リベサガ短編
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「っかー! はあ…アリスさん、可愛いよなあ…」
アバロン城下町の酒場、打倒スービエの為に優れた船員を見繕うべくこちらを訪れていた武装商船団の男が、ビールジョッキを勢いよく呷りそう零す。
「ちょっ…陛下に聞かれてたらまずいぜおっさん。あの人は陛下の許嫁なんだから」
「んなこたぁわかってんだよ兄弟。けどああいうお淑やかなお嬢さんは、北ロンギットじゃそうお目にかかれない。ちょっとくらい憧れてもいいだろ」
聞くものが聞けば不敬罪で斬首もあり得ると慌ただしく制止を求めるのは、シティシーフの少年スラッシュ。
歯に衣着せぬ豪快な物言いの武装商船団フィッシャーとは年齢差こそあれ気の置けない友人のような関係で、皇帝直属の先鋭隊の任を降りた後もこうして共に酒を酌み交わす仲だった。
「北には居なくても、南にはいるんじゃないのか? 陛下が今重用してるあの踊り子は、確かマーメイド出身だったような…」
「あの娘っ子も愛嬌があって華やかだとは思う。だが俺からしたら、ちょいとお転婆が過ぎる」
「それはまあ、帝国のお貴族様と比べたら流石に酷ってもんだ。育ちの良さは覆せねえ」
人気者の踊り子に対し眉を顰めるフィッシャー、少年はやんわりと同意とも否定ともつかぬ誤魔化しを吐いて、対面で黙々と食事を摂る重装歩兵を一瞥する。
彼はライノ、最終皇帝ジルベールの御身を守るべく最前列に陣取っていた仕事人で、今はその役目を砂漠の戦士 に譲った歴戦の兵であった。
同じアバロン生まれでも育った経緯は天と地の差、スラッシュは彼らのような帝国兵は皆貴族の出なのかと思い込んで問うと、寡黙な紳士からは意外な答えが返ってきた。
「…育ちと言やあ、ライノの旦那。あんたらのような帝国直属の兵士さん達も皆、いいとこのボンボンだろ?」
「人による。私の一族はジェラール様の…いや、レオン様の代から帝国に仕える由緒ある家系だが、エドワードのように世継ぎが安定せず断絶の危機を繰り返し、没落寸前となった一家もあると聞く」
ライノが己とは異なる例として挙げたのは帝国猟兵。元より女子共々弓を獲物とし狩猟技術に長けた者が就く役職だった。
が、ステップの遊牧民やサバンナ出身のハンター等、優れた射手が各国から集った現代では、軍における地位の低下が著しいらしく。
「そうかい、聞かせてくれてありがとよ。アバロンの貴族ってのも案外大変なんだな」
「こちらこそ、酒が不味くなる話をして悪かった」
「良いって良いって。こういう無礼講の場でもなきゃ話せないネタだしよ…」
言いながら酒を追加すべくカウンターに向け体を捻る最中、隣に座っていた男が意味深に笑むのが見えた。
一瞬だけ違和感を覚えたものの、気にするほどでもないとスラッシュが手を上げようとしたその瞬間、彼は――否、彼らは血の気が引く声を耳にする。
「ああ。君達が私の許嫁をどういった目で見ているか、よく理解したよ」
「へっ、陛下ァ!? なんだってあんたが、こんな市井の酒場に…」
声の主、それはまさかの皇帝本人で。臣下達のよく知る正装ではなかったから、というだけでは決してない徹底した隠密ぶりに、商船団の男もまた彼が居ないことを口実に好き放題語っていた罪からどう逃れるか身を震わせる。
「私にも、たまには街の安酒が恋しくなる時くらいある。君達が気にすることはない」
「ですが陛下、彼らの不躾な発言は看過してはならないものかと」
「待ってくれライノの旦那、オレはアリスさんのことは何も…!」
重装歩兵は聞かれたことに答えただけと即座に仲間を裏切って、さも自分は関係ないかの如く諫言を吐く。
