ぎんたま
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規則的に並ぶはずの黄と黒の縞模様が掠れて乱れた遮断機を目の前に、独り彼女は立ち尽くしていた。
真昼の月の下にあるその踏切の対岸には誰もいない筈なのに、そこに立つ誰かを見つめているように、彼女の瞳はただ一点を捉え続けていた。
「…嬢ちゃん、そんなに前のめりで立ってると轢かれちまうぜ」
金色の髪と黒の着物に、眩しさすら感じられるアンダーウェア。奇しくも遮断機とよく似た色を身にまとった男が、今にも仕切りを潜って踏み入ってはならない場所に行ってしまいそうな娘の肩を引き寄せる。
一切の生気が感じられないまま振り向いた彼女は、男を一瞥した途端瞳を見開き、見覚えのあるその姿に驚きを露わにする。
そしてそれは、男にとっても同じだった。自らにとっての特異点とも呼べる存在を前に、思わず彼は言葉を失ってしまう。
「お久しぶりですね、金さん。変わらず元気そうでなによりです」
「あ…ああ。こんなところで会うとは奇遇だな」
礼を告げるより先に男を愛称で呼んでくすりと笑んでみせる彼女の名前は、新見祈莉。
坂田銀時 から得た記録から大別されるカテゴリの全てに関わりを持って立ちながら、坂田金時 がかつて銀時に成り変わろうと起こした騒動で見落としていた唯一の存在。それが彼女だった。
万事屋、かぶき町、攘夷浪士、そして真選組。祈莉という娘は、坂田銀時 が深く関わってきたそうした人々の輪の全てに溶け込んでいるように見えて、その実どこにも属することなく宙に浮いた特異の存在であるのだとも、金時はあらゆるデータを照合してそう感じていた。
尤もそれは機械の身である金時の主観に満ちた視点でしかなく、彼の論理通りに彼女の居場所がどこにもない様など、微塵も想像出来なかったが。
「だが、アンタは元気そうとはとても言えそうにない顔だぜ。もし悩みがあるのなら…俺でよけりゃ相談に乗るが、どうだい?」
死相にも程近い、生に対して意欲のない覇気の抜けた面立ち。線路を越え世界を断絶しようとしていたようにも思える不審な挙動。自身に対しての精一杯の虚勢。
健全ではないと断言出来る精神の無事を案じるには、十分すぎる要素が揃っている。
たとえ鈍く濁った光 には敵わずとも、己にも持って生まれた使命を果たす義務と願いが残っていると信じた金時は、軟派で月並みな誘い文句で彼女へ向けて存在証明 を乞う。
「あはは…流石に金さんにはお見通しなんですね。もしかして、体温とか瞳孔の動きでわかるんでしょうか」
金時の問いに素直に頷くことはせず、しかし否定することなく認めて笑う彼女の姿は今にも儚く散ってしまいそうで、男は思わず彼女を繋ぎ止めたくなる衝動に駆られた。
だがそれを行動に起こすことは自身の破滅を意味することを悟り、一瞬でも間違い が起こることを願ってしまった後悔を踏み締めながら思いとどまる。
祈莉にとって自分は友でこそあれ、その先に進むことは万が一にも有り得ないと信じきっている、ある意味で希薄な関係。
そして何より、ヒトと機械という絶対に越えることの許されない隔たりがある。誰もが人間だと錯覚しそうになる精巧さを持ち得ようと、坂田金時 は人ならざる機械である、その自覚だけは保っていなければならなかった。
「さあ、どうだか。最近はジジィの介護ばっかでせっかくの高機能をちっとも活かしきれてねーからなァ」
冗談を混じえて場を和ませようと笑う金時だったが、本心からの愚痴と捉えてしまった祈莉は困った顔で相槌を打つ。
「それは…少し寂しいですね。金さんは凄い人だから、もっと色々なことが出来るはずなのに」
「お、おう。軽いジョークのつもりだったんだが…そんな状態のアンタに本気で心配されちゃかなわねぇな」
女性からの好感を得やすいとされる筈の対話術が全く通用しない祈莉に、金時は己の未熟さを痛感する。
自分の苦しみがどれだけ深くとも他人を気にかけることを優先する彼女の姿は、慈愛や献身というにはあまりにも破滅的すぎて。
「あぁ、気を遣わせちゃってすみません…でもこれはもう性分なんで、自分ではどうにもならないんですよね」
