花浜匙の花束
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「…親父さん達と同じとこにしたんだな」
長い旅の果てにも思える目的地である墓地の前に立ち、三人はゆっくりとその中へ歩みを進める。
暫く進んだ先で、祈莉が立ち止まった場所に小さく佇む質素な墓を三人は揃って見つめる。その場所こそが、彼女の両親と兄が眠る新見家の墓だった。
「ええ…まあ。そうでないのなら、わざわざ武州に来る意味もありませんから」
祈莉は勲の呟きに頷いて答えながら、熱を帯びた墓石に水を掛け静かに家族を想い目を瞑る。
両親を快く思っていなかった生前の彼は、二人と同じこの場所に共に眠ることを望んでいなかったことを理解しつつも、そうする以外の手立ては遺された彼女には思いつかなかった。
「それにしても、変な感覚ですね。お墓の中に直に死体を埋めたわけでもないのに、ここに来るとまたお兄に会える気がして来るんですよね」
「おいやめろ祈莉、冗談でもこんな場所でそういう幽霊絡みの話はすんじゃねェ。ホントに出たらどーすんだ」
霊魂の類に過剰なまでの苦手意識を持つ十四郎が、暑苦しい筈の空気の中に寒気を感じ身震いする。
「まあそう怯えてやるな、一識も折角顔を見せに来てくれた親友が自分にビビってたら可哀想だろう」
「…ケッ」
勲が宥め透かすと、不貞腐れたのか魔除けのつもりなのか、十四郎はついに耐えきれず煙草を吸い始めてしまう。
しかし幸いにも煙草臭さは線香の煙と混じり風に乗り、祈莉が嫌悪する顔を見せるようなことは無かった。
「改めて墓の前に来てみりゃ、少しくらい言いたいことがあるだろうと思ったが…考えれば考えるほど話すことが浮かばんな」
「案外そんなモンだろ。一識が居なくなって一番面倒なのは、とっつぁんに振り回された時の後始末だけだしな。後は前と大して変わらねえ、墓の前に来た所で報告することも大してありゃしねーよ」
「ああ、松平のおじ様か…確かにしょっちゅうお兄が大変な目に遭わされて嘆いてましたね」
破天荒ながら仁義を重んじ人情に溢れる、真選組の更に上に立つ警察庁長官、松平片栗虎。
真選組が過去に浪士組を名乗っていた頃からの上官である彼には、勲含め誰も頭が上がらないのを祈莉もよく知っていた。
そしてその松平が巻き起こした波乱万丈な出来事の数々を、人知れず一識が穏便に処理していたことを思い起こし、彼女は困ったように笑む。
「ま、前よか飲みやら何やらに呼ばれることが減ったから…そっちの面では助かったっちゃあ助かったが」
松平の立場を利用した強要に辟易していた十四郎が、その機会が激減したと安堵の息を零す。
「とっつぁん本人のことならともかく、栗子ちゃん絡みとかは本来俺らが出る幕じゃねーからなァ」
「あ、それ懐かしいですねー。土方さん何でしたっけ、マヨラ13?」
「おまっ…!? 何でお前がそれを知ってるんだよ!」
十四郎に同意し、かの長官のたった一人の愛娘こと栗子とその恋人にまつわる騒動を懐かしむ勲。
娘を思うあまり罪なき彼氏との仲を引き裂くことを画策した松平によって駆り出された彼らの中で、謀らずも最も功績を挙げた男の名を口にした祈莉に、当事者ではなかった彼女が何故その不名誉な名を呼ぶことが出来るのか問い質す。
「なんでってそりゃ、その後のフォローしたのがお兄と私だからですよ。誤魔化すの大変だったんですからね本当に」
「あんの野郎…何でもかんでも祈莉に喋りやがって! 守秘義務の欠片もねェじゃねェーか!」
自分にとって思い出したくない過去までもが全て祈莉に筒抜けだったと知り、一識への怨嗟と共に十四郎が拳を握り締める。
しかしそれを恨む相手は既に冷たい土の中。行き場のない怒りは空回りし、虚ろに消えていった。
「そうそう、栗子ちゃんのカレシの件で思い出したが…祈莉に言い寄ろうとして一識にシメられてたウチの隊士の何人かが、あの一件で邪魔者 が居なくなったのを機に本気で祈莉を落とそうとしてたなんてのも一時期あったな」