突然の人身御供に慌てふためくシティシーフだったが、すぐにジルベールが彼の肩に手を載せ、そして。
「安心してくれスラッシュ。今日は無礼講、なのだろう?」
「うっ、そ…そう、すね」
皇帝陛下直々の含みのある笑みは、有無を言わさぬ圧力を感じるなという方が無理な話で。
苦し紛れに同意を呟いて、救いを求めるように周囲を見渡すと、やはりと言うべきか皇帝の陰には許嫁の姿が隠れていた。
「もう、ジルったら…プライベートに上下関係を持ち込むのは厳禁ですよ。皆さま困ってらっしゃいます」
遠巻きに見ても明らかに平時よりも赤らんだ頬は、一般市民の酒が舌に馴染んでいないせいか、それとも。
すっかり出来上がっている様子のアリスは、許婚の腕にしがみついた状態で首を伸ばし、困惑する一同に非を詫びてきた。
「…おや。まだその呼び名で呼んでいたのですか、アリス嬢」
「え? あ…やだ、お恥ずかしいところを…すみません」
「いいんです。何たって今日は、無礼講ですから」
数少ない二人の幼少を知る身、大昔に聞いたきりの懐かしい愛称に、思わず感嘆を零すライノ。
アリスは指摘に対し始めこそ首を傾げていたものの、次第に自らの失言に気付き羞恥を露わにする。
それでもどこか砕けた口調の彼女へ拳をグッと握り、フィッシャーが我欲に満ちた宥免を吐いては鼻の下を長くしていた。
「うふふ、ありがとうございます。提督さまは…お優しいのですね」
ほんのりと色付いた微笑みに堪えかね、武装商船団の男は友の計らいによって再び満ちていたジョッキを飲み干す。
淑女のあまりの可愛らしさに眼帯の奥からも涙が滲み出した彼は、それを乱暴に拭っては興奮を叫ぶ。
「っかぁー! 全く陛下が羨ましいぜ、帰ったらこんな素敵な許嫁が待ってるなんてよぉ」
「うん? 彼女の住居は城下町にある。皇帝の座に就いて以後、私も易々とは会えなくなった」
あっけらかんと別居生活にあることを語るジルベール、その瞳には既に悲愴は全く見えず。
それが最後の皇帝としての覚悟の現れであると共に、しかし国の長ともなろう者でさえ親しい間柄の人間を傍に置くことが許されぬ帝国軍上層部の厳格さに、スラッシュの表情は曇る一方となる。
「そっか、まだ正式に結婚してる訳じゃないから…って、だったら尚更、どうしてそんな貴重な一日をこんな場所で?」
「王宮に近しい者であっても、市民の集う店を全く利用しない訳ではない。先にも言った通り、我々にも懐かしの味というものがあるのさ」
「そうなんです! ねぇ、ジル…先程から食が進んでいませんよ?」
許婚の力説に身を乗り出し、アリスがスプーンを彼の口元に寄せる。どうやら酔った勢いのまま、人目があることも構わず給餌をさせろとせがんでくる様に、ジルベールは仲間達を一瞥する。
だが普段は凛とした教職員の意外な一面に舞い上がっている武装商船団の男は、嬉々としてその光景を眺め続けるのみで何も言わず、許婚の仲睦まじさを見せろと暗に訴えているかのようで。
頼みの綱となるのはこの二人とは昔馴染みのライノ、けれども彼もまた皇帝とその許嫁というバレンヌ帝国いちのカップルによる乳繰り合いを咎める気は皆無らしく、酒のつまみを片手に微笑し沈黙を保っていた。
「…はぁ、仕方あるまい」
意を決し許嫁の希求に応えるべく口を開き、スプーンを咥える。渋々ではあれど確かに愛の籠ったやり取りに、シティシーフの少年は自分のことでないにも拘わらず頬を赤らめる。
「うぉ、マジでやるんだ…心臓ドキドキしちまったよ」
驚愕の眼差しを受け、ジルベールの顔もじわじわと熱を帯びていき、衆目の前で睦み合いを見せざるを得ない羞恥に眉を下げる。
その傍らでアリスは自らの行いが波乱を生じさせていることなど露知らずの晴れやかな面持ちで、自身も当然の如く同じスプーンを用いて食事を咀嚼し頷く。
