藍の隘路に哀と愛
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いつもの酒場。先に晩酌を始めていた三人が、最後にやって来たアルハイゼンを自分達の元へ手招きして呼び寄せる。
「サージュは?」
既に顔が赤らんでいるようにも見えるセノの第一声、それは男が一人で居ることへの吃驚。
彼女は元々この場に居る全員と交友があり、いつしか五人ないしコレイを含めた六人で食事をする機会も増えていた中での不在に、微かな緊張が走る。
「彼女は来ない。どうしても外せない依頼があるそうだ」
「ふぅん…じゃあ今日は久々に、女子が居る時には出来ない話も出来そうだね」
「なあティナリ、その含みのある笑みはどういう…」
アルハイゼンの宣告に意味深な笑みを浮かべるのはティナリ、普段は周囲の暴走を諌める役回りになりがちな彼にしては、どうやら珍しく酒がかなり進んでいるらしく。
しっかり者には相応しくない下賤な発言をして、アルハイゼンより少し早く来ただけのカーヴェが兢々とした様相を呈する。
一体何を企んでいるのか。その答えは、本人からではなく彼の親友、期せずして訪れた男同士の内談の機会に上機嫌なセノによって齎された。
「確かにいい機会だ。俺も、お前達の仲がどれくらい進展しているのか興味がある」
「ああ、そういう…まあ、確かに気になるところではあるけれども」
最初の標的として定められたのは、ここ暫くの間で目に見えてサージュと親しげな様子のアルハイゼン。
彼女にとっては最も付き合いの長い相手ではあるのだが、如何せん不愛想を体現した存在たるこの知論派は自身の心情を詳らかにすることは決してなく、周囲から見ても二人の関係性は形容し難いものであった。
今日はその不可侵領域に一歩踏み込む絶好のチャンス、最年長の青年は息を吞んで後輩を見守ることにした。
「…ふむ」
が、当の本人の反応はあまり芳しくないもので。流石にこの状態から問い詰めるのは酷だと悟ったカーヴェは、すかさず機転を利かせて矛先を変える。
「なら僕も、ひとつ聞かせてもらいたいな。君達だって、対外的にはコレイを妹と称して可愛がってるが…本当は手放したくないからそうやって囲い込んでいるんだろう?」
「べっ、べつに…僕はレンジャー長として、あの子を育てる義務があるってだけで」
咄嗟の論点逸らしにセノが呆然とした表情を浮かべる一方で、ティナリは顔を真っ赤にして否定する。
カーヴェ自身は"君達"と暈 し敢えて彼個人を責めたつもりはなかった筈が、意外にも効果覿面だったようで。
そしてそこに、予想外の方角から追撃が飛んでくる。親友としては御法度の謀叛にも等しい暴露は、冷静沈着な少年が取り乱すには十分過ぎる起爆剤であった。
「ティナリ、俺は知っているぞ。お前が昨日、コレイの名を呼びながら自…」
「わあああっ!! それ以上はプライバシーの侵害だ!!!」
慌ただしく立ち上がって友の口を塞ごうと暴れ、あわやグラスやボトルを倒しかねない程に大騒ぎするティナリ。
いくら無礼講の場と言えど生々しいが過ぎると、ここまで踏み込んだことを聞く意図はなかったカーヴェは閉口せざるを得ず。
尤も、途中で遮られてしまった以上、彼が何をしていたかを真に知る手段は闇に葬られたのだが。
「…ほう。君にもそういう欲求があったとは」
らしからぬ激昂に、そして思慕を馳せる相手に。意外な一面を知ったアルハイゼンが、想像もしていなかったとでも言いたげな感嘆を零す。
「そりゃ流石にあるだろ、男なんだから…もしかして意外と君、潔癖症なのか?」
とうとう彼までこの尾籠な話に参加し始めたことで、庇ってやったのは裏目だったかと顔を引き攣らせるカーヴェ。