栗子の話題から連想した勲が次に語り出すは、一部の隊士たちが祈莉へと抱く淡い恋心の話。
これまではそれを抑える役目として立ちはだかっていた存在が居なくなったことを好機に、憧れの女性に近づくべく一念発起しようとしていた者は少なくなかったという。
「あったなそんなの。総悟が上手く言いくるめて撒いたのか、キレて懲らしめたのか…そういう手合いは今はナリを潜めたみてェだが。祈莉、一応オメーも自分で気をつけとけよ」
食堂に料理を作りにやってくる既婚の熟年者や、警察としての仕事で導く際を除いた、プライベートな場面で女性と触れ合う機会の殆どない泥臭さに満ちた真選組の隊士たち。
そんな将来が不安な彼らのアイドル的存在として、密かに数人から羨望の眼差しを向けられていたことなど、これまで一切知らなかった祈莉。
本人の全く与り知らぬところで起こり、そして沈静化していた騒動に、困惑の表情で彼女は墓の中で眠る兄と勲たちを交互に見つめる。
「えっ、なんの話ですかそれ…そっちは丸ごと初耳なんですが」
「おっと…あんま言うと総悟のヤツに殺されるトコだった。なんでもねェ、忘れろ」
「いやいやいや、無茶言わないでくださいよ! めちゃめちゃ気になるんですけど!?」
無茶振りでしかない十四郎の言葉に、祈莉は今居るのが墓前であることも忘れ憤慨する。勲が慌てて割って入り彼女を宥め、ようやく事なきを得た。
「まあまあ落ち着け祈莉。今のところは総悟にビビってるせいで本当に行動に起こす勇気のある奴はいないから、心配するほどの事にはならんはずだ」
「はぁ…でも、何だかちょっと引っ掛かるなあ。お兄が私に対して過保護だったのは流石にわかってましたしそれはもう良いんですが、お兄と同じことを総悟くんが…?」
一識が命を落とすに至った切欠を知る筈の総悟による不可解な行動に、彼女は理解が追いつかず悩み込む。
裏切りによる離別の苦しみをもう二度と味わって欲しくないという総悟なりの願いからなるものなのか、それとも単純に人の恋路を邪魔をする加虐心を抑えきれないだけなのか。
考え倦ねる祈莉に、彼女の胸中に渦巻く想いの一切を無視して十四郎が総悟の行動は是であると断定するのだった。
「だがよく考えてもみろ、そもそもお前結婚願望あるのか? ないだろ? なら別に誰がお前の恋路を邪魔したって構わねーだろ」
「…ります」
「あァ?」
か細く掻き消えた声。聞こえないその言葉に挑発するような態度の十四郎へ向け、彼女は勢いに任せて叫ぶ。
「あります! 結婚願望が無いなんて…勝手に土方さんが決めないでください! 私だって…私にだって、普通の女の子として、それくらい…」
ただただ、彼女は激昂する。所々で言葉を詰まらせるのは、それだけ辛酸を嘗めてきた証でもあった。
しかし自身も深く傷ついたミツバの一件も含め、色恋や夫婦というもの自体に嫌悪の念を抱く男は、祈莉の儚い願望を一蹴する。
「やめとけ。結婚なんざしたって幸せになれるわきゃねえ、アイツの最期を知っててまだ夢見てんのか」
何も知らぬまま逝ったミツバが最期に得たのは仮染めの幸福であることを、結ぶべきでない縁を引き寄せてしまった祈莉が知らぬ筈は無いと断ずる十四郎。
「それに、てめーの両親も兄貴から見たら幸せなんて無かったと…」
「トシ。それ以上はやめろ」
返す言葉もない祈莉へ更なる追い討ちをかけようとするのを遮って、勲が彼女と十四郎の間に割って入る。
勲の瞳は鋭い眼光を放ち、友を傷つけられた怒りが見え隠れしているのが伝わり男は引き下がらざるを得なくなる。
二人の一触即発の空気を悟った祈莉が慌てて勲の怒りを鎮めようと謝罪の言葉を零すが、謝るべきは十四郎の方だと彼は憤りを抑えることはなかった。
「ごっ、ごめんなさい近藤さん。私が取り乱しすぎました」
「それは違うだろう。今のはトシが悪い」
「…流石にアンタはコイツの肩を持つか。そりゃそうだわな」