「おいおい…そんなんじゃその内、抱えきれない重圧に押し潰されちまうぞ」
金時が知る限りのデータの中でだけでもいくつもの事件や騒動の渦中に立たされ人の悪意に触れながら、それでも他人に対してどこまでも優しくあろうとする祈莉。
伸し掛る重みは計り知れないものであるはずなのに、覚束無い足取りでも立ち続け生きようと藻掻く様は、見ていて痛ましさすら感じさせる。
「いいんです、それでも」
祈莉は淡々とそう語って拳を握り、胸に宛てる。ボロボロになった包帯が巻き付けられたその手には、数え切れない後悔を隠し持っていた。
「毒を食らわば皿まで、って言うじゃないですか。一度猛毒の沼に浸かってしまった以上、今更そこから這い上がるにはもう遅いですから」
金時へ向けて開いた掌からは血が滲み、黒ずんだ包帯が朱を含んでいく。晴れ渡った瑠璃に輝く空の下に晒された彼女の朱殷の掌は、どこまでも深い闇を包み込む。
その対照性はどこまでも残酷で、しかしどこか美しさを感じてしまった金時は、機械的なセンサーでは感知出来ない深淵を彼女の内に垣間見た気がした。
その底知れぬ蠱毒に見惚れる傍らで、人を助けるために生まれてきた身として眼前の人間が流す血に対する無機質な警告音が金時の脳内で忙しく響き、彼は慌てて言葉を紡いだ。
「…っと、血が出てんぞ。手当てするから少し待ってろ」
「あ、本当だ。仕事終わりでずっと同じ包帯してたからかな?」
彼女にとっては茶飯事なのか、呆けた表情ですんなりと金時に手を差し伸べ彼の申し出を受け入れる。
解いた包帯の下からは、彼女自身の手で傷口を開かねば起こりえない症状の悪化が見られ、どうやら無意識に傷に触れては知らぬ間に自傷を繰り返しているらしい様子が窺えた。
「専門家じゃねえから断言は出来ねーが…こりゃちィと酷い傷だぜ。あんま無理してると二度と治らないかもしれねェ」
「えっ…そこまで言うほどですか? 定期的にお医者さんに診てもらってるはずなんですが…」
自らに搭載された無駄極まりないと思っていた機能をフル活用し、祈莉の手を治癒する作業に努める金時。
応急的なことしか出来ず完治させることが出来ない無力さに、彼は密かに劣等感を掻き立てる。
「医者もピンキリだからな…間違った知識で適当な治療を施すようなのもそりゃあ居るだろーよ。だからアンタも、もう少しまともな審美眼を身につけた方がいいぜ」
作業の傍らで、機械という人とは異なる立場に立ちつつ、人の汚い面を凝縮したような欲に溺れた自堕落の極みである男をオリジナルに持つ穢れた身としての見解を金時は語る。
かつてはそんな坂田銀時の欠点という欠点を廃した完全無欠の存在として生を受けこそしたが、己もまた不完全であることを認めさせられた今の彼は、人というものがどこまでも完全足り得ない泥に塗れた存在であることを誰よりも知っていた。
「…やっぱり騙されやすいんでしょうか、私」
「多分な。少なくとも、俺に対して無防備に怪我を治させる時点で相当警戒心が欠けてることは断言出来る」
「うーん…」
腑に落ちない様子で唸る祈莉。どうやら彼女にとっては金時は十分すぎる程に信用に値する相手だと認識しているらしく、警戒すべき相手であるという事実には同意しかねるようだった。
尤も、彼女は金時が起こしたかぶき町を巻き込んだ大騒動の際には偶然にも遠方へ出向いていた時期であり、彼の罪がいかに重いかを全くと言っていいほど認識していないのもまた事実だが。
「でもちゃんと治してくれてるじゃないですか」
「そりゃあんなグロい状態の手ェ見ちまったら仕方ねーだろ。いくら仕事が仕事とは言え、ありゃ悪化しすぎてらァ」
真っ向からの信頼からなる眩しく光る指摘に、僅かに苛立ちを見せた金時が声を荒らげる。
祈莉の生業が重たい荷を運ぶという両手をそれぞれ酷使する作業を繰り返す行為を伴うものであることを差し引いても、彼女の手はあまりに傷だらけで直視することすら躊躇うような状況だったと釘を刺す。
そこまで言われようやく、彼女は金時によって消毒と薬の塗布を施され新しい包帯を巻かれた自らの手を見つめるが、その表情からは反省の色は見られなかった。
