ぎんたま
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「あんなに通いつめてたお店がなくなっちゃったなんて…なんか、淋しいね」
郷愁に憂いを抱きながら、祈莉は自らが受け取った一枚の葉書を見せ、同じ卓袱台で鍋を囲む皆へ向けて同意を求める。
かつて彼女達が武州で過ごしていた頃、稽古の帰りに足繁く通っていた食事処が閉店した、そんな報せを受けての言葉だった。
「まー当然ちゃ当然ですがねぃ。俺らが上京した後、ロクに人来なかったらしいですし」
「つかそもそもいつ行っても他に客居なかったしな、時間の問題だったんだろ」
鍋の具材を取り合いつつ、総悟と十四郎が口々に同意の言を告げる。常日頃から諍いばかりの二人にしては珍しく意見が合ったようで、互いの発言に頷いていた。
一方で、かの店の料理をこよなく愛していた一識と勲の両名は名残惜しい気持ちが勝るらしく、落胆した様子で肩を落とす。
「それでも、店が閉まる前にもう一度食べたかったよ。あの味は江戸にはないものだったからね…」
「だなァ。皆で稽古の終わりに食ってた馴染みの味だったもんな」
「へえ、二人ともそんなにあそこの飯好きだったんすね。俺ァ味濃くてあんまりだったんで、なんか意外でさァ」
目に見えて落ち込む勲達を前に、重苦しい空気になるのを嫌った総悟がスープを啜りながら冗談混じりに笑ってみせる。
「おい総悟、そりゃ店の味じゃなくて何でもかんでも七味山盛りにしてたミツバ殿のせいだろーが」
「いや違います近藤さん、人のモンにもマヨネーズドバドバ入れてきた土方のヤローのせいです」
「って待てコラ人になすりつけんな! 俺はあの頃そこまでマヨネーズ強要した覚えはねーぞ!」
『味が濃い』という、自らの記憶とは全く異なる感想に心当たりしかなかった勲は、そんな意見を述べた少年の姉による異様な調味料の使用が原因だと詰る。
だが神格化した姉を咎められるのが我慢ならない総悟により、それはマヨネーズ教徒の仕業だったと嘯く。
それを真横で聞いていた張本人がそんな責任転嫁を許容するはずもなく、すかさず二人に割って入り轟々の口論に発展するのだった。
「…まーた始まった。屯所でもこうなの?」
「ああ、概ね変わらないな。見ている分には楽しいよ」
武州に居た頃と相違ない光景を見せる旧友に、呆れつつもどこか嬉しそうな表情で兄に問い掛ける祈莉。
妹と同じく慣れ親しんだ彼らのやり取りが心地好い一識は、彼女の問いに顔を綻ばせて頷き、確かな絆で結ばれている三人を羨望の目で見つめていた。
そんな兄妹を蚊帳の外のままにはせず、論争の最中に口内に流し込まれたマヨネーズが頬に零れ着いたままの勲が徐に祈莉へ向き直って箸を突きつける。
「それから祈莉、他人事のように眺めてるがお前も同罪だろ。忘れたとは言わせんぞ」
「え、私? 私初めて土方さんと一緒に食べたあの一回しか甘い物と混ぜたことないですよ! ねぇお兄」
「祈莉。残念だが一度でも罪は罪だ。尤も…とうの昔に償ったものだから既に時効と言えるだろうけれど」
唐突にそう振られ、困惑気味に兄に縋る祈莉。だが、甘味に脳を壊されている彼女と異なり味覚は正常そのものである一識は一旦は過去の大罪を咎め、それからいつも通りの妹馬鹿 ぶりを発揮する。
「…相変わらず祈莉にゃ甘ェーなお前は」
勲と総悟が自分へ向けていた矛先が変わり安心したのか、十四郎は至って平静を装い一識の祈莉への溺愛ぶりを揶揄し笑う。
しかし生粋の妹想いが祟りそうした嘲笑の一切を称賛と捉える彼の反応は至極嬉しそうなものであり、まるで酒に酔って高揚したかのような上機嫌ぶりを見せて一識は十四郎の背を叩く。