とは言え昔からアルハイゼンは、そういった下世話な談笑に耳を傾けたことも自ら語ったこともない。
教令院に入学した頃には既に天涯孤独、真っ当な性知識を得ぬまま育ち、人の営みを毛嫌いしている可能性も往々にしてある。
そんな微かな憐憫と不安を抱きつつ問い掛けると、浅はかな詮索は全くの無意味だと証明するかの如く堂々とした否定が返ってきた。
「いや、全く。自身の性事情など、わざわざ人に語るものでもないというだけで、一般とそう変わらないと思うが」
「ふーん? 君が自己処理する姿なんて、とてもじゃないけど想像つかないや」
セノに誠意の謝罪と共に宥められ酒を呷り、ようやく落ち着きを取り戻したティナリが、両肘を着いて男を上目で見つめる。
赤らんだ頬で同じく片恋の少女を肴にする仲間を得ようと笑んで、直接的な名を出すことなくその相手を想起させる。
「けどまあ、ある意味安心したよ。やっぱりそういうとき考えるのは身近な相手?」
「ああ」
「え…嘘だろ、僕がおかしいのか…?」
迷うことなき即答。巧妙に押し隠そうとはしているものの、やはり彼もサージュに気があるのだと確信したティナリは安堵の息を吐く。
その傍らで、知人相手には淫らな想像をしないようにしていたカーヴェが、異端だったのは自分の方なのかと焦燥に汗を浮かべる。
ちみちみと悪酔いしないよう杯を呷る青年の眉間に寄る皺、それを解す鶴の一声を上げるのはセノ。
不安を払拭するには若干的外れながらも、友を慮っての音吐には、先刻のような非道な悪巧みの意思は一切隠れていなかった。
「お前は建築が恋人みたいなものだ、そう思うのも無理はない」
自分とは真逆の誠実なフォローに、ティナリが持っていたグラスをテーブルに勢いよく下ろす。
一人だけ清廉潔白を装って高みの見物かと怒りが頂点に達した彼は、反撃するなら今しかないと声を張り上げた。
「ちょっとセノ、さも自分もそっち側ですみたいな顔してるけど…君だってニィロウのブロマイド握り締めてたこと、あっただろ」
「…」
対するセノのリアクションは、まさかの無言。腕を組んで半目で睨むのは、完全に開き直っているが故か。
しかしスメールで暮らす人々にとって、ニィロウは我が国が誇る大スター。思春期以降の健全な男児なら、誰しも一度は自涜の供として思い浮かべて然るべき対象ではないのか――そう言いたげな眼差しに、激憤していた立ち耳が失意に垂れ下がる。
流れ出した沈鬱な空気、彼らが救いを求めて目を向けるのは、話題の中心から外れたのを機に一人黙々と肉を喰らうアルハイゼン。
喧騒によるストレスを低減するヘッドホンは着けたままではあれど、話を聞いていなかった訳ではない彼は、自らに集中する視線が持つ意味を一切無視して自身の嗜好を包み隠さず白状した。
「俺か? 俺はサージュにしか勃たないが」
想像以上の破壊力を持った衝撃的な声明に、より一層空気が悪化したのを察知し青褪めるカーヴェとティナリ。
表情を変えなかったセノも、ここまでの執着心は一歩間違えれば大罪人になりかねない危険性を秘めていると考え、ジャッカルヘッドを目深に被り直す。
「予想はしていた…が、看過していいものか判断に困るな。事と次第によっては、たとえお前でも…」
漂う緊迫感の中、アルハイゼンは真摯な眼差しを向け、彼がマハマトラとしての役目を果たす必要はないと身の潔白を証明する。
「心配には及ばない、俺は俺なりの節度を持って彼女と接している」
「そこまで自信満々なら、彼女とどこまで行ったかも言えるよね?」
身内から犯罪者が出るような事態は何としてでも避けたいティナリが、捲し立てるようにして問う。
要らぬ不安を与えてしまったと悟った男は、敢えて暫し悩む素振りを見せ、場を和ませる為の道化に相応しい回答を齎した。
