過ぎた分の約束


「そう言えば」
「どうしたの? ルフィ」
毎日の日課である航海日誌を書く手を止めた、オレンジ髪の女航海士が船長に向かって首を傾げる。
「ナミそれ、ちょっと貸してくんねェ?」
「航海日誌なんかどうすんの?」
無言で受け取ったルフィが無言でそれをめくる。
「もしかして……」
「うん」
当然答えが返ってくるものだと思っていたナミは、ルフィの知りたかったことを共有しようとして失敗したことに、彼があっと言う間に食堂から飛び出して行ってしまったことで気付くことになった。
「何だったのかしら……」
放り出された航海日誌の開かれたページには。
「ナミさん! オレンジペコが入りましたァ!」
目から器用にハートマークをぷかぷか出しながら、航海士に従順なコックがトレイにカップを一つ乗せてやってくる。
「ありがと、サンジ君」
「いいえ~! で、ルフィの野郎が何か?」
「ん、いいの! ルフィのことはルフィが何とかするわ」
「はぁ?」
当惑するサンジを余所に、ニッコリ笑ったナミの白い手がカップに伸びた。
ルフィの開いたそのページ、11月11日の日付に目を落としながら……。




「ゾーロー。ゾロゾロ」
「あ?」
甲板のマストに凭れ、居眠りでもしようかと思っていたゾロのところへ船長の声。
これはどうも寝るわけにはいかない。
「あ、起きてた」
「何か問題が?」
「んにゃ」
首を振るルフィにゾロが不審な目を向ける。
いつも自分の名を呼ぶときはたいていが満面の笑みのはずのルフィが、なぜだか浮かない顔つきだからだ。
ルフィはゾロの前にあぐらを掻いて座ると、ますますその顔つきを険しくさせた。
なんで言わないかな……。
ルフィは口をへの字にしてどうしてくれようかと目の前の大剣豪を見つめる。
「約束違反だな」
これだー! とルフィは思った。
「はぁ? 何か約束したか?」
心当たりのないゾロにとっては、首を傾げるしかなく。
怒ってんだろうか。おれが約束を破ったから?
ここ2、3日の記憶を巡らせてみたが、ゾロはと言えば昨日の夕飯の献立すら思い出せない。
駄目だ……ギブアップ(早)。
「教えてくれ、おれは何の約束を破った?」
ゾロの表情がいささか情けない顔になった。
お、困ってる。
にしししとルフィは笑う。
その表情に、ゾロは片眉を上げると顔を顰めた。
「何だ、怒ってねェのか?」
「おれは怒ってるぞ」
「怒ってる顔かよ」
「だって、ゾロ困ってるからおもしれー」
「てめェ……」
「ゾロの誕生日、過ぎたじゃんか」
唐突にそう切り出されて、ゾロは思いっきりハッとした。
誰もが知っているわけではないし、自分自身忘れていたのだ。
「そう言えば……過ぎてるな。しかしそれと約束と、何の関係が?」
「忘れてるから怒ってるんだ」
わかってねェなぁ。
「だから何を……」
訳わかんねェ。
咬み合わない二人の視線が絡む。
逸らせるのは大抵、ゾロが先。
「ゾロさぁ……」
つまらなさそうに唇を尖らせたルフィが、麦わらを取ると傍らへ置いた。
「ああ」
ゾロは観念してルフィにちゃんと向き合おう、そう思った次の瞬間。
え……。
唇に、暖かい感触。
「誕生日おめでとう。マイナス……えーと、」
ルフィの、唇……? え、マイナス?
ゾロの思考はてんでついていっていない。
「マイナス18日」
ルフィが手の指で足りない分を足の指で数え、「うん」と頷いた。
ああ、そうか。
ゾロはようやくルフィの言いたいことを理解して心の中で手を打った。
つまり、ゾロの誕生日から18日も過ぎていると言うことだ。
それは解ったのだが……。
ゾロはまた首を傾げる。
「まだ思い出さねェ?」
ルフィのほっぺがとうとうぷくっと膨らむので、ゾロはかかなくていい汗をかいた。
そう、解らないのはその「約束」の内容。
約束を守ることを当たり前に思っているゾロにとって、これは一大事。……このままでは済まされない。
とうとう本気で悩みはじめたらしいゾロの顔が歪んでいくのに釣られ、ルフィもだんだんと顰めっ面になっていくのだった。