「おぉー、ありがとうございます。金さんって凄いんですね…こんなに綺麗に手当てしてもらったの初めてですよ」
「マジかよ…それでよく今までなんともなかったな」
あまりに能天気すぎる彼女の声に、呆れる以外の一切の反応が出来なくなる金時。
これ以上の脅しは無意味だと気付き、一歩間違えれば二度と治らない可能性すらある危険域だったことはこのまま胸に秘めるしかないと悟った。
「ちょっと痛いなぁ、くらいは思ってましたけど…気に掛けてたら仕事にならないですから。とりあえず包帯巻いてれば出血もなかったので、良いかなって」
「…そうかい。大事に至る前でよかったが、無茶してっとまた傷が酷くなるから気を付けろよ」
「が、がんばります」
自信の全くない祈莉による弱々しい返答は、前触れなく吹いた突風に儚く掻き消える。
その強風は彼女にとってはその身を支えきれない程のものだったらしく、踏ん張りが効かず身体がよろめく。
倒れそうになる彼女を金時が支えようと手を伸ばした結果、不意に抱き締める形になってしまう。
「おっと」
「あ…すっ、すみません」
腕の中で困惑して顔を赤らめる祈莉。その身体は金時が想像していたよりも遥かに華奢で脆く、今ここで抱き締める力を込めた途端に砕けて散ってしまいそうな程だった。
しかし手放すのには惜しく、金時は暫くの間何を言うでもなく彼女のみを抱き締めたまま立ち尽くす。
「…は、離して…くれませんか」
鳴り響く踏切の警告音と重なり合うは、極限まで緊張が高まった祈莉の心臓の鼓動。機械の身である自分には存在し得ない生命の音が恋しくなって、彼は彼女の要求を徐に拒んでみる。
「嫌だって言ったらどうする?」
「や…からかわないで、ください」
羞恥によって極限まで高揚した祈莉の声と身体は、高感度なセンサーなどを必要とせずとも解る程に震えていた。
そこには嫌悪こそ無けれども、どこか拒絶と恐怖を綯い交ぜにした声音に、金時はその抱擁を解くしかなかった。
「ごめん、なさい」
解放された途端、力なくその場に屈む祈莉。けれど彼女の口から真っ先に出てくるのは謝罪の言葉で、金時は意外そうに目を丸くする。
それが自分を拒んだことに対する罪悪から出たものと捉えた金時は、すぐに彼女を安心させるべく同じ目線にしゃがみ込んで自らの非を詫びる。
「いやいや、謝るのはこっちだろ。アンタの気持ちを考えてなかった俺が全面的に悪かった」
「…いえ、そうじゃ…ないんです」
蹲ったまま、しどろもどろになりながら金時の謝罪を否定して、自らの思いを吐露する祈莉。
「さっきので…あの、色々と思い出してしまって。灰に染まっているべき世界が、また色着いてしまった気がして…本当に金さんのことが嫌だったってことは決してないんですけど、その」
祈莉が内に秘める心的外傷。それは、彼女がこれまで経てきた苦しみを理由に己の性を嫌悪していることに起因していた。
自分を女と侮り高圧的に責め立てる相手。自分が女であることを利用した"夫"。そして、女であるが故に兄を守れなかった弱さ。
そうしていつしか、女であることを意識させる全てが祈莉が自らを呪う枷となっていった。
先の抱擁は、祈莉にとって忌むべきとも言える性を嫌でも想起させる。かつての後悔を思い出し、瘡蓋が剥がれかけた傷口を抉られるには十分すぎる出来事だった。
「って…ごめんなさい、変なこと言っちゃって…困らせちゃいましたよね」
徐に顔を上げて、力なく笑みを向ける祈莉。今にも倒れそうな脆さに、金時は触れることさえ出来ずに呆然と彼女を見つめる。
「気にしてねえよ、だから謝るのは無しだ。とりあえず…立てるか」
人通りは皆無とは言え、道すがらに留まり続ける意味も理由もない怪しさ満点の状態となっている二人。
金時が先んじて立ち上がって祈莉に問うと、彼女は救いを求めるように手を伸ばして来た。
「…手を引いてくれれば、なんとか」
「いいのか? 手を引くフリをしてまた抱き寄せるかもしれねーぜ」
カマをかけるように、わざとらしく笑ってみせる金時。子供の悪戯のようなその笑みを見て彼女は緊張が解れたらしく、改めて自分の手を金時の前に差し出す。
「ふふっ…大丈夫です、金さんのこと信じてます」
