藍の隘路に哀と愛
夢小説設定
アルハイゼンが意中の少女とオルモス港で開かれた本市場へ赴いてから、およそ一週間が経った夜。
今回は事前に予定を合わせることなく偶発的に集った仲間達は、二人の恋模様の行方を知りたいと焦れた様子で席に着いていた。
「それでアルハイゼン、この間のサージュとデートするって話、どうなった?」
各々が最初に注文したメニューが揃った頃。そろそろ構わないだろうと口火を切ったのはティナリ。
この四人が集まった以上、どう足掻いてもその顛末について根掘り葉掘り聞かれる未来は避けられないと覚悟していた男は、さて何から話したものかと一考に目を伏せる。
ここ数日で変化した自分と彼女との関係について。一口では語りつくせない多くの起伏があり、ならばいっそ話の順序を委ねるのも手かと勿体ぶることにした。
「…その件に関しては、良い知らせと悪い知らせがある。どちらから聞きたいかは君達に任せる」
「俺はこういった場合いつも、吉報から聞くことにしている。そうすることで、悲報への覚悟を決める準備が出来るからな。さあ、話すんだ」
三人は男の歯切れの悪さに一瞬だけ顔を見合わせたが、すぐにセノが代表して"良い知らせ"の方を先に聞かせろと迫る。
その反応を受けたアルハイゼンは嬉しそうに杯を呷り、かの逢瀬での喜悦を順序立てて饒舌に語り始めた。
「市場での買い物自体は、互いにかなりの収穫があった。二人分の本を持ち帰るのに、手押し車を借用する必要があったくらいにはな」
結局のところ、小休憩した際に懸念していた荷の重さは現実となり、最終的に彼らはそれぞれが持参した鞄や買い物袋では運び切れない程の本を買い漁っていた。
だが幸いなことに市場ではそういった予定外の大量購入にも対応しており、翌日以降に返しさえすれば面倒な契約や法外な手数料も必要なく台車を借り受けることが出来た。
話し合いの結果その返却はサージュに任せ、二人は無事に収穫品を家に持って帰ることに成功したのだった。
「それと…次は俺から誘う、という約束を取り付けた。以上、ここまでが吉報だ」
「成程、あの本の山はそういうことだったのか…なんだよ、受け身の君にしてはなかなか上々な成果じゃないか」
突如として増えた甚大な量の本、その由縁に得心した同居人が"どこに悲しむ要素があるんだ"と言わんばかりの感嘆を零す。
しかしアルハイゼンの報告すべき話は当然そこで終わりではない。朗報の次は凶報、どんな苦難が続くのか、少年達が揃って首を振り、祝杯を掲げようとする青年を制止する。
「カーヴェ、まだ話は終わりじゃない」
「そうだね。二回目のデートを約束したってだけで、実質的な進展はないみたいだし、それに…」
好奇心と不安が半々、二人は固唾を呑んでアルハイゼンの言葉を待つものの、すぐに結論は出て来ず。
不機嫌さを全面に出した深い嘆息、それから齎されたのは、傍聴の身には想像も着かない波乱の幕開けだった。
「残念だがティナリ、進展がなかったどころか…寧ろ状況は悪化したと言っていい」
「は? なんでさ?」
「オルモス港に行ってから二日後、サージュが妙に余所余所しくなった」
「…あぁ、なんとなく察した」
まだ酒宴としては序の口である筈が、少年は語気を強め予想だにしない後退に尻尾の毛を逆立てて憤る。
それに対し男の隣で呻きを絞り出すのはカーヴェ、突然の忌避に対して思い当たる節があると家主へグラスを突き付けた。
「君、教令院の人間にあの子と買い物を楽しんでいるところを見られてたんじゃないか? それか、がっつき過ぎているのがバレて引かれたか…」
「後者はない。断じて有り得ない」
冗談を挟みつつ、最も可能性の高い推測として、二人の逢瀬を誰かに目撃され、その睦まじさを揶揄されたからだと告ぐ青年。