「あっはっはっ。褒めても何も出ないよ十四郎君」
「褒めてねーし痛ェーよ!」
想定より痛みの強い殴打に苛立ちを露にした十四郎が、今度は一識に牙を剥くものの、自分自身に対しては無関心にも程近い彼は全く堪える素振りを見せることなく笑う。
「おーい土方さん、あんま兄さん虐めない方がいいですぜ。祈莉ちゃんの目線がさっきから殺気立ってまさァ」
「…じー」
「落ち着け祈莉、別に俺ァ本気で虐めてるわけじゃないぞ」
兄から妹への狂気さえ感じる程のものでこそないにしろ、反抗期らしい反抗期もなく一識を慕い続ける祈莉。
そんな彼女が兄の虐げられる様を見て不満を募らせるのはある種必然であり、その視線にいち早く気付いた総悟は十四郎に耳打ちして危機を伝える。
総悟からの助言に十四郎は慌てて一識から手を離して無実をアピールするが、警戒心に満ちた祈莉の反応は芳しくなく。
「ほい土方さん」
「ん?」
見兼ねた総悟が十四郎に裏から手を回し、小さな包みをそっと渡す。後ろ手に触れて、その正体が飴玉であると気付くと同時に総悟の意図を察した彼は、すかさず祈莉にそれを差し出した。
「…ほれ祈莉、飴やっから機嫌直せ」
「やったー! 土方さんありがと!」
「って、いいのかそれで…」
あまりに早い祈莉の転身に、思わず呆れ果てる勲。彼女にとっての糖分への欲が占める割合を見誤っていたと知り、引き笑いを浮かべてその様子を見つめる。
そしてそれと同時に、ここまで味覚の狂った妹とは全く異なる正常な舌の持ち主である一識に目を向け、次に祈莉と真逆である極度の辛党な姉を持ちながらも、その辛さに満ちた食事を食べることは巧妙に回避している総悟を見やる。
「どーしたんですかィ近藤さん。俺らの口になんかついてますか」
視線を感じた少年が振り向き様に問う。実際には二人を含め誰のどこにも何もついていなかったが、勲の観察する視線は止まなかった。
「いや、ミツバ殿と祈莉と…あとまあトシもだが。尖った味覚の持ち主達に挟まれてる割にゃ、お前らの食の好みはずいぶんマトモな方だと思ってよ」
「…その件については、総悟君とは昔からずっと苦労を共にしてきたからね。ある種の結束によるものと言えるよ」
「あ、やっぱり?」
飴玉をきっかけに談笑を続ける十四郎と祈莉の味覚障害コンビには聞こえぬよう細心の注意を払い、一識がかつて甘党と辛党による波状攻撃に悩まされた地獄のような日々の思い出を語る。
それを共に味わってきた総悟は懐かしくも辛 い記憶に思いを馳せ、直接的には彼女達の被害を受けたことのない勲は固唾を呑んで聞き入っていた。
「通りでトシのを見ても二人ともそんなに動じなかったわけだ」
「っても、俺もさすがに驚きはしやしたがね。マヨネーズなんて当時高かったモンを何にでも山盛り入れるとかどんなボンボンだよくたばれクソ土方って思ってましたから」
当時感じた屈辱を思い返しながら、一切の抑揚なく少年が罵倒を吐く。持ち前の地獄耳を発揮した十四郎がその罵倒にすかさず反応し釘を刺すも、息をするように嘘を吐く総悟の雑すぎる否定により去なされてしまった。
「あ? なんか言ったか総悟ォ」
「いや何も。土方さんの空耳でしょ」
いつもと同じ見え透いた嘘に呆れた彼はそれ以上の追求を諦めたらしく、そのまま何も言わず既に冷めつつある鍋の汁を器に注ぎその中にマヨネーズを溶かし始める。
十四郎にとってもうひとつの拠である煙草で総悟の悪態を忘れようにも、全域禁煙の新見家の中において喫煙することは瞬時に外に放り出されかねない程の禁則事項だった。
禁煙を強いられることによる更なるストレスを少しでも中和しようとしているかの如く、彼の持参したマヨネーズの消費は加速していく。
