魔性の島





「追って!! 早く!!」
サヤが必死の形相でゾロを急かすのに、ゾロはピクリとも動くことはなく自分の足下を見つめたままだった。
「おれのことはいいから!」
「いいんだ……」
「いいって……。何言ってんの!? ずっとあの人のこと考えてた癖に!!」
それはその通りで否定しないゾロは、踵を返すと部屋の中へ戻り木製のテーブルにダン、と手を打つ。
「あいつは戻ってくる。必ずだ」
それはゾロの根拠のない自信だった。
ここへ来て、どこかいつもと違うルフィに戸惑いを隠せないものの、ゾロはそれでもルフィを信じている。
自分が惚れて付いてきた男なのだと。
ぎりぎりと木目に爪を立てるゾロに、サヤはこれ以上掛ける言葉が見つからなかった。
所詮、二人の間に割って入ることなど出来はしないのだ。


「ゾロはどうして海賊になったんだ?」
サヤが軽い朝食を用意したがゾロは口にはしなかった。暖炉の前の定位置に胡座をかいて座り込んだまま、たまに薪を放り込みながら燃えさかる炎に目を奪われたままだ。
サヤのその質問にも「なりゆきだ」とぼそりと答えた。
それきりサヤが黙ってしまったので、ようやくゾロはそろりと顔を上げた。
「悪ィ……。あんなこと言っておいて、余裕ねェよな」
「仕方ないよ……」
「アイツの目がな、すげー強かったんだ」
「目?」
「ああ、目だ。”こいつは嘘を吐かねェ”……。すぐにそう解った」
急速に惹かれた、あの大きな何者をも呑み込む漆黒の瞳。
「なのに、ここで再会したあいつの目は……」
「弱かった?」
こくりと、重くゾロが頷く。
「不安定に揺れてた。なのにおれはルフィをあの森に放ったんだ。酷い相棒だよな」
自嘲気味にゾロは笑って、そして膝を立て腕で囲むとその中へ顔を突っ伏してしまう。
それでも、信じたいのだ。
ルフィ……。
ルフィ……。
ルフィ……。
他に何も言葉が浮かんでこない。
本当にもう会うことは許されないのか?
ザワザワと囁いていた風が突然止んだ。
サヤがピクリと窓の外へと目線を投げ、それからすぐに立ち上がった。
ゾロもその空気の変化に刀の柄を握ると立ち上がる。
「なんか、音が……」
「え?」
サヤは呟くと勢いよく扉を開け放ち、真っ直ぐ樹海を見渡した。
「声?」
「サヤ? 影か?」
「しっ!」
数歩、サヤは駆け出すと耳を側立てた。ゾロも後に続く。
「キャツラがこっちへ降りてくる」
「まさか……」
地鳴りと、もう一つ重なる高い音……。
かなり遠くから猛烈なスピードでそれは大きくなってくるのが解った。

「―――――!」

確かにゾロの耳にも届いて来る。
あれは、声?

「わ――――――――!!」

微かに聞こえる地を蹴る音とたまに破裂音。
「ルフィだ……あの野郎また……」
影に追われている。
「え!?」

「わ――――――――――ッ!!!」

「ルフィ!!」
ゾロはいても立ってもいられなくなって駆け出した。
「ゾロ! 結界を越えないで!!」
サヤのその声に促されるまでもなくゾロはピタリと結界手前で足を止めた。そして大きく両腕を広げる。
 ゴォォォォォォォ……
  「ぅわ――――――――――ッ!!!」
追い駆けっこのようなその声のボルテージがだんだん上がってきて、ゾロは息を呑む。
「ルフィ!! こっちだ、走れ!!」
「ゾ―――ロ~~~~ッ!!!」
小さな点だったルフィがみるみる大きくなってくる。ルフィの足下数センチ後ろには影がメキメキと音を立てながらルフィを今にも呑み込もうとしていたが、やがて樹海を抜け日向に出るとみるみる蒸発して消えていった。
けれど真っ直ぐ前を見て全速力で突進しているルフィに解るはずもなく……。
「や、やっぱり止まれルフィ!!」
「無理だ!!」
ぼごーーーん!
見事に二人後ろへ吹っ飛び、まだ余りあまってごろごろと転げて小屋の壁に撃ち当たってようやく止まった。
「ぃ、痛ェ―――!!」
ゾロが強か頭をぶつけたらしく転げ回っている姿を戻ってきたサヤがあたふたして手を出したり引っ込めたりしている。
ルフィはと言えば逆さまにひっくりこけた状態だった。
「二人とも、平気?」
サヤは取りあえずゾロの額に滲む赤い血に白いガーゼを当てた。
「そいつは、大丈夫だ。ゴムだからな。あー、痛ェ……。畜生」
そんな悪態を吐くものの、ゾロがどこか嬉しそうなのがサヤには解って自分も釣られて小さく微笑む。
「大したことないみたい」
「こんなん、毎度のことだ」
「とにかく中へ入って……」
とサヤがゾロの腕を取ろうとしたとき、バッとその腕を除けられて何かが間に割り込んできた。
「ルフィ?」
ぱちくりとサヤが犯人のルフィを見れば、ルフィはぷっくりとほっぺたを膨らませている。
「どうした、ルフィ。どっか痛かったか?」
ゾロが少し焦ってルフィの細い二の腕を掴み、自分の方へ向かせた。
「んにゃ、どっこも。ちっとムカついただけだ」
「ムカ……」
ルフィのその不機嫌の理由には、ゾロがさっぱり解らないといった表情を浮かべる。
そんな鈍いゾロにはサヤは笑いを堪えるしかなく。
しかしルフィはもう忘れてしまったかのようにすっくと立ち上がると、サヤの前に仁王立ちになった。
「サヤ!」
「う、うん……」
サヤがちょっと気圧される。
「おれにも手伝わせてくれねェか。サヤがやろうとしてること。ゾロが、助けたいと思ってること」
強い瞳だとサヤは思った。
サヤは真っ直ぐにルフィの前に立つと、すっと右手を差し出す。
「ありがとう、ルフィ。そしてゾロ」
いつの間にか二人の脇に立って腕組みをしていたゾロがニヤリと笑う。
ルフィは、右手を挙げると、思い切りサヤの差し出された手を弾いた。