今までは名実共に友人としての距離感を保っていた彼らが、此度のオルモス港での件を経てサージュの中での自己認識が変容し始めていたところに、他人からの指摘。
結果、彼女はアルハイゼンを良くも悪くも一人の異性として意識するようになったのではないか。
その理路整然とした推論を聞いたセノは、己が覚悟していたよりも事態が深刻ではないことに安堵して、軽い様子見がてらの駄洒落を口にした。
「成程な。確かに最初の推測が正しければ、サージュが"酒"の席にも顔を出さずお前を"避け"るのも無理はない。"左傾 "しながら"叫"んでもいいぞ」
「…浮き足立っていたつもりはなかったが、あの人混みでそうした好奇の視線を遮りながら行動するのは不可能に近かったからな。迂闊だった」
どちらかと言えば凶報ではなく好転した結果にも見えるこの現状、しかしまともな接触すら不可能ともあれば、いくら普段は泰然自若の男でも流石に堪えるようで。
駄洒落には気付きすらせずスルーする様に、横で聞いていたティナリとカーヴェが愕然とした様子で視線を交える。
「ま、しょうがないと言えばしょうがないけど…僕としては正直、彼女が誰かに何か言われたくらいでアルハイゼンを避けるようになるかなあ…って気持ちもあるんだよね」
奇しくも親友とは真逆となる懐疑の念、その発端となるは二人の信頼関係が確かなことを最もよく知る者としての違和感から。
サージュにとってかの書記官は単なる友人ではなく、自身の学者としての核を形成する一助となった存在でもある。
つまり、生半可なことでは顔を合わせるのを拒むようになる間柄ではない筈なのだ、と少年は思っていた。
異なる視点からの持論にセノは目から鱗が落ちたかの如き感覚に陥り、自戒を胸に反証の為の熟考を始める。
「…」
沈黙した金狼を横目に、ティナリと同じく家主の焦慮を悟っていた居候が気まずさを隠し切れず眉を下げる。
彼自身はどちらの意見にも賛同出来る部分があったが、その感受性の豊かさが仇となり、気の利いたことのひとつも言えず。
「アルハイゼン。余所余所しいっていうのはどの程度だ? 普通の会話は出来るのか、それとも顔を見るなり逃げるレベルなのか…」
結論を出すには情報が不足していると考え、カーヴェは少女の反応が本当に照れ隠しであるのかを確かめる。
万が一その薄らとした希望的観測が誤りであった場合、話は根本から変わって来るのではないかと兢々と問うと、どうやらあまり動勢は芳しくないらしく。
苦みばしった面持ちからなる舌打ちと共に告げられた残酷な現実に、彼は自分のことのように胸が痛む。
「必要最低限の会話は辛うじて成立する。が、視線は合わない上に眉間には皺を寄せてばかりだ」
「そんなに深刻だったとは…この前シティの外れで少し話した時には、悩んでいる素振りなんて全く見せていなかったのに」
可憐な笑顔がトレードマークのひとつでもあるサージュが、こと直近のアルハイゼンとの対面に於いては眉を顰めてばかりと言う。
俄かには信じ難い凶報に、少年達もまた居ても立ってもいられず、食事の手を止め真剣な表情を浮かべた。
「僕、それとなく聞いてみ…」
「アルハイゼン、俺の方からサージュにこの件について尋問してもいいか」
遠慮がちな親友の提案を図らずも遮り、セノが徐に立ち上がって力強い眼差しを向ける。
どんな相手であれ個人の主体性を尊重し、他者の行動を差し止める権利などないと信じ込んでいた男は彼がそう申し出る意味が理解出来ず、怪訝な顔で見上げてみせた。
「何故それを俺に?」
「ただ確認するのではなく、お前には隠れてそれを見ていてもらいたい。そうすれば、いざという時にすぐに出て来られる」
「…言うに事欠いて、まさか盗み聞きしろとは。大マハマトラ殿は随分と冗談が達者なようだ」
本気故の驚愕的発想が忌諱に触れ、アルハイゼンは目線を合わせる――否、ジャッカルヘッドを見下ろすべく起立する。
