ぎんたま
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
夜も深けた頃、唐突に新見家に来客のベルが鳴り渡る。既に眠りに就いていた祈莉だったが、こんな時間に家を訪ねてくる相手も限られるだろうと起き抜けの目のまま玄関に駆けていく。
「はーい」
「夜分に悪ぃ、お前の兄貴がこの有様でな。仕方ねェから俺が連れ帰って来た」
戸を開いた祈莉の目に飛び込んできたのは、自力では立つことすらままならない様子の彼女の兄一識と、それを支える彼の同僚であり旧友の土方十四郎。
彼女は彼らの纏う酒と煙草とその他鼻腔に不快な刺激を与える諸々の悪臭に顔を顰めつつも、酔い潰れた兄をここまで連れて帰って来たことに感謝の意を示す。
「うわぁ…すごい匂い…わざわざすみません、土方さん」
「家に着くまでにゃ起きるかと思ったんだが…どうやらよっぽど飲まされちまったらしい、布団まで運んでやるから案内してくれるか」
「あ、はい。こっちの部屋です」
祈莉に案内され、十四郎は一識の部屋に足を踏み入れる。妹と暮らすことを選んだために屯所から離れた場所にある彼の家は隊内でも限られた人間しか知らず、こと一識の部屋に入るのは、十四郎が初めてだった。
「これで良し…と。じゃあな祈莉」
完全に爆睡している一識をそっと布団に放り込んで、そのまま彼ら兄妹の家を後にしようとする十四郎。
だが恩義を受けたと感じた祈莉はそれを許さず、彼の手を掴んで引き戻すのだった。
「そのままなんて帰せません、お礼にお茶でも飲んで行ってください」
「別に礼なんかいらねーよ」
「今日断ったら、別の日にお兄がお礼攻撃して来ると思いますけど」
「…今回だけだぞ」
恩着せがましいとしか言いようがない脅しに屈し、十四郎は渋々居間に設えられた卓袱台の前に座る。
日頃周りの世話ばかりしてきて、そしてそれが報われることの少ない彼にとって、こうした仰々しい謝礼を受けるのには慣れておらず、どこか落ち着かない様子で彼女のもてなしを待つ。
「お待たせしました」
「普通の茶か。お前のことだから砂糖水みてーなのが出てくるかと思ってたが」
マヨネーズをこよなく愛する自分とは対極に位置すると言っても過言ではない彼女の甘党を警戒していた十四郎だが、彼女はあっけらかんと笑い客人にはそれを押し付けないと断言する。
「やだなぁ、そんな非道なことしませんよ。 …今は」
過去の醜態を思い起こしながら、祈莉は羞恥に目を逸らす。しかし現在進行形でマヨネーズを隊士に推している彼には、彼女を責めたり咎めたりする資格などはじめから無く。
自然に話題を変えようと、十四郎は眼前で湯気を漂わせる緑茶を呷る。その様を傍らで見守る彼女の視線が気にかかりつつも、男はゆっくりと苦味を味わう。
「…悪くないな」
「ほんとですか? 良かった、人様にお茶出すのなんて久しぶりだから上手く淹れられるか自信なかったんですよ」
酒で疲れた身体に染み渡り安らぎを与える緑茶の味に、十四郎が素直に感嘆の声を上げる。
それを聞いた祈莉の表情はみるみる明るくなり、嬉しそうに十四郎へと微笑みを向けた。
無垢な笑顔に思わず照れ臭さが増した彼は、何か他に話題がないか探ろうと視線を泳がせるが、特に目を惹かれるようなものも見当たらず、言葉に詰まってしまった。
「ところで、もともと下戸とは言えお兄があんなになるまで飲まされるなんて珍しいですね。一体どうしたんですか?」
「あ、あぁ…その話か。あいつの為にもあまり他言したくはねェが…仕方ねェ」
渡りに船と言わんばかりに、祈莉の方から話題を振られる。彼女なりに兄を心配しているのだろう様子が伝わってくるのを前に、顛末を語らないわけには行かなくなる。