「信憑性は薄いだろうが…彼女も常にこうではない、とだけは言っておこう」
「ご安心を陛下、教壇に立つアリス嬢の凛とした佇まいは彼らも知るところ。多少酒に弱くとも、それすら愛嬌と看做されるのは…こやつを見れば自明というもの」
無骨な騎士が身悶えする男を指し、それこそが何よりの証拠と言わんばかりに半目を向ける。
ジルベールは、伝わらないのを承知の上で許嫁を諌めるも、小動物のようなきょとんとした表情が返ってくるのみであった。
「アリス。フィッシャーのような純朴な者を揶揄うのも程々に」
「…?」
貴族として叩き込まれているであろう所作は何処へやら、両手で杯を支え、ごくごくと喉を鳴らして酒精を味わうアリス。
幼児退行しているかの如し緩慢な一挙手一投足は、この場を共にする者への信頼の証だろうか。
警戒の必要が皆無であることには間違いないものの、許嫁のこれまで見たこともない安心しきった様相にはどこか釈然としない感情が芽生え、皇帝の眉間は幾重にも皺が寄っていく。
「陛下、アリスさんをあまり責めないでやってくだせぇ。彼女がこんだけリラックスしてるのは、何よりあんたが横に居てくれているお陰なんですから」
渋い顔を見せる国長の憤懣を宥めるべく、憂いの遠因ともなったフィッシャーが言葉を尽くす。
しかし皇帝は尚も変わらず半信半疑で、ことの真偽を裏付けるには別の人間による証言が必要だと重装歩兵の名を呼ぶ。
「ライノ」
「私に聞くまでもないでしょう。もしや陛下、ご自分ではお気付きになられていないのですか」
呆れたような音吐には、予てよりジルベールという男の愚直さをよく知る身としての感慨も含まれていて。
若かりし頃より信を置く者からの言には流石の皇帝も異を唱えることは出来ず、ゆっくりと目を閉じ陳謝の意思を露わにした。
「…そうか。疑ってすまない」
微かな消沈、面倒見の良い男フィッシャーはそこに宿る寂寥を見逃さず、少年の奥に座す皇帝を慰める。
けれども彼の表情は晴れぬままで、あのアリスが人目も憚らず睦み合おうとするなど信じ難いと首を捻り続けていた。
「まぁでも…陛下と二人の時と今とで、また違う一面を見せてるってのは、ある程度意図的なものだと思いますぜ。いつものアリスさんにゃ、陛下の妻となる女性としての矜恃ってモンがあるんだろうさ」
「だとすれば何故、今日に限ってこれほどまでに気が緩みきっているのか…」
訝しむ一同、シティシーフの少年が有り得ないと思いつつも可能性のひとつを呟くと、本人からはまさかの首肯が返ってきた。
「陛下に甘えたいから…とか?」
「…はい。スラッシュさまには、花丸を差し上げますね」
はにかんだ笑顔と共に、アリスは器用にも人差し指で空中に花丸を描いてみせる。
酔っていてもその軌道は寸分違わずの正確さを誇り、少年は気恥ずかしさと喜悦の両方が入り混じった苦笑を浮かべるしかなかった。
「アリス、これ以上彼らを困らせてはならない。帰るとしよう」
我を忘れた上機嫌ぶりに、潮時だと悟ったジルベールは深い溜息を吐き立ち上がって、彼女を家に送り届ける意を示す。
「でも、まだデザートが…」
「どうしてもと言うのなら私が作る」
「本当ですか?」
幼子のように駄々を捏ねるアリスだったが、より魅力的な甘味の提示に手のひら返しで起立する。
しかし彼が本当に菓子を手ずから作ってくれるとは信じられず、拗ねた様子で再び座しては拒絶を露わにするが如く腕を組む。
「っ…いえ、ジル…わたくしは騙されません。そうやって優しく申し出た後…何度約束を違えたか、あなたは覚えていますか?」
目に浮かぶ涙は、酒精によって泣き上戸になっているからなのか、もしくは日頃の鬱憤がついに爆発した次第なのか。
