ぎんたま
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「おつかれさまです土方さん。麦茶ですけど飲みますか?」
無心で木刀を振る青年の攻撃範囲に入らないギリギリの位置に立ち、少女が湯呑を掲げて問い掛ける。
青年は鍛錬の邪魔をされる形になり僅かに苛立ちを露わにするが、流れた汗による水分の喪失を取り戻す為にも少女の申し出を拒むことは出来ず、渋々手を伸ばし湯呑を受け取るのだった。
「オイ祈莉、いつもの緑茶はどーした」
「ちょうど切らしちゃったんですよねぇ。あっでも、お兄が明日の買い出しで補充するって言ってたんでご安心を」
程よく冷えた麦茶を一気に飲み干しつつも、飲み慣れた緑茶が恋しく思えた青年こと土方十四郎はその所在について尋ねずにはいられなかった。
訊かれた側である少女、新見祈莉は代替の理由と共に明日には兄である新見一識が緑茶の茶葉を買ってくることを伝える。
「そうか。ならいいが」
「ま、そんなわけなので、今日はこれで我慢してください」
「フンっ…」
鼻を鳴らし不服そうな態度を示すも、それは素直になれない捻くれ者であることの証明でしかなく。
そんな反抗期の少年とそう変わらない気難しい性格を、出会って半年程の祈莉は既に熟知していた。
十四郎のその無愛想ぶりさえもある意味で心地よく、まるで歳上の大きな弟が出来たようだと彼女は密かに喜んでいた。
「…そういやお前、今日は兄貴と一緒じゃねーのか?」
どこか不気味さを感じる祈莉の笑みから話題を逸らすように、彼は少女の兄について問う。
すると彼女の表情が瞬時に喜から哀へと変わり、同胞にして十四郎と一識の恩人でもある男、近藤勲と連れ立って別行動をしているのだと告げた。
「お兄は近藤さんと特訓中です。町内走り込み二十周? とか言って…止めたんですけど二人とも聞かなくって」
「またバカなことしてんな…あとで筋肉痛になっても面倒見んなよお前、自業自得だから」
「ですよねー。っていうか町に出るならついでに買い物行ってくれれば良かったのに」
心配というには気の抜けた声で感嘆を零し、十四郎は非情にも彼らの無謀な試みによる悪影響をケアする必要などないと断ずる。
仲間内でも相当な常識人である彼の意見に全面的に同意しつつ、思わず兄への愚痴を我慢出来なくなる祈莉に、青年は擁護の言葉を捻り出して彼女を諭す。
「荷物抱えて走んのも中々大変だろ、それに町内走り回ってる最中に茶っ葉ぶちまけられたらたまったもんじゃねェし」
「あー…それは確かにそうですね。まあ一緒に買い物するの自体は楽しみなんで、別に良いんですけど」
十四郎が飲み干して空になった湯呑を受け取りながら、祈莉は兄と交わした約束を思い起こし笑みを零す。
生粋の兄慕い を隠そうともしない彼女だったが、どうやら本人はそれに気がついてさえいないようで。
「買い物なんてそんな楽しみにするようなことか?」
「そりゃもうわくわくですよ! ウチは貧乏なんで…安売り探しに色々回ったり、詰め放題の袋にどれだけ上手に詰めるか勝負したり。買い物ひとつとっても一大イベントなんです」
「ほーん…大変なだけだと思ってたが、中々面白そうなことしてんだな」
自慢げに語る祈莉に、家庭での立場上買い物になど同行することのない十四郎は僅かに興味を抱いていた。
だが仲睦まじい兄妹をわざわざ邪魔立てするつもりは彼にはなく、目を輝かせる少女の楽しそうな表情を見て満足する。
「はーっ、力説したらちょっと疲れちゃいました。あっちで涼んでいいですか」
「…そうだな。俺も行く」
立ち話に疲れ始めた祈莉を気遣って日陰に避難して、二人は休憩がてら再び談笑に花を咲かせる。