酔いも吹き飛ぶ一触即発の空気に、すかさずティナリが親友の腕を引きどうにかこの場を収めるも、納得がいかないアルハイゼンは立ち続けたままで。
「待った! 口論はいいけど、暴れるのは勘弁して。ほら、座った座った」
「…」
どうせ親友の肩を持つのだろう、そう考えた男の予想とは裏腹に、彼の放った音吐は至ってまともな思考からなるものであった。
「僕達の中の誰かが代表して、サージュに事情を聞くのはいいと思う。現に僕自身それを提案しようとした訳だし。けど…セノが言うように君がその場に隠れて様子を窺う、ってのは頷けないな」
友人を慮る真摯な眼差し、そこには本心から彼らの行く末を案じる想いが如実に現れていて。
最年少ながらもこの面子の中では誰より冷静な少年の姿を見たカーヴェもその意見に賛同し、画期的代替案がないか思慮を巡らせる。
「そうだな…秘密の相談事の最中に本人が現れては、話をややこしくしてしまいかねない。最悪、僕達まで距離を置かれることになったら八方塞がりだ」
「なら、いっそ最初からアルハイゼンと俺であいつと話す席を設けるか?」
「うわ何それ、書記官と大マハマトラが揃って詰め寄るとか、傍から見たら異常事態だよ。いくらサージュが元々問題児寄りの立ち位置でも、流石に可愛そうじゃないかな…」
変わらず突飛な発想に、ティナリの立派な耳が吃驚によりぴんと張り詰め、それから萎びる。
そんな彼の憂鬱を更に増大させるとんでもない希求がアルハイゼンから齎され、立ち耳は興奮に荒ぶり落ち着く暇もなかった。
「もし誰かを伴って彼女と話す機会を作るのなら、俺はコレイに同行を求めたい。同じ女子が居れば、多少は気も解れるだろう」
「それは絶対にダメ! よりによってコレイを君と二人にさせる瞬間があるなんて嫌だ!」
ワルカシュナの末裔の怒号が響き渡り、今度はセノが親友を宥める役回りを務めることとなる。
尤も、彼もコレイを妹分として大事に想う身、いくら仲間と言えども不快感が上回り、声の端々から憤懣が漏出していて。
「ティナリ落ち着け。そんな状況、俺も認めたくない」
「ふっ。君達なら、コレイの名を出せば必ずそうやって拒むだろうと思っていたよ」
わあわあと喚く少年と肩を寄せ合い、悪魔のような取引を持ち掛けた冷徹無慈悲の書記官を睨む。
が、ここまでが彼の謀略通り。敢えて二人の妹分を引き合いに出して協力の意思を削ぎ落とすことで、これは自らが解決せねばならないことだと念を押すという魂胆だった。
とは言え状況を聞く限りでは一対一での会話は絶望的、カーヴェはその劣勢をどう覆すのか想像も着かず、本当に大丈夫なのかと不安げな面持ちで問い掛ける。
「そもそもの話、あくまでこの件は俺とサージュのことだ。君達に支援を願うつもりは最初からない」
「だが、君が一人でどうにか出来るのか?」
「出来る、出来ないじゃない。やる、だ」
握り拳を見つめての宣言、確固たる意志は他者の介在を認めず。以前までの受動的なアルハイゼンからは見違えるような覚悟に、セノはジョッキを掲げ、その想いの強さを讃えた。
「…俺達はどうやら、お前の本気を見誤っていたようだな。悪かった」
宥免の意を示すべくグラスの高さを合わせ、けれど何も目出度いことなどないと乾杯はせずそのまま元の位置に下ろすアルハイゼン。
そうして一呼吸置いた後、彼はまだ己には切り札が残されていると不敵な笑みを浮かべ、そのチャンスが最初で最後だとしても諦めるつもりはないと意気込む。
「たとえ顔を見るなり逃げられるような劣悪な状況でも、俺には彼女を誘う権利があるからな」
「そうだったね。サージュなら、自分がした約束を違えるようなことはしないか」