談笑を交わした仲間達以外にも傍観者が居るのも構わず、ジルベールは握り拳を震わせ、叫ばれた悲痛への弁明を零す。
「勿論、覚えているとも…忘れる筈がない。どの件についても、悪かったと思っている」
一変して重苦しくなった空気に、これでは酒も不味くなるのではと気が気でない少年が耳打ちするも、ライノは一向に動こうとはしなかった。
「…なあ旦那、止めなくていいのか?」
「さして問題はないだろう。私自身も、もう少しアリス嬢の方から陛下へ我儘を伝えるべきだと思っていたところだ」
「まあ…我慢しっぱなしってのは、身体にも良くねえからな。騒ぎになるようだったら俺達で止めればいいか…」
フィッシャーも周囲の様子を窺いつつ同意して、シティシーフが何気なく放ったであろう"無礼講"という言葉がここまで重要な意味を持つとは思わず肩を竦める。
その一方で、二人の痴話喧嘩は既に佳境に入ったらしく、アリスは肘を立てて立腹を表現していた。
「でしたら、今夜こそは約束を守って頂きます。臣下の皆さまにも、皇帝として二言はないと証明してくださいませ」
「ああ」
対するジルベールの答えは、この上なくシンプルなもので。飾り立てた言葉は一切用いることなく、ただ了承だけを告げて、真っ直ぐに許嫁の瞳を見つめる。
「アリスさん、もういいだろ。陛下は"やる"と言ったらちゃんとやり遂げる男だって、あんたが一番よく知ってるはずだ」
「! …そう、ですね。取り乱してしまい申し訳ありませ…」
スラッシュに宥められたことで我に返った彼女が非を詫びようとしたその刹那、皇帝は許嫁の華奢な身体を抱き締める。
それから有無を言わせず抱え上げ横抱きにして、周囲へと見せつけるかの如く頬に口付けを落とす。
「へ、陛下…!?」
「ジル、とはもう呼んでくれないのか?」
「あ…あれは、酔っていたからで…!」
「なら、家に帰ってからもう一本美酒を開けよう。君と呑む為にとヤウダから取り寄せたものだ」
あまりに衝撃的な出来事、酔いも醒めきったアリスは動揺し腕の中で下ろせと暴れるも、彼は想像を上回る巧みな話術で許嫁に甘えてみせる。
「こういうのを、雨降って地固まる…って言うんだったかね」
「合ってるような、微妙に違うような…まあいっか」
愛し合うが故のすれ違い――二人の微笑ましいやり取りを眺め、感慨深げに呟くは武装商船団の提督。
スラッシュは大学で学んだ記憶を朧気に思い出し、彼の言葉を訂正しようとするも、適切な言い回しが見つけられず正解を空に放り投げる。
教師としてそれを正せる存在であるべきアリスはどうやら彼らの会話は耳に入っていなかったらしく、特に注釈もないまま皇帝の腕の中から別れを告げるのみであった。
「すみません皆さま、わたくしも大変名残惜しくはあるのですが…一足先にお暇 させて頂きますね」
「いえ、我々のことはお気になさらず。ただ…陛下がどんな甘味を作り上げたかだけ、明日にでもご報告願います」
「…? ええ、わかりました」
無口な男ライノは宥免を口にして彼女に非はないと念押しして、もののついでにジルベールの思い付きが実を結んだかどうかを伝えてくれと願う。
淑女は疑問を抱きこそすれ重装歩兵の企みには気付くことなく頷き、皇帝と共に去って行った。
「では、私達はこれで失礼するよ。騒がせたお詫びに、皆も今夜は出費を気にせず飲み明かすと良い」
「あざす! ご馳走様です!」
皇帝としての職権を存分に乱用した盛大な恩赦に、中心となって談話に臨んでいた面々以外の皆も含め一斉に立ち上がって平伏し、全員で二人が店を出るのを見守る。
そして酒場の扉が閉じられた後、ライノが意味深にチップを持ち出し、武装商船団の男とシティシーフの少年の顔を見比べて笑みを浮かべた。