落胆を吐き捨てて、祈莉達から背を向ける十四郎。志村妙という心に決めた想い人が居る勲と自分とでは、男女の関係に対する認識も価値観もまるで異なるのだと感じ、十四郎は密かに疎外感を覚えた。
「トシ」
「わーったよ。祈莉…」
どこまでも低く、心臓を貫くかのような鋭利な声が再度十四郎に突き刺さる。ここで勲を怒らせる利など一切ないことを知る彼は全てを諦め、すぐさま彼女へ非を詫びようとするが、祈莉はぎこちなく笑んでそれを遮る。
「いえ…いいんです。謝らないでください、土方さんがそう思う気持ちは…痛いくらいわかりますから」
謝罪さえ許されなくなった十四郎は、それ以上何も言えず押し黙る。会話の切れ目を縫うように涼風が吹き、真夏の暑さに照らされる三人に心地良さを運ぶ。
それはまるで空から見守っている仲間たちが、いがみ合ってばかりの彼らを宥めるかのような柔らかさを感じさせるものだった。
「こんな調子じゃあ、一識だけじゃなくミツバ殿も心配させちまうな。二人共…こんないがみ合う姿を見せにわざわざここまで来たわけじゃないだろう」
勲の言葉に我に返り、自責の念から胸が締め付けられた祈莉が己の心臓に程近い箇所を抑える。
十四郎との諍いはこれまでにも多寡問わず繰り返してきたが、それを諌めていた兄達がその度に哀しげな顔をしていたのを思い出す。
そしてその時の彼らと全く同じ表情で自分を見つめる勲に気付き、祈莉は自身の非を認め懺悔するように言葉を零した。
「はい…ごめんなさい」
「近藤さんの言う通りだ。俺も…悪かった」
勲へと顔を向けつつも、深層では祈莉への、引いては一識へのものである謝罪を告げ俯く十四郎。
いつの間にか短くなっていた吸殻を携帯灰皿に押し付けて、二本目を取り出そうとしてそれを制止される。
「すいません土方さん、騒いだせいかお腹空いちゃって…そろそろご飯食べ行きたいです」
「あ? 知るか馬鹿。俺はまだ腹減ってねーよ」
「まァ祈莉のヤツあんぱんしか食ってなかったし、無理もないだろ。さ、行こうぜトシ」
感傷をぶち壊しにする気の抜けた宣言に、十四郎が我関せずと言わんばかりに煙草へ伸ばす手を制止する祈莉を振り払う。
だが今度は勲が同じ場所に手を掛け、有無を言わさず十四郎の手を引きその勢いに任せて彼の背中を押す。
どうやら先の言い争いのせいか今日は全面的に妹分の娘に味方する所存らしく、その頑固さを言い負かすには相当の正論が必要そうだった。
「…って二対一じゃ勝ち目ねェじゃねーか。何だ祈莉、お前近藤さんの扱い方上手くなってねーか?」
「なんですかそれ、私そんな無理矢理近藤さん操ってるつもりなんてないですよ」
諦観と共に歩き出し、十四郎は直情的な勲を巧みに操り自分の良い様に扱う祈莉の魔性を称賛する。
褒めているように見せ掛けて実際には非道極まりない言葉に、彼女は不服を顕に頬を膨らませてみせるが、それさえも男の目線からすれば狡猾なだけで愛らしいとはとても思えないものだった。
「無自覚かよ。やっぱ女は怖ェーな」
「お、なんだトシ、今更気付いたのか?」
「…あぁ、そーだよ」
想い人の持つ二面性を全て受け入れて達観しているが故か、不敵な笑みで勲が十四郎の肩に手を載せる。
女心の機微を知ろうとしたこともない初心な男は、そんな事実は知りたくなかったと言わんばかりに深い溜め息でそれに応えた。
「だがそう考えると女でよかったな祈莉。これがもしお前が男だったら、一識のヤツもここまで甘やかさなかったろうよ」
「うーん…お兄の場合は、私がたとえ弟だったとしてもそんなに変わらない気もしますけどね」
過保護の兄によって蝶よ花よと育てられた祈莉。その溺愛ぶりは彼女が妹だったからではないかと推測する十四郎に、彼の歪んでさえいるようにも思える愛情を一身に受け育ってきた本人は否を唱える。
「だな。祈莉が妹だったからってよりか、自分が兄ちゃんだからっていう方が大きかったみてーだしなァ。アイツたまに俺らにまで兄貴面してたの、トシお前覚えてないか」