夏の太陽は強く照り付き、十四郎の黒く長い髪は触れることを許さない程に熱を帯びていた。
「にしても今日ほんと暑いですねー、土方さん見てると余計暑く感じちゃう…その髪、切りません?」
眉目秀麗な相貌を際立たせる、ひとつにまとめられた漆黒の長髪。それは少女の髪よりも明確に長く、暑さに耐えかねた祈莉は思わず青年の逆鱗に触れる。
「アホか。こいつァ願掛けだ、暑ィから切るなんてとんでもねー」
「えっ、そうだったんですか」
「そーだよ。悪ィかよ」
初めて明かした秘密に驚きを隠せない様子の祈莉に、青年は少女を直視することすら儘ならず、火照る頬を腕で隠し顔を背ける。
自身の軽はずみな言動によって十四郎が受けた動揺が余程のことだったと察した祈莉はすかさず非を詫びて、どうにか彼の機嫌を直そうと画策する。
「すみません…土方さんそういうの嫌いなイメージだったからビックリしちゃって。叶うといいですね」
「…なんだよ、意外とわかってんじゃねーかお前」
市井の女子とは異なり、興味本位で問うてみたりあからさまに嘲笑したりはせず応援するのみの祈莉に、思わず十四郎は嬉しそうな声で呟く。
「だってそれしか言いようがないですし…願掛けしたこと、あんまり人に明かしちゃダメなんですよね確か」
「最近はそこまで厳密なモンでもねーって聞くが、どうなんだか。ま、俺はこれ以上他言する気はねーけど」
暗に口止めを示唆し、祈莉もそれに気付き承知したと頷き示す。二人の間に不思議な秘密の共有が生まれ、少女は十四郎を慕うミツバへの後ろめたさを密かに抱いてしまう。
尤も、ミツバと十四郎は彼女から見れば疑いようもなく両想いであり、青年からは子供扱いしかされていない自分が邪魔立てしてしまうことはないと、頭ではわかっているのだが。
「…でも、願掛けとかそういうの抜きにしても土方さんの髪、キレイですね。切ったら切ったでもったいない気もしてきました」
「切れっつったりもったいねーつったり忙しいヤツだなオイ…別に大したことはしてねーよ、フツーに毎日清潔にしてるだけだ」
「アレかな、マヨネーズたくさん摂ってるからツヤツヤなのかな…?」
気恥しさを誤魔化すように、祈莉は十四郎ににじり寄っては真っ直ぐに枝垂れる黒髪を見つめる。
青年が特別なことはしていないと念を押すのも聞かず、女子として外見にはプライドがあるのか、男の毛質をまじまじと観察する。
初めは我慢していたが次第に鬱陶しくなり、羽虫を追い払うように手を振って祈莉を引き剥がす十四郎。
「話聞けや! つーかそんなジロジロ見んな近ェーんだよお前よォ」
「…はっ! すみません、滅多にない機会だからつい調子乗っちゃいました」
自覚がないまま至近距離まで近付いていたことを詫び、改めて自身の非常識さを恥じた祈莉は顔に熱を帯びる。
暑さに思考回路までもが狂ってしまったのかと疑いそうになる挙動に、十四郎も彼女らしくないと首を傾げるのだった。
「なぁ祈莉、今日のお前どっか変じゃないか」
ぴくり、と一瞬だけ祈莉の身体が跳ねて、それ以降は逆に不自然なほどに硬直する。
背けた顔から彼女の表情は読み取れず、十四郎は思い当たる原因を当てずっぽうで呟いてみるが、ぎこちない笑みを返されるのみ。
「どっかのクソガキになんか言われたか?」
「やだなぁ…総悟くんはそんな子じゃないですよ」
この返答ひとつで、祈莉が奇怪な行動を取り始めた理由が仲間内で最も幼い少年 であることに一瞬で辿り着く十四郎。
彼等がどんなやりとりを行ったか、それにより祈莉がどう傷付いたのかは想像でしか考察出来ないものの、総悟はまだ反抗期真っ只中の年頃の男子である。
少しとはいえ歳上である少女にどれほどの暴言を吐いたとしても不思議はないと、同じくクソガキ に翻弄され日々頭を悩ませている十四郎は考えていた。
