魔性の島





「サヤ!!」
ゾロは突然飛び出したサヤを追って、結界を越え樹海へ入った。
「オイ、待てよ!」
声を掛けるもサヤは必死な上に山道に慣れている所為か、ゾロとの間は広がるばかりで声など届くものではない。
それでもどうにかその小さな背中を追い、逃すまいと必死に走った。
誰かが山に入ったとサヤは言った。
”キャツラが来る”と。
サヤの言う”キャツラ”とはゾロを襲った”影”のことらしく、それは人の魂を喰う魔物。
結界を張り、山に棲むサヤ。
必死に駆ける背中はゾロにはどこまでも謎だった。
どうして奴らの動向が解る?
「こっちへ来い!!」
山に入ったと言う誰かをいち早く見付けたらしいサヤが、僅かに漏れる木漏れ日の下から空を見上げて叫んでいるのが見え、ゾロもその目線の方向へと顔を上げた。
樹海という奴は昼間でも日が射さずに暗く、ゾロが見上げたところで離れた位置にいるサヤの頭上が見えるはずもなく、ゾロは足場の悪さに顔を顰めつつサヤへと足早に歩を進める。
やがて見えてきた、サヤの目線の先。
「そっから早く降りろ!」

    ゴォォォォォォォ…………

あの嫌な、地を這いずる不気味な声が確かに近付いてくる。
「早く!」
サヤが大きく手招きしたその頭上に居るのは。

  ゴォォォォォォォ…………

「ルフィ!?」
枝と枝の僅かな隙間から見えた木の上。
近付く恐怖がゾロの感覚を研ぎ澄ませた。
間もなく、サヤの居る地点を影が覆うに違いなく、一刻を争う事態にゾロは見上げた視線へと両手を広げる。
「こっちへ飛べ、ルフィ!!」
見間違うはずもない、一時として忘れたことなどなかった。
「ゾロ!?」
その声も。
ルフィ──!!

 ゴォォォォォォォ…………

「間に合わない!!」
サヤの叫び声が聞こえた。
「飛べ!!」
おれがそう叫んだのと、サヤがこちらへ走ってきたのと、ルフィが伸びる能力でゾロの真上の木の枝に腕を伸ばして掴み、縮む反動を使って飛んだのとはほぼ同時だった。
「ゾロ――――ッ!!」
「ルフィ!!」
ゾロは激しい衝撃と共に舞い降りてきたその懐かしい体をしっかりと受け止めた。
そして息つく暇もなく、足場の悪さも手伝って後ろに倒れそうになるのをどうにか踏みとどまり、ルフィを脇に抱えるとサヤと共に安全圏までダッシュする。

    ゴォォォォォォォ…………

同時に声が遠退いていくのも確認して、ゾロは安堵の息を吐いた。
呼吸を忘れていたかのように一気に肺に空気が入るのを感じ、何度も荒く息をする。
「もう大丈夫だ」
サヤが樹海に目を凝らすと浅く頷くので、ゾロはようやくルフィを降ろした。
「大丈夫か、ルフィ」
「……ああ。何なんだ、今のは」
流石のルフィもただならぬ気配を感じたのか、神妙な面もちで今し方逃げて来た方角を見やる。
「この山の魔物さ」
サヤが早くも整った息で姿勢を正すと改めてルフィの目を見て言った。それは挑むような、不信感を顕わにした瞳。
黙ってルフィがそのサヤの目を見返した。
「ルフィ?」
少し会わないでいただけで変わってしまったかのようなルフィの様子に、ゾロは違和感を感じる。
いつもなら助けて貰ったら敵だろうが感謝の意を示すルフィなのに……。
しかしルフィは、黙ったままサヤを見詰め続けた。