横で聞いていた勲は徐に祈莉に同調して、自らが幾度となく一識に弟のように扱われた過去を反芻し、十四郎にも同意を求める。
道場の一人息子である勲と、年の離れた異母兄姉とは距離を取っていた十四郎、そしてミツバと二人きりの総悟。
手のかかる"弟"たちを纏めるのは自分しかいない、そう事ある毎に意気込んでいたのを祈莉は思い出していた。
「確かにそーいやそーだった。今思うと何だったんだアレは」
「人の世話焼くのが好きだったんですよ。だからそういう意味では警察は天職だったと思ったん…で、すが」
言いながら、瞳から大粒の涙が流れる。日々の中で忘れようと努めて堰き止めていた悲哀が溢れ出していく祈莉の姿に十四郎が真っ先に振り返り、彼女の前まで駆け寄って立ち止まる。
祈莉は拭えど拭えど抑えきれない涙を堪えようと唇を噛み締めるが、どれだけ待てども雫が止まる様子はなかった。
「大丈夫か祈莉」
「あれ、ごめんなさい…やっぱりお兄の話してると駄目ですね」
「…そりゃそうだろ。好きなだけ泣け、俺の胸なら貸してやるぞ」
腕を広げ祈莉を受け入れる姿勢を見せる勲だが、彼女は泣きじゃくったまま首を振り中年に片足を突っ込んだ男との抱擁を拒む。
「ごめんなさい、近藤さん汗臭いからイヤです…」
「え…マジ?」
無言のまま行きどころのなくなった腕を広げ続けて、勲は十四郎に縋るような視線を向ける。
祈莉が告げた拒絶の理由が真実ではなく遠慮による方便だと信じたい彼の希望の眼差しに、十四郎が酷く哀しんだ表情で首を振って。
「残念だが近藤さん、本当に臭うぞ。それも結構ガチのヤツだ。まァこの暑さじゃ仕方ねーが…拭きゃ多少マシにゃなるだろ、な?」
残酷な現実を突き付けつつも、懸命にフォローすべく懐からハンカチを取り出して差し出そうとする十四郎。
だが、近寄っても全く嫌悪感を感じさせない爽やかな男による優しさは今の勲にとっては逆効果でしかなく。
「…トシ、それ以上近付かんでくれ。俺まで泣きたくなってきた」
「いやあの近藤さん、もう泣いてる」
長い旅の果てにも思える目的地である墓地の前に立ち、三人はゆっくりとその中へ歩みを進める。
暫く進んだ先で、祈莉が立ち止まった場所に小さく佇む質素な墓を三人は揃って見つめる。その場所こそが、彼女の両親と兄が眠る新見家の墓だった。
「ええ…まあ。そうでないのなら、わざわざ武州に来る意味もありませんから」
祈莉は勲の呟きに頷いて答えながら、熱を帯びた墓石に水を掛け静かに家族を想い目を瞑る。
両親を快く思っていなかった生前の彼は、二人と同じこの場所に共に眠ることを望んでいなかったことを理解しつつも、そうする以外の手立ては遺された彼女には思いつかなかった。
「それにしても、変な感覚ですね。お墓の中に直に死体を埋めたわけでもないのに、ここに来るとまたお兄に会える気がして来るんですよね」
「おいやめろ祈莉、冗談でもこんな場所でそういう幽霊絡みの話はすんじゃねェ。ホントに出たらどーすんだ」
霊魂の類に過剰なまでの苦手意識を持つ十四郎が、暑苦しい筈の空気の中に寒気を感じ身震いする。
「まあそう怯えてやるな、一識も折角顔を見せに来てくれた親友が自分にビビってたら可哀想だろう」
「…ケッ」
勲が宥め透かすと、不貞腐れたのか魔除けのつもりなのか、十四郎はついに耐えきれず煙草を吸い始めてしまう。
しかし幸いにも煙草臭さは線香の煙と混じり風に乗り、祈莉が嫌悪する顔を見せるようなことは無かった。
「改めて墓の前に来てみりゃ、少しくらい言いたいことがあるだろうと思ったが…考えれば考えるほど話すことが浮かばんな」
「案外そんなモンだろ。一識が居なくなって一番面倒なのは、とっつぁんに振り回された時の後始末だけだしな。後は前と大して変わらねえ、墓の前に来た所で報告することも大してありゃしねーよ」
「ああ、松平のおじ様か…確かにしょっちゅうお兄が大変な目に遭わされて嘆いてましたね」