「ちょっと待って土方さん、マヨネーズどんだけ持ち歩いてるんですかそれ…怖っ」
それまで手に持っていたマヨネーズの容器がひとつ空になったのを祈莉が認識したと同時に、予備の容器の封が開く。
持ち運ぶには凡そ適さない巨大なボトルが一本だけでなく二本も懐から出てくる恐ろしい光景に、彼女は思わず声を上げずにはいられなかった。
「今日は多めに持ってきたからな。これの他にあと一本で最後だ」
「う…うん…?」
「安心したよ十四郎君…流石の君でもペットボトルと同じ位のそのサイズが三本は多いと感じているんだね」
二本でも多いと感じた物に更に予備があるとあっけらかんと告げられ、引き攣った笑いを浮かべることしか出来ない妹と、すっかり基準が麻痺しているらしく謎の安堵を見せる兄。
一体この多量のカロリーがどこに消えているのかと恐怖すら感じさせる引き締まった十四郎の身体に、年頃の娘としての矜恃があるらしく祈莉が再び疑問を投げかける。
「こんなに健康を無視した食生活なのに、土方さん…なんで全然太んないんだろ」
「そりゃオメー鍛えてっからな。むしろカロリー足りないぐれェだ、おかわり」
徐に茶碗を突き出して白米を要求する。俊敏な足取りで炊飯器に向かった一識が、至極残念そうに十四郎から受け取った空の茶碗を持ち上げた。
「あれ…悪いね十四郎君、さっき総悟君がよそった分で最後だったようだ」
「いやーすいやせんねェ土方さん。育ち盛りなモンで」
こうなることを事前に知っていたとしか思えない、悪魔のような笑み。いつ芽生えたかその一切を誰も知らない加虐 心の矛先は、彼にとっての目の上の瘤である十四郎へ向けられることが多かった。
総悟の粘着質な嫌がらせにいつもなら本気で怒りを見せる彼は、今日はどういう風の吹き回しか意にも介さず受け流してみせる。
「おーそうか、じゃあたっっっぷり栄養取らねぇとなァ」
否、いつもとは違った方向からの反撃に、総悟の器がマヨネーズに侵食されていく。
「勘弁してくだせェ、せっかくのいい米こんな犬のエサにしちまって…兄さんに失礼でしょ」
「いやソレ炊いたの俺なんだけど」
マヨネーズに塗れとても常人の食べる物では無くなった白飯を指し、それを炊いてくれた一識に対して無礼だと吠える総悟だが、実際に準備した張本人である勲に静かに訂正される。
尤も米自体は総悟の指摘通り新見家で買い置きしていたものである上、どちらにせよ食べ物を粗末にしていること自体が悪いのには変わりないのだが。
「そうかそうか、いらねーなら俺が食ってやるからよこせ」
「へい」
総悟は珍しく言われるがままに器を渡し、自らの好物を嬉しそうに掻き込む十四郎を見てまんまと彼の術中に嵌ってしまったことに気付く。
「…って、騙したな土方ァ!」
「騙しちゃいねェーよ。お前が食うならそれでよかったぞ俺は」
悪びれることなくそう告げて、あくまで総悟が自分から差し出したのだと主張して堂々と平らげてみせる。
何も言い返せぬまま怒りの行き場を失った総悟が握り拳を震わせる横で、勲と祈莉は十四郎の言にひっそりと異を唱えていた。
「なあ、総悟がアレ食う可能性なんてあると思うか…?」
「いやーないない。お兄が甘党に目覚める方がまだ現実味のある話でしょ」
「祈莉、それも絶対にあり得ないから安心しなさい」
願望にほど近い仮定の話として兄が自分と同じく甘党になる可能性を持ち出すも、即座に否定され夢打ち砕かれる祈莉。
「ちぇ。まぁ取り合いにならなくて済むし、皆それぞれ好きなものが違ってもいいよね。その上で、頭ごなしに否定するのはよくないと」
そう強がって彼女は自分専用の砂糖瓶を愛しそうに頬に擦り寄せ、甘みを独占出来る喜びを噛み締める。