駄目だな……。ダメダメだ。
「ゾロ」
「おう」
お?
ルフィからの、2回目のキス。
ちょっとくっつけるだけのそれは、さっき程のぬくもりを感じない。
ぱっと離れたルフィの顔は晴れやかに笑っていて、今自分がしたことの意味を解っているのかいないのか。しかし本当に解っていないのは今、ゾロの方なのだ。
「ルフィ……?」
「ん……」
3回目。
少し、ゆっくりと。少し、深く。
これで思い出すかな?
3回目のヒントなんだと、ルフィは唇で訴える。
この前、キスしたのはいつだっただろう。ゾロは関係ないことを考えてみた。そうでもしなければ、きっとこの両腕は……。
ルフィを閉じこめてしまうから。
しかしキスさえ慣れていないと思っていたルフィが今こんなことをするのは、自分が約束を忘れてしまったことにある筈なのだから、とゾロは反省すべきなのだ。
そして4回目。
さらに5回目。
唇と唇3ミリのところで、ルフィの目が開く。
虚ろなそれはとても色っぽくて……。
「抱きしめていいか」
「ダメ。後13回するぞ」
「なんで13回なんだ?」
「過ぎちゃった分……。おれの歳の分」
ルフィの黒い大きな目がゾロの気も知らず、また閉ざされた。
6回目……、を、しかしゾロはパッと止めた。
「思い出したァ!!!」
「うわ、びっくりした!」
「悪ィ……」
いきなりのゾロの叫びに驚いたルフィが後ろに吹っ飛んで尻餅をついた。
「いや、痛くねェし」
とぷるぷる首を振ってはくれるけれど。
「思い出した……。ルフィの誕生日にした約束……」
そのゾロの呟きには、ぱちぱちと2度瞬きしたルフィが待ってましたと言わんばかり、にぃっと笑った。
ルフィの誕生日――ルフィはその日を「おれが海賊王に一つ近付く日だ」と言った。そんなルフィにゾロはキスをして、そしてゾロは「おれが大剣豪に近付く日にもキスをしたい」と言ったのだ。
“大剣豪に近付く日”
それは、ゾロの誕生日のこと。
今日からマイナス18日の日……。とっくに過ぎたその日。
「だから、18回か……」
しかし何故過ぎた分までキスをしようと思ったのか、ルフィのことだからきっと何となくなのだろと思いながらゾロはくつくつと微笑う。
「何笑ってんだ!」
ルフィは眉を寄せ、首を直角にかたむけた。
思い出したと思ったら何か偉そうだぞ? とついでに反対側へも傾げる。
「なァ、ルフィ。残りの13回……」
ついと寄ってきたゾロがルフィの瞳を挑むようになにやら持ちかけてきたので、ルフィはぱちぱちと瞬きををした。
「うん?」
また反対側へと小首を傾げて。
ゾロは口の端を上げてにやりと笑うと、困惑中のルフィの細い二の腕をぐいと掴み、自分の方へと強引に引き寄せた。
「おわっ」
安定がなくて崩れた身体は、簡単にゾロの腕の中へ。
ルフィの頬がゾロの胸にぶつかって、ルフィはぎゅっと目を閉じた。
こういうときのゾロって、オトナで困る……。
ルフィは動けなくなる自分の身体が少し嫌いなのだと、ゾロの腹巻きを握りしめてはじめてそう気がついた。
「おれ、オトナじゃねェから……」
「え?」
ゾロが“13回分の提案”を述べる前に釘を刺された様に感じ、どきりとする。
「ゾロに教えて貰ったこと、まだ上手に出来ねェし」
「それって……」
もしや、過去2回だけした“SEX”のことを言ってんのか……?
二人は一応、身体の関係にあるのだ。
ゾロはますます切り出せない“残り13回分”を思い、少々頭が痛くなってきた。
「悪ィ……」
とりあえず謝っとくか……。
ルフィの両腕を掴むと自分から引き剥がす。
きょとっとしたルフィの顔はまだ幼いのに、こんな風にかわすことを知っているなんて。
――大人に、なったからじゃないのか?
ゾロの半年前、18になったルフィ。
そのルフィはゾロの腹巻きから指を離すと、自分から離れそうなゾロの両手を慌てて掴んだ。
「ゾロはまたさっさとオトナになっちまうんだもんな!」
一生追いつけないのが歳の差というものだけれど。
どうやらルフィは、さっきからそのことを懸念していたらしく、自分の邪な思惑を阻止しようして言ったものではなかったことをゾロは知った。