「近藤さんがいい店知ってるっつーから行ったんだが…そこでバカ共の馬鹿騒ぎに巻き込まれちまってな」
十四郎が指す"バカ共"とは、かぶき町にて万事屋を営む青年坂田銀時と、その万事屋の従業員のひとりである志村新八の姉こと、志村妙のことだった。
彼らについては、彼女も兄や十四郎を通しその存在を聞き及んでおり、志村妙が近藤勲の想い人であることも既に知らされていた。
今回の事の顛末としては、勲が真選組の仲間を連れて行くことで店の売り上げに貢献し志村妙の気を引こうとした結果、部下である十四郎や一識にとっては夜の火遊びと笑い飛ばすには冗談では済まないような事態と発展してしまった、という所であった。
「最初は俺と一識で止めてたんだが、いつの間にか流れに呑まれてあのザマだ」
だが、彼らと直接の面識を持たぬ祈莉は想像でしか万事屋の面々を知らず、実際に何度も衝突を繰り返している真選組の皆とは、彼らに抱く心象も全く違ったものであった。
とはいえ真選組の中でも相当の人格者である一識が、意識を失ってしまうほどに深酒を強要される事態など彼女には全く理解が及ばず、思わず危険な領域に足を踏み入れてしまったのではないかと不安を顔に覗かせる。
「…それ、そのお店って…大丈夫なんですか」
「安心しな、べつにお前が想像するほど怪しい店じゃねェ。ただ飲み物がドンペリしか置いてなかっただけだ」
十四郎の口からもたらされた衝撃的な発言に、祈莉は驚くよりも先にどこか納得する素振りを見せる。
本来ならそのような店が成立すること自体がおかしな話なのだが、なんでもありのかぶき町においては違和感などとうの昔に消失してしまっていた。
「あー…それは確かにどうしようもない…むしろ土方さんも沢山飲まされたんでしょうに、よく平気な顔してますね」
「俺は上手く誤魔化して自分のペースで飲んでたからな。押しに弱い一識は無茶しちまったんだろうよ」
「…その光景、目に浮かびます。お兄は本当に断らないからなぁ…その割には彼女の一人も連れてきたことないけど」
ぼそりと兄に対し毒を吐く祈莉だが、その理由の一端が彼女自身であることを知る十四郎はそれを聞かなかったことにして話題を変える。
「そういうお前も浮いた話を聞かねぇ気がするが、どうなんだ? 気になる男とか居ねェのか」
酔いが覚め切っていないせいか、珍しく墓穴を掘ってしまったことにも気付かず彼は祈莉の表情を窺う。
羞恥と困惑とが入り交じった彼女の頬は火照り、先程までの爛漫な笑みはすっかり消え失せてしまった。
「…土方さんのバカ」
宵の瞞しがそうさせるのか、どこか艶のある声色で彼女が呟く。瞳は伏せられ、彼女が何を思うかは読み取れない。
それまで全く意識していなかったはずの妹分のような存在である祈莉に、十四郎は鼓動が高鳴るのを感じていた。
「おい待て祈莉、その反応まさか…」
動揺しきった十四郎を前に、彼女は堪えきれず腹を抱えて笑い始める。ひとしきり笑った後、祈莉は顔を上げて、それから。
「ふふっ…うふふ、やだなぁ、冗談ですよ」
「テメッ、騙したな!?」
十四郎は想像だにしなかった反応を見せる彼女に憤慨するが、反省する素振りすらない祈莉はどこの誰に似たのやら、柄にもなくサディスティックな一面を見せるのだった。
「土方さんがあんまり失礼なこと言うもんだから、少しからかいたくなっちゃいました」
あっけらかんと告げられ、一瞬でも緊張してしまった自分が恥ずかしくなってくる十四郎。
しかし彼女の言い分は尤もであり反論の余地など全くなく、彼は何も言い返せずに押し黙るしかなかった。
「…ったく心臓に悪ぃぜ」
「あれ、もしかして私に好かれたら迷惑でしたか?」
「そうは言ってねェよ。そもそも俺ァ女心なんざ知らねーし知りたくもねー、色恋にかまけてる暇はねーんだ」