それから3人で小屋に戻り、サヤが昼食を用意したがルフィが口を付けることはなく、終始黙ったままだった。
その様子にゾロは何度か話しかけようと口を開きかけるが何から話して良いか解らず、ついサヤにばかり話しかけてしまい自分の不甲斐なさが身に染みる。
結局、ルフィ自身のことはおろか、サヤに訊きたかったことの一つも訊けていない。
日が暮れる頃、小屋から少し離れた場所にある源泉を利用した風呂を湧かす為、サヤが出て行った。暗くなると何も見えなくなるので危険だからと夕食前に済ませるのだ。
ゾロとルフィは必然的に二人きりになった。
ゾロは落ち着かない心臓を紛らわす為、用もないのにうろうろしてしまうが、ルフィがゾロを見ることはなく、ただソファに腰掛け窓の外を見ていた。
ゾロがこっそり嘆息すると椅子に腰を落ち着ける。
そして久しぶりに見る、ルフィの横顔を見詰めた。薄暗くなってきた部屋にその横顔は酷く、精気がなかった。
ゾロの視線に気付いているのかいないのか、ルフィは沈黙を守ったままで。
そんな沈黙をようやく破ったのはゾロの方だった。
「……ルフィ」
「………」
「どうしてここへ?」
突然現れたルフィに驚きこそしたものの正直会えたことが嬉しくて、森の中で抱き留めた時の彼のぬくもりが忘れられないでいるゾロは。
「……もしかして、追って来てくれたのか?」
自分に都合の良いことを思わず訊いてみた。
しかしルフィからは相変わらず無言の返事しか返って来ない。
船を追い出された身のゾロはしかし、船長の怒りの理由が未だ解らないでいるのだ。
その時は聞こうともしなかったが、やはり気になって仕方ないのが正直な気持ちだった。
その沈黙はやはり自分への怒りなのか?
するとルフィがゆっくりとゾロと目線を合わせた。
ゾロは知らず息を呑む。
ルフィの熱い瞳が。
赤い唇が。
闇色の髪が。
記憶の中でしかなかった、今は目の前にいるその人が。
どうしても懐かしい……。
ルフィの表情にそれまでのきつさはなく、何か言いた気に薄く口を開くが俯いてしまうので、思わず立ち上がったゾロは足早にルフィの前まで行き、その足元に跪いた。
俯いたままのルフィと目線を合わせれば、ゾロが少し見上げる形となる。
ゾロはそっとルフィの両腕を掴んだ。
「ルフィ……」
名しか呼べないゾロが懺悔する罪人のようで、ルフィはちくりと胸が痛むのを感じる。
言いたいことが山程あったのに。
ゾロに逢って聞こうと思ったことが。
解ると思ったことが。
ルフィはゾロの翠の瞳を見詰め、下唇を噛んだ。そしてまた呼吸と一緒に口を開く。
「ゾロは何も悪くねェのに」
しゃべり方を忘れたかも、とルフィは思っていたのに絞り出た声はちゃんと言葉になって、しかしゾロにはきっと意味の解らない言葉に違いなく、どう言おうかと珍しく言葉を探した。
「怒ってねェのか?」
ゾロが先に口火を切る。
「誰が?」
「ルフィが、おれに」
「怒ってねェよ」
抑揚のないルフィの喋りにゾロはどうしていいのか解らず、そして言葉も見つからない。
ルフィの腕を掴んだ掌から感じる温かさならはっきりと解るのに。
今度はゾロがルフィから目線を外した。
いままでの自分たちからは考えられなかった事態に、ゾロの指先に力が籠もる。
そして頭上から降りてきたルフィの言葉は。
「ゾロ、船に帰ろう。みんなのところへ」
ゆっくりと確かな声だった。
「いいのか?」
弾かれたようにゾロはルフィを見上げ、
「ゾロは悪くねェんだ」
またそう言ったルフィにゾロはその理由もわからないまま「いやおれが悪ィんだろう」と返した。
ゾロは立ち上がるとかぶりを振るルフィの頭を掻き抱き、同じ言葉を繰り返す。
「おれが悪ィ」
「じゃあ、もうすんなよ」
肩口にルフィのおでこがあって、くぐもったルフィの声がゾロを許した。
「ああ、しねェから」
何をしたかも解らないのに謝罪した自分はきっと卑怯者なのだと、どこまでも罪人なのだと、しかし安堵に力の抜けたルフィの肩を離したくなくて、ゾロはそれでいいと思う。
「帰ろうな、ゾロ」
ゾロの服の袖を掴むルフィに、ゾロは「ああ」と頷いた。
こんなにも。
こんなにも愛しいと思うことがあるなんて。
お互いしか見えないなんて。
他には何も……。
顔を上げたルフィに、ゾロが目線をぶつけた。
何も?
哀しい色のルフィの瞳に、ゾロはざわつく胸を感じる。
ルフィの不安定はここから来るものなのだとゾロは確信し、息を呑んだ。
「ルフィ?」
「おれ……」
一際大きな風の音が戸外で聞こえる。
ガタガタと窓硝子がそれに揺れた。
「おれは……」
解らないんだ。
解らないんだ、ゾロ。
「何?」

──思い出せない。



それきりルフィはまた口を閉ざしてしまい、夕食を口にすることもなかった。
その夜、ルフィが倒れた。


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