ぎんたま
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よく晴れた夏の夜を、屋台の喧騒と輝きが彩る。今夜はこのかぶき町にて、年に一度の夏祭りが開かれる日だった。
綺麗な花火が上がるであろう雲ひとつない澄んだ空とは対照的に、憂いに満ちた心持ちでその空を見つめる女性が一人佇むのを、男は見つけてしまった。
その女性の名前は新見祈莉。真選組と深い交友関係にある彼女は、本来ならば攘夷四天王と称される桂小太郎にとっては敵対勢力に当たる存在、のはずなのだが。
「あ。こんばんは、桂さん」
三度笠を被り顔など見えないであろうと高を括っていたところに、桂、と臆面もなく名指しで呼ぶ彼女の真っ直ぐな瞳に、彼はその清い心を無視することが出来ずに立ち止まる。
「あぁ、君は…」
浅からぬ因縁の数々から、彼女の名を知りこそしていたもののどう呼ぶのが適切なのかと口篭る桂。
その一瞬の隙に、彼女は彼が自らの名を覚えていないと悟りそっと微笑んで、半ば強引に下の名で呼ぶよう申し出るのだった。
「新見祈莉です。祈莉と、是非名前で呼んでください」
「…祈莉君。真選組と縁の深い君がわざわざ俺に声をかけるなど、いったいどういう風の吹き回しだ?」
彼女と顔を合わせるのはこれが初めてではない桂にとって、祈莉は警戒する必要などない相手だと知りつつも、あくまで生きる世界が違うはずの存在なのだと強調する意を込めてそう問いかける。
だがそんな男の計らいなど知る由もなく、彼女は彼が何気なく発した言葉に反応し眉を顰めて。
「ほら、今日はお祭りじゃないですか。折角だから皆と回りたかったんですけど…誰かさんのせいで急な仕事が入ったらしくて」
名言こそしないものの、至極残念そうな表情を浮かべ男を見つめる祈莉。桂はその突き刺さる視線を痛いほど感じながら、どうにか逃げ道を探そうと彼女を褒めそやす。
「そうか、それで浴衣を着ていたのか。よく似合っているぞ」
「あ…ありがとう、ございます。なんだか…照れちゃいますね」
桂の口八丁に祈莉は想像以上に困惑気味に照れる様子を見せ、翳りに隠された密かな魅力に気付いた彼の鼓動が昂る。
祈莉が言葉を失っているこの隙に立ち去るのが最善だと理解していながら、哀しむ彼女を置いていくことを許すことの出来なかった桂。
そんな彼の胸中を知ってか知らずか。彼女は突如大声を上げて叫び、頬を真っ赤に染めて彼が恐れていた提案を持ちかけるのだった。
「…桂さん! その…皆の代わりにって訳じゃないですけど…私と、お祭り…一緒に回ってくれませんか?」
その妖艶とも呼べる女の表情は宵の妙か、あるいは。雰囲気に流されそうになる所を寸でで我欲を振り払って、男は彼女の申し出が気の迷いではないかと問う。
だが彼女はすぐさま詫びの言葉を口にしつつも、その突拍子もないはずの提案そのものを取り下げることはなかった。
「祈莉君…それは本気で言っているのか?」
「ごっ、ごめんなさい。急に言われても困りますよね…」
桂と祈莉が話し始めてここまで、およそ十分。本来ならばとうに真選組の追跡から逃れるべくこの場を立ち去っていただろう時間をもってしても誰一人追って来ない状況に、彼は僅かに悲愴を感じる。
常日頃から真選組に追われる身である桂にとって、敵とはいえ彼らの一時の衰退に、そして彼女の抱く深い闇に憂慮せずにはいられなかった。
そんな折に見せられた彼女の艶やかな眼差しから発せられる妖気に、彼は敢えて呑み込まれることを選ぶのだった。
「…いや。ちょうど俺も予定がなくなって暇を持て余していたところだ、祭りでも宴でも付き合おうじゃないか」
そう答えて、桂は祈莉の歩幅に合わせゆっくりと歩き出す。祈莉がその隣で嬉しそうに笑み、二人揃って幸せそうに寄り添う様を木陰から密かに見つめる影がひとつ。