尚も神経を逆撫でする口振りの祈莉にとうとう苛立ちが頂点に達した十四郎は、懐から煙草を取り出して口に咥える。
だが煙草の箱の横に差していたライターに手が触れたところで、ここが嫌煙家の兄妹の住居であることを思い出し、寸での所で着火せずに思い留まる。
「…けどまぁ、ひとつだけ言うなら」
酒の席で酔った一識が語っていた、祈莉への想いを回想する。幼い頃に亡くした親の代わりに彼女を男手ひとつで守り育てて来た彼の願いは、いつだって"幸せ"ただひとつだけだった。
「お前を幸せにしてやれないような…駄目な男にだけは引っかかんなよ」
何も知らず寝室で熟睡している親友を想いながら、彼は柄にもなく大真面目な表情で告げる。
武州では味方となってくれる人間の少なかった十四郎にとって、新見兄妹は自分への偏見や固定観念を一切持たずに接してくれた数少ない相手だった。
その記憶は、彼が彼女や一識に対し特別な感情を抱くには充分過ぎるほどに、強く心に刻まれていた。
「ぷっ…なんですかそれ。まるで土方さんまで私のお兄ちゃんみたい」
「…お前の兄貴のが移っちまったんだよ。ここに運んでる最中、眠っちまう寸前までずっとお前のこと話してたからそのせいだろう」
本心とも方便ともつかぬ言葉で誤魔化して、祈莉から顔を背ける十四郎。あと一歩のところで素直になりきれないまま、彼は逃げるように席を立った。
「お帰りですか、土方さん」
「あぁ。一識の奴によろしく言っといてくれ」
「…わかりました。おやすみなさい」
十四郎の挙動の意図を察し、彼女はこれ以上深掘りすることはせず静かにそれだけ訊ね、彼の肯定を待つ。
振り向くことなく頷く十四郎の背を見送って、それから祈莉は兄の寝室へと目を向ける。
「いつかは…私とお兄のどっちかが結婚したりして…離ればなれになる日が来るんだろうな」
互いに相手はまだ居ないと理解しつつも、いずれそう遠くない内に訪れるであろう未来の話を想起し、彼女は抱いた哀しみを小さく零す。
「…それは、やっぱり寂しいなぁ」
「はーい」
「夜分に悪ぃ、お前の兄貴がこの有様でな。仕方ねェから俺が連れ帰って来た」
戸を開いた祈莉の目に飛び込んできたのは、自力では立つことすらままならない様子の彼女の兄一識と、それを支える彼の同僚であり旧友の土方十四郎。
彼女は彼らの纏う酒と煙草とその他鼻腔に不快な刺激を与える諸々の悪臭に顔を顰めつつも、酔い潰れた兄をここまで連れて帰って来たことに感謝の意を示す。
「うわぁ…すごい匂い…わざわざすみません、土方さん」
「家に着くまでにゃ起きるかと思ったんだが…どうやらよっぽど飲まされちまったらしい、布団まで運んでやるから案内してくれるか」
「あ、はい。こっちの部屋です」
祈莉に案内され、十四郎は一識の部屋に足を踏み入れる。妹と暮らすことを選んだために屯所から離れた場所にある彼の家は隊内でも限られた人間しか知らず、こと一識の部屋に入るのは、十四郎が初めてだった。
「これで良し…と。じゃあな祈莉」
完全に爆睡している一識をそっと布団に放り込んで、そのまま彼ら兄妹の家を後にしようとする十四郎。
だが恩義を受けたと感じた祈莉はそれを許さず、彼の手を掴んで引き戻すのだった。
「そのままなんて帰せません、お礼にお茶でも飲んで行ってください」
「別に礼なんかいらねーよ」
「今日断ったら、別の日にお兄がお礼攻撃して来ると思いますけど」
「…今回だけだぞ」
恩着せがましいとしか言いようがない脅しに屈し、十四郎は渋々居間に設えられた卓袱台の前に座る。
日頃周りの世話ばかりしてきて、そしてそれが報われることの少ない彼にとって、こうした仰々しい謝礼を受けるのには慣れておらず、どこか落ち着かない様子で彼女のもてなしを待つ。
