で、勲や十四郎にこの光景を見せる訳には行かないと苦笑を零した。
しかしそんな少年の葛藤も虚しく、騒がしい足音を伴い襖が唐突に開かれる。ひとつしかない足音から十四郎が戻ったのだろうと推測し、祈莉の安寧を奪う不快な騒音を立てられぬようにすべく刀を構えて待つ。
「総悟ォォ! すまねえ、医者は呼べなかったが…代わりに薬もらって来たぞ」
「なんだ近藤さんか…静かにしてくだせェ、折角寝たネェさんが起きちまうでしょ」
総悟の予想に反して、現れたのは十四郎ではなく勲だった。彼の姿を前にした瞬間、少年はすぐに平静を装い彼の騒音をやんわりと咎めるに留める。
そんな中祈莉はと言うと、布団に入るまでに繰り返していた酷い咳はほぼ治まり、喧騒もものともせず幸せそうな寝顔を見せていた。
その光景を見て、二人は互いに顔を見合わせて肩を竦める。歳相応というには幼さの残る無防備な寝顔は、彼らが武州に居た頃の郷愁を思い出させた。
「ハハッ、こりゃ確かに薬飲ませる為だけに無理矢理起こすのは気が引ける爆睡っぷりだな」
医者を探しに奔走する間、胸の奥で不安を抱き続けていた勲は、ようやく安堵出来たと息を零して、微かに瞳を潤ませた。
「本当に…無事でよかった」
「…そうすね。一時はどうなることかと思いやしたが、今はもうだいぶ落ち着いたみてーですし」
今にも泣き出しそうになるのを堪える勲の奇怪な表情には敢えて一切触れることなく、淡々と同意の言葉のみを口にする総悟。
身近な人の不調は何度経験しても焦るばかりで何も出来ていないと悲観していた総悟にとって、今回の騒動は多少なりとも祈莉の助けになれた貴重な経験となった出来事だった。
「でもまあ、そもそも倒れる前に休んで欲しいんですがね」
「総悟と祈莉、互いに爪の垢煎じて飲むくらいで丁度いいかもな」
「俺はもう充分でしょ、ストーカーに時間費やしてる近藤さんのがネェさん見習った方がいいんじゃありやせんか」
35/36ページ