「さて、余興の種は蒔いた。陛下がアリス嬢の願いを無事に叶えられるかどうか…賭けをしようではないか」
アバロン城下町の酒場、打倒スービエの為に優れた船員を見繕うべくこちらを訪れていた武装商船団の男が、ビールジョッキを勢いよく呷りそう零す。
「ちょっ…陛下に聞かれてたらまずいぜおっさん。あの人は陛下の許嫁なんだから」
「んなこたぁわかってんだよ兄弟。けどああいうお淑やかなお嬢さんは、北ロンギットじゃそうお目にかかれない。ちょっとくらい憧れてもいいだろ」
聞くものが聞けば不敬罪で斬首もあり得ると慌ただしく制止を求めるのは、シティシーフの少年スラッシュ。
歯に衣着せぬ豪快な物言いの武装商船団フィッシャーとは年齢差こそあれ気の置けない友人のような関係で、皇帝直属の先鋭隊の任を降りた後もこうして共に酒を酌み交わす仲だった。
「北には居なくても、南にはいるんじゃないのか? 陛下が今重用してるあの踊り子は、確かマーメイド出身だったような…」
「あの娘っ子も愛嬌があって華やかだとは思う。だが俺からしたら、ちょいとお転婆が過ぎる」
「それはまあ、帝国のお貴族様と比べたら流石に酷ってもんだ。育ちの良さは覆せねえ」
人気者の踊り子に対し眉を顰めるフィッシャー、少年はやんわりと同意とも否定ともつかぬ誤魔化しを吐いて、対面で黙々と食事を摂る重装歩兵を一瞥する。
彼はライノ、最終皇帝ジルベールの御身を守るべく最前列に陣取っていた仕事人で、今はその役目を
同じアバロン生まれでも育った経緯は天と地の差、スラッシュは彼らのような帝国兵は皆貴族の出なのかと思い込んで問うと、寡黙な紳士からは意外な答えが返ってきた。
「…育ちと言やあ、ライノの旦那。あんたらのような帝国直属の兵士さん達も皆、いいとこのボンボンだろ?」
「人による。私の一族はジェラール様の…いや、レオン様の代から帝国に仕える由緒ある家系だが、エドワードのように世継ぎが安定せず断絶の危機を繰り返し、没落寸前となった一家もあると聞く」
ライノが己とは異なる例として挙げたのは帝国猟兵。元より女子共々弓を獲物とし狩猟技術に長けた者が就く役職だった。
が、ステップの遊牧民やサバンナ出身のハンター等、優れた射手が各国から集った現代では、軍における地位の低下が著しいらしく。
「そうかい、聞かせてくれてありがとよ。アバロンの貴族ってのも案外大変なんだな」
「こちらこそ、酒が不味くなる話をして悪かった」
「良いって良いって。こういう無礼講の場でもなきゃ話せないネタだしよ…」
言いながら酒を追加すべくカウンターに向け体を捻る最中、隣に座っていた男が意味深に笑むのが見えた。
一瞬だけ違和感を覚えたものの、気にするほどでもないとスラッシュが手を上げようとしたその瞬間、彼は――否、彼らは血の気が引く声を耳にする。
「ああ。君達が私の許嫁をどういった目で見ているか、よく理解したよ」
「へっ、陛下ァ!? なんだってあんたが、こんな市井の酒場に…」
声の主、それはまさかの皇帝本人で。臣下達のよく知る正装ではなかったから、というだけでは決してない徹底した隠密ぶりに、商船団の男もまた彼が居ないことを口実に好き放題語っていた罪からどう逃れるか身を震わせる。
「私にも、たまには街の安酒が恋しくなる時くらいある。君達が気にすることはない」
「ですが陛下、彼らの不躾な発言は看過してはならないものかと」
「待ってくれライノの旦那、オレはアリスさんのことは何も…!」
重装歩兵は聞かれたことに答えただけと即座に仲間を裏切って、さも自分は関係ないかの如く諫言を吐く。
突然の人身御供に慌てふためくシティシーフだったが、すぐにジルベールが彼の肩に手を載せ、そして。