「おいヅラァァァ!! アイツ何ちゃっかり祈莉ちゃんと夏祭りデートとか決め込んでやがんだちくしょォォォォ!! アレか? まさか…奴のアホセンサーに引っかかっちまったのか!?」
その男、坂田銀時。彼は偶然にも旧友の姿を見つけ声をかけるつもりだったが、その前に立つ娘の存在から反射的に茂みに隠れその様子を窺っていた。
だが、その姿から女のようだと揶揄される彼が妙齢の女性と、それも銀時もよく知る相手である祈莉と二人きりで人混みに紛れ行くなどという異常事態の発生を目撃してしまい、理不尽すぎる現実に思わず叫ばずにはいられなかった。
そしてその声に反応して、反対側の木陰から現れる人影。夏に間近で見るには暑苦しさを感じさせる漆黒の隊服を纏う一人の男が、頭を抱え屈む銀時を見下ろしていた。
「誰かと思ったら万事屋の旦那じゃないですか。こんなトコで何やってんです」
「あ? お前こそコソコソ何してんだジミー、俺ァ今絶望に打ちひしがれて忙しいんだよ」
「いや普通に仕事ですよ…今日は祭りにかこつけて攘夷浪士達が何をしでかすかわかりませんから、俺達も見回りを強化してましてね」
名前とは一切関連のない不名誉な渾名を呼ばれながらも、訂正することすら諦めそのまま銀時の問いに答えるは、ジミーこと真選組監察役の男、山崎退。
銀時は先の桂の役得としか言いようのない状況を壊してやろうと、この真選組の男を利用するべくあっさりと友を売る言動を口にするのだった。
「そんならヅラっつー大物がさっき人混みン中入ってったぜ。おめーらんとこのねーちゃんと一緒にな」
「桂と…え、まさか祈莉さんが? またまたぁ。旦那も冗談がお上手ですねぇハハッ」
だが山崎にとってもその密告は俄に信じ難いもので、すぐには受け入れることが出来ず一笑に付してしまう。
無言のまま銀時はその一連の流れを見つめ、事態の深刻さをその目で物語ると、さすがの山崎もどうやら彼の言が嘘でないことに気付いたようで。
「え…マジなんですか」
「だから最初から言ってるだろって、いいの? 真選組のマドンナがヅラなんぞに奪われちまっても知らねーよ俺」
「じゃ、じゃあ…すぐにでも追いかけないと! 旦那、行きますよ!」
人目も憚らずに鼻の中を手入れしながら、タレコミするだけして、我関せずと言わんばかりに彼らから背を向けた銀時の襟元を引っ掴んで、山崎は祈莉を桂の魔の手から救うべく駆け出すのだった。
「あっ、やっぱ俺も行かなきゃダメ?」
「当たり前でしょ! 情報提供者には最後まで同行してもらう義務がありますからね」
所変わって、こちらは山崎達に追われる身となったことなど露知らず、年に一度きりの夏祭りを楽しむ祈莉達。
童心に帰って屋台の食べ物を目一杯に頬張る彼女を横で見つめる桂の視線は柔らかく、しかし同時に警戒の目を鋭く光らせ追跡を許さぬ姿勢を見せていた。
「んーっ、やっぱりお祭りの食べ物ってどれも美味しいですねえ」
「…そうだな。それにしても…銀時から多少は伝え聞いていたが、君もあれに匹敵…いや、凌駕する程の甘党だったとは」
「あはは…小さい頃からずっと貧乏で甘い物なんて滅多に食べられなかったせいか、だんだん歯止めが効かなくなってしまいまして」
言いながらも次々と列のない空いた屋台を見つけては甘味を買い漁っては、次の瞬間には既にそれらを食べ終えている祈莉に、桂は思わず驚嘆の意を露わにする。
空いた手に彼女が食べ終えた空の器や串を受け取りながら、ふと背後に悪寒を感じ振り返るも、実際に彼らを追う山崎と銀時 を見つけるには至らなかった。
それを見た何も知らない彼女が不思議そうに首を傾げるが、彼はその小さな幸福を壊すことを躊躇い、彼女へは真実を告げることなく誤魔化す。
「桂さん、どうかしましたか?」
「追っ手の気配を感じた気がしたが、どうやら杞憂のようだ…が、一応警戒だけはしておこうと思う」
