魔性の島





魂喰いの島と呼ばれる島がある。

その島から吹く風は、寄港者達の心の中に吹きつけ、魂を浚って行くという。
やがて人格が変わり、自ら船を降り、引きつけられるように山へ向かい、戻ってきた者は総て廃人と化す。
喰われるのは夢か、
愛か、
心か、
もしくは総てか。

魔性の物がヒトに棲む。




「じゃ、何か? その影に呑まれると廃人になるってのか?」
ゾロは今し方聞いたサヤの話をまとめ、聞き返した。
サヤの作った夕食を終え、陽が落ち肌寒くなって来た部屋に暖炉の灯がともる。
ゾロは暖炉の前に敷かれた丸いラグに胡座を掻いて座り込むと、椅子に腰掛け足を組んでいるサヤを振り返った。
「そう。下の町外れに廃人の村がある。島の人達が廃人達をそこへ押し込めてるんだ。そこへ行くと襲われる。魂のない者達は余計な者を排除しようとするんだ」
「何故」
「わからない……」
「わからない?」
「本当に魂が抜かれているのか、ホントは誰も知らないんだ。ただ危険だから結界を張って閉じこめてるだけ」
そう言うとサヤはまたキッチンへ行って二人分の飲み物を持ってきてゾロの隣へ座った。
無言でゾロに差し出す。
それをゾロは受け取るが、それがまた最初に出された甘いミルクだと知り、苦い顔になった。
「いらなかった?」
「いや……。ありがとう」
小屋の脇には小さな畑があって、どうやら自給自足の生活らしいとゾロは推測した。足りない物は街で調達するのだろうけれど。
風呂も便所も外にあって、水だけは引いてあるものの、電気もガスも来ていない。
湯を沸かすのも料理するのも小さな竈で火を熾しているらしかった。
ゾロはようやくこの少年に興味が湧いてきた。元来全くもって人というものにゾロは興味が薄い。
だからこそ、一度信用すると裏切らないのだ。
「お前……、一人なのか?」
「父さんは5年前に死んだ。おれは末裔なんだ」
「末裔?」
どうしてそう言う言い方をするのか、この時のゾロはさして気にも留めなかった。
「そこのソファで寝てくれ」
「ああ、おれはどこでもいい。悪ィな」
「人が来たのは、っていうか、この家におれ以外の人がいるのは3年振りだ」
「兄弟は?」
「兄がいた。でも出てった」
「そうか……。こんな山じゃな」
淋しくないのか、と聞こうとしてやめた。
どうして山を降りないのか、とか。
無理に知りたいとも思わなかった。
サヤが話したければ話せばいいことだ。
「ゾロは何故ここへ?」
「海に出るつもりだったんだ」
「……バカ?」
「うるせぇ!」
ゾロは年下にバカにされて憤慨するも、その通りなので何も言えない。
「送ってってやるよ、近くまでなら」
「ああ、いいよ。何とかする」
「なるのか?」
真剣に訝しんで、サヤがまじまじとゾロを見上げてきた。
「……なぁ」
ゾロはそんなサヤの目を見返しながら、思いのまま口を開く。
「ん?」
「暫くここにいちゃ駄目か?」
「え?」
サヤは心底驚いた顔をした。
言った本人も驚いているくらいなのだから、仕方ないのだが。
何のつもりだ?
ゾロは自問自答する。
未練ってやつか?
ルフィがまだこの島にいるかもしれないと。
「いいよ……」
「すまねェ」
無表情なサヤの表情からは迷惑なのかそうでないのかさっぱりわからなかったが、ゾロはとりあえず頭を軽く下げた。
自分はこんな奴だったろうか?
未練を引きずるような。
野望から立ち止まるような。
答えはすぐ出た。ありえないことだと知っていた。



「迷った!!」
山までたどり着けないルフィは街と山の真ん中で座り込んだ。
”山へは行くな”と言った老人の言葉を思い出す。
迂闊に人が山に入れないような地形にわざとしてあるのだ。
「よく行けたなぁ、ゾロの奴……」
行ったと決め込んで、ルフィは聳える岩山を見上げる。
もう少しなのに。
もう少しで会えるのに。
「もう、寝る!」
ばったり倒れ込んで目を閉じた。
再び目を覚ましたルフィが、山の麓まで辿り着く頃には、太陽がまた傾き掛ける頃だった。
「よし、登るぞ!!」
握り拳を固めてポーズを取り、行く先を改めて眺めたものの、体を固まらせる。
「て言うか真っ暗じゃん! 腹減ったし!! 飢え死にする前にゾロ捜さないとなァ」
大抵のことには物怖じしないルフィは真っ暗な山の入口で再びガッツポーズを取り、自分を奮い起こすと山への第一歩を踏んだ。
無言で登りながら、普段はしない考えると言うことをしてみる。
ゾロのこと。
仲間のこと。
たまに食いもんのこと。
……何かが足りてない。
ここへ来てからの忘却感を、ルフィはどうしても拭い去ることが出来なくて頭を振った。
「すっきりしねェ!!」
独り叫んでみるが、心の底の白い空間は白いまま。ポッカリと穴が開いたような喪失感。
ゾロに会えば解ると思った。
その目で自分を見、その声で自分に語る。
何かを。
何を?
それは常日頃から紡がれていたものではなく、だからこそ大事な何か。
ルフィの脳裏に記憶するゾロの唇が動く。なのに何を言っているのか解らない。
わかんねェよ、ゾロ……。
ルフィは唇を噛み締めるとキッと前を見据えた。
暗い暗い森の奥へ。




