魔性の島
6
昔、昔──。
名もなき小さき島に暮らす一族は、諸国との繋がりも持たず、貧しいものの平和に日々を過ごしていた。
やがて、国の繁栄と共に起こる諍いは歴史の常として避けられるものではなく、二手に分かれた勢力が島を分けた。
幾年に渡る年月の末勝利した者達は、敗北した者達を当然のごとく虐げる。それらが山へと追いやられるのにそう時間を要しなかった。
憎しみと。
怒りと。
絶望と。
哀しみと。
全ての悪鬼は山から緑を奪い去り、噴き出る滝は下界のものを拒むように岩となった山を囲み、滝壺の周りに生い茂る森からは動物たちを排除した上、日光までもを遮断し樹海へと変貌させた。
やがて虐げられた人々は自らを呪いに掛け、自らを影に変える。
彼らの欲しているものは。
希望と。
愛と。
夢と。
ぬくもりと。
しかし既に理性を持たないソレは森を這いずり、慟哭の声を上げた。
そして新たな戦いが始まる。
下界の勝利者達は山に結界を張り巡らせ魔物と姿を変えた同族達を封じ続けた。
しかし為す術もなく破れたもの達は廃人と化し、皮肉にも同朋をも虐げる形となっていく。
当然のごとく勝利した一族の数は減り、勢力を無くした現地民は他国からの侵略に遭う。
新しい島の主となった侵略者は彼らを魔物と呼び、山へと追い立てた。
これまでの歴史を知ることもなく。振り返ることもなく。
「おれは勝利した方の一族の末裔。おれ達の戦いはその後も続いたんだ。キャツラが山へ降りないように封じ込み続けた。でも、もうおれで最後だから……」
サヤはそこで言葉を切るとこの島の最悪の状況を想像する。
廃人達の巣窟となった島はやがて死に、訪れる旅人達を影は喰らい続けるのだろう。
黒いモノが蠢く廃島。
「決着を着けなきゃいけない……」
トーンを落としてサヤはしかし、しっかりした口調で言った。そんなサヤには、どうしてもゾロは合点がいかないものを感じる。
「サヤが戦い続けるのは、サヤ達を追いやった町の奴らを助ける為か?」
「正確にはこの島を。行くとこがないんだ、仕方ないだろ」
「でも、お前の兄貴は山を出たんだろ?」
「…………」
その問い掛けに、サヤは眉根を寄せると静かに首を横に振った。
「あれは、嘘だよ……。おれ達はこの山から出ることは出来ないんだ。これがある限り……」
”これ”と指したものを、サヤは懐から取り出すとゾロの前にぶら下げて見せる。
それは首から提げた丸い小さな珠……。
ゾロが覗き込むと、白く不透明な中で黒い無数の点が踊った。
「これは?」
「キャツラを封じ込める珠だよ。明日の満月で影封じの力がとうとうマックスになる。おれは、行かなきゃならない……。間違った歴史を作ってしまったおれたちの、末裔のおれの、これは責任なんだ……」
「誰も恨まないのか?」
「恨めるはずがない……」
「どうして……!」
ゾロはどうしたって腑に落ちない。声を荒げ、拳を握った。
どうしてこの小さな少年が一人で背負わなくてはならないのか?
ゾロの肩に体を預けていたルフィがもぞりと身動きしたが、ゾロは憤りを抑えることが出来なかった。
「町の人たちが”魔物”と呼んでいるのはおれのことさ」
「え?」
サヤは指先が白くなるまで握り込まれているゾロの拳を掴むと、開かせて自分の頭の上に置く。
サヤの意図するところを読めないままゾロは当てられた頭部に指を這わせた。
微かに当たる、硬い何か……。
「これは……」
「角だよ。おれ達残りの一族も、自分たちに呪いを掛けたんだ。そうしなければみんな喰われてしまうから……。これはおれが魔物となった証……」
「だからって……。自分を犠牲にしてまで……」
「ゾロ、これはおれの誇りなんだ。おれ達一族が生きてきた証でもあるんだよ」
そういう生き方もあるのだ、とサヤは静かに語る。
「納得出来ねェ、そんなものは」
取られたままだった手を奪い返すとゾロは怒りの矛先をどこにも持っていけずに下唇を噛んだ。
「優しいね、ゾロは」
「そんなんじゃねェ。おれの考えと違ってるってだけだ」
それが許せない。
自分と違うサヤが許せない。
勝手で我が儘な言い分だろうが、この少年がゾロは哀しくて仕方がなかったのだ。
「もう一つ理由がある」
「え?」
サヤは立ち上がると黒い窓の外を眺め、ゾロに背を向ける。
「兄さんが、山にいるんだ」
その事実に驚き、ゾロが顔を上げた。
「山を降りたんじゃなかったのか!?」
「キャツラに魅入られた……。それはキャツラにとって有利なことだ。この珠が効かない……」
「じゃあ、どうやって戦うって!? 死にに行くのかよ!」
ついつい音量の上がるゾロにサヤは人差し指を立てる。
「ルフィが起きるよ……」
「……っ」
こんな年下の子供に諫められて情けないとは思うものの、しかしゾロはまだまだ出来た人間ではないのだと開き直ることにした。
「でも、やるしかないんだ」
明日の満月の夜、魔物の呪いが解ける瞬間があるという。
月齢の満ちるその僅かな時間。
何事もなく次の朝が迎えられるか否かはサヤの手に掛かっている。
何という重圧感。
そんな中でサヤは独り生きてきたというのか?