「…デーヴァーンタカ山」
再び訪れる沈黙、堪え兼ねたカーヴェは肩を震わせ、とうとう友人達の顔を誰一人直視出来なくなる。
酔った勢いにしてもあまりに奇抜な軽口、それは確かに険悪な雰囲気を一変させるには最も適したもので。
観念したセノが肩を竦め大きく息を吐き、一触即発の空気を作り出した責任を取るべく追究の言を重ねた。
「疑ったのは悪かった。だが、今時そんな古典的な回答で俺達を誤魔化せると思うな」
「冗談だ。来週、オルモス港で本市場が開かれるから…それを一緒に見に行こうと言われた」
予定調和の詰問に目論見通りと口角を上げ、直近で起こった進展を伝えるアルハイゼン。
サージュとは共に読書家同士、趣味を通じて親交を深めるのは最も堅実な手段だとルームメイトが胸を撫で下ろす。
少なくとも、他人に対し常に一定の距離を保っていた学生時代では考えられなかっただろう。
そうした感慨深い思いを抱いた矢先、カーヴェは拭い切れない違和感を覚え身を乗り出す。
「…ってちょっと待った、その口振り…まさかあの子の方から誘ってきたのか?」
「そうだ。何か問題でも?」
「いや…悪いことは全くないが、意外だと思って」
喜悦に満ちた首肯と、指摘があることなど想像もしていないであろう柔らかい声からなる傾聴。
青年はその場凌ぎを口にして座し、恐らくは同じことを考えたであろうティナリと顔を見合わせる。
「ねえカーヴェ、思ったよりも彼ら…」
「慎重を期すのは確かにアルハイゼンらしいが、ここまで牛歩だとは」
声を潜め頷き合い、二人は男とサージュの仲が驚く程初々しいものであることに対する衝撃を共有する。
普段の何気ないやり取りも含め、これまでに得られた情報を鑑みる限りでは、彼はあくまで少女に対しては受け身の姿勢を貫く方針のようで。
それは片恋ではなく相愛を確信しているが故か、もしくは単に失敗を恐れる臆病なだけなのか。
焦れた様子でセノがアルハイゼンにグラスを突きつけ、思いついたばかりの渾身のギャグと共に発破をかけ始めた。
「短い人生、"好きな"相手に出逢えること自体が"数奇な"運命だ。アルハイゼン、お前はサージュと付き合いたいとは思わないのか?」
困惑の表情で硬直するアルハイゼン。すぐに返す言葉が出ないのは、真面目な話にジョークを絡めたことによる憤懣からだろうか。
緩急激しく思考が纏まらず、ここに来てようやく洒落たことが言えた喜びから興が乗ったセノは構わず続け、今度は至って真剣な口調で男を嗾 ける。
「その様子なら、サージュもお前を悪しからず想っているのは明白だ。今度会った際に多少積極的な面を見せれば、それだけでもあいつがお前を意識するようになるかもしれない」
恋愛に於ける駆け引き――互いの距離を詰めるにはやはり、まずは押してみるべき、とセノ。
初歩中の初歩、けれどもアルハイゼンにとってはそのような面白みのない策を弄するつもりはないらしく、尤もらしい言い回しで曖昧に濁されてしまった。
「…かもしれないな。だが、俺達には俺達なりのペースがある。その厚意だけ受け取っておこう」
「そうか。俺としては、なるべく早めにお前達が結ばれてくれた方が色々と安心出来るが…仕方あるまい」
マハマトラならではの憂慮を隠し切れず苦笑を零し、それでも彼らの歩みを邪魔立てするつもりはないと腕を組む。
一種の諦念にも似た仕草、異を唱えるのはティナリ。彼は親友とは真逆の考えらしく、焦燥に満ちた声でアルハイゼンに自問を促す。
「ねえアルハイゼン、君はそれでいいの? 彼女確か、最近はセトスとも仲いいでしょ。うかうかしてると取られちゃうかもよ」
「むっ? "好き"な相手でも"隙"を見せれば最後…という訳か。やるなティナリ」