「お待たせしました」
「普通の茶か。お前のことだから砂糖水みてーなのが出てくるかと思ってたが」
マヨネーズをこよなく愛する自分とは対極に位置すると言っても過言ではない彼女の甘党を警戒していた十四郎だが、彼女はあっけらかんと笑い客人にはそれを押し付けないと断言する。
「やだなぁ、そんな非道なことしませんよ。 …今は」
過去の醜態を思い起こしながら、祈莉は羞恥に目を逸らす。しかし現在進行形でマヨネーズを隊士に推している彼には、彼女を責めたり咎めたりする資格などはじめから無く。
自然に話題を変えようと、十四郎は眼前で湯気を漂わせる緑茶を呷る。その様を傍らで見守る彼女の視線が気にかかりつつも、男はゆっくりと苦味を味わう。
「…悪くないな」
「ほんとですか? 良かった、人様にお茶出すのなんて久しぶりだから上手く淹れられるか自信なかったんですよ」
酒で疲れた身体に染み渡り安らぎを与える緑茶の味に、十四郎が素直に感嘆の声を上げる。
それを聞いた祈莉の表情はみるみる明るくなり、嬉しそうに十四郎へと微笑みを向けた。
無垢な笑顔に思わず照れ臭さが増した彼は、何か他に話題がないか探ろうと視線を泳がせるが、特に目を惹かれるようなものも見当たらず、言葉に詰まってしまった。
「ところで、もともと下戸とは言えお兄があんなになるまで飲まされるなんて珍しいですね。一体どうしたんですか?」
「あ、あぁ…その話か。あいつの為にもあまり他言したくはねェが…仕方ねェ」
渡りに船と言わんばかりに、祈莉の方から話題を振られる。彼女なりに兄を心配しているのだろう様子が伝わってくるのを前に、顛末を語らないわけには行かなくなる。
「近藤さんがいい店知ってるっつーから行ったんだが…そこでバカ共の馬鹿騒ぎに巻き込まれちまってな」
十四郎が指す"バカ共"とは、かぶき町にて万事屋を営む青年坂田銀時と、その万事屋の従業員のひとりである志村新八の姉こと、志村妙のことだった。
彼らについては、彼女も兄や十四郎を通しその存在を聞き及んでおり、志村妙が近藤勲の想い人であることも既に知らされていた。
今回の事の顛末としては、勲が真選組の仲間を連れて行くことで店の売り上げに貢献し志村妙の気を引こうとした結果、部下である十四郎や一識にとっては夜の火遊びと笑い飛ばすには冗談では済まないような事態と発展してしまった、という所であった。
「最初は俺と一識で止めてたんだが、いつの間にか流れに呑まれてあのザマだ」
だが、彼らと直接の面識を持たぬ祈莉は想像でしか万事屋の面々を知らず、実際に何度も衝突を繰り返している真選組の皆とは、彼らに抱く心象も全く違ったものであった。
とはいえ真選組の中でも相当の人格者である一識が、意識を失ってしまうほどに深酒を強要される事態など彼女には全く理解が及ばず、思わず危険な領域に足を踏み入れてしまったのではないかと不安を顔に覗かせる。
「…それ、そのお店って…大丈夫なんですか」
「安心しな、べつにお前が想像するほど怪しい店じゃねェ。ただ飲み物がドンペリしか置いてなかっただけだ」
十四郎の口からもたらされた衝撃的な発言に、祈莉は驚くよりも先にどこか納得する素振りを見せる。
本来ならそのような店が成立すること自体がおかしな話なのだが、なんでもありのかぶき町においては違和感などとうの昔に消失してしまっていた。
「あー…それは確かにどうしようもない…むしろ土方さんも沢山飲まされたんでしょうに、よく平気な顔してますね」
「俺は上手く誤魔化して自分のペースで飲んでたからな。押しに弱い一識は無茶しちまったんだろうよ」
「…その光景、目に浮かびます。お兄は本当に断らないからなぁ…その割には彼女の一人も連れてきたことないけど」