何気ない日々の幸福を彩る好物。それを共有出来ないことよりも、互いの個性を尊重し合えることが重要だと、そうしみじみ思うのだった。
「いや散々人のマヨネーズ馬鹿にしといてその感想はおかしいだろォォォ!?」
郷愁に憂いを抱きながら、祈莉は自らが受け取った一枚の葉書を見せ、同じ卓袱台で鍋を囲む皆へ向けて同意を求める。
かつて彼女達が武州で過ごしていた頃、稽古の帰りに足繁く通っていた食事処が閉店した、そんな報せを受けての言葉だった。
「まー当然ちゃ当然ですがねぃ。俺らが上京した後、ロクに人来なかったらしいですし」
「つかそもそもいつ行っても他に客居なかったしな、時間の問題だったんだろ」
鍋の具材を取り合いつつ、総悟と十四郎が口々に同意の言を告げる。常日頃から諍いばかりの二人にしては珍しく意見が合ったようで、互いの発言に頷いていた。
一方で、かの店の料理をこよなく愛していた一識と勲の両名は名残惜しい気持ちが勝るらしく、落胆した様子で肩を落とす。
「それでも、店が閉まる前にもう一度食べたかったよ。あの味は江戸にはないものだったからね…」
「だなァ。皆で稽古の終わりに食ってた馴染みの味だったもんな」
「へえ、二人ともそんなにあそこの飯好きだったんすね。俺ァ味濃くてあんまりだったんで、なんか意外でさァ」
目に見えて落ち込む勲達を前に、重苦しい空気になるのを嫌った総悟がスープを啜りながら冗談混じりに笑ってみせる。
「おい総悟、そりゃ店の味じゃなくて何でもかんでも七味山盛りにしてたミツバ殿のせいだろーが」
「いや違います近藤さん、人のモンにもマヨネーズドバドバ入れてきた土方のヤローのせいです」
「って待てコラ人になすりつけんな! 俺はあの頃そこまでマヨネーズ強要した覚えはねーぞ!」
『味が濃い』という、自らの記憶とは全く異なる感想に心当たりしかなかった勲は、そんな意見を述べた少年の姉による異様な調味料の使用が原因だと詰る。
だが神格化した姉を咎められるのが我慢ならない総悟により、それはマヨネーズ教徒の仕業だったと嘯く。
それを真横で聞いていた張本人がそんな責任転嫁を許容するはずもなく、すかさず二人に割って入り轟々の口論に発展するのだった。
「…まーた始まった。屯所でもこうなの?」
「ああ、概ね変わらないな。見ている分には楽しいよ」
武州に居た頃と相違ない光景を見せる旧友に、呆れつつもどこか嬉しそうな表情で兄に問い掛ける祈莉。
妹と同じく慣れ親しんだ彼らのやり取りが心地好い一識は、彼女の問いに顔を綻ばせて頷き、確かな絆で結ばれている三人を羨望の目で見つめていた。
そんな兄妹を蚊帳の外のままにはせず、論争の最中に口内に流し込まれたマヨネーズが頬に零れ着いたままの勲が徐に祈莉へ向き直って箸を突きつける。
「それから祈莉、他人事のように眺めてるがお前も同罪だろ。忘れたとは言わせんぞ」
「え、私? 私初めて土方さんと一緒に食べたあの一回しか甘い物と混ぜたことないですよ! ねぇお兄」
「祈莉。残念だが一度でも罪は罪だ。尤も…とうの昔に償ったものだから既に時効と言えるだろうけれど」
唐突にそう振られ、困惑気味に兄に縋る祈莉。だが、甘味に脳を壊されている彼女と異なり味覚は正常そのものである一識は一旦は過去の大罪を咎め、それからいつも通りの
「…相変わらず祈莉にゃ甘ェーなお前は」
勲と総悟が自分へ向けていた矛先が変わり安心したのか、十四郎は至って平静を装い一識の祈莉への溺愛ぶりを揶揄し笑う。
しかし生粋の妹想いが祟りそうした嘲笑の一切を称賛と捉える彼の反応は至極嬉しそうなものであり、まるで酒に酔って高揚したかのような上機嫌ぶりを見せて一識は十四郎の背を叩く。
「あっはっはっ。褒めても何も出ないよ十四郎君」