破天荒ながら仁義を重んじ人情に溢れる、真選組の更に上に立つ警察庁長官、松平片栗虎。
真選組が過去に浪士組を名乗っていた頃からの上官である彼には、勲含め誰も頭が上がらないのを祈莉もよく知っていた。
そしてその松平が巻き起こした波乱万丈な出来事の数々を、人知れず一識が穏便に処理していたことを思い起こし、彼女は困ったように笑む。
「ま、前よか飲みやら何やらに呼ばれることが減ったから…そっちの面では助かったっちゃあ助かったが」
松平の立場を利用した強要に辟易していた十四郎が、その機会が激減したと安堵の息を零す。
「とっつぁん本人のことならともかく、栗子ちゃん絡みとかは本来俺らが出る幕じゃねーからなァ」
「あ、それ懐かしいですねー。土方さん何でしたっけ、マヨラ13?」
「おまっ…!? 何でお前がそれを知ってるんだよ!」
十四郎に同意し、かの長官のたった一人の愛娘こと栗子とその恋人にまつわる騒動を懐かしむ勲。
娘を思うあまり罪なき彼氏との仲を引き裂くことを画策した松平によって駆り出された彼らの中で、謀らずも最も功績を挙げた男の名を口にした祈莉に、当事者ではなかった彼女が何故その不名誉な名を呼ぶことが出来るのか問い質す。
「なんでってそりゃ、その後のフォローしたのがお兄と私だからですよ。誤魔化すの大変だったんですからね本当に」
「あんの野郎…何でもかんでも祈莉に喋りやがって! 守秘義務の欠片もねェじゃねェーか!」
自分にとって思い出したくない過去までもが全て祈莉に筒抜けだったと知り、一識への怨嗟と共に十四郎が拳を握り締める。
しかしそれを恨む相手は既に冷たい土の中。行き場のない怒りは空回りし、虚ろに消えていった。
「そうそう、栗子ちゃんのカレシの件で思い出したが…祈莉に言い寄ろうとして一識にシメられてたウチの隊士の何人かが、あの一件で
栗子の話題から連想した勲が次に語り出すは、一部の隊士たちが祈莉へと抱く淡い恋心の話。
これまではそれを抑える役目として立ちはだかっていた存在が居なくなったことを好機に、憧れの女性に近づくべく一念発起しようとしていた者は少なくなかったという。
「あったなそんなの。総悟が上手く言いくるめて撒いたのか、キレて懲らしめたのか…そういう手合いは今はナリを潜めたみてェだが。祈莉、一応オメーも自分で気をつけとけよ」
食堂に料理を作りにやってくる既婚の熟年者や、警察としての仕事で導く際を除いた、プライベートな場面で女性と触れ合う機会の殆どない泥臭さに満ちた真選組の隊士たち。
そんな将来が不安な彼らのアイドル的存在として、密かに数人から羨望の眼差しを向けられていたことなど、これまで一切知らなかった祈莉。
本人の全く与り知らぬところで起こり、そして沈静化していた騒動に、困惑の表情で彼女は墓の中で眠る兄と勲たちを交互に見つめる。
「えっ、なんの話ですかそれ…そっちは丸ごと初耳なんですが」
「おっと…あんま言うと総悟のヤツに殺されるトコだった。なんでもねェ、忘れろ」
「いやいやいや、無茶言わないでくださいよ! めちゃめちゃ気になるんですけど!?」
無茶振りでしかない十四郎の言葉に、祈莉は今居るのが墓前であることも忘れ憤慨する。勲が慌てて割って入り彼女を宥め、ようやく事なきを得た。
「まあまあ落ち着け祈莉。今のところは総悟にビビってるせいで本当に行動に起こす勇気のある奴はいないから、心配するほどの事にはならんはずだ」
「はぁ…でも、何だかちょっと引っ掛かるなあ。お兄が私に対して過保護だったのは流石にわかってましたしそれはもう良いんですが、お兄と同じことを総悟くんが…?」
一識が命を落とすに至った切欠を知る筈の総悟による不可解な行動に、彼女は理解が追いつかず悩み込む。
裏切りによる離別の苦しみをもう二度と味わって欲しくないという総悟なりの願いからなるものなのか、それとも単純に人の恋路を邪魔をする加虐心を抑えきれないだけなのか。