恩を受けた相手に対する少女の義理堅さはこの場の誰もが認めるもので。ようやく落ち着きを取り戻したティナリがゆっくりと頷き、誰の手を借りずともまだ希望はあるのだと思考を切り替える。
続けて音頭を取り始めたのはカーヴェ、しかし年長としての気概を見せようと張り切るあまり、本人からの反感を買ってしまうこととなる。
「じゃあ次は、その権利を行使してどこに向かうかを決めるとしよう。絶対に失敗しないようにとなると、やはりあの子の喜ぶ要素が不可欠だが…」
「何故君達にそれを決められなければならない? 確かに初めに話を拒まなかったのは俺だが、行きたい場所を好きに選ぶ自由すらもないのか」
既に腹は決まっている、そう言いたげなアルハイゼンの憤懣に満ちた声音を優しく諭すのはセノ。
先刻はあわや決別すれすれの緊迫した心境を抱いていた彼も、本当に友人を失うのは惜しいのだと寂寞の灯った目で微笑してみせた。
「そう拗ねるなアルハイゼン。お前が自分自身の力であいつと和解すると決まった今、俺達に出来るのは目的地を決める手伝いをする程度のことしかないんだ」
「…仲違いではない以上、和解と言われるのは不本意だ。俺も彼女も争ってなどいない」
「わかってる、わかってるから。で、君には一体どんなビジョンが見えてるの?」
絶妙な言い回しの誤りを寛容出来ない頑固な知論派を雑に諫め、少年が聞くだけなら自由だろうと今後の展望を問うと、彼は意外にも綿密な計算を放棄していることを暴露する。
「俺の部屋に、前回渡しそびれたシリーズものの本がある。それを受け取ってもらう為と称してサージュを家に招こうと思っている。後は野となれ山となれだ」
捨て鉢と自嘲するアルハイゼンの全賭け 、その最有力候補はまさかの自宅への招待。
あまりにもハイリスクハイリターンな、そもそも彼女が頷くか否かも曖昧な作戦に対する少年達の反応は絶句。
辛うじて声を出せたカーヴェも自身の立ち位置からすんなりとは頷けず、口角を引き攣らせて己が当日同じ家屋に居るべきか否かを問うた。
「だ、大胆だな…因みにもしその誘いが成功したとして、その日中、僕はどうすればいい?」
「理想的なのは歓迎の際にだけ顔を見せるパターンだとは思うが、君自身の都合もあるだろう。実態が不在であるにせよ在宅しているにせよ、家の中には居ると伝えるつもりだから、どちらでも構わないよ」
「…わかった、なら出来る限り予定をつけて家に居られるようにする。君がまかり間違ってサージュを襲ってしまわないか、部屋で聞き耳を立てておかないとだからな」
既に吹っ切れているからか、もしくは酒精の影響か。いつになく優しい声でそう笑って、男は杯を傾ける。
セノやティナリの助けは要らないと伝えた矢先での一任、それを不器用な信頼の証と捉えた青年は軽口を叩きつつ覚悟を決め、首肯と共に新しいボトルの栓を開けた。
「ほう、君は俺がそこまで自制心のない男だと思っていたとは。だが安心しろ、その場で何かアクションを起こすのは流石に自嘲するさ。精々彼女が帰った後に…」
「やめろ聞きたくない! どうして今日もそういう話になるのさ!」
どうやら彼がやけに温良なのは、後者が原因らしく。素面では絶対に口にしない不適切発言を容赦なく吐く様に、ティナリが収拾がつかないと叫びを上げ耳を塞ぐ。
「…アルハイゼン。無事にまとまったことだ、気晴らしに七聖召喚をやらないか。四人で総当たりして負けたやつが今日の代金を持つという条件で、どうだ?」
これ以上サージュについて考えさせるのは危険だと悟ったセノは、憂いを忘れさせようと愛用のカードを一枚指で挟んで見せつける。
決闘の申し出を受けるか断るかは気分次第で半々、そんなアルハイゼンの今日の返答は是。
たまには札遊びに興じるのも悪くないと手を差し伸べ、プレイに必要不可欠なデッキの貸し出しを求めた。
「ん? 構わないが、生憎デッキは持参していない。また君から借りることになるが、それでもいいか」