「安心してくれスラッシュ。今日は無礼講、なのだろう?」
「うっ、そ…そう、すね」
皇帝陛下直々の含みのある笑みは、有無を言わさぬ圧力を感じるなという方が無理な話で。
苦し紛れに同意を呟いて、救いを求めるように周囲を見渡すと、やはりと言うべきか皇帝の陰には許嫁の姿が隠れていた。
「もう、ジルったら…プライベートに上下関係を持ち込むのは厳禁ですよ。皆さま困ってらっしゃいます」
遠巻きに見ても明らかに平時よりも赤らんだ頬は、一般市民の酒が舌に馴染んでいないせいか、それとも。
すっかり出来上がっている様子のアリスは、許婚の腕にしがみついた状態で首を伸ばし、困惑する一同に非を詫びてきた。
「…おや。まだその呼び名で呼んでいたのですか、アリス嬢」
「え? あ…やだ、お恥ずかしいところを…すみません」
「いいんです。何たって今日は、無礼講ですから」
数少ない二人の幼少を知る身、大昔に聞いたきりの懐かしい愛称に、思わず感嘆を零すライノ。
アリスは指摘に対し始めこそ首を傾げていたものの、次第に自らの失言に気付き羞恥を露わにする。
それでもどこか砕けた口調の彼女へ拳をグッと握り、フィッシャーが我欲に満ちた宥免を吐いては鼻の下を長くしていた。
「うふふ、ありがとうございます。提督さまは…お優しいのですね」
ほんのりと色付いた微笑みに堪えかね、武装商船団の男は友の計らいによって再び満ちていたジョッキを飲み干す。
淑女のあまりの可愛らしさに眼帯の奥からも涙が滲み出した彼は、それを乱暴に拭っては興奮を叫ぶ。
「っかぁー! 全く陛下が羨ましいぜ、帰ったらこんな素敵な許嫁が待ってるなんてよぉ」
「うん? 彼女の住居は城下町にある。皇帝の座に就いて以後、私も易々とは会えなくなった」
あっけらかんと別居生活にあることを語るジルベール、その瞳には既に悲愴は全く見えず。
それが最後の皇帝としての覚悟の現れであると共に、しかし国の長ともなろう者でさえ親しい間柄の人間を傍に置くことが許されぬ帝国軍上層部の厳格さに、スラッシュの表情は曇る一方となる。
「そっか、まだ正式に結婚してる訳じゃないから…って、だったら尚更、どうしてそんな貴重な一日をこんな場所で?」
「王宮に近しい者であっても、市民の集う店を全く利用しない訳ではない。先にも言った通り、我々にも懐かしの味というものがあるのさ」
「そうなんです! ねぇ、ジル…先程から食が進んでいませんよ?」
許婚の力説に身を乗り出し、アリスがスプーンを彼の口元に寄せる。どうやら酔った勢いのまま、人目があることも構わず給餌をさせろとせがんでくる様に、ジルベールは仲間達を一瞥する。
だが普段は凛とした教職員の意外な一面に舞い上がっている武装商船団の男は、嬉々としてその光景を眺め続けるのみで何も言わず、許婚の仲睦まじさを見せろと暗に訴えているかのようで。
頼みの綱となるのはこの二人とは昔馴染みのライノ、けれども彼もまた皇帝とその許嫁というバレンヌ帝国いちのカップルによる乳繰り合いを咎める気は皆無らしく、酒のつまみを片手に微笑し沈黙を保っていた。
「…はぁ、仕方あるまい」
意を決し許嫁の希求に応えるべく口を開き、スプーンを咥える。渋々ではあれど確かに愛の籠ったやり取りに、シティシーフの少年は自分のことでないにも拘わらず頬を赤らめる。
「うぉ、マジでやるんだ…心臓ドキドキしちまったよ」
驚愕の眼差しを受け、ジルベールの顔もじわじわと熱を帯びていき、衆目の前で睦み合いを見せざるを得ない羞恥に眉を下げる。
その傍らでアリスは自らの行いが波乱を生じさせていることなど露知らずの晴れやかな面持ちで、自身も当然の如く同じスプーンを用いて食事を咀嚼し頷く。
「信憑性は薄いだろうが…彼女も常にこうではない、とだけは言っておこう」