今まさに満ちる珠の力を懐に温め、兄を殺しに行くために。
「もし、おれが負けたら……」
「負けるな」
「無茶言うね」
言って儚く笑うサヤの笑顔をゾロは忘れないと思う。
「言うさ」
「負けたら、この島を閉鎖して欲しい」
「そんなことおれに出来るかよ」
「でもお願い」
「お前の方がよっぽど無茶を言う」
「まぁね」
クスリと笑うサヤには心に揺るぎない芯が一本あって、その笑顔はそれを誰も抜き去ることが出来ないのだと無言で語る。
「解った、約束だ。おれが島ごと斬ってやる」
壁に立て掛けてある三本の愛刀に目配りすると、ゾロはにやりと笑う。
「そんなこと出来るの?」
「それくらい出来なきゃあいつに勝てねェ」
「あいつ?」
「ああ……」
世界一の座で待つ、黒い人。
強く優しい剣を持つあの男を倒して世界一になる日まで。
「おれは何にも負けるわけにはいかねェからな」
きゅっと歯の根を合わせ、目元を自然と引き締めたゾロをサヤは目を細めて見つめる。
「ゾロは大丈夫だね」
「どういう意味だ?」
「夢を、忘れてない」
「ああ、当たり前だ。こいつとの、約束だからな」
そう言ってふわりと優しい目になってゾロは傍らのルフィを見下ろした。
そして初めて失くしていた物が蘇ってきたような感覚を覚え、頭の中の靄が晴れた思いがする。
野望と、約束と、仲間と……。
大事な人。
ゾロはそっとルフィの肩に腕を回すと、ぎゅっと力を込めた。
忘れない……。
翌朝、特に何も持ってきていないゾロとルフィは、朝食を取ることもなく小屋を出ることにした。
一刻でも早く帰りたいらしいルフィの申し出だった。
「気を付けて」
寂しそうなサヤの笑顔が二人を見送る。
「世話になったな」
ゾロは心苦しいものを感じながら、刀を腰に納めた。
ルフィは決してサヤと目を合わせることはなく、黙って下唇を噛んでいたが「じゃあな」とだけボソリと呟く。
「元気で」
「ああ……」
先に立って扉を開けたルフィにゾロが続いた。
そして振り返ってサヤを視界に収めるが、何を伝えて良いのか言葉が浮かばなくてゾロは結局小さく笑っただけだった。
そんなゾロの手首が温かくなりそこを見れば、ルフィの手がしっかりと握っていてゾロは俯いたままの彼の後頭部を見つめる。
そしてゾロは歩みを止めた。
「ルフィ……」
「うん」
思いの外、強いルフィの声。
「おれは行けねェ……」
ゾロの言葉にピクリとルフィの肩が揺れた。
「何言ってんの、ゾロ!?」
サヤが慌てて駆け寄って来たが、ゾロはルフィを見つめるのを止めない。
「すまねェ、おれはここに残る。サヤを助けてェんだ」
「おれのことはいいから……!」
「いや、これはおれが決めたことだ」
きっぱりと言い切って、ゾロは短く息を吐くとルフィの手を振りほどいた。
ぶらりと、ルフィの手が落ちる。
「……バカ」
聞き取れない程のルフィの呟きにゾロは心が痛むが、これが自分なのだと気付いてしまったのだ。
「ルフィ……」
「ゾロのバカ!!」
肩を怒らせそれだけ言い捨てるとルフィは振り向きもしないで小屋を飛び出した。
一瞬後を追おうと片足を踏み出し掛けてゾロは思い留まる。
もう、自分にルフィを追う資格など有りはしないのだから。
昔、昔──。
名もなき小さき島に暮らす一族は、諸国との繋がりも持たず、貧しいものの平和に日々を過ごしていた。
やがて、国の繁栄と共に起こる諍いは歴史の常として避けられるものではなく、二手に分かれた勢力が島を分けた。
幾年に渡る年月の末勝利した者達は、敗北した者達を当然のごとく虐げる。それらが山へと追いやられるのにそう時間を要しなかった。
憎しみと。
怒りと。
絶望と。
哀しみと。
全ての悪鬼は山から緑を奪い去り、噴き出る滝は下界のものを拒むように岩となった山を囲み、滝壺の周りに生い茂る森からは動物たちを排除した上、日光までもを遮断し樹海へと変貌させた。
やがて虐げられた人々は自らを呪いに掛け、自らを影に変える。
彼らの欲しているものは。
希望と。
愛と。
夢と。
ぬくもりと。
しかし既に理性を持たないソレは森を這いずり、慟哭の声を上げた。
そして新たな戦いが始まる。
