7つのお題



「えーっとお前は~~」
「ゾロだ」
「ゾロか! んーゾロはこれだな! あったあった!!」
真っ白い壁の一面にところ狭しと貼られた写真を、黒髪の少年が細い指を差し、順々に顔を確認していく。そして探し当てた『ゾロ』と書き込まれている写真の前でぴたりと指を止め、押しピンを外した。
「髪の毛ミドリだからすぐ見つけられたぞ」
その写真には緑頭でシャープな顔つきの、ちょっと強面の男が映っている。
「お前いっつもそう言うよ」
「そっかそっか。でもかっこいい」
大きな窓から心地のいい風が吹き込んできて、少年の前髪を掬い丸いおでこがあらわになった。にかっと笑う顔はゾロが大好きな彼の表情のひとつ。
「ルフィ……」
「? おれの名前知ってんの?」
「あぁ知ってる。もう随分と前からな」
「ほんとだ、ここに……」

壁に貼られた写真はいわば、ルフィのメモ帳だった。
出逢った人間の顔をポラロイドカメラで撮って、初めて会った日付を裏に記入しておく。
それともう一つ――。

「え、好きな人……? お前が、おれの??」

ルフィはその人物に対する自分の感情をメモすることにしていた。
ゾロの写真の裏には、〝好きな人〟と手書きされている他に、赤ペンで〝(恋だぞ!)〟と付け足されていた。
「そうらしいぜ?」
「嘘だね、お前男じゃんか」
「それも毎回そう言う」
「そうか……。そうだよな、これ、おれが書いたんだもんなぁ」
出逢った頃からずっとそのまま。書き換えられたことは無かった。
ルフィは「んー」と眉根を寄せ、写真のゾロと本物のゾロとを何度も見比べた。今週のルフィは疑り深い。
「勉強始めるか? 一応、おれはお前の家庭教師ってことになってる」
ルフィに勉強は必要なかったが、自分がやってきたことの痕跡が残っているのは悪いことじゃない。勉強に限らず、ゾロはルフィがやりたいと言ったことには大抵付き合うことができた。
フリーの記者なんてものをやっているため時間の融通がきくのもあるが、ルフィの奇想天外な発想と我がままっぷりに付き合える人間は早々いないのだそうだ。
ゾロがD家を訪れたのは、もう6ヶ月も前になる。

『大人にならない子供がいる』

そんな七不思議を聞きつけたゾロが取材にやってきたのが半年前だった。
家主であるガープと言う人物に接見し、ルフィの住むこの離れを教えてもらった。ルフィはこの家と、敷地内の庭からもう三年も一人では出たことがないそうだ。正しくは、出してもらえない。
ルフィの身の回りの世話をしているのは主に兄のエースで、昼間は働いている。だから昼間だけゾロがルフィの兄代わりだ。
ゾロはエースから詳しい事情を聞くことができた。案外さらっと教えてくれたので最初は何を企んでいるのかと訝ったが、今ではこれがD家の家風なのだと理解できる。
ルフィは――、3年前に交通事故に遭い、脳に損傷を負った。以来……。

「おれ、わりィけど男なんか好きにならねェよ?」
「だったらお前がこれを書き換えればいいだけの話だ」

至極、優しい口調でゾロは返した。
ムリに惚れさせようなんて思ったことはない。
なぜなら。

ルフィの記憶は、1週間しか持たないのだから――。


ルフィの実年齢は17歳だが、心は14歳のままだ。
初恋もしたことがないと前に一度だけ聞いたことがある。もちろん、それをゾロに言ったことをルフィは忘れているのだが。
「ほら、またここで間違える」
「またって言われても!!」
「ああ、すまんすまん」
「ゾロの方がおれんこといっぱい知ってるのって、なんか不利な気がしてきたぞ」
「そうかもな」
一応、くちびるの感触なんかも知っているのだが、言わないでおいてやろう。
何度か「えっちなことしてみたい」と請われたこともあるが、いまだ一線を越えたことはなかった。
自分ばかりがハマっても、彼はどうせ7日間で自分のぬくもりも快楽も痛みも、すべて忘れてしまうから……。
「ゾロのこと教えろよ」
「お前の家庭教師だ」
「それは聞いた! 他には? 仕事は? 彼女は? 兄弟は? おれには兄ちゃんがいる!! 今朝言われたよ、お前の記憶は一週間しか持たねェんだって。医者には『何が起こるかわからないから安静にしてなきゃいけません』って言われてるんだと。それおれのことだよな? ん~~でもぼんやりしか意味わかんねェ!!」
「聞きたいのか話したいのかどっちだ」
「ああ! ごめんごめん!!」
「先に言っておくが、おれはお前に惚れてるぜ」
「……へ?」
「半年前からずっと」
右手を伸ばし、ゾロはルフィの左頬の傷にそろりと触れた。