「勿論オーケーだ。さあ、どのデッキを使うか選んでくれ」
今回は事前に予定を合わせることなく偶発的に集った仲間達は、二人の恋模様の行方を知りたいと焦れた様子で席に着いていた。
「それでアルハイゼン、この間のサージュとデートするって話、どうなった?」
各々が最初に注文したメニューが揃った頃。そろそろ構わないだろうと口火を切ったのはティナリ。
この四人が集まった以上、どう足掻いてもその顛末について根掘り葉掘り聞かれる未来は避けられないと覚悟していた男は、さて何から話したものかと一考に目を伏せる。
ここ数日で変化した自分と彼女との関係について。一口では語りつくせない多くの起伏があり、ならばいっそ話の順序を委ねるのも手かと勿体ぶることにした。
「…その件に関しては、良い知らせと悪い知らせがある。どちらから聞きたいかは君達に任せる」
「俺はこういった場合いつも、吉報から聞くことにしている。そうすることで、悲報への覚悟を決める準備が出来るからな。さあ、話すんだ」
三人は男の歯切れの悪さに一瞬だけ顔を見合わせたが、すぐにセノが代表して"良い知らせ"の方を先に聞かせろと迫る。
その反応を受けたアルハイゼンは嬉しそうに杯を呷り、かの逢瀬での喜悦を順序立てて饒舌に語り始めた。
「市場での買い物自体は、互いにかなりの収穫があった。二人分の本を持ち帰るのに、手押し車を借用する必要があったくらいにはな」
結局のところ、小休憩した際に懸念していた荷の重さは現実となり、最終的に彼らはそれぞれが持参した鞄や買い物袋では運び切れない程の本を買い漁っていた。
だが幸いなことに市場ではそういった予定外の大量購入にも対応しており、翌日以降に返しさえすれば面倒な契約や法外な手数料も必要なく台車を借り受けることが出来た。
話し合いの結果その返却はサージュに任せ、二人は無事に収穫品を家に持って帰ることに成功したのだった。
「それと…次は俺から誘う、という約束を取り付けた。以上、ここまでが吉報だ」
「成程、あの本の山はそういうことだったのか…なんだよ、受け身の君にしてはなかなか上々な成果じゃないか」
突如として増えた甚大な量の本、その由縁に得心した同居人が"どこに悲しむ要素があるんだ"と言わんばかりの感嘆を零す。
しかしアルハイゼンの報告すべき話は当然そこで終わりではない。朗報の次は凶報、どんな苦難が続くのか、少年達が揃って首を振り、祝杯を掲げようとする青年を制止する。
「カーヴェ、まだ話は終わりじゃない」
「そうだね。二回目のデートを約束したってだけで、実質的な進展はないみたいだし、それに…」
好奇心と不安が半々、二人は固唾を呑んでアルハイゼンの言葉を待つものの、すぐに結論は出て来ず。
不機嫌さを全面に出した深い嘆息、それから齎されたのは、傍聴の身には想像も着かない波乱の幕開けだった。
「残念だがティナリ、進展がなかったどころか…寧ろ状況は悪化したと言っていい」
「は? なんでさ?」
「オルモス港に行ってから二日後、サージュが妙に余所余所しくなった」
「…あぁ、なんとなく察した」
まだ酒宴としては序の口である筈が、少年は語気を強め予想だにしない後退に尻尾の毛を逆立てて憤る。
それに対し男の隣で呻きを絞り出すのはカーヴェ、突然の忌避に対して思い当たる節があると家主へグラスを突き付けた。
「君、教令院の人間にあの子と買い物を楽しんでいるところを見られてたんじゃないか? それか、がっつき過ぎているのがバレて引かれたか…」
「後者はない。断じて有り得ない」
冗談を挟みつつ、最も可能性の高い推測として、二人の逢瀬を誰かに目撃され、その睦まじさを揶揄されたからだと告ぐ青年。