彼の言から着想を得て再び韻を踏んでは、真剣な場面であるにも拘らずそれを思い起こさせてくれたことへの賛辞を口にせずにはいられなくなるセノ。
辛辣な横目と呆れ切った嘆息が即座に向けられ沈黙を余儀なくされ、そこから先はティナリに同調したカーヴェに譲ることとなる。
「ダジャレはともかく…彼だけじゃない、サージュは冒険者としても評判がいいって聞くぞ。潜在的なライバルが、どこに何人潜んでいるやら」
「だとしても、俺に彼女を束縛する権利はないだろう」
耳の痛い指摘が連続し、一見平常心で酒を注ぐ手にも苛立ちが露出し始めるアルハイゼン。
彼らの懸念も認めるべきでこそあるものの、最終的な顛末はあくまでサージュが決めることだと信じて止まない男は、自発的に行動を起こすつもりは微塵もなく。
「本当にそうか? 案外サージュも、お前が動くのを待っているかもしれない」
一度は周到ぶりに納得し引き下がったセノが、反旗を翻して彼をその気にさせようと再び焚き付ける。
「確証がない内から積極性を見せて、もし思い上がりだった場合どうする?」
「アルハイゼン、女子はその気がない相手とデートになんか行かないものだ。まして自分から誘うなんて尚更あり得ない」
やはり否定的な見解は変えようとしないアルハイゼンだったが、"鏡"たる青年から青天の霹靂にも等しい檄を飛ばされる。
驚愕から目を大きく見開いていたところに、ティナリが緊張を解す軽口と共に笑いかけ、気負う必要はないと示す。
「万が一フラれたら、またこうして四人で飲み会を開けばいいんじゃない。ほら、"当たって砕けろ"って言うだろ?」
言いたい放題の三人にようやく吹っ切れたらしく、アルハイゼンは微笑を浮かべ頷く。
その瞳の奥底には、是が非でも彼女を射止めてみせるという確固たる信念が宿っていた。
「…そうだな。だが俺は、無様に砕けるつもりはない。次に揃って飲む日までには、吉報を伝えられるようにしておこう」
「サージュは?」
既に顔が赤らんでいるようにも見えるセノの第一声、それは男が一人で居ることへの吃驚。
彼女は元々この場に居る全員と交友があり、いつしか五人ないしコレイを含めた六人で食事をする機会も増えていた中での不在に、微かな緊張が走る。
「彼女は来ない。どうしても外せない依頼があるそうだ」
「ふぅん…じゃあ今日は久々に、女子が居る時には出来ない話も出来そうだね」
「なあティナリ、その含みのある笑みはどういう…」
アルハイゼンの宣告に意味深な笑みを浮かべるのはティナリ、普段は周囲の暴走を諌める役回りになりがちな彼にしては、どうやら珍しく酒がかなり進んでいるらしく。
しっかり者には相応しくない下賤な発言をして、アルハイゼンより少し早く来ただけのカーヴェが兢々とした様相を呈する。
一体何を企んでいるのか。その答えは、本人からではなく彼の親友、期せずして訪れた男同士の内談の機会に上機嫌なセノによって齎された。
「確かにいい機会だ。俺も、お前達の仲がどれくらい進展しているのか興味がある」
「ああ、そういう…まあ、確かに気になるところではあるけれども」
最初の標的として定められたのは、ここ暫くの間で目に見えてサージュと親しげな様子のアルハイゼン。
彼女にとっては最も付き合いの長い相手ではあるのだが、如何せん不愛想を体現した存在たるこの知論派は自身の心情を詳らかにすることは決してなく、周囲から見ても二人の関係性は形容し難いものであった。
今日はその不可侵領域に一歩踏み込む絶好のチャンス、最年長の青年は息を吞んで後輩を見守ることにした。
「…ふむ」
が、当の本人の反応はあまり芳しくないもので。流石にこの状態から問い詰めるのは酷だと悟ったカーヴェは、すかさず機転を利かせて矛先を変える。