「…ただ、私は他の子のように愛嬌もないし、かと言ってミツバ姉みたいにおしとやかな感じでもないし…もっと女の子らしくしなきゃなのかなって」
あくまで総悟には何も言われていない体を装い少年を庇いつつも、祈莉は堪えきれず内に秘めていた自らの悩みを吐露する。
兄と連れ立って道場の門下に加わり、男児に混じって身体を鍛えている彼女だが、本心では女子らしく振る舞いたい未練がある様子が垣間見えていた。
「んなモン俺に聞いてどーする。俺が決めることじゃねェだろ、自分の心に聞いてみろ」
「うっ、そうですよね…」
だが十四郎の返答は祈莉を自分が導くものではなく、あくまで彼女自身にどうしたいかを確かめさせるものだった。
「でも私…自信ないんです。いつも皆と一緒にいて、男とか女とか今まで意識したことなかったから…」
「別に難しいこっちゃねェし、なるようになるだろ」
組んだ腕を背に回し、それを支えに身体の重みを壁に預けて祈莉の言葉に耳を傾ける十四郎。
継ぐべき家もなく、行く末は剣の道ひとつに定まっていると言ってもいい男の自分とは異なり、いつかは家庭に入り剣を捨てる女性としての道を見つけてしまった故に迷う彼女は、ひどく息苦しそうに思えた。
「とは言え、俺ァそこらのやかましいだけの女共よりかは、今までのお前みてーに何も考えてないようなヤツの方が話してて気楽だけどな」
少しでも救いになればと、青年は俯く祈莉に気休めにもならない慰めの言葉を掛ける。
すると泣きそうな目をしていた少女の瞳は喜びに輝き、十四郎を真っ直ぐに見つめ更なる同意を求めてきた。
「ほんとですか?」
「俺はそうだってだけだ。他のヤツにとってどーだかは知らねえ、もちろんお前自身にとっても」
無条件の全肯定ではないと釘を刺す十四郎に、祈莉の期待に満ちた瞳が雨に濡れた捨て犬のように光を失う。
「私自身にとって、と言われると…難しいですね」
「んじゃお前の一番身近な兄貴の考えはどうなんだ」
「お兄には…まだ何も。心配させちゃ悪いなと思って」
気まずさを顕に、祈莉がぎこちなく笑む。そんな重要な話を実の兄を差し置いて暴露された十四郎の心境は、複雑の一言では表せない程に入り組んでいた。
そんな思春期男児がどう言葉を掛けるべきか考えあぐねていると、横の少女は厭に艶っぽい吐息を零して彼の思考を知らず知らずの内に掻き乱して行く。
「ッ…」
傍らの青年の思惑など露知らず、少女は憂いに頭を垂れたまま。首筋に滴る汗が色気を増し、静寂の中に戦慄を走らせる。
「わかった。お前は今まで通りのちんちくりんでいい。たった今俺が決めた、反論は一切認めねえ」
耐えかねた十四郎は徐に日陰を離れ、降ろしていた木刀を肩に載せ背を向けたまま祈莉へ向けて叫ぶ。
あまりに露骨過ぎる罵倒に立腹する祈莉だが、青年はそれを撤回することはなく、これ以上の会話を断ずるように木刀を振り始めた。
「な、ちんちくりんってどういうことですか! あとどこ行くんですか」
「そのまんまの意味だバーカ。変に気負って悩んで、お前らしくもねェ。俺は修行に戻るから邪魔すんなよ」
そこまで言われてようやく、少女祈莉はこれまでの会話の中で見失っていたものが何かを思い出す。
「…!」
十四郎の『らしくない』と、冷たく突き放したようでいてその実誰よりも彼女の揺らぐ想いを案じた言葉が、情緒の安定しない言い訳を繰り返していた祈莉の胸に深々と刺さる。
長年男児とばかり戯れてきた少女にとっては男と女という性差など、考えること自体が無意味に等しい些細なことで。
それから彼女は自身の木刀を定位置から持ち出しては高々と掲げて、いつものような満面の笑みを向けながら十四郎に斬りかかるべく彼の元へと走り出すのだった。