妄信とは明確に異なる、確かな意志による肯定。そこには弱々しい女子の様相はなく、どんな困難にも負けることのない強い心が宿っていた。
役割こそ反転しているものの、金時は彼女の姿に救われた気がして、しかしそれを認めるにはまだ未熟で、自分の弱味を隠すような悪態を吐くしか出来なかった。
「祈莉ちゃんよォ、アンタも中々懲りねぇみてーだな」
「いいんです、それで。それが私ですから」
真昼の月の下にあるその踏切の対岸には誰もいない筈なのに、そこに立つ誰かを見つめているように、彼女の瞳はただ一点を捉え続けていた。
「…嬢ちゃん、そんなに前のめりで立ってると轢かれちまうぜ」
金色の髪と黒の着物に、眩しさすら感じられるアンダーウェア。奇しくも遮断機とよく似た色を身にまとった男が、今にも仕切りを潜って踏み入ってはならない場所に行ってしまいそうな娘の肩を引き寄せる。
一切の生気が感じられないまま振り向いた彼女は、男を一瞥した途端瞳を見開き、見覚えのあるその姿に驚きを露わにする。
そしてそれは、男にとっても同じだった。自らにとっての特異点とも呼べる存在を前に、思わず彼は言葉を失ってしまう。
「お久しぶりですね、金さん。変わらず元気そうでなによりです」
「あ…ああ。こんなところで会うとは奇遇だな」
礼を告げるより先に男を愛称で呼んでくすりと笑んでみせる彼女の名前は、新見祈莉。
万事屋、かぶき町、攘夷浪士、そして真選組。祈莉という娘は、
尤もそれは機械の身である金時の主観に満ちた視点でしかなく、彼の論理通りに彼女の居場所がどこにもない様など、微塵も想像出来なかったが。
「だが、アンタは元気そうとはとても言えそうにない顔だぜ。もし悩みがあるのなら…俺でよけりゃ相談に乗るが、どうだい?」
死相にも程近い、生に対して意欲のない覇気の抜けた面立ち。線路を越え世界を断絶しようとしていたようにも思える不審な挙動。自身に対しての精一杯の虚勢。
健全ではないと断言出来る精神の無事を案じるには、十分すぎる要素が揃っている。
たとえ
「あはは…流石に金さんにはお見通しなんですね。もしかして、体温とか瞳孔の動きでわかるんでしょうか」
金時の問いに素直に頷くことはせず、しかし否定することなく認めて笑う彼女の姿は今にも儚く散ってしまいそうで、男は思わず彼女を繋ぎ止めたくなる衝動に駆られた。
だがそれを行動に起こすことは自身の破滅を意味することを悟り、一瞬でも
祈莉にとって自分は友でこそあれ、その先に進むことは万が一にも有り得ないと信じきっている、ある意味で希薄な関係。
そして何より、ヒトと機械という絶対に越えることの許されない隔たりがある。誰もが人間だと錯覚しそうになる精巧さを持ち得ようと、
「さあ、どうだか。最近はジジィの介護ばっかでせっかくの高機能をちっとも活かしきれてねーからなァ」
冗談を混じえて場を和ませようと笑う金時だったが、本心からの愚痴と捉えてしまった祈莉は困った顔で相槌を打つ。
「それは…少し寂しいですね。金さんは凄い人だから、もっと色々なことが出来るはずなのに」
「お、おう。軽いジョークのつもりだったんだが…そんな状態のアンタに本気で心配されちゃかなわねぇな」
女性からの好感を得やすいとされる筈の対話術が全く通用しない祈莉に、金時は己の未熟さを痛感する。
自分の苦しみがどれだけ深くとも他人を気にかけることを優先する彼女の姿は、慈愛や献身というにはあまりにも破滅的すぎて。
「あぁ、気を遣わせちゃってすみません…でもこれはもう性分なんで、自分ではどうにもならないんですよね」
「おいおい…そんなんじゃその内、抱えきれない重圧に押し潰されちまうぞ」
金時が知る限りのデータの中でだけでもいくつもの事件や騒動の渦中に立たされ人の悪意に触れながら、それでも他人に対してどこまでも優しくあろうとする祈莉。
伸し掛る重みは計り知れないものであるはずなのに、覚束無い足取りでも立ち続け生きようと藻掻く様は、見ていて痛ましさすら感じさせる。
「いいんです、それでも」
祈莉は淡々とそう語って拳を握り、胸に宛てる。ボロボロになった包帯が巻き付けられたその手には、数え切れない後悔を隠し持っていた。