「なら僕も、ひとつ聞かせてもらいたいな。君達だって、対外的にはコレイを妹と称して可愛がってるが…本当は手放したくないからそうやって囲い込んでいるんだろう?」
「べっ、べつに…僕はレンジャー長として、あの子を育てる義務があるってだけで」
咄嗟の論点逸らしにセノが呆然とした表情を浮かべる一方で、ティナリは顔を真っ赤にして否定する。
カーヴェ自身は"君達"と
そしてそこに、予想外の方角から追撃が飛んでくる。親友としては御法度の謀叛にも等しい暴露は、冷静沈着な少年が取り乱すには十分過ぎる起爆剤であった。
「ティナリ、俺は知っているぞ。お前が昨日、コレイの名を呼びながら自…」
「わあああっ!! それ以上はプライバシーの侵害だ!!!」
慌ただしく立ち上がって友の口を塞ごうと暴れ、あわやグラスやボトルを倒しかねない程に大騒ぎするティナリ。
いくら無礼講の場と言えど生々しいが過ぎると、ここまで踏み込んだことを聞く意図はなかったカーヴェは閉口せざるを得ず。
尤も、途中で遮られてしまった以上、彼が何をしていたかを真に知る手段は闇に葬られたのだが。
「…ほう。君にもそういう欲求があったとは」
らしからぬ激昂に、そして思慕を馳せる相手に。意外な一面を知ったアルハイゼンが、想像もしていなかったとでも言いたげな感嘆を零す。
「そりゃ流石にあるだろ、男なんだから…もしかして意外と君、潔癖症なのか?」
とうとう彼までこの尾籠な話に参加し始めたことで、庇ってやったのは裏目だったかと顔を引き攣らせるカーヴェ。
とは言え昔からアルハイゼンは、そういった下世話な談笑に耳を傾けたことも自ら語ったこともない。
教令院に入学した頃には既に天涯孤独、真っ当な性知識を得ぬまま育ち、人の営みを毛嫌いしている可能性も往々にしてある。
そんな微かな憐憫と不安を抱きつつ問い掛けると、浅はかな詮索は全くの無意味だと証明するかの如く堂々とした否定が返ってきた。
「いや、全く。自身の性事情など、わざわざ人に語るものでもないというだけで、一般とそう変わらないと思うが」
「ふーん? 君が自己処理する姿なんて、とてもじゃないけど想像つかないや」
セノに誠意の謝罪と共に宥められ酒を呷り、ようやく落ち着きを取り戻したティナリが、両肘を着いて男を上目で見つめる。
赤らんだ頬で同じく片恋の少女を肴にする仲間を得ようと笑んで、直接的な名を出すことなくその相手を想起させる。
「けどまあ、ある意味安心したよ。やっぱりそういうとき考えるのは身近な相手?」
「ああ」
「え…嘘だろ、僕がおかしいのか…?」
迷うことなき即答。巧妙に押し隠そうとはしているものの、やはり彼もサージュに気があるのだと確信したティナリは安堵の息を吐く。
その傍らで、知人相手には淫らな想像をしないようにしていたカーヴェが、異端だったのは自分の方なのかと焦燥に汗を浮かべる。
ちみちみと悪酔いしないよう杯を呷る青年の眉間に寄る皺、それを解す鶴の一声を上げるのはセノ。
不安を払拭するには若干的外れながらも、友を慮っての音吐には、先刻のような非道な悪巧みの意思は一切隠れていなかった。
「お前は建築が恋人みたいなものだ、そう思うのも無理はない」
自分とは真逆の誠実なフォローに、ティナリが持っていたグラスをテーブルに勢いよく下ろす。
一人だけ清廉潔白を装って高みの見物かと怒りが頂点に達した彼は、反撃するなら今しかないと声を張り上げた。
「ちょっとセノ、さも自分もそっち側ですみたいな顔してるけど…君だってニィロウのブロマイド握り締めてたこと、あっただろ」
「…」
対するセノのリアクションは、まさかの無言。腕を組んで半目で睨むのは、完全に開き直っているが故か。