「ありがとうございます土方さん。色々と吹っ切れた記念に、私と勝負してください!」
「って、なんでそーなるんだッ!?」
無心で木刀を振る青年の攻撃範囲に入らないギリギリの位置に立ち、少女が湯呑を掲げて問い掛ける。
青年は鍛錬の邪魔をされる形になり僅かに苛立ちを露わにするが、流れた汗による水分の喪失を取り戻す為にも少女の申し出を拒むことは出来ず、渋々手を伸ばし湯呑を受け取るのだった。
「オイ祈莉、いつもの緑茶はどーした」
「ちょうど切らしちゃったんですよねぇ。あっでも、お兄が明日の買い出しで補充するって言ってたんでご安心を」
程よく冷えた麦茶を一気に飲み干しつつも、飲み慣れた緑茶が恋しく思えた青年こと土方十四郎はその所在について尋ねずにはいられなかった。
訊かれた側である少女、新見祈莉は代替の理由と共に明日には兄である新見一識が緑茶の茶葉を買ってくることを伝える。
「そうか。ならいいが」
「ま、そんなわけなので、今日はこれで我慢してください」
「フンっ…」
鼻を鳴らし不服そうな態度を示すも、それは素直になれない捻くれ者であることの証明でしかなく。
そんな反抗期の少年とそう変わらない気難しい性格を、出会って半年程の祈莉は既に熟知していた。
十四郎のその無愛想ぶりさえもある意味で心地よく、まるで歳上の大きな弟が出来たようだと彼女は密かに喜んでいた。
「…そういやお前、今日は兄貴と一緒じゃねーのか?」
どこか不気味さを感じる祈莉の笑みから話題を逸らすように、彼は少女の兄について問う。
すると彼女の表情が瞬時に喜から哀へと変わり、同胞にして十四郎と一識の恩人でもある男、近藤勲と連れ立って別行動をしているのだと告げた。
「お兄は近藤さんと特訓中です。町内走り込み二十周? とか言って…止めたんですけど二人とも聞かなくって」
「またバカなことしてんな…あとで筋肉痛になっても面倒見んなよお前、自業自得だから」
「ですよねー。っていうか町に出るならついでに買い物行ってくれれば良かったのに」
心配というには気の抜けた声で感嘆を零し、十四郎は非情にも彼らの無謀な試みによる悪影響をケアする必要などないと断ずる。
仲間内でも相当な常識人である彼の意見に全面的に同意しつつ、思わず兄への愚痴を我慢出来なくなる祈莉に、青年は擁護の言葉を捻り出して彼女を諭す。
「荷物抱えて走んのも中々大変だろ、それに町内走り回ってる最中に茶っ葉ぶちまけられたらたまったもんじゃねェし」
「あー…それは確かにそうですね。まあ一緒に買い物するの自体は楽しみなんで、別に良いんですけど」
十四郎が飲み干して空になった湯呑を受け取りながら、祈莉は兄と交わした約束を思い起こし笑みを零す。
生粋の
「買い物なんてそんな楽しみにするようなことか?」
「そりゃもうわくわくですよ! ウチは貧乏なんで…安売り探しに色々回ったり、詰め放題の袋にどれだけ上手に詰めるか勝負したり。買い物ひとつとっても一大イベントなんです」
「ほーん…大変なだけだと思ってたが、中々面白そうなことしてんだな」
自慢げに語る祈莉に、家庭での立場上買い物になど同行することのない十四郎は僅かに興味を抱いていた。
だが仲睦まじい兄妹をわざわざ邪魔立てするつもりは彼にはなく、目を輝かせる少女の楽しそうな表情を見て満足する。
「はーっ、力説したらちょっと疲れちゃいました。あっちで涼んでいいですか」
「…そうだな。俺も行く」
立ち話に疲れ始めた祈莉を気遣って日陰に避難して、二人は休憩がてら再び談笑に花を咲かせる。
夏の太陽は強く照り付き、十四郎の黒く長い髪は触れることを許さない程に熱を帯びていた。