屋台の隙間に隠れる黒と白の影目掛けて、桂は手元に持っていた串を二本、他の客や屋台を傷つけぬよう的確に狙って素早く投げつける。
寸でのところでそれを避けた二人は彼らがその場を立ち去るのを待って、改めて桂小太郎という男がいかに追っ手を撒くことに慣れているかを痛感する。
「やっべー…あの殺気なんなんだ、おめぇーらあんなんいつも追っかけてんのかよスゲェな」
共に逃げることこそ数あれど、友を追う側に回るなどという稀有な状況に、銀時はその気迫を間近で感じ身震いしていた。
「そうですよ、それに加えていつもだったら副長に蹴り飛ばされたり局長の暴走止めたり大変なんですからね」
「ほーん…お前も結構苦労してんのなジミー。あ、おっちゃんコレひとつちょーだい、折角だしダブルで頼まァ」
物陰から桂の様子を観察しながら、山崎は日々の辛苦を語る。だが銀時の興味は既に眼前の甘味に釘付けになっており、生返事でそれを受け流す。
その銀時の下から、椅子と同等の扱いを受ける男は哀しみに満ちた呻き声を上げるが、彼の悲痛は祭囃子の喧騒に掻き消えていくのだった。
「…あの、旦那…人の上に座ってアイス食いながら言う台詞じゃないですソレ…」
喧騒に紛れながらも、実は二人はそれほど追っ手である山崎と銀時から遠ざかることが出来ていなかった。
どうにか彼らを振り切れる場所を探そうと周囲をしきりに見渡す桂の考えを知ってか知らずか、祈莉の足取りは次第に重みを増していくばかりで。
「どうした祈莉君? 腹でも下したか」
「…あ、すみません。お腹は丈夫なんでなんともないですよ」
「そうか。なら良いんだが…」
心配かけまいと微笑みつつもどこか上の空で、誰かを必死で探すかのようにひたすら周囲を見回している祈莉。
やはり今ここに居るべきは、彼女の隣に立つべきは自分ではないのだと感じ取った桂は、短く頷くだけでそれ以上は何も言うことが出来なかった。
「旦那、祈莉さんと桂…なんか不穏な感じしますね」
「そうかぁ? 俺にはフツーに立ち止まっただけに見えるが」
口調こそ冷静さを保ったまま、二人の様子を血眼になって探る山崎と、既にこの尾行に飽きが来て返答が投げやりになっている銀時。
銀時にとっては桂と祈莉が親しくすること自体には異論などなく、そもそも邪魔立てする理由も権利も自分にはないというのが最大の理由だった。
とはいえ、どこか胸の内で渦巻く負の感情を完全に打ち消すには至らず、流れに身を任せるままに今も山崎と行動を共にしてしまっているのだが。
「いいやアレは絶対に何かありましたよ。あっ木陰に逃げた! 追いましょう旦那!」
「へいへい。ま…暇つぶしにゃちょうどいいか」
山崎の言葉通りでこそないものの、喧騒から外れ木陰に隠れる形になる桂と祈莉。
傍から見れば男女の修羅場とも思わしき様子の実態は、彼女にとってそばに居るのが当たり前の存在であった、今は亡き兄を想うが故の悲愴によるものだった。
「やっぱりまだ私…お兄がどこかで見ててくれないかな、って期待しちゃうんです。そんなわけないって、わかってるはずなんですけど」
「…祈莉君、それは」
その先に続く言葉を言い淀んだ刹那、彼らのすぐ側で爆発が巻き起こる。祈莉にとってある意味で聞き慣れた、真選組の面々がよく使うバズーカ砲の轟音。
そして、その砲撃を飛ばした張本人である真選組鬼の副長、土方十四郎が爆発から逃げる周囲の人々を掻き分け二人の元に駆ける。
「桂ァァァッ!! 今日こそは逃がさねェーからなァ!」
視線の先には仇敵のみが映り、祈莉が隣にいることなど気付きもしないまま次なる砲撃を撃ち込む十四郎。
容赦なく襲い掛かって来る攻撃から彼女を庇いつつ、すぐ様近場の物陰に逃げこんだ桂は、祈莉という庇護対象を傷つけることなく現状を打破するにはどうすべきかを考える。
「全く…これではどちらが悪かわからんぞ」
「あ、あのぉー…桂さん…」
軽々と抱えられ、羞恥に顔を染める祈莉が桂の腕の中で抗議のか細い声を上げる。