「毒を食らわば皿まで、って言うじゃないですか。一度猛毒の沼に浸かってしまった以上、今更そこから這い上がるにはもう遅いですから」
金時へ向けて開いた掌からは血が滲み、黒ずんだ包帯が朱を含んでいく。晴れ渡った瑠璃に輝く空の下に晒された彼女の朱殷の掌は、どこまでも深い闇を包み込む。
その対照性はどこまでも残酷で、しかしどこか美しさを感じてしまった金時は、機械的なセンサーでは感知出来ない深淵を彼女の内に垣間見た気がした。
その底知れぬ蠱毒に見惚れる傍らで、人を助けるために生まれてきた身として眼前の人間が流す血に対する無機質な警告音が金時の脳内で忙しく響き、彼は慌てて言葉を紡いだ。
「…っと、血が出てんぞ。手当てするから少し待ってろ」
「あ、本当だ。仕事終わりでずっと同じ包帯してたからかな?」
彼女にとっては茶飯事なのか、呆けた表情ですんなりと金時に手を差し伸べ彼の申し出を受け入れる。
解いた包帯の下からは、彼女自身の手で傷口を開かねば起こりえない症状の悪化が見られ、どうやら無意識に傷に触れては知らぬ間に自傷を繰り返しているらしい様子が窺えた。
「専門家じゃねえから断言は出来ねーが…こりゃちィと酷い傷だぜ。あんま無理してると二度と治らないかもしれねェ」
「えっ…そこまで言うほどですか? 定期的にお医者さんに診てもらってるはずなんですが…」
自らに搭載された無駄極まりないと思っていた機能をフル活用し、祈莉の手を治癒する作業に努める金時。
応急的なことしか出来ず完治させることが出来ない無力さに、彼は密かに劣等感を掻き立てる。
「医者もピンキリだからな…間違った知識で適当な治療を施すようなのもそりゃあ居るだろーよ。だからアンタも、もう少しまともな審美眼を身につけた方がいいぜ」
作業の傍らで、機械という人とは異なる立場に立ちつつ、人の汚い面を凝縮したような欲に溺れた自堕落の極みである男をオリジナルに持つ穢れた身としての見解を金時は語る。
かつてはそんな坂田銀時の欠点という欠点を廃した完全無欠の存在として生を受けこそしたが、己もまた不完全であることを認めさせられた今の彼は、人というものがどこまでも完全足り得ない泥に塗れた存在であることを誰よりも知っていた。
「…やっぱり騙されやすいんでしょうか、私」
「多分な。少なくとも、俺に対して無防備に怪我を治させる時点で相当警戒心が欠けてることは断言出来る」
「うーん…」
腑に落ちない様子で唸る祈莉。どうやら彼女にとっては金時は十分すぎる程に信用に値する相手だと認識しているらしく、警戒すべき相手であるという事実には同意しかねるようだった。
尤も、彼女は金時が起こしたかぶき町を巻き込んだ大騒動の際には偶然にも遠方へ出向いていた時期であり、彼の罪がいかに重いかを全くと言っていいほど認識していないのもまた事実だが。
「でもちゃんと治してくれてるじゃないですか」
「そりゃあんなグロい状態の手ェ見ちまったら仕方ねーだろ。いくら仕事が仕事とは言え、ありゃ悪化しすぎてらァ」
真っ向からの信頼からなる眩しく光る指摘に、僅かに苛立ちを見せた金時が声を荒らげる。
祈莉の生業が重たい荷を運ぶという両手をそれぞれ酷使する作業を繰り返す行為を伴うものであることを差し引いても、彼女の手はあまりに傷だらけで直視することすら躊躇うような状況だったと釘を刺す。
そこまで言われようやく、彼女は金時によって消毒と薬の塗布を施され新しい包帯を巻かれた自らの手を見つめるが、その表情からは反省の色は見られなかった。
「おぉー、ありがとうございます。金さんって凄いんですね…こんなに綺麗に手当てしてもらったの初めてですよ」
「マジかよ…それでよく今までなんともなかったな」
あまりに能天気すぎる彼女の声に、呆れる以外の一切の反応が出来なくなる金時。
これ以上の脅しは無意味だと気付き、一歩間違えれば二度と治らない可能性すらある危険域だったことはこのまま胸に秘めるしかないと悟った。
「ちょっと痛いなぁ、くらいは思ってましたけど…気に掛けてたら仕事にならないですから。とりあえず包帯巻いてれば出血もなかったので、良いかなって」