ぼそりと兄に対し毒を吐く祈莉だが、その理由の一端が彼女自身であることを知る十四郎はそれを聞かなかったことにして話題を変える。
「そういうお前も浮いた話を聞かねぇ気がするが、どうなんだ? 気になる男とか居ねェのか」
酔いが覚め切っていないせいか、珍しく墓穴を掘ってしまったことにも気付かず彼は祈莉の表情を窺う。
羞恥と困惑とが入り交じった彼女の頬は火照り、先程までの爛漫な笑みはすっかり消え失せてしまった。
「…土方さんのバカ」
宵の瞞しがそうさせるのか、どこか艶のある声色で彼女が呟く。瞳は伏せられ、彼女が何を思うかは読み取れない。
それまで全く意識していなかったはずの妹分のような存在である祈莉に、十四郎は鼓動が高鳴るのを感じていた。
「おい待て祈莉、その反応まさか…」
動揺しきった十四郎を前に、彼女は堪えきれず腹を抱えて笑い始める。ひとしきり笑った後、祈莉は顔を上げて、それから。
「ふふっ…うふふ、やだなぁ、冗談ですよ」
「テメッ、騙したな!?」
十四郎は想像だにしなかった反応を見せる彼女に憤慨するが、反省する素振りすらない祈莉はどこの誰に似たのやら、柄にもなくサディスティックな一面を見せるのだった。
「土方さんがあんまり失礼なこと言うもんだから、少しからかいたくなっちゃいました」
あっけらかんと告げられ、一瞬でも緊張してしまった自分が恥ずかしくなってくる十四郎。
しかし彼女の言い分は尤もであり反論の余地など全くなく、彼は何も言い返せずに押し黙るしかなかった。
「…ったく心臓に悪ぃぜ」
「あれ、もしかして私に好かれたら迷惑でしたか?」
「そうは言ってねェよ。そもそも俺ァ女心なんざ知らねーし知りたくもねー、色恋にかまけてる暇はねーんだ」
尚も神経を逆撫でする口振りの祈莉にとうとう苛立ちが頂点に達した十四郎は、懐から煙草を取り出して口に咥える。
だが煙草の箱の横に差していたライターに手が触れたところで、ここが嫌煙家の兄妹の住居であることを思い出し、寸での所で着火せずに思い留まる。
「…けどまぁ、ひとつだけ言うなら」
酒の席で酔った一識が語っていた、祈莉への想いを回想する。幼い頃に亡くした親の代わりに彼女を男手ひとつで守り育てて来た彼の願いは、いつだって"幸せ"ただひとつだけだった。
「お前を幸せにしてやれないような…駄目な男にだけは引っかかんなよ」
何も知らず寝室で熟睡している親友を想いながら、彼は柄にもなく大真面目な表情で告げる。
武州では味方となってくれる人間の少なかった十四郎にとって、新見兄妹は自分への偏見や固定観念を一切持たずに接してくれた数少ない相手だった。
その記憶は、彼が彼女や一識に対し特別な感情を抱くには充分過ぎるほどに、強く心に刻まれていた。
「ぷっ…なんですかそれ。まるで土方さんまで私のお兄ちゃんみたい」
「…お前の兄貴のが移っちまったんだよ。ここに運んでる最中、眠っちまう寸前までずっとお前のこと話してたからそのせいだろう」
本心とも方便ともつかぬ言葉で誤魔化して、祈莉から顔を背ける十四郎。あと一歩のところで素直になりきれないまま、彼は逃げるように席を立った。
「お帰りですか、土方さん」
「あぁ。一識の奴によろしく言っといてくれ」
「…わかりました。おやすみなさい」
十四郎の挙動の意図を察し、彼女はこれ以上深掘りすることはせず静かにそれだけ訊ね、彼の肯定を待つ。
振り向くことなく頷く十四郎の背を見送って、それから祈莉は兄の寝室へと目を向ける。
「いつかは…私とお兄のどっちかが結婚したりして…離ればなれになる日が来るんだろうな」
互いに相手はまだ居ないと理解しつつも、いずれそう遠くない内に訪れるであろう未来の話を想起し、彼女は抱いた哀しみを小さく零す。
「…それは、やっぱり寂しいなぁ」
15/36ページ