「にしても今日ほんと暑いですねー、土方さん見てると余計暑く感じちゃう…その髪、切りません?」
眉目秀麗な相貌を際立たせる、ひとつにまとめられた漆黒の長髪。それは少女の髪よりも明確に長く、暑さに耐えかねた祈莉は思わず青年の逆鱗に触れる。
「アホか。こいつァ願掛けだ、暑ィから切るなんてとんでもねー」
「えっ、そうだったんですか」
「そーだよ。悪ィかよ」
初めて明かした秘密に驚きを隠せない様子の祈莉に、青年は少女を直視することすら儘ならず、火照る頬を腕で隠し顔を背ける。
自身の軽はずみな言動によって十四郎が受けた動揺が余程のことだったと察した祈莉はすかさず非を詫びて、どうにか彼の機嫌を直そうと画策する。
「すみません…土方さんそういうの嫌いなイメージだったからビックリしちゃって。叶うといいですね」
「…なんだよ、意外とわかってんじゃねーかお前」
市井の女子とは異なり、興味本位で問うてみたりあからさまに嘲笑したりはせず応援するのみの祈莉に、思わず十四郎は嬉しそうな声で呟く。
「だってそれしか言いようがないですし…願掛けしたこと、あんまり人に明かしちゃダメなんですよね確か」
「最近はそこまで厳密なモンでもねーって聞くが、どうなんだか。ま、俺はこれ以上他言する気はねーけど」
暗に口止めを示唆し、祈莉もそれに気付き承知したと頷き示す。二人の間に不思議な秘密の共有が生まれ、少女は十四郎を慕うミツバへの後ろめたさを密かに抱いてしまう。
尤も、ミツバと十四郎は彼女から見れば疑いようもなく両想いであり、青年からは子供扱いしかされていない自分が邪魔立てしてしまうことはないと、頭ではわかっているのだが。
「…でも、願掛けとかそういうの抜きにしても土方さんの髪、キレイですね。切ったら切ったでもったいない気もしてきました」
「切れっつったりもったいねーつったり忙しいヤツだなオイ…別に大したことはしてねーよ、フツーに毎日清潔にしてるだけだ」
「アレかな、マヨネーズたくさん摂ってるからツヤツヤなのかな…?」
気恥しさを誤魔化すように、祈莉は十四郎ににじり寄っては真っ直ぐに枝垂れる黒髪を見つめる。
青年が特別なことはしていないと念を押すのも聞かず、女子として外見にはプライドがあるのか、男の毛質をまじまじと観察する。
初めは我慢していたが次第に鬱陶しくなり、羽虫を追い払うように手を振って祈莉を引き剥がす十四郎。
「話聞けや! つーかそんなジロジロ見んな近ェーんだよお前よォ」
「…はっ! すみません、滅多にない機会だからつい調子乗っちゃいました」
自覚がないまま至近距離まで近付いていたことを詫び、改めて自身の非常識さを恥じた祈莉は顔に熱を帯びる。
暑さに思考回路までもが狂ってしまったのかと疑いそうになる挙動に、十四郎も彼女らしくないと首を傾げるのだった。
「なぁ祈莉、今日のお前どっか変じゃないか」
ぴくり、と一瞬だけ祈莉の身体が跳ねて、それ以降は逆に不自然なほどに硬直する。
背けた顔から彼女の表情は読み取れず、十四郎は思い当たる原因を当てずっぽうで呟いてみるが、ぎこちない笑みを返されるのみ。
「どっかのクソガキになんか言われたか?」
「やだなぁ…総悟くんはそんな子じゃないですよ」
この返答ひとつで、祈莉が奇怪な行動を取り始めた理由が
彼等がどんなやりとりを行ったか、それにより祈莉がどう傷付いたのかは想像でしか考察出来ないものの、総悟はまだ反抗期真っ只中の年頃の男子である。
少しとはいえ歳上である少女にどれほどの暴言を吐いたとしても不思議はないと、同じく
「…ただ、私は他の子のように愛嬌もないし、かと言ってミツバ姉みたいにおしとやかな感じでもないし…もっと女の子らしくしなきゃなのかなって」