考え倦ねる祈莉に、彼女の胸中に渦巻く想いの一切を無視して十四郎が総悟の行動は是であると断定するのだった。
「だがよく考えてもみろ、そもそもお前結婚願望あるのか? ないだろ? なら別に誰がお前の恋路を邪魔したって構わねーだろ」
「…ります」
「あァ?」
か細く掻き消えた声。聞こえないその言葉に挑発するような態度の十四郎へ向け、彼女は勢いに任せて叫ぶ。
「あります! 結婚願望が無いなんて…勝手に土方さんが決めないでください! 私だって…私にだって、普通の女の子として、それくらい…」
ただただ、彼女は激昂する。所々で言葉を詰まらせるのは、それだけ辛酸を嘗めてきた証でもあった。
しかし自身も深く傷ついたミツバの一件も含め、色恋や夫婦というもの自体に嫌悪の念を抱く男は、祈莉の儚い願望を一蹴する。
「やめとけ。結婚なんざしたって幸せになれるわきゃねえ、アイツの最期を知っててまだ夢見てんのか」
何も知らぬまま逝ったミツバが最期に得たのは仮染めの幸福であることを、結ぶべきでない縁を引き寄せてしまった祈莉が知らぬ筈は無いと断ずる十四郎。
「それに、てめーの両親も兄貴から見たら幸せなんて無かったと…」
「トシ。それ以上はやめろ」
返す言葉もない祈莉へ更なる追い討ちをかけようとするのを遮って、勲が彼女と十四郎の間に割って入る。
勲の瞳は鋭い眼光を放ち、友を傷つけられた怒りが見え隠れしているのが伝わり男は引き下がらざるを得なくなる。
二人の一触即発の空気を悟った祈莉が慌てて勲の怒りを鎮めようと謝罪の言葉を零すが、謝るべきは十四郎の方だと彼は憤りを抑えることはなかった。
「ごっ、ごめんなさい近藤さん。私が取り乱しすぎました」
「それは違うだろう。今のはトシが悪い」
「…流石にアンタはコイツの肩を持つか。そりゃそうだわな」
落胆を吐き捨てて、祈莉達から背を向ける十四郎。志村妙という心に決めた想い人が居る勲と自分とでは、男女の関係に対する認識も価値観もまるで異なるのだと感じ、十四郎は密かに疎外感を覚えた。
「トシ」
「わーったよ。祈莉…」
どこまでも低く、心臓を貫くかのような鋭利な声が再度十四郎に突き刺さる。ここで勲を怒らせる利など一切ないことを知る彼は全てを諦め、すぐさま彼女へ非を詫びようとするが、祈莉はぎこちなく笑んでそれを遮る。
「いえ…いいんです。謝らないでください、土方さんがそう思う気持ちは…痛いくらいわかりますから」
謝罪さえ許されなくなった十四郎は、それ以上何も言えず押し黙る。会話の切れ目を縫うように涼風が吹き、真夏の暑さに照らされる三人に心地良さを運ぶ。
それはまるで空から見守っている仲間たちが、いがみ合ってばかりの彼らを宥めるかのような柔らかさを感じさせるものだった。
「こんな調子じゃあ、一識だけじゃなくミツバ殿も心配させちまうな。二人共…こんないがみ合う姿を見せにわざわざここまで来たわけじゃないだろう」
勲の言葉に我に返り、自責の念から胸が締め付けられた祈莉が己の心臓に程近い箇所を抑える。
十四郎との諍いはこれまでにも多寡問わず繰り返してきたが、それを諌めていた兄達がその度に哀しげな顔をしていたのを思い出す。
そしてその時の彼らと全く同じ表情で自分を見つめる勲に気付き、祈莉は自身の非を認め懺悔するように言葉を零した。
「はい…ごめんなさい」
「近藤さんの言う通りだ。俺も…悪かった」
勲へと顔を向けつつも、深層では祈莉への、引いては一識へのものである謝罪を告げ俯く十四郎。
いつの間にか短くなっていた吸殻を携帯灰皿に押し付けて、二本目を取り出そうとしてそれを制止される。
「すいません土方さん、騒いだせいかお腹空いちゃって…そろそろご飯食べ行きたいです」
「あ? 知るか馬鹿。俺はまだ腹減ってねーよ」
「まァ祈莉のヤツあんぱんしか食ってなかったし、無理もないだろ。さ、行こうぜトシ」
感傷をぶち壊しにする気の抜けた宣言に、十四郎が我関せずと言わんばかりに煙草へ伸ばす手を制止する祈莉を振り払う。