今までは名実共に友人としての距離感を保っていた彼らが、此度のオルモス港での件を経てサージュの中での自己認識が変容し始めていたところに、他人からの指摘。
結果、彼女はアルハイゼンを良くも悪くも一人の異性として意識するようになったのではないか。
その理路整然とした推論を聞いたセノは、己が覚悟していたよりも事態が深刻ではないことに安堵して、軽い様子見がてらの駄洒落を口にした。
「成程な。確かに最初の推測が正しければ、サージュが"酒"の席にも顔を出さずお前を"避け"るのも無理はない。"
「…浮き足立っていたつもりはなかったが、あの人混みでそうした好奇の視線を遮りながら行動するのは不可能に近かったからな。迂闊だった」
どちらかと言えば凶報ではなく好転した結果にも見えるこの現状、しかしまともな接触すら不可能ともあれば、いくら普段は泰然自若の男でも流石に堪えるようで。
駄洒落には気付きすらせずスルーする様に、横で聞いていたティナリとカーヴェが愕然とした様子で視線を交える。
「ま、しょうがないと言えばしょうがないけど…僕としては正直、彼女が誰かに何か言われたくらいでアルハイゼンを避けるようになるかなあ…って気持ちもあるんだよね」
奇しくも親友とは真逆となる懐疑の念、その発端となるは二人の信頼関係が確かなことを最もよく知る者としての違和感から。
サージュにとってかの書記官は単なる友人ではなく、自身の学者としての核を形成する一助となった存在でもある。
つまり、生半可なことでは顔を合わせるのを拒むようになる間柄ではない筈なのだ、と少年は思っていた。
異なる視点からの持論にセノは目から鱗が落ちたかの如き感覚に陥り、自戒を胸に反証の為の熟考を始める。
「…」
沈黙した金狼を横目に、ティナリと同じく家主の焦慮を悟っていた居候が気まずさを隠し切れず眉を下げる。
彼自身はどちらの意見にも賛同出来る部分があったが、その感受性の豊かさが仇となり、気の利いたことのひとつも言えず。
「アルハイゼン。余所余所しいっていうのはどの程度だ? 普通の会話は出来るのか、それとも顔を見るなり逃げるレベルなのか…」
結論を出すには情報が不足していると考え、カーヴェは少女の反応が本当に照れ隠しであるのかを確かめる。
万が一その薄らとした希望的観測が誤りであった場合、話は根本から変わって来るのではないかと兢々と問うと、どうやらあまり動勢は芳しくないらしく。
苦みばしった面持ちからなる舌打ちと共に告げられた残酷な現実に、彼は自分のことのように胸が痛む。
「必要最低限の会話は辛うじて成立する。が、視線は合わない上に眉間には皺を寄せてばかりだ」
「そんなに深刻だったとは…この前シティの外れで少し話した時には、悩んでいる素振りなんて全く見せていなかったのに」
可憐な笑顔がトレードマークのひとつでもあるサージュが、こと直近のアルハイゼンとの対面に於いては眉を顰めてばかりと言う。
俄かには信じ難い凶報に、少年達もまた居ても立ってもいられず、食事の手を止め真剣な表情を浮かべた。
「僕、それとなく聞いてみ…」
「アルハイゼン、俺の方からサージュにこの件について尋問してもいいか」
遠慮がちな親友の提案を図らずも遮り、セノが徐に立ち上がって力強い眼差しを向ける。
どんな相手であれ個人の主体性を尊重し、他者の行動を差し止める権利などないと信じ込んでいた男は彼がそう申し出る意味が理解出来ず、怪訝な顔で見上げてみせた。
「何故それを俺に?」
「ただ確認するのではなく、お前には隠れてそれを見ていてもらいたい。そうすれば、いざという時にすぐに出て来られる」
「…言うに事欠いて、まさか盗み聞きしろとは。大マハマトラ殿は随分と冗談が達者なようだ」
本気故の驚愕的発想が忌諱に触れ、アルハイゼンは目線を合わせる――否、ジャッカルヘッドを見下ろすべく起立する。