「ご安心を陛下、教壇に立つアリス嬢の凛とした佇まいは彼らも知るところ。多少酒に弱くとも、それすら愛嬌と看做されるのは…こやつを見れば自明というもの」
無骨な騎士が身悶えする男を指し、それこそが何よりの証拠と言わんばかりに半目を向ける。
ジルベールは、伝わらないのを承知の上で許嫁を諌めるも、小動物のようなきょとんとした表情が返ってくるのみであった。
「アリス。フィッシャーのような純朴な者を揶揄うのも程々に」
「…?」
貴族として叩き込まれているであろう所作は何処へやら、両手で杯を支え、ごくごくと喉を鳴らして酒精を味わうアリス。
幼児退行しているかの如し緩慢な一挙手一投足は、この場を共にする者への信頼の証だろうか。
警戒の必要が皆無であることには間違いないものの、許嫁のこれまで見たこともない安心しきった様相にはどこか釈然としない感情が芽生え、皇帝の眉間は幾重にも皺が寄っていく。
「陛下、アリスさんをあまり責めないでやってくだせぇ。彼女がこんだけリラックスしてるのは、何よりあんたが横に居てくれているお陰なんですから」
渋い顔を見せる国長の憤懣を宥めるべく、憂いの遠因ともなったフィッシャーが言葉を尽くす。
しかし皇帝は尚も変わらず半信半疑で、ことの真偽を裏付けるには別の人間による証言が必要だと重装歩兵の名を呼ぶ。
「ライノ」
「私に聞くまでもないでしょう。もしや陛下、ご自分ではお気付きになられていないのですか」
呆れたような音吐には、予てよりジルベールという男の愚直さをよく知る身としての感慨も含まれていて。
若かりし頃より信を置く者からの言には流石の皇帝も異を唱えることは出来ず、ゆっくりと目を閉じ陳謝の意思を露わにした。
「…そうか。疑ってすまない」
微かな消沈、面倒見の良い男フィッシャーはそこに宿る寂寥を見逃さず、少年の奥に座す皇帝を慰める。
けれども彼の表情は晴れぬままで、あのアリスが人目も憚らず睦み合おうとするなど信じ難いと首を捻り続けていた。
「まぁでも…陛下と二人の時と今とで、また違う一面を見せてるってのは、ある程度意図的なものだと思いますぜ。いつものアリスさんにゃ、陛下の妻となる女性としての矜恃ってモンがあるんだろうさ」
「だとすれば何故、今日に限ってこれほどまでに気が緩みきっているのか…」
訝しむ一同、シティシーフの少年が有り得ないと思いつつも可能性のひとつを呟くと、本人からはまさかの首肯が返ってきた。
「陛下に甘えたいから…とか?」
「…はい。スラッシュさまには、花丸を差し上げますね」
はにかんだ笑顔と共に、アリスは器用にも人差し指で空中に花丸を描いてみせる。
酔っていてもその軌道は寸分違わずの正確さを誇り、少年は気恥ずかしさと喜悦の両方が入り混じった苦笑を浮かべるしかなかった。
「アリス、これ以上彼らを困らせてはならない。帰るとしよう」
我を忘れた上機嫌ぶりに、潮時だと悟ったジルベールは深い溜息を吐き立ち上がって、彼女を家に送り届ける意を示す。
「でも、まだデザートが…」
「どうしてもと言うのなら私が作る」
「本当ですか?」
幼子のように駄々を捏ねるアリスだったが、より魅力的な甘味の提示に手のひら返しで起立する。
しかし彼が本当に菓子を手ずから作ってくれるとは信じられず、拗ねた様子で再び座しては拒絶を露わにするが如く腕を組む。
「っ…いえ、ジル…わたくしは騙されません。そうやって優しく申し出た後…何度約束を違えたか、あなたは覚えていますか?」
目に浮かぶ涙は、酒精によって泣き上戸になっているからなのか、もしくは日頃の鬱憤がついに爆発した次第なのか。
談笑を交わした仲間達以外にも傍観者が居るのも構わず、ジルベールは握り拳を震わせ、叫ばれた悲痛への弁明を零す。