下界の勝利者達は山に結界を張り巡らせ魔物と姿を変えた同族達を封じ続けた。
しかし為す術もなく破れたもの達は廃人と化し、皮肉にも同朋をも虐げる形となっていく。
当然のごとく勝利した一族の数は減り、勢力を無くした現地民は他国からの侵略に遭う。
新しい島の主となった侵略者は彼らを魔物と呼び、山へと追い立てた。
これまでの歴史を知ることもなく。振り返ることもなく。
「おれは勝利した方の一族の末裔。おれ達の戦いはその後も続いたんだ。キャツラが山へ降りないように封じ込み続けた。でも、もうおれで最後だから……」
サヤはそこで言葉を切るとこの島の最悪の状況を想像する。
廃人達の巣窟となった島はやがて死に、訪れる旅人達を影は喰らい続けるのだろう。
黒いモノが蠢く廃島。
「決着を着けなきゃいけない……」
トーンを落としてサヤはしかし、しっかりした口調で言った。そんなサヤには、どうしてもゾロは合点がいかないものを感じる。
「サヤが戦い続けるのは、サヤ達を追いやった町の奴らを助ける為か?」
「正確にはこの島を。行くとこがないんだ、仕方ないだろ」
「でも、お前の兄貴は山を出たんだろ?」
「…………」
その問い掛けに、サヤは眉根を寄せると静かに首を横に振った。
「あれは、嘘だよ……。おれ達はこの山から出ることは出来ないんだ。これがある限り……」
”これ”と指したものを、サヤは懐から取り出すとゾロの前にぶら下げて見せる。
それは首から提げた丸い小さな珠……。
ゾロが覗き込むと、白く不透明な中で黒い無数の点が踊った。
「これは?」
「キャツラを封じ込める珠だよ。明日の満月で影封じの力がとうとうマックスになる。おれは、行かなきゃならない……。間違った歴史を作ってしまったおれたちの、末裔のおれの、これは責任なんだ……」
「誰も恨まないのか?」
「恨めるはずがない……」
「どうして……!」
ゾロはどうしたって腑に落ちない。声を荒げ、拳を握った。
どうしてこの小さな少年が一人で背負わなくてはならないのか?
ゾロの肩に体を預けていたルフィがもぞりと身動きしたが、ゾロは憤りを抑えることが出来なかった。
「町の人たちが”魔物”と呼んでいるのはおれのことさ」
「え?」
サヤは指先が白くなるまで握り込まれているゾロの拳を掴むと、開かせて自分の頭の上に置く。
サヤの意図するところを読めないままゾロは当てられた頭部に指を這わせた。
微かに当たる、硬い何か……。
「これは……」
「角だよ。おれ達残りの一族も、自分たちに呪いを掛けたんだ。そうしなければみんな喰われてしまうから……。これはおれが魔物となった証……」
「だからって……。自分を犠牲にしてまで……」
「ゾロ、これはおれの誇りなんだ。おれ達一族が生きてきた証でもあるんだよ」
そういう生き方もあるのだ、とサヤは静かに語る。
「納得出来ねェ、そんなものは」
取られたままだった手を奪い返すとゾロは怒りの矛先をどこにも持っていけずに下唇を噛んだ。
「優しいね、ゾロは」
「そんなんじゃねェ。おれの考えと違ってるってだけだ」
それが許せない。
自分と違うサヤが許せない。
勝手で我が儘な言い分だろうが、この少年がゾロは哀しくて仕方がなかったのだ。
「もう一つ理由がある」
「え?」
サヤは立ち上がると黒い窓の外を眺め、ゾロに背を向ける。
「兄さんが、山にいるんだ」
その事実に驚き、ゾロが顔を上げた。
「山を降りたんじゃなかったのか!?」
「キャツラに魅入られた……。それはキャツラにとって有利なことだ。この珠が効かない……」
「じゃあ、どうやって戦うって!? 死にに行くのかよ!」
ついつい音量の上がるゾロにサヤは人差し指を立てる。
「ルフィが起きるよ……」
「……っ」
こんな年下の子供に諫められて情けないとは思うものの、しかしゾロはまだまだ出来た人間ではないのだと開き直ることにした。
「でも、やるしかないんだ」
明日の満月の夜、魔物の呪いが解ける瞬間があるという。
月齢の満ちるその僅かな時間。
何事もなく次の朝が迎えられるか否かはサヤの手に掛かっている。
何という重圧感。
そんな中でサヤは独り生きてきたというのか?