「いやー、死ぬかと思った」
山を降りる途中、やはり引き返そうと登ったら登りすぎてしまっていたらしい。
「本当に無茶苦茶だな、お前は」
ゾロがくつくつと笑うので、ルフィはむーっと頬を膨らませる。
しかしゾロのこめかみ辺りの白いカット絆にちらりと目をやると、何も言えなくなるルフィだった。
食事を終え、いよいよ出動のための身支度を始める。
「武器は?」とサヤがルフィに聞くのには「素手!」と答えた。
「そういやさっきゴムがどうとかって……」
「ああ、おれはゴムゴムの実を食った。ゴム人間なんだ」
そう言うと、得意のほっぺをびろ~んとやって見せてサヤを驚愕させる。
「おれ、初めて見た。悪魔の実の能力者」
改めてサヤは凄い人物を味方に付けたことを知った。
「言っておくが、こいつは一億ベリーの賞金首だからな。強ェぜ。ま、おれも負けてねェが」
「おう! ゾロは同じくらい強いぞ!」
実にあっけらかんと自慢されて、サヤはポカンとしてしまうしかなく。
い、一億?
同じくらい強い?
その基準は何??
サヤにはどのくらいの強さなのかさっぱり見当がつかない。
「よ、宜しくお願いします……」
取り合えず頭を下げておくことにしたのだった。



「ゾロ、行く前に話しがある。ちょっと来てくれ」
ルフィが唐突にそう言いだしてゾロの腕を取るので、ゾロは気後れしながらも連れだって外へ出た。
畑のまだ奧の林まで行く。
天気の良い日で、木漏れ日からの日差しが心地よかった。
しかし、ゾロに背を向けたままのルフィはゾロを振り向くことなく言葉を紡ぎ始める。
「おれ、ここに来てから変なんだ……」
まさかルフィに自覚があるとは思ってみなくてゾロは何と言っていいか解らずに押し黙る。
「ゾロに会えば解るかと思った。でも解んなかった……」
「ルフィ」
ゾロの踏み出した足の下から、パキリと小枝の割ける音がした。
「来るな!」
「え?」
ゾロからはルフィの背しか見えはしないのに、その顔を見たいというのに。
ルフィはやはり振り向くことなく、ゾロまでをも拒絶した。
「こっち向けよ、ルフィ」
「やだ、忘れたんだ」
「忘れた?」
「大事なことだ。でもどっか行っちまった……」
「何言ってんだ、ルフィ?」
「絶対、忘れちゃいけないことだったんだ……」
語尾がどんどん小さくなってくのを、ゾロは聞いていられなくてずんずんとルフィまで歩み寄る。
「来るなって言ってんだろ!」
「何でだよ!」
「こんなおれ、おれじゃないって思ってるくせに!」
「思ってねェよ!!」
「嘘だ!!」
何だって言うんだ、いっそこのまま抱きしめてやろうかとゾロは思いながらルフィの折れそうに細い手首を取った。
「触るな!」
「……っとにムカつく野郎だな! お前はお前だろうが!!」
ピクリと、ルフィの体が震えて動きが止まる。それでも已然としてルフィはゾロを振り返ろうとしない。
「いつもと違うことくらい知ってる! でもお前の目はおれの知ってる目だ。迷ってたって曇ってたって、おれの知ってるお前の目なんだ!」
「よく、解んねェ。ゾロの言ってること」
「解んねェんならいい。でもな、どんなお前もお前なんだ。昨日までの不安に揺れた目のお前も、そして何かを吹っ切ってきた目のお前も、今こうやって向けてくれない目のお前も……」
「ゾロ、おれ……」
「ルフィ……」
そうしてようやく振り向いたルフィの目には……。
「夢を、忘れちまった……」
ぽろりと、その大きな瞳から一粒の涙が伝い落ちた。
「ルフィ!?」
また一つぽろり、また一つぽろりと……。
「情けね……」
ぐしっとしゃくり上げてルフィはゾロに体ごと向き直るとその胸に額を付ける。
「でも一つだけ解ったんだ」
ごしごしと目をゾロのシャツに擦りつけながらルフィが言うので、ゾロはポンポンと背を叩いて「ああ」と答えた。
「おれが忘れた全部はあの山にある」
ルフィは本能でそれを知っている。
「だからおれは自分のためにもあの山へ登る!」
「ルフィ……」
そうしてまたあの麦わらを被って海へ出るのだと。
もう泣いていない、顔を上げたルフィの晴れやかな笑顔がそう言っているようだとゾロは感じる。
泣いても迷っても怒っても笑っても、例え夢を持ってなくても、総てがルフィだ。
ゾロは自分の腕の中から逃げられない内にと身を屈めると、涙で少し湿ったルフィの唇を奪った。
抵抗はされなかったので、いつもより、それは長めの想いの代わり。



決戦の火蓋は切って落とされる。



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