酔いも吹き飛ぶ一触即発の空気に、すかさずティナリが親友の腕を引きどうにかこの場を収めるも、納得がいかないアルハイゼンは立ち続けたままで。
「待った! 口論はいいけど、暴れるのは勘弁して。ほら、座った座った」
「…」
どうせ親友の肩を持つのだろう、そう考えた男の予想とは裏腹に、彼の放った音吐は至ってまともな思考からなるものであった。
「僕達の中の誰かが代表して、サージュに事情を聞くのはいいと思う。現に僕自身それを提案しようとした訳だし。けど…セノが言うように君がその場に隠れて様子を窺う、ってのは頷けないな」
友人を慮る真摯な眼差し、そこには本心から彼らの行く末を案じる想いが如実に現れていて。
最年少ながらもこの面子の中では誰より冷静な少年の姿を見たカーヴェもその意見に賛同し、画期的代替案がないか思慮を巡らせる。
「そうだな…秘密の相談事の最中に本人が現れては、話をややこしくしてしまいかねない。最悪、僕達まで距離を置かれることになったら八方塞がりだ」
「なら、いっそ最初からアルハイゼンと俺であいつと話す席を設けるか?」
「うわ何それ、書記官と大マハマトラが揃って詰め寄るとか、傍から見たら異常事態だよ。いくらサージュが元々問題児寄りの立ち位置でも、流石に可愛そうじゃないかな…」
変わらず突飛な発想に、ティナリの立派な耳が吃驚によりぴんと張り詰め、それから萎びる。
そんな彼の憂鬱を更に増大させるとんでもない希求がアルハイゼンから齎され、立ち耳は興奮に荒ぶり落ち着く暇もなかった。
「もし誰かを伴って彼女と話す機会を作るのなら、俺はコレイに同行を求めたい。同じ女子が居れば、多少は気も解れるだろう」
「それは絶対にダメ! よりによってコレイを君と二人にさせる瞬間があるなんて嫌だ!」
ワルカシュナの末裔の怒号が響き渡り、今度はセノが親友を宥める役回りを務めることとなる。
尤も、彼もコレイを妹分として大事に想う身、いくら仲間と言えども不快感が上回り、声の端々から憤懣が漏出していて。
「ティナリ落ち着け。そんな状況、俺も認めたくない」
「ふっ。君達なら、コレイの名を出せば必ずそうやって拒むだろうと思っていたよ」
わあわあと喚く少年と肩を寄せ合い、悪魔のような取引を持ち掛けた冷徹無慈悲の書記官を睨む。
が、ここまでが彼の謀略通り。敢えて二人の妹分を引き合いに出して協力の意思を削ぎ落とすことで、これは自らが解決せねばならないことだと念を押すという魂胆だった。
とは言え状況を聞く限りでは一対一での会話は絶望的、カーヴェはその劣勢をどう覆すのか想像も着かず、本当に大丈夫なのかと不安げな面持ちで問い掛ける。
「そもそもの話、あくまでこの件は俺とサージュのことだ。君達に支援を願うつもりは最初からない」
「だが、君が一人でどうにか出来るのか?」
「出来る、出来ないじゃない。やる、だ」
握り拳を見つめての宣言、確固たる意志は他者の介在を認めず。以前までの受動的なアルハイゼンからは見違えるような覚悟に、セノはジョッキを掲げ、その想いの強さを讃えた。
「…俺達はどうやら、お前の本気を見誤っていたようだな。悪かった」
宥免の意を示すべくグラスの高さを合わせ、けれど何も目出度いことなどないと乾杯はせずそのまま元の位置に下ろすアルハイゼン。
そうして一呼吸置いた後、彼はまだ己には切り札が残されていると不敵な笑みを浮かべ、そのチャンスが最初で最後だとしても諦めるつもりはないと意気込む。
「たとえ顔を見るなり逃げられるような劣悪な状況でも、俺には彼女を誘う権利があるからな」
「そうだったね。サージュなら、自分がした約束を違えるようなことはしないか」
恩を受けた相手に対する少女の義理堅さはこの場の誰もが認めるもので。ようやく落ち着きを取り戻したティナリがゆっくりと頷き、誰の手を借りずともまだ希望はあるのだと思考を切り替える。