今まさに満ちる珠の力を懐に温め、兄を殺しに行くために。
「もし、おれが負けたら……」
「負けるな」
「無茶言うね」
言って儚く笑うサヤの笑顔をゾロは忘れないと思う。
「言うさ」
「負けたら、この島を閉鎖して欲しい」
「そんなことおれに出来るかよ」
「でもお願い」
「お前の方がよっぽど無茶を言う」
「まぁね」
クスリと笑うサヤには心に揺るぎない芯が一本あって、その笑顔はそれを誰も抜き去ることが出来ないのだと無言で語る。
「解った、約束だ。おれが島ごと斬ってやる」
壁に立て掛けてある三本の愛刀に目配りすると、ゾロはにやりと笑う。
「そんなこと出来るの?」
「それくらい出来なきゃあいつに勝てねェ」
「あいつ?」
「ああ……」
世界一の座で待つ、黒い人。
強く優しい剣を持つあの男を倒して世界一になる日まで。
「おれは何にも負けるわけにはいかねェからな」
きゅっと歯の根を合わせ、目元を自然と引き締めたゾロをサヤは目を細めて見つめる。
「ゾロは大丈夫だね」
「どういう意味だ?」
「夢を、忘れてない」
「ああ、当たり前だ。こいつとの、約束だからな」
そう言ってふわりと優しい目になってゾロは傍らのルフィを見下ろした。
そして初めて失くしていた物が蘇ってきたような感覚を覚え、頭の中の靄が晴れた思いがする。
野望と、約束と、仲間と……。
大事な人。
ゾロはそっとルフィの肩に腕を回すと、ぎゅっと力を込めた。
忘れない……。
翌朝、特に何も持ってきていないゾロとルフィは、朝食を取ることもなく小屋を出ることにした。
一刻でも早く帰りたいらしいルフィの申し出だった。
「気を付けて」
寂しそうなサヤの笑顔が二人を見送る。
「世話になったな」
ゾロは心苦しいものを感じながら、刀を腰に納めた。
ルフィは決してサヤと目を合わせることはなく、黙って下唇を噛んでいたが「じゃあな」とだけボソリと呟く。
「元気で」
「ああ……」
先に立って扉を開けたルフィにゾロが続いた。
そして振り返ってサヤを視界に収めるが、何を伝えて良いのか言葉が浮かばなくてゾロは結局小さく笑っただけだった。
そんなゾロの手首が温かくなりそこを見れば、ルフィの手がしっかりと握っていてゾロは俯いたままの彼の後頭部を見つめる。
そしてゾロは歩みを止めた。
「ルフィ……」
「うん」
思いの外、強いルフィの声。
「おれは行けねェ……」
ゾロの言葉にピクリとルフィの肩が揺れた。
「何言ってんの、ゾロ!?」
サヤが慌てて駆け寄って来たが、ゾロはルフィを見つめるのを止めない。
「すまねェ、おれはここに残る。サヤを助けてェんだ」
「おれのことはいいから……!」
「いや、これはおれが決めたことだ」
きっぱりと言い切って、ゾロは短く息を吐くとルフィの手を振りほどいた。
ぶらりと、ルフィの手が落ちる。
「……バカ」
聞き取れない程のルフィの呟きにゾロは心が痛むが、これが自分なのだと気付いてしまったのだ。
「ルフィ……」
「ゾロのバカ!!」
肩を怒らせそれだけ言い捨てるとルフィは振り向きもしないで小屋を飛び出した。
一瞬後を追おうと片足を踏み出し掛けてゾロは思い留まる。
もう、自分にルフィを追う資格など有りはしないのだから。