「褒めてねーし痛ェーよ!」
想定より痛みの強い殴打に苛立ちを露にした十四郎が、今度は一識に牙を剥くものの、自分自身に対しては無関心にも程近い彼は全く堪える素振りを見せることなく笑う。
「おーい土方さん、あんま兄さん虐めない方がいいですぜ。祈莉ちゃんの目線がさっきから殺気立ってまさァ」
「…じー」
「落ち着け祈莉、別に俺ァ本気で虐めてるわけじゃないぞ」
兄から妹への狂気さえ感じる程のものでこそないにしろ、反抗期らしい反抗期もなく一識を慕い続ける祈莉。
そんな彼女が兄の虐げられる様を見て不満を募らせるのはある種必然であり、その視線にいち早く気付いた総悟は十四郎に耳打ちして危機を伝える。
総悟からの助言に十四郎は慌てて一識から手を離して無実をアピールするが、警戒心に満ちた祈莉の反応は芳しくなく。
「ほい土方さん」
「ん?」
見兼ねた総悟が十四郎に裏から手を回し、小さな包みをそっと渡す。後ろ手に触れて、その正体が飴玉であると気付くと同時に総悟の意図を察した彼は、すかさず祈莉にそれを差し出した。
「…ほれ祈莉、飴やっから機嫌直せ」
「やったー! 土方さんありがと!」
「って、いいのかそれで…」
あまりに早い祈莉の転身に、思わず呆れ果てる勲。彼女にとっての糖分への欲が占める割合を見誤っていたと知り、引き笑いを浮かべてその様子を見つめる。
そしてそれと同時に、ここまで味覚の狂った妹とは全く異なる正常な舌の持ち主である一識に目を向け、次に祈莉と真逆である極度の辛党な姉を持ちながらも、その辛さに満ちた食事を食べることは巧妙に回避している総悟を見やる。
「どーしたんですかィ近藤さん。俺らの口になんかついてますか」
視線を感じた少年が振り向き様に問う。実際には二人を含め誰のどこにも何もついていなかったが、勲の観察する視線は止まなかった。
「いや、ミツバ殿と祈莉と…あとまあトシもだが。尖った味覚の持ち主達に挟まれてる割にゃ、お前らの食の好みはずいぶんマトモな方だと思ってよ」
「…その件については、総悟君とは昔からずっと苦労を共にしてきたからね。ある種の結束によるものと言えるよ」
「あ、やっぱり?」
飴玉をきっかけに談笑を続ける十四郎と祈莉の味覚障害コンビには聞こえぬよう細心の注意を払い、一識がかつて甘党と辛党による波状攻撃に悩まされた地獄のような日々の思い出を語る。
それを共に味わってきた総悟は懐かしくも
「通りでトシのを見ても二人ともそんなに動じなかったわけだ」
「っても、俺もさすがに驚きはしやしたがね。マヨネーズなんて当時高かったモンを何にでも山盛り入れるとかどんなボンボンだよくたばれクソ土方って思ってましたから」
当時感じた屈辱を思い返しながら、一切の抑揚なく少年が罵倒を吐く。持ち前の地獄耳を発揮した十四郎がその罵倒にすかさず反応し釘を刺すも、息をするように嘘を吐く総悟の雑すぎる否定により去なされてしまった。
「あ? なんか言ったか総悟ォ」
「いや何も。土方さんの空耳でしょ」
いつもと同じ見え透いた嘘に呆れた彼はそれ以上の追求を諦めたらしく、そのまま何も言わず既に冷めつつある鍋の汁を器に注ぎその中にマヨネーズを溶かし始める。
十四郎にとってもうひとつの拠である煙草で総悟の悪態を忘れようにも、全域禁煙の新見家の中において喫煙することは瞬時に外に放り出されかねない程の禁則事項だった。
禁煙を強いられることによる更なるストレスを少しでも中和しようとしているかの如く、彼の持参したマヨネーズの消費は加速していく。
「ちょっと待って土方さん、マヨネーズどんだけ持ち歩いてるんですかそれ…怖っ」