しかし度重なる爆撃と慌てふためく一般人の騒ぎ立てる音にかき消され、彼女の声が桂に届くことはなく。
「大丈夫か祈莉君、怪我はないか?」
辺りを警戒することに集中するあまり、彼女の表情を全く見ずにそう問いかける桂。
祈莉が自らの腕の中から蚊の鳴くような声で答えるのを聞き、ようやく事の深刻さに気付くのだった。
「…怪我はしてませんけど、大丈夫でもないですね」
「! す、すまん…アレコレ考えていたせいで無意識に抱えて走って来てしまったが、そもそも真選組から逃げるのに君を巻き込む必要などなかったな」
慌てて祈莉から離れ、桂は彼女へと非を詫びる。自らの失態によって彼女を危険に晒したことで、彼の中に良心の呵責が生まれてしまっていた。
だがそれを彼女が叱責することなどあるはずもなく、桂へ気に病むことなどないと寂しげに笑んで、それから。
「お祭り、一緒に回れて…楽しかったです。今日はこんな形でお別れになっちゃいましたが…またどこかで!」
それだけ言い残して、彼女は臆することなく十四郎の元に向かう。桂と行動を共にしていたことなど一切悟らせることなく彼を密かに足止めし、桂が追跡から逃れる隙を作る。
今生の別れなどではない筈なのに、桂はもう二度と彼女に会えない気がして、手の届かなくなったその背を呆然と見つめるしか出来なかった。
「祈莉君…」
祈莉が十四郎の元に辿り着くのを見て、ようやく桂は自らが今ここで成すべきことはこの場を無事に離脱し、真選組からの追跡を断ち切ることだと実感する。
真選組に与する立場にある祈莉と、攘夷浪士の桂。本来なら交わらざるべき縁でありながら、またどこかで、と再会を願って笑んだ彼女。
その約束を胸に、彼は祭りの会場を後にする。傍らで密かに黒焦げになって固まっている旧友 と仇敵 には、終ぞ気付くことなく。
「あれ、祈莉さん…いつの間に副長と一緒にいるんだ? って…しまったァァ桂見逃したァァァァ!!」
「ねえジミー、なんで俺こんな巻き込まれ損になってんの? ねえなんで? 酷くね?」
綺麗な花火が上がるであろう雲ひとつない澄んだ空とは対照的に、憂いに満ちた心持ちでその空を見つめる女性が一人佇むのを、男は見つけてしまった。
その女性の名前は新見祈莉。真選組と深い交友関係にある彼女は、本来ならば攘夷四天王と称される桂小太郎にとっては敵対勢力に当たる存在、のはずなのだが。
「あ。こんばんは、桂さん」
三度笠を被り顔など見えないであろうと高を括っていたところに、桂、と臆面もなく名指しで呼ぶ彼女の真っ直ぐな瞳に、彼はその清い心を無視することが出来ずに立ち止まる。
「あぁ、君は…」
浅からぬ因縁の数々から、彼女の名を知りこそしていたもののどう呼ぶのが適切なのかと口篭る桂。
その一瞬の隙に、彼女は彼が自らの名を覚えていないと悟りそっと微笑んで、半ば強引に下の名で呼ぶよう申し出るのだった。
「新見祈莉です。祈莉と、是非名前で呼んでください」
「…祈莉君。真選組と縁の深い君がわざわざ俺に声をかけるなど、いったいどういう風の吹き回しだ?」
彼女と顔を合わせるのはこれが初めてではない桂にとって、祈莉は警戒する必要などない相手だと知りつつも、あくまで生きる世界が違うはずの存在なのだと強調する意を込めてそう問いかける。
だがそんな男の計らいなど知る由もなく、彼女は彼が何気なく発した言葉に反応し眉を顰めて。
「ほら、今日はお祭りじゃないですか。折角だから皆と回りたかったんですけど…誰かさんのせいで急な仕事が入ったらしくて」
名言こそしないものの、至極残念そうな表情を浮かべ男を見つめる祈莉。桂はその突き刺さる視線を痛いほど感じながら、どうにか逃げ道を探そうと彼女を褒めそやす。
「そうか、それで浴衣を着ていたのか。よく似合っているぞ」
「あ…ありがとう、ございます。なんだか…照れちゃいますね」