「タマクイ島?」
ウソップがナミの言った単語を繰り返す。
「なんだそれ」
チョッパーがトナカイの蹄で頬を掻いて首を傾げた。
視界に島が収まるくらいまで沖へ出たゴーイング・メリー号クルーズが迎えた翌日の朝。
食堂で軽い朝食を取りながらナミがこの行動の真意を語る。
「迂闊だったわ。この島だったなんて」
「魂喰い……。そういや、ここんとこみんななんか変だったよな……」
思い返してみれば……、と付け加えてサンジがナミのプレートに焼きたてのパンを乗せながら呟いた。
そう言えばそうだな、とウソップが賛同する。
「そう……。ここへ立ち寄った旅人が皆、だんだんおかしくなっていくそうよ。やがては取り憑かれたように山へ向かうの。島人も寄りつかない魔物が棲むと言われている山へね。どうしてなのかは解ってないわ」
ナミは細い指でティーカップの柄を摘む。
「そん中には海賊も居るんだな……。でもなんで島の人達は狂わないんだ?」
ウソップは想像したのかぶるりと身震いしてから浮かんだ疑問を投げた。
「ずっと住んでるから免疫が出来てるんだな」
そこは船医のチョッパーが推測できる意見を述べる。
「その通りよ」
そしてしばらく銘々黙り込むがしかし、思うところは同じで……。
「無事に、無事に帰ってきて……」
ナミの呟きの意図する相手を、誰が、と言わずとも皆に解る。
「大丈夫ですよナミさん。殺したって死にやしない」
サンジは至極優しくナミにそう言い、食事を進めるよう促した。
「そ、そうだよ! お、おれ、見張りに行ってくるわ!! もうすぐ帰ってくるかも知れねェからな!!」
言ってウソップは自慢のゴーグルを早くも装着し、あっという間に出て行った。
「おれも何か役に立つ薬がないか調べてみるぞ!」
チョッパーも立ち上がる。
「じゃあ、おれは美味いもんでも用意して待っててやるか!」
サンジも立ち上がると腕まくりをした。
「みんな……。そうね! くよくよしてても始まらないか! 私も手伝うわ、サンジくん!」
暗雲を吹き飛ばすかのようなナミの笑顔に、サンジが「恐れ入ります」と戯けて笑んだ。



朝食を終え、ゾロは小屋を出た。
船を出てから3日目の朝だった。
もう随分と経ったような気がする。
ルフィ達はとっくに島を離れたに違いないとゾロは思うのだが、どうしてもこの場を離れることが出来なかった。
「ゾロ、そっち行っちゃ駄目だ!」
小屋から顔を出してサヤがゾロに叫ぶ。
「ああ、そうだったな」
ゾロは足を止め、引き返してサヤの元まで行くと、見上げてくる彼の目を見返した。
「なんだ?」
何か言いたげなその目にゾロが問うが、サヤは途端に背けた顔を不機嫌にさせる。
「ずっと、何か考えてるだろ」
「え?」
早口にそう呟いてサヤは小屋の裏手にある畑に向かった。
どうやら日課らしい畑の手入れをすべく桑を持つが、後を追ってきたゾロに振り返ると何も言わないゾロにまた口を開いた。
「ここに来てからたまに、そうやって考え込んでる。誰かのことを考えてるんだろ?」
「…………」
それにもゾロは答えず、視線を宙に彷徨わせる。
他人が見ても解る程失念していたなんて。
ゾロは自分の不甲斐なさに内心嫌気がさした。
「ルフィ?」
その名がサヤの口から出るとは思っていなかったゾロが、ギクリと身を強張らせる。
「初めて会った時に、おれを見てそう呼んだろ?」
「別に良いけど」と呟いてサヤは手を動かし始めた。結局ゾロは何も答えられないまま、その動作を目で追った。
この少年を見ていると、どうしても思い出してしまう。
でもそれは言い訳だ。
そうだ、ずっと想ってる。
ルフィのことを……。



見付けた。
やっと見付けた。
でもゾロは一人じゃなかった。
空腹にふらふらになりながら辿り着いた民家にゾロがいて、そして当然一人じゃなかった。
声が掛けられなかった。
ゾロの隣にいる少年がゾロを見上げる。
話しかける。
ゾロが言葉を返す。
自分の知らない奴に。
触れる。
隣にいるのが自分じゃないなんて。
なんだろう、痛い。
凄く痛い。
この感じは前にも……。
これは何だろう。
何なんだろう。
自分であって自分でない。

少年が言った。
「ずっとここにいても良いよ」


ゾロの返事を聞きたくなくてルフィは二人に背を向けた。



風が止む。


ピクリとサヤは反応して空を仰いだ。
「どうした?」
「誰かが山へ来た……」
「え?」
「キャツラが来る!」
収穫した野菜を放り投げ、サヤが突然樹海に向かって走り出した。
「サヤ!?」


大きな歯車が回り始める。


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