しかし下唇を噛むルフィが窮地や選択肢の前で誰より冷静で大人なのを知っているから。知らないのはきっと本人だけなので、教えてやらないことにする。
だって、ルフィはルフィだから。
それでいいのだから。
ゾロは自分の手を掴んだままのルフィの、男にしては綺麗な指先を見つめた。
「残り13回分、おれにくんねェか?」
「そっか、ゾロからキスするって約束だったっけ」
そうだっけか……?
結局きちんと思い出していないゾロは「ああ」と大人な嘘を吐いた。
そしてやんわりルフィを抱きすくめ、その耳元へ。
「13回分まとめて1回、お前を抱きてェ」
ピクリ、とルフィの肩が揺れる。
「う……。えーとだな……」
また、動けない。きっとゾロが一個オトナになったから、余計になんだ。
ルフィはそれを歳の所為にしてしまうけれど、やはり少し悔しくて。
ゾロとするSEXは、ルフィには酷くオトナの行為だった。
1度目は、ルフィの誕生日に大人への登竜門として。
2度目は、悪友の煽りと、我慢していたゾロをルフィが気遣って。
そしてこれからの3度目は……?
ルフィはすぐに考えることを放棄するとゾロを上目遣いに見た。
「どうすっかな」
「また、おれはまだ大人じゃねェからとか言うのか? おれが先に大人になったことが気に入らねェ癖に?」
「むむ」
オトナ、ではない。でも、もうコドモでもない。
そう、だから。
「おれはおれだ!」
「そうだ、ルフィはルフィだ。大人とか子供とか、気にすんな」
「でもゾロはオトナだ」
それはやっぱり気に入らなくて。
「そんなことねェよ……。我慢、出来ねェし」
欲しいモノを欲しいというコドモ。
「我慢すんなって、おれが言った」
欲しいモノを欲しいだけ与えられるオトナ。
「だからおれも、大人でも子供でもねェ……」
「ゾロはゾロだ!」
そうだ、だから一緒が心地良いんだ。
「おれはおれだ」
だから触れて確かめたいんだ。
ゾロはルフィの身体を簡単に床に押し倒してしまって、上からその幼い貌を見下ろした。
ルフィの薄い胸に手を這わせ、布の上からするする撫で上げる。
「ん……っ。ゾロ、ここでやんの?」
見上げれば青い空にマストとはためく帆。それと海賊旗。
「嫌か?」
「誰か見るかも」
「嫌か?」
「………」
「ルフィ」
熱っぽいゾロの唇がルフィの首筋に埋められた。
「ゾ、ゾロ!」
「ん?」
ちゅうっと吸われ、ルフィは思わず目を瞑った。
「あ、明日にする!!」
今度、次回、今は嫌。
ルフィの頭の中に浮かんだ単語。
明日って……。
そう言われればゾロは動きを止めるしかなく。
服の袖をきつく握るルフィに、無理できるはずもない。
ゾロは顔を上げると閉じたままのルフィの瞼を優しく撫でた。
ふるりと、ルフィの睫毛が揺れた。
「解った。じゃあ、明日な」
明日じゃなくてもいいけど、と言えるのは2年分のゾロの余裕。
無理をさせない年上の優しさ。
「うん、明日! 絶対!」
明日になって「また明日」と言ってしまうかも、と思うのは2年分のルフィの未熟さ。
我が儘を言う年下の甘え。
ゾロはルフィの顔の脇に両手をつき、真上からその大きな瞳を見つめニッと笑った。
ししし、とつられてルフィも笑う。
「ゾロ、誕生日おめでとう!」
「ありがとよ」
ゾロがルフィの手を取って、軽々その上体を起こすと乱れたままの頭に麦わらを被せた。
「ゾロも大剣豪に一つ近付いたな!」
「ああ、プラス18日分もな」
「それはなんかズリィ」
「ズリィか?」
「うん。でもいいや、同じだったから」
ゾロも、オトナなんかじゃないから。
「ああ、いいな」
ルフィは、もうコドモではないけれど。


とりあえずは、こんなもんだろう。
おれと、お前だから。
二人の想いは同じ、青い空の下。
過ぎた日の分は、新たな約束の分。

今度はきっと、果たされるはずの。



(NEXT DAY……?)
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