桂の口八丁に祈莉は想像以上に困惑気味に照れる様子を見せ、翳りに隠された密かな魅力に気付いた彼の鼓動が昂る。
祈莉が言葉を失っているこの隙に立ち去るのが最善だと理解していながら、哀しむ彼女を置いていくことを許すことの出来なかった桂。
そんな彼の胸中を知ってか知らずか。彼女は突如大声を上げて叫び、頬を真っ赤に染めて彼が恐れていた提案を持ちかけるのだった。
「…桂さん! その…皆の代わりにって訳じゃないですけど…私と、お祭り…一緒に回ってくれませんか?」
その妖艶とも呼べる女の表情は宵の妙か、あるいは。雰囲気に流されそうになる所を寸でで我欲を振り払って、男は彼女の申し出が気の迷いではないかと問う。
だが彼女はすぐさま詫びの言葉を口にしつつも、その突拍子もないはずの提案そのものを取り下げることはなかった。
「祈莉君…それは本気で言っているのか?」
「ごっ、ごめんなさい。急に言われても困りますよね…」
桂と祈莉が話し始めてここまで、およそ十分。本来ならばとうに真選組の追跡から逃れるべくこの場を立ち去っていただろう時間をもってしても誰一人追って来ない状況に、彼は僅かに悲愴を感じる。
常日頃から真選組に追われる身である桂にとって、敵とはいえ彼らの一時の衰退に、そして彼女の抱く深い闇に憂慮せずにはいられなかった。
そんな折に見せられた彼女の艶やかな眼差しから発せられる妖気に、彼は敢えて呑み込まれることを選ぶのだった。
「…いや。ちょうど俺も予定がなくなって暇を持て余していたところだ、祭りでも宴でも付き合おうじゃないか」
そう答えて、桂は祈莉の歩幅に合わせゆっくりと歩き出す。祈莉がその隣で嬉しそうに笑み、二人揃って幸せそうに寄り添う様を木陰から密かに見つめる影がひとつ。
「おいヅラァァァ!! アイツ何ちゃっかり祈莉ちゃんと夏祭りデートとか決め込んでやがんだちくしょォォォォ!! アレか? まさか…奴のアホセンサーに引っかかっちまったのか!?」
その男、坂田銀時。彼は偶然にも旧友の姿を見つけ声をかけるつもりだったが、その前に立つ娘の存在から反射的に茂みに隠れその様子を窺っていた。
だが、その姿から女のようだと揶揄される彼が妙齢の女性と、それも銀時もよく知る相手である祈莉と二人きりで人混みに紛れ行くなどという異常事態の発生を目撃してしまい、理不尽すぎる現実に思わず叫ばずにはいられなかった。
そしてその声に反応して、反対側の木陰から現れる人影。夏に間近で見るには暑苦しさを感じさせる漆黒の隊服を纏う一人の男が、頭を抱え屈む銀時を見下ろしていた。
「誰かと思ったら万事屋の旦那じゃないですか。こんなトコで何やってんです」
「あ? お前こそコソコソ何してんだジミー、俺ァ今絶望に打ちひしがれて忙しいんだよ」
「いや普通に仕事ですよ…今日は祭りにかこつけて攘夷浪士達が何をしでかすかわかりませんから、俺達も見回りを強化してましてね」
名前とは一切関連のない不名誉な渾名を呼ばれながらも、訂正することすら諦めそのまま銀時の問いに答えるは、ジミーこと真選組監察役の男、山崎退。
銀時は先の桂の役得としか言いようのない状況を壊してやろうと、この真選組の男を利用するべくあっさりと友を売る言動を口にするのだった。
「そんならヅラっつー大物がさっき人混みン中入ってったぜ。おめーらんとこのねーちゃんと一緒にな」
「桂と…え、まさか祈莉さんが? またまたぁ。旦那も冗談がお上手ですねぇハハッ」
だが山崎にとってもその密告は俄に信じ難いもので、すぐには受け入れることが出来ず一笑に付してしまう。
無言のまま銀時はその一連の流れを見つめ、事態の深刻さをその目で物語ると、さすがの山崎もどうやら彼の言が嘘でないことに気付いたようで。
「え…マジなんですか」
「だから最初から言ってるだろって、いいの? 真選組のマドンナがヅラなんぞに奪われちまっても知らねーよ俺」