続けて音頭を取り始めたのはカーヴェ、しかし年長としての気概を見せようと張り切るあまり、本人からの反感を買ってしまうこととなる。
「じゃあ次は、その権利を行使してどこに向かうかを決めるとしよう。絶対に失敗しないようにとなると、やはりあの子の喜ぶ要素が不可欠だが…」
「何故君達にそれを決められなければならない? 確かに初めに話を拒まなかったのは俺だが、行きたい場所を好きに選ぶ自由すらもないのか」
既に腹は決まっている、そう言いたげなアルハイゼンの憤懣に満ちた声音を優しく諭すのはセノ。
先刻はあわや決別すれすれの緊迫した心境を抱いていた彼も、本当に友人を失うのは惜しいのだと寂寞の灯った目で微笑してみせた。
「そう拗ねるなアルハイゼン。お前が自分自身の力であいつと和解すると決まった今、俺達に出来るのは目的地を決める手伝いをする程度のことしかないんだ」
「…仲違いではない以上、和解と言われるのは不本意だ。俺も彼女も争ってなどいない」
「わかってる、わかってるから。で、君には一体どんなビジョンが見えてるの?」
絶妙な言い回しの誤りを寛容出来ない頑固な知論派を雑に諫め、少年が聞くだけなら自由だろうと今後の展望を問うと、彼は意外にも綿密な計算を放棄していることを暴露する。
「俺の部屋に、前回渡しそびれたシリーズものの本がある。それを受け取ってもらう為と称してサージュを家に招こうと思っている。後は野となれ山となれだ」
捨て鉢と自嘲するアルハイゼンの
あまりにもハイリスクハイリターンな、そもそも彼女が頷くか否かも曖昧な作戦に対する少年達の反応は絶句。
辛うじて声を出せたカーヴェも自身の立ち位置からすんなりとは頷けず、口角を引き攣らせて己が当日同じ家屋に居るべきか否かを問うた。
「だ、大胆だな…因みにもしその誘いが成功したとして、その日中、僕はどうすればいい?」
「理想的なのは歓迎の際にだけ顔を見せるパターンだとは思うが、君自身の都合もあるだろう。実態が不在であるにせよ在宅しているにせよ、家の中には居ると伝えるつもりだから、どちらでも構わないよ」
「…わかった、なら出来る限り予定をつけて家に居られるようにする。君がまかり間違ってサージュを襲ってしまわないか、部屋で聞き耳を立てておかないとだからな」
既に吹っ切れているからか、もしくは酒精の影響か。いつになく優しい声でそう笑って、男は杯を傾ける。
セノやティナリの助けは要らないと伝えた矢先での一任、それを不器用な信頼の証と捉えた青年は軽口を叩きつつ覚悟を決め、首肯と共に新しいボトルの栓を開けた。
「ほう、君は俺がそこまで自制心のない男だと思っていたとは。だが安心しろ、その場で何かアクションを起こすのは流石に自嘲するさ。精々彼女が帰った後に…」
「やめろ聞きたくない! どうして今日もそういう話になるのさ!」
どうやら彼がやけに温良なのは、後者が原因らしく。素面では絶対に口にしない不適切発言を容赦なく吐く様に、ティナリが収拾がつかないと叫びを上げ耳を塞ぐ。
「…アルハイゼン。無事にまとまったことだ、気晴らしに七聖召喚をやらないか。四人で総当たりして負けたやつが今日の代金を持つという条件で、どうだ?」
これ以上サージュについて考えさせるのは危険だと悟ったセノは、憂いを忘れさせようと愛用のカードを一枚指で挟んで見せつける。
決闘の申し出を受けるか断るかは気分次第で半々、そんなアルハイゼンの今日の返答は是。
たまには札遊びに興じるのも悪くないと手を差し伸べ、プレイに必要不可欠なデッキの貸し出しを求めた。
「ん? 構わないが、生憎デッキは持参していない。また君から借りることになるが、それでもいいか」
「勿論オーケーだ。さあ、どのデッキを使うか選んでくれ」
散漫な心が三万溶かす