しかしスメールで暮らす人々にとって、ニィロウは我が国が誇る大スター。思春期以降の健全な男児なら、誰しも一度は自涜の供として思い浮かべて然るべき対象ではないのか――そう言いたげな眼差しに、激憤していた立ち耳が失意に垂れ下がる。
流れ出した沈鬱な空気、彼らが救いを求めて目を向けるのは、話題の中心から外れたのを機に一人黙々と肉を喰らうアルハイゼン。
喧騒によるストレスを低減するヘッドホンは着けたままではあれど、話を聞いていなかった訳ではない彼は、自らに集中する視線が持つ意味を一切無視して自身の嗜好を包み隠さず白状した。
「俺か? 俺はサージュにしか勃たないが」
想像以上の破壊力を持った衝撃的な声明に、より一層空気が悪化したのを察知し青褪めるカーヴェとティナリ。
表情を変えなかったセノも、ここまでの執着心は一歩間違えれば大罪人になりかねない危険性を秘めていると考え、ジャッカルヘッドを目深に被り直す。
「予想はしていた…が、看過していいものか判断に困るな。事と次第によっては、たとえお前でも…」
漂う緊迫感の中、アルハイゼンは真摯な眼差しを向け、彼がマハマトラとしての役目を果たす必要はないと身の潔白を証明する。
「心配には及ばない、俺は俺なりの節度を持って彼女と接している」
「そこまで自信満々なら、彼女とどこまで行ったかも言えるよね?」
身内から犯罪者が出るような事態は何としてでも避けたいティナリが、捲し立てるようにして問う。
要らぬ不安を与えてしまったと悟った男は、敢えて暫し悩む素振りを見せ、場を和ませる為の道化に相応しい回答を齎した。
「…デーヴァーンタカ山」
再び訪れる沈黙、堪え兼ねたカーヴェは肩を震わせ、とうとう友人達の顔を誰一人直視出来なくなる。
酔った勢いにしてもあまりに奇抜な軽口、それは確かに険悪な雰囲気を一変させるには最も適したもので。
観念したセノが肩を竦め大きく息を吐き、一触即発の空気を作り出した責任を取るべく追究の言を重ねた。
「疑ったのは悪かった。だが、今時そんな古典的な回答で俺達を誤魔化せると思うな」
「冗談だ。来週、オルモス港で本市場が開かれるから…それを一緒に見に行こうと言われた」
予定調和の詰問に目論見通りと口角を上げ、直近で起こった進展を伝えるアルハイゼン。
サージュとは共に読書家同士、趣味を通じて親交を深めるのは最も堅実な手段だとルームメイトが胸を撫で下ろす。
少なくとも、他人に対し常に一定の距離を保っていた学生時代では考えられなかっただろう。
そうした感慨深い思いを抱いた矢先、カーヴェは拭い切れない違和感を覚え身を乗り出す。
「…ってちょっと待った、その口振り…まさかあの子の方から誘ってきたのか?」
「そうだ。何か問題でも?」
「いや…悪いことは全くないが、意外だと思って」
喜悦に満ちた首肯と、指摘があることなど想像もしていないであろう柔らかい声からなる傾聴。
青年はその場凌ぎを口にして座し、恐らくは同じことを考えたであろうティナリと顔を見合わせる。
「ねえカーヴェ、思ったよりも彼ら…」
「慎重を期すのは確かにアルハイゼンらしいが、ここまで牛歩だとは」
声を潜め頷き合い、二人は男とサージュの仲が驚く程初々しいものであることに対する衝撃を共有する。
普段の何気ないやり取りも含め、これまでに得られた情報を鑑みる限りでは、彼はあくまで少女に対しては受け身の姿勢を貫く方針のようで。
それは片恋ではなく相愛を確信しているが故か、もしくは単に失敗を恐れる臆病なだけなのか。
焦れた様子でセノがアルハイゼンにグラスを突きつけ、思いついたばかりの渾身のギャグと共に発破をかけ始めた。