「じゃ、じゃあ…すぐにでも追いかけないと! 旦那、行きますよ!」
人目も憚らずに鼻の中を手入れしながら、タレコミするだけして、我関せずと言わんばかりに彼らから背を向けた銀時の襟元を引っ掴んで、山崎は祈莉を桂の魔の手から救うべく駆け出すのだった。
「あっ、やっぱ俺も行かなきゃダメ?」
「当たり前でしょ! 情報提供者には最後まで同行してもらう義務がありますからね」
所変わって、こちらは山崎達に追われる身となったことなど露知らず、年に一度きりの夏祭りを楽しむ祈莉達。
童心に帰って屋台の食べ物を目一杯に頬張る彼女を横で見つめる桂の視線は柔らかく、しかし同時に警戒の目を鋭く光らせ追跡を許さぬ姿勢を見せていた。
「んーっ、やっぱりお祭りの食べ物ってどれも美味しいですねえ」
「…そうだな。それにしても…銀時から多少は伝え聞いていたが、君もあれに匹敵…いや、凌駕する程の甘党だったとは」
「あはは…小さい頃からずっと貧乏で甘い物なんて滅多に食べられなかったせいか、だんだん歯止めが効かなくなってしまいまして」
言いながらも次々と列のない空いた屋台を見つけては甘味を買い漁っては、次の瞬間には既にそれらを食べ終えている祈莉に、桂は思わず驚嘆の意を露わにする。
空いた手に彼女が食べ終えた空の器や串を受け取りながら、ふと背後に悪寒を感じ振り返るも、実際に彼らを追う
それを見た何も知らない彼女が不思議そうに首を傾げるが、彼はその小さな幸福を壊すことを躊躇い、彼女へは真実を告げることなく誤魔化す。
「桂さん、どうかしましたか?」
「追っ手の気配を感じた気がしたが、どうやら杞憂のようだ…が、一応警戒だけはしておこうと思う」
屋台の隙間に隠れる黒と白の影目掛けて、桂は手元に持っていた串を二本、他の客や屋台を傷つけぬよう的確に狙って素早く投げつける。
寸でのところでそれを避けた二人は彼らがその場を立ち去るのを待って、改めて桂小太郎という男がいかに追っ手を撒くことに慣れているかを痛感する。
「やっべー…あの殺気なんなんだ、おめぇーらあんなんいつも追っかけてんのかよスゲェな」
共に逃げることこそ数あれど、友を追う側に回るなどという稀有な状況に、銀時はその気迫を間近で感じ身震いしていた。
「そうですよ、それに加えていつもだったら副長に蹴り飛ばされたり局長の暴走止めたり大変なんですからね」
「ほーん…お前も結構苦労してんのなジミー。あ、おっちゃんコレひとつちょーだい、折角だしダブルで頼まァ」
物陰から桂の様子を観察しながら、山崎は日々の辛苦を語る。だが銀時の興味は既に眼前の甘味に釘付けになっており、生返事でそれを受け流す。
その銀時の下から、椅子と同等の扱いを受ける男は哀しみに満ちた呻き声を上げるが、彼の悲痛は祭囃子の喧騒に掻き消えていくのだった。
「…あの、旦那…人の上に座ってアイス食いながら言う台詞じゃないですソレ…」
喧騒に紛れながらも、実は二人はそれほど追っ手である山崎と銀時から遠ざかることが出来ていなかった。
どうにか彼らを振り切れる場所を探そうと周囲をしきりに見渡す桂の考えを知ってか知らずか、祈莉の足取りは次第に重みを増していくばかりで。
「どうした祈莉君? 腹でも下したか」
「…あ、すみません。お腹は丈夫なんでなんともないですよ」
「そうか。なら良いんだが…」
心配かけまいと微笑みつつもどこか上の空で、誰かを必死で探すかのようにひたすら周囲を見回している祈莉。
やはり今ここに居るべきは、彼女の隣に立つべきは自分ではないのだと感じ取った桂は、短く頷くだけでそれ以上は何も言うことが出来なかった。
「旦那、祈莉さんと桂…なんか不穏な感じしますね」
「そうかぁ? 俺にはフツーに立ち止まっただけに見えるが」
口調こそ冷静さを保ったまま、二人の様子を血眼になって探る山崎と、既にこの尾行に飽きが来て返答が投げやりになっている銀時。