そんなゾロをルフィは不思議そうに眺めながら、パチパチと何度か瞬きしてマヌケな面をして、おでこを指で押さえ「ぬ~~っ」と何かを考えはじめた。そして真っ赤になったと思ったらハッとまたゾロを見上げ、ゆらゆらと大きな瞳を揺らす。
「ごめんな……」
「謝る必要がどこに?」
「でもごめん。ごめん……おれ、うまく言えねェけど、忘れてごめん!!」

ルフィは何度ゾロに恋をしても、1週間すればまだ恋も知らない14歳の子供に戻るのだ。


「お前はおれの気持ちなんか考えなくていい。1週間、やりたいことだけやってすごせばいいんだ」
これはいつも、週の初め、ゾロがルフィに言う言葉のひとつだ。
「でも忘れちまう」
それに答えるルフィのセリフは色々だったが。
「後ろ向きなんざお前らしくねェ」
「うん……そうだよな! そんとき楽しけりゃいいよな!」
だけども大抵、ルフィは最後こうやって笑ってくれるので、ゾロはそれでいいと思っていた。
「ああ、ルフィは毎日笑って過ごしゃいい」


その翌日、急な取材が入り、ルフィの元を訪れたのはあの日から5日も経ったあとだった。
こんなに空いたのは初めてのことだ。
「なんで来なかったんだよゾロのばか!」
「……わりぃ」
こんな風に怒られるとは思ってなかったので、正直驚く。
「今日は一日ずっと一緒にいる」
「当たり前だ。おれに惚れてるって言ったくせに……」
少し目元を赤くしてブツブツ言うルフィはどうしようもなく可愛らしくて、少々クラクラしたのだけれど。
「お前はおれに惚れてねェのに、おれを縛りてェのか?」
「わりィか!?」
「むちゃくちゃだが……」
今週のルフィの惚れ方はこういうものらしい。
結局その週は手すら握ることはなかったが、ルフィが「好きな人」の注意書を書き換えることはなかった。



次の週のルフィは、先週の反動なのかなんなのか(そんなものはないハズだが)、ゾロに一目惚れして下さった。実は少なくないパターンだ。
「ゾロおれ今週は勉強しねェぞ」
「……おれの存在理由がなくなるんだが」
「なんでだよ、付き合ってんだからいいじゃん」
一目惚れしてから〝好きな人〟の注意書を見たせいか、納得したルフィは自分達を恋人同士だと思いこんだらしい。特に問題はない、むしろ願ったり叶ったり。
「なーなー、おれたちってどこまでやったんだ?」
「どこまでとは?」
「キ、キスとか……えっちとか」
「キスまでだ。とりあえずおれたちはな」
「おれたちはってなんだよ。おれゾロの前なんていねェもん」
「それは覚えてねェだけかもしんねェぞ?」
「ねェよ! おれにはわかるんだ!」
「ルフィ……?」

ゾロは実のところすっかり諦めていた。
ルフィは一生このままなのだと。
このまま、自分のことを好きになったり忘れたりを繰り返すだけなのだと。
だから抱かないつもりでいたのに……。
「ルフィ……好きだ。今のお前がな。前になにがあろうと変わらねェ」
「そんなんいやだ」
「いやだって何だ……」
「確かめればいいじゃんか。ゾロが自分で確かめてみろ!!」
14とは思えない、強い眼差しがそこにはあった。
彼はもしかしたら……成長、し続けていたのかもしれない。ゾロが気付かない間に。

その7日目の夜、ゾロはとうとうルフィを抱く覚悟を決めた。

「んあっ、あ……ぃ、てぇ」
「悪い、やめるか?」
ルフィの部屋のふかふかベッドで抱き合いながら、ゾロはルフィの苦悶の表情を見下ろしていた。何度もイかせた体はほどよく桜色に染まっているが、このときばかりはカタカタ震えて可哀相になる。
17の体と言ってもまだまだルフィは成長段階だ、穿った部分が焼けるように熱かった。
「やめるな……っ」
「…動くぞ」
加減して突き上げたつもりだけれど翌日――つまり今の記憶がない明日に間違いなく響くだろう。
一片の疑いの余地もなく、ルフィの体は初めてだった。
生まれて初めての繋がりをルフィはあと数時間もすれば忘れてしまうけれど、体は確実にゾロを覚えていてくれるのだ――。

「ぞ、ろ……? 泣いてんのか?」
「悪い、泣きたいのはルフィの方だよな……」
「なんで? おれやっぱ違ったのか……?」
顔をくしゃりと歪ませ言うので、それはきっぱりと否定した。
「お前はおれだけだ。確信した」
ルフィの熱い掌が濡れるゾロの頬にぺたりと当てられる。その手を握りしめ噛みつくようなキスをして、ゾロは初めてルフィの中で果てた。