「短い人生、"好きな"相手に出逢えること自体が"数奇な"運命だ。アルハイゼン、お前はサージュと付き合いたいとは思わないのか?」
困惑の表情で硬直するアルハイゼン。すぐに返す言葉が出ないのは、真面目な話にジョークを絡めたことによる憤懣からだろうか。
緩急激しく思考が纏まらず、ここに来てようやく洒落たことが言えた喜びから興が乗ったセノは構わず続け、今度は至って真剣な口調で男を
「その様子なら、サージュもお前を悪しからず想っているのは明白だ。今度会った際に多少積極的な面を見せれば、それだけでもあいつがお前を意識するようになるかもしれない」
恋愛に於ける駆け引き――互いの距離を詰めるにはやはり、まずは押してみるべき、とセノ。
初歩中の初歩、けれどもアルハイゼンにとってはそのような面白みのない策を弄するつもりはないらしく、尤もらしい言い回しで曖昧に濁されてしまった。
「…かもしれないな。だが、俺達には俺達なりのペースがある。その厚意だけ受け取っておこう」
「そうか。俺としては、なるべく早めにお前達が結ばれてくれた方が色々と安心出来るが…仕方あるまい」
マハマトラならではの憂慮を隠し切れず苦笑を零し、それでも彼らの歩みを邪魔立てするつもりはないと腕を組む。
一種の諦念にも似た仕草、異を唱えるのはティナリ。彼は親友とは真逆の考えらしく、焦燥に満ちた声でアルハイゼンに自問を促す。
「ねえアルハイゼン、君はそれでいいの? 彼女確か、最近はセトスとも仲いいでしょ。うかうかしてると取られちゃうかもよ」
「むっ? "好き"な相手でも"隙"を見せれば最後…という訳か。やるなティナリ」
彼の言から着想を得て再び韻を踏んでは、真剣な場面であるにも拘らずそれを思い起こさせてくれたことへの賛辞を口にせずにはいられなくなるセノ。
辛辣な横目と呆れ切った嘆息が即座に向けられ沈黙を余儀なくされ、そこから先はティナリに同調したカーヴェに譲ることとなる。
「ダジャレはともかく…彼だけじゃない、サージュは冒険者としても評判がいいって聞くぞ。潜在的なライバルが、どこに何人潜んでいるやら」
「だとしても、俺に彼女を束縛する権利はないだろう」
耳の痛い指摘が連続し、一見平常心で酒を注ぐ手にも苛立ちが露出し始めるアルハイゼン。
彼らの懸念も認めるべきでこそあるものの、最終的な顛末はあくまでサージュが決めることだと信じて止まない男は、自発的に行動を起こすつもりは微塵もなく。
「本当にそうか? 案外サージュも、お前が動くのを待っているかもしれない」
一度は周到ぶりに納得し引き下がったセノが、反旗を翻して彼をその気にさせようと再び焚き付ける。
「確証がない内から積極性を見せて、もし思い上がりだった場合どうする?」
「アルハイゼン、女子はその気がない相手とデートになんか行かないものだ。まして自分から誘うなんて尚更あり得ない」
やはり否定的な見解は変えようとしないアルハイゼンだったが、"鏡"たる青年から青天の霹靂にも等しい檄を飛ばされる。
驚愕から目を大きく見開いていたところに、ティナリが緊張を解す軽口と共に笑いかけ、気負う必要はないと示す。
「万が一フラれたら、またこうして四人で飲み会を開けばいいんじゃない。ほら、"当たって砕けろ"って言うだろ?」
言いたい放題の三人にようやく吹っ切れたらしく、アルハイゼンは微笑を浮かべ頷く。
その瞳の奥底には、是が非でも彼女を射止めてみせるという確固たる信念が宿っていた。
「…そうだな。だが俺は、無様に砕けるつもりはない。次に揃って飲む日までには、吉報を伝えられるようにしておこう」
一席に投じられた一石
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