「…そうかい。大事に至る前でよかったが、無茶してっとまた傷が酷くなるから気を付けろよ」
「が、がんばります」
自信の全くない祈莉による弱々しい返答は、前触れなく吹いた突風に儚く掻き消える。
その強風は彼女にとってはその身を支えきれない程のものだったらしく、踏ん張りが効かず身体がよろめく。
倒れそうになる彼女を金時が支えようと手を伸ばした結果、不意に抱き締める形になってしまう。
「おっと」
「あ…すっ、すみません」
腕の中で困惑して顔を赤らめる祈莉。その身体は金時が想像していたよりも遥かに華奢で脆く、今ここで抱き締める力を込めた途端に砕けて散ってしまいそうな程だった。
しかし手放すのには惜しく、金時は暫くの間何を言うでもなく彼女のみを抱き締めたまま立ち尽くす。
「…は、離して…くれませんか」
鳴り響く踏切の警告音と重なり合うは、極限まで緊張が高まった祈莉の心臓の鼓動。機械の身である自分には存在し得ない生命の音が恋しくなって、彼は彼女の要求を徐に拒んでみる。
「嫌だって言ったらどうする?」
「や…からかわないで、ください」
羞恥によって極限まで高揚した祈莉の声と身体は、高感度なセンサーなどを必要とせずとも解る程に震えていた。
そこには嫌悪こそ無けれども、どこか拒絶と恐怖を綯い交ぜにした声音に、金時はその抱擁を解くしかなかった。
「ごめん、なさい」
解放された途端、力なくその場に屈む祈莉。けれど彼女の口から真っ先に出てくるのは謝罪の言葉で、金時は意外そうに目を丸くする。
それが自分を拒んだことに対する罪悪から出たものと捉えた金時は、すぐに彼女を安心させるべく同じ目線にしゃがみ込んで自らの非を詫びる。
「いやいや、謝るのはこっちだろ。アンタの気持ちを考えてなかった俺が全面的に悪かった」
「…いえ、そうじゃ…ないんです」
蹲ったまま、しどろもどろになりながら金時の謝罪を否定して、自らの思いを吐露する祈莉。
「さっきので…あの、色々と思い出してしまって。灰に染まっているべき世界が、また色着いてしまった気がして…本当に金さんのことが嫌だったってことは決してないんですけど、その」
祈莉が内に秘める心的外傷。それは、彼女がこれまで経てきた苦しみを理由に己の性を嫌悪していることに起因していた。
自分を女と侮り高圧的に責め立てる相手。自分が女であることを利用した"夫"。そして、女であるが故に兄を守れなかった弱さ。
そうしていつしか、女であることを意識させる全てが祈莉が自らを呪う枷となっていった。
先の抱擁は、祈莉にとって忌むべきとも言える性を嫌でも想起させる。かつての後悔を思い出し、瘡蓋が剥がれかけた傷口を抉られるには十分すぎる出来事だった。
「って…ごめんなさい、変なこと言っちゃって…困らせちゃいましたよね」
徐に顔を上げて、力なく笑みを向ける祈莉。今にも倒れそうな脆さに、金時は触れることさえ出来ずに呆然と彼女を見つめる。
「気にしてねえよ、だから謝るのは無しだ。とりあえず…立てるか」
人通りは皆無とは言え、道すがらに留まり続ける意味も理由もない怪しさ満点の状態となっている二人。
金時が先んじて立ち上がって祈莉に問うと、彼女は救いを求めるように手を伸ばして来た。
「…手を引いてくれれば、なんとか」
「いいのか? 手を引くフリをしてまた抱き寄せるかもしれねーぜ」
カマをかけるように、わざとらしく笑ってみせる金時。子供の悪戯のようなその笑みを見て彼女は緊張が解れたらしく、改めて自分の手を金時の前に差し出す。
「ふふっ…大丈夫です、金さんのこと信じてます」
妄信とは明確に異なる、確かな意志による肯定。そこには弱々しい女子の様相はなく、どんな困難にも負けることのない強い心が宿っていた。
役割こそ反転しているものの、金時は彼女の姿に救われた気がして、しかしそれを認めるにはまだ未熟で、自分の弱味を隠すような悪態を吐くしか出来なかった。
「祈莉ちゃんよォ、アンタも中々懲りねぇみてーだな」
「いいんです、それで。それが私ですから」
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