銀時にとっては桂と祈莉が親しくすること自体には異論などなく、そもそも邪魔立てする理由も権利も自分にはないというのが最大の理由だった。
とはいえ、どこか胸の内で渦巻く負の感情を完全に打ち消すには至らず、流れに身を任せるままに今も山崎と行動を共にしてしまっているのだが。
「いいやアレは絶対に何かありましたよ。あっ木陰に逃げた! 追いましょう旦那!」
「へいへい。ま…暇つぶしにゃちょうどいいか」
山崎の言葉通りでこそないものの、喧騒から外れ木陰に隠れる形になる桂と祈莉。
傍から見れば男女の修羅場とも思わしき様子の実態は、彼女にとってそばに居るのが当たり前の存在であった、今は亡き兄を想うが故の悲愴によるものだった。
「やっぱりまだ私…お兄がどこかで見ててくれないかな、って期待しちゃうんです。そんなわけないって、わかってるはずなんですけど」
「…祈莉君、それは」
その先に続く言葉を言い淀んだ刹那、彼らのすぐ側で爆発が巻き起こる。祈莉にとってある意味で聞き慣れた、真選組の面々がよく使うバズーカ砲の轟音。
そして、その砲撃を飛ばした張本人である真選組鬼の副長、土方十四郎が爆発から逃げる周囲の人々を掻き分け二人の元に駆ける。
「桂ァァァッ!! 今日こそは逃がさねェーからなァ!」
視線の先には仇敵のみが映り、祈莉が隣にいることなど気付きもしないまま次なる砲撃を撃ち込む十四郎。
容赦なく襲い掛かって来る攻撃から彼女を庇いつつ、すぐ様近場の物陰に逃げこんだ桂は、祈莉という庇護対象を傷つけることなく現状を打破するにはどうすべきかを考える。
「全く…これではどちらが悪かわからんぞ」
「あ、あのぉー…桂さん…」
軽々と抱えられ、羞恥に顔を染める祈莉が桂の腕の中で抗議のか細い声を上げる。
しかし度重なる爆撃と慌てふためく一般人の騒ぎ立てる音にかき消され、彼女の声が桂に届くことはなく。
「大丈夫か祈莉君、怪我はないか?」
辺りを警戒することに集中するあまり、彼女の表情を全く見ずにそう問いかける桂。
祈莉が自らの腕の中から蚊の鳴くような声で答えるのを聞き、ようやく事の深刻さに気付くのだった。
「…怪我はしてませんけど、大丈夫でもないですね」
「! す、すまん…アレコレ考えていたせいで無意識に抱えて走って来てしまったが、そもそも真選組から逃げるのに君を巻き込む必要などなかったな」
慌てて祈莉から離れ、桂は彼女へと非を詫びる。自らの失態によって彼女を危険に晒したことで、彼の中に良心の呵責が生まれてしまっていた。
だがそれを彼女が叱責することなどあるはずもなく、桂へ気に病むことなどないと寂しげに笑んで、それから。
「お祭り、一緒に回れて…楽しかったです。今日はこんな形でお別れになっちゃいましたが…またどこかで!」
それだけ言い残して、彼女は臆することなく十四郎の元に向かう。桂と行動を共にしていたことなど一切悟らせることなく彼を密かに足止めし、桂が追跡から逃れる隙を作る。
今生の別れなどではない筈なのに、桂はもう二度と彼女に会えない気がして、手の届かなくなったその背を呆然と見つめるしか出来なかった。
「祈莉君…」
祈莉が十四郎の元に辿り着くのを見て、ようやく桂は自らが今ここで成すべきことはこの場を無事に離脱し、真選組からの追跡を断ち切ることだと実感する。
真選組に与する立場にある祈莉と、攘夷浪士の桂。本来なら交わらざるべき縁でありながら、またどこかで、と再会を願って笑んだ彼女。
その約束を胸に、彼は祭りの会場を後にする。傍らで密かに黒焦げになって固まっている
「あれ、祈莉さん…いつの間に副長と一緒にいるんだ? って…しまったァァ桂見逃したァァァァ!!」
「ねえジミー、なんで俺こんな巻き込まれ損になってんの? ねえなんで? 酷くね?」
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