だが今度は勲が同じ場所に手を掛け、有無を言わさず十四郎の手を引きその勢いに任せて彼の背中を押す。
どうやら先の言い争いのせいか今日は全面的に妹分の娘に味方する所存らしく、その頑固さを言い負かすには相当の正論が必要そうだった。
「…って二対一じゃ勝ち目ねェじゃねーか。何だ祈莉、お前近藤さんの扱い方上手くなってねーか?」
「なんですかそれ、私そんな無理矢理近藤さん操ってるつもりなんてないですよ」
諦観と共に歩き出し、十四郎は直情的な勲を巧みに操り自分の良い様に扱う祈莉の魔性を称賛する。
褒めているように見せ掛けて実際には非道極まりない言葉に、彼女は不服を顕に頬を膨らませてみせるが、それさえも男の目線からすれば狡猾なだけで愛らしいとはとても思えないものだった。
「無自覚かよ。やっぱ女は怖ェーな」
「お、なんだトシ、今更気付いたのか?」
「…あぁ、そーだよ」
想い人の持つ二面性を全て受け入れて達観しているが故か、不敵な笑みで勲が十四郎の肩に手を載せる。
女心の機微を知ろうとしたこともない初心な男は、そんな事実は知りたくなかったと言わんばかりに深い溜め息でそれに応えた。
「だがそう考えると女でよかったな祈莉。これがもしお前が男だったら、一識のヤツもここまで甘やかさなかったろうよ」
「うーん…お兄の場合は、私がたとえ弟だったとしてもそんなに変わらない気もしますけどね」
過保護の兄によって蝶よ花よと育てられた祈莉。その溺愛ぶりは彼女が妹だったからではないかと推測する十四郎に、彼の歪んでさえいるようにも思える愛情を一身に受け育ってきた本人は否を唱える。
「だな。祈莉が妹だったからってよりか、自分が兄ちゃんだからっていう方が大きかったみてーだしなァ。アイツたまに俺らにまで兄貴面してたの、トシお前覚えてないか」
横で聞いていた勲は徐に祈莉に同調して、自らが幾度となく一識に弟のように扱われた過去を反芻し、十四郎にも同意を求める。
道場の一人息子である勲と、年の離れた異母兄姉とは距離を取っていた十四郎、そしてミツバと二人きりの総悟。
手のかかる"弟"たちを纏めるのは自分しかいない、そう事ある毎に意気込んでいたのを祈莉は思い出していた。
「確かにそーいやそーだった。今思うと何だったんだアレは」
「人の世話焼くのが好きだったんですよ。だからそういう意味では警察は天職だったと思ったん…で、すが」
言いながら、瞳から大粒の涙が流れる。日々の中で忘れようと努めて堰き止めていた悲哀が溢れ出していく祈莉の姿に十四郎が真っ先に振り返り、彼女の前まで駆け寄って立ち止まる。
祈莉は拭えど拭えど抑えきれない涙を堪えようと唇を噛み締めるが、どれだけ待てども雫が止まる様子はなかった。
「大丈夫か祈莉」
「あれ、ごめんなさい…やっぱりお兄の話してると駄目ですね」
「…そりゃそうだろ。好きなだけ泣け、俺の胸なら貸してやるぞ」
腕を広げ祈莉を受け入れる姿勢を見せる勲だが、彼女は泣きじゃくったまま首を振り中年に片足を突っ込んだ男との抱擁を拒む。
「ごめんなさい、近藤さん汗臭いからイヤです…」
「え…マジ?」
無言のまま行きどころのなくなった腕を広げ続けて、勲は十四郎に縋るような視線を向ける。
祈莉が告げた拒絶の理由が真実ではなく遠慮による方便だと信じたい彼の希望の眼差しに、十四郎が酷く哀しんだ表情で首を振って。
「残念だが近藤さん、本当に臭うぞ。それも結構ガチのヤツだ。まァこの暑さじゃ仕方ねーが…拭きゃ多少マシにゃなるだろ、な?」
残酷な現実を突き付けつつも、懸命にフォローすべく懐からハンカチを取り出して差し出そうとする十四郎。
だが、近寄っても全く嫌悪感を感じさせない爽やかな男による優しさは今の勲にとっては逆効果でしかなく。
「…トシ、それ以上近付かんでくれ。俺まで泣きたくなってきた」
「いやあの近藤さん、もう泣いてる」
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