その夜、ルフィが眠ったのを見計らい、ゾロは自分の写真をこっそり壁から外した。そしてポケットにねじ込む。
兄には正直に彼を抱いたと告げるつもりだ。だからといって逃げ出すつもりも放棄するつもりもないと言うことも。
「必ずまた来る」
言い残し、静かに部屋を出た。




半年後。

「おれが誰かかわるか、ルフィ」
「エース」
「こいつは?」
「知らない奴だ。けど……」
「けど、なんだ」
「懐かしい」
「ルフィ、おれはゾロだ。ロロノア・ゾロ」
「ゾロ……?」

真っ白い病室。
ルフィの部屋の壁のような。
しかしここには、ルフィのメモ代わりの写真は一枚も貼られていなかった。
ルフィには明日から新たな1ページが用意されているハズだから……。
ルフィが手術を受けるため入院したのは今から1ヶ月前、手術したのは10日前だった。
意識が戻ってもうすぐ8日目……。
手術が成功したか否か、はっきりと解る時がくる。
その瞬間を今、ルフィはゾロとエースと共に迎えようとしているのだ。
この現実の裏にはゾロの影なる努力があった。
ゾロがルフィの前から姿を消したあの日から、ゾロはルフィのために医者捜しを始めた。自分のコネと足と情報収集能力をすべて駆使し仕事も生活も犠牲にして世界各地を回った。全ては、ルフィのために。
ゾロは諦めるのをやめたのだ。
ルフィの気持ちを自分のものにしたい。切り取った7日間ずつの気持ちじゃない、ルフィのすべての時間を通して自分を想ってほしいと願った。
自分と同じ時間を生きてほしい……。
もう永遠の少年ではいてほしくない。
そうしてようやく、ゾロはとある雪の岩山で奇跡の女医を捜し当てた。その報酬は膨大なものだったが、ゾロに躊躇はなかった。
その時点で既に5ヶ月近くが経過していた。

それからのゾロは大忙しだったが、ゾロが連れてきた天才女医を誰より信用してくれたのがルフィの家族であったことが大きな救いとなり、無事ルフィは手術を受けることができた。
もちろん、手術自体は大成功した。
ルフィの脳に、損傷箇所が復活する、という奇跡が起こったのだ。


「ん~~眠ぃ」
ベッドに起き上がってはいるもののルフィが大きな目をしょぼしょぼさせている。
その頭には白い包帯が巻かれていて、まだちょっと痛々しい。
「こら寝るなルフィ、あともう1分もねェんだから」
本当の奇跡が起こるまで。
「んん……?」
「ルフィ、こっち向け」
「ゾロ…だっけ、何……?」
睡魔で赤みのさした、ルフィのまるいほっぺたをゾロが両手で挟み込み、真摯にその瞳を見つめた。
やがてルフィもその眼差しを見つめ返すようになり……。
8日目まで、あと10秒と迫った、そのとき。
「!?」
「あーこらっ! ロロノアくん!!」
ゾロが兄の目の前でルフィの唇を塞いだのだ。
「んっんー!」
抵抗する細い体を抱きすくめ、キスを深くする。エースの抗議は俄然無視。
どうせなら口づけから始めたい、そう思ったから――。

5、4、3、2、1……

「ぷあっ、ハァ……ハァ……、い、いきなり何すんだよっ、ゾロのばかーっ!!」
「ルフィ……今、おれの名前」
「なんだよ、お前ゾロだろ?」
「ああ……ゾロだ。それでいいんだ」
「やった……! 治ったんだ……ルフィが治った!! やったぁ~~!!」
エースが思いきりばんざいをして、それから「ジジイと先生に知らせてくる!!」と病室を出ていった。しかしすぐまた顔を出し、
「ルフィを頼む」
ニィと笑って、「先生はもう少しあとで呼ぶからよ」とお節介を焼き、今度こそ出て行った。

「エース~~? どうしたんだエースのやつ、あんなに慌てて」
「それよかルフィ」
ゾロは抱きしめていた腕を弱め、ルフィの顔を間近に覗き込んだ。
「んっ?」
「改めて、はじめまして」
「おおっそうだったな! ちゃんと挨拶してなかったよなぁ~」
「ああ」
「おれはルフィ! はじめましてゾロ、どうぞよろしく」
ルフィが右手を差し出す。その手をゾロはぎゅうっと握りしめながら、
「もう遠慮はしねェぜ」
「…なにが??」

また、必ず惚れさせてみせる。


ルフィの時間を永遠に自分のものにするために――。



(おわり)

やっぱりハピエンがいちばん!!
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