「勿論、覚えているとも…忘れる筈がない。どの件についても、悪かったと思っている」
一変して重苦しくなった空気に、これでは酒も不味くなるのではと気が気でない少年が耳打ちするも、ライノは一向に動こうとはしなかった。
「…なあ旦那、止めなくていいのか?」
「さして問題はないだろう。私自身も、もう少しアリス嬢の方から陛下へ我儘を伝えるべきだと思っていたところだ」
「まあ…我慢しっぱなしってのは、身体にも良くねえからな。騒ぎになるようだったら俺達で止めればいいか…」
フィッシャーも周囲の様子を窺いつつ同意して、シティシーフが何気なく放ったであろう"無礼講"という言葉がここまで重要な意味を持つとは思わず肩を竦める。
その一方で、二人の痴話喧嘩は既に佳境に入ったらしく、アリスは肘を立てて立腹を表現していた。
「でしたら、今夜こそは約束を守って頂きます。臣下の皆さまにも、皇帝として二言はないと証明してくださいませ」
「ああ」
対するジルベールの答えは、この上なくシンプルなもので。飾り立てた言葉は一切用いることなく、ただ了承だけを告げて、真っ直ぐに許嫁の瞳を見つめる。
「アリスさん、もういいだろ。陛下は"やる"と言ったらちゃんとやり遂げる男だって、あんたが一番よく知ってるはずだ」
「! …そう、ですね。取り乱してしまい申し訳ありませ…」
スラッシュに宥められたことで我に返った彼女が非を詫びようとしたその刹那、皇帝は許嫁の華奢な身体を抱き締める。
それから有無を言わせず抱え上げ横抱きにして、周囲へと見せつけるかの如く頬に口付けを落とす。
「へ、陛下…!?」
「ジル、とはもう呼んでくれないのか?」
「あ…あれは、酔っていたからで…!」
「なら、家に帰ってからもう一本美酒を開けよう。君と呑む為にとヤウダから取り寄せたものだ」
あまりに衝撃的な出来事、酔いも醒めきったアリスは動揺し腕の中で下ろせと暴れるも、彼は想像を上回る巧みな話術で許嫁に甘えてみせる。
「こういうのを、雨降って地固まる…って言うんだったかね」
「合ってるような、微妙に違うような…まあいっか」
愛し合うが故のすれ違い――二人の微笑ましいやり取りを眺め、感慨深げに呟くは武装商船団の提督。
スラッシュは大学で学んだ記憶を朧気に思い出し、彼の言葉を訂正しようとするも、適切な言い回しが見つけられず正解を空に放り投げる。
教師としてそれを正せる存在であるべきアリスはどうやら彼らの会話は耳に入っていなかったらしく、特に注釈もないまま皇帝の腕の中から別れを告げるのみであった。
「すみません皆さま、わたくしも大変名残惜しくはあるのですが…一足先にお
「いえ、我々のことはお気になさらず。ただ…陛下がどんな甘味を作り上げたかだけ、明日にでもご報告願います」
「…? ええ、わかりました」
無口な男ライノは宥免を口にして彼女に非はないと念押しして、もののついでにジルベールの思い付きが実を結んだかどうかを伝えてくれと願う。
淑女は疑問を抱きこそすれ重装歩兵の企みには気付くことなく頷き、皇帝と共に去って行った。
「では、私達はこれで失礼するよ。騒がせたお詫びに、皆も今夜は出費を気にせず飲み明かすと良い」
「あざす! ご馳走様です!」
皇帝としての職権を存分に乱用した盛大な恩赦に、中心となって談話に臨んでいた面々以外の皆も含め一斉に立ち上がって平伏し、全員で二人が店を出るのを見守る。
そして酒場の扉が閉じられた後、ライノが意味深にチップを持ち出し、武装商船団の男とシティシーフの少年の顔を見比べて笑みを浮かべた。
「さて、余興の種は蒔いた。陛下がアリス嬢の願いを無事に叶えられるかどうか…賭けをしようではないか」