それまで手に持っていたマヨネーズの容器がひとつ空になったのを祈莉が認識したと同時に、予備の容器の封が開く。
持ち運ぶには凡そ適さない巨大なボトルが一本だけでなく二本も懐から出てくる恐ろしい光景に、彼女は思わず声を上げずにはいられなかった。
「今日は多めに持ってきたからな。これの他にあと一本で最後だ」
「う…うん…?」
「安心したよ十四郎君…流石の君でもペットボトルと同じ位のそのサイズが三本は多いと感じているんだね」
二本でも多いと感じた物に更に予備があるとあっけらかんと告げられ、引き攣った笑いを浮かべることしか出来ない妹と、すっかり基準が麻痺しているらしく謎の安堵を見せる兄。
一体この多量のカロリーがどこに消えているのかと恐怖すら感じさせる引き締まった十四郎の身体に、年頃の娘としての矜恃があるらしく祈莉が再び疑問を投げかける。
「こんなに健康を無視した食生活なのに、土方さん…なんで全然太んないんだろ」
「そりゃオメー鍛えてっからな。むしろカロリー足りないぐれェだ、おかわり」
徐に茶碗を突き出して白米を要求する。俊敏な足取りで炊飯器に向かった一識が、至極残念そうに十四郎から受け取った空の茶碗を持ち上げた。
「あれ…悪いね十四郎君、さっき総悟君がよそった分で最後だったようだ」
「いやーすいやせんねェ土方さん。育ち盛りなモンで」
こうなることを事前に知っていたとしか思えない、悪魔のような笑み。いつ芽生えたかその一切を誰も知らない
総悟の粘着質な嫌がらせにいつもなら本気で怒りを見せる彼は、今日はどういう風の吹き回しか意にも介さず受け流してみせる。
「おーそうか、じゃあたっっっぷり栄養取らねぇとなァ」
否、いつもとは違った方向からの反撃に、総悟の器がマヨネーズに侵食されていく。
「勘弁してくだせェ、せっかくのいい米こんな犬のエサにしちまって…兄さんに失礼でしょ」
「いやソレ炊いたの俺なんだけど」
マヨネーズに塗れとても常人の食べる物では無くなった白飯を指し、それを炊いてくれた一識に対して無礼だと吠える総悟だが、実際に準備した張本人である勲に静かに訂正される。
尤も米自体は総悟の指摘通り新見家で買い置きしていたものである上、どちらにせよ食べ物を粗末にしていること自体が悪いのには変わりないのだが。
「そうかそうか、いらねーなら俺が食ってやるからよこせ」
「へい」
総悟は珍しく言われるがままに器を渡し、自らの好物を嬉しそうに掻き込む十四郎を見てまんまと彼の術中に嵌ってしまったことに気付く。
「…って、騙したな土方ァ!」
「騙しちゃいねェーよ。お前が食うならそれでよかったぞ俺は」
悪びれることなくそう告げて、あくまで総悟が自分から差し出したのだと主張して堂々と平らげてみせる。
何も言い返せぬまま怒りの行き場を失った総悟が握り拳を震わせる横で、勲と祈莉は十四郎の言にひっそりと異を唱えていた。
「なあ、総悟がアレ食う可能性なんてあると思うか…?」
「いやーないない。お兄が甘党に目覚める方がまだ現実味のある話でしょ」
「祈莉、それも絶対にあり得ないから安心しなさい」
願望にほど近い仮定の話として兄が自分と同じく甘党になる可能性を持ち出すも、即座に否定され夢打ち砕かれる祈莉。
「ちぇ。まぁ取り合いにならなくて済むし、皆それぞれ好きなものが違ってもいいよね。その上で、頭ごなしに否定するのはよくないと」
そう強がって彼女は自分専用の砂糖瓶を愛しそうに頬に擦り寄せ、甘みを独占出来る喜びを噛み締める。
何気ない日々の幸福を彩る好物。それを共有出来ないことよりも、互いの個性を尊重し合えることが重要だと、そうしみじみ思うのだった。
「いや散々人のマヨネーズ馬鹿にしといてその感想はおかしいだろォォォ!?」
30/36ページ