あくまで総悟には何も言われていない体を装い少年を庇いつつも、祈莉は堪えきれず内に秘めていた自らの悩みを吐露する。
兄と連れ立って道場の門下に加わり、男児に混じって身体を鍛えている彼女だが、本心では女子らしく振る舞いたい未練がある様子が垣間見えていた。
「んなモン俺に聞いてどーする。俺が決めることじゃねェだろ、自分の心に聞いてみろ」
「うっ、そうですよね…」
だが十四郎の返答は祈莉を自分が導くものではなく、あくまで彼女自身にどうしたいかを確かめさせるものだった。
「でも私…自信ないんです。いつも皆と一緒にいて、男とか女とか今まで意識したことなかったから…」
「別に難しいこっちゃねェし、なるようになるだろ」
組んだ腕を背に回し、それを支えに身体の重みを壁に預けて祈莉の言葉に耳を傾ける十四郎。
継ぐべき家もなく、行く末は剣の道ひとつに定まっていると言ってもいい男の自分とは異なり、いつかは家庭に入り剣を捨てる女性としての道を見つけてしまった故に迷う彼女は、ひどく息苦しそうに思えた。
「とは言え、俺ァそこらのやかましいだけの女共よりかは、今までのお前みてーに何も考えてないようなヤツの方が話してて気楽だけどな」
少しでも救いになればと、青年は俯く祈莉に気休めにもならない慰めの言葉を掛ける。
すると泣きそうな目をしていた少女の瞳は喜びに輝き、十四郎を真っ直ぐに見つめ更なる同意を求めてきた。
「ほんとですか?」
「俺はそうだってだけだ。他のヤツにとってどーだかは知らねえ、もちろんお前自身にとっても」
無条件の全肯定ではないと釘を刺す十四郎に、祈莉の期待に満ちた瞳が雨に濡れた捨て犬のように光を失う。
「私自身にとって、と言われると…難しいですね」
「んじゃお前の一番身近な兄貴の考えはどうなんだ」
「お兄には…まだ何も。心配させちゃ悪いなと思って」
気まずさを顕に、祈莉がぎこちなく笑む。そんな重要な話を実の兄を差し置いて暴露された十四郎の心境は、複雑の一言では表せない程に入り組んでいた。
そんな思春期男児がどう言葉を掛けるべきか考えあぐねていると、横の少女は厭に艶っぽい吐息を零して彼の思考を知らず知らずの内に掻き乱して行く。
「ッ…」
傍らの青年の思惑など露知らず、少女は憂いに頭を垂れたまま。首筋に滴る汗が色気を増し、静寂の中に戦慄を走らせる。
「わかった。お前は今まで通りのちんちくりんでいい。たった今俺が決めた、反論は一切認めねえ」
耐えかねた十四郎は徐に日陰を離れ、降ろしていた木刀を肩に載せ背を向けたまま祈莉へ向けて叫ぶ。
あまりに露骨過ぎる罵倒に立腹する祈莉だが、青年はそれを撤回することはなく、これ以上の会話を断ずるように木刀を振り始めた。
「な、ちんちくりんってどういうことですか! あとどこ行くんですか」
「そのまんまの意味だバーカ。変に気負って悩んで、お前らしくもねェ。俺は修行に戻るから邪魔すんなよ」
そこまで言われてようやく、少女祈莉はこれまでの会話の中で見失っていたものが何かを思い出す。
「…!」
十四郎の『らしくない』と、冷たく突き放したようでいてその実誰よりも彼女の揺らぐ想いを案じた言葉が、情緒の安定しない言い訳を繰り返していた祈莉の胸に深々と刺さる。
長年男児とばかり戯れてきた少女にとっては男と女という性差など、考えること自体が無意味に等しい些細なことで。
それから彼女は自身の木刀を定位置から持ち出しては高々と掲げて、いつものような満面の笑みを向けながら十四郎に斬りかかるべく彼の元へと走り出すのだった。
「ありがとうございます土方さん。色々と吹っ切れた記念に、私と勝負してください!」
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