ベビー・トーク





赤ちゃんに夜泣きはつきものである。


結果、翌日の朝っぱらから男部屋を追い出されたゾロは、母の偉大さを痛感しながらもとりあえずベビールフィと共に倉庫へ移動した。
どうやらルフィは夜泣きのピークの頃らしく、2時間おきに起き出しては泣きながらよたよたと這い回るのだ。サンジが「夢遊病じゃねェのか?」と言ったが、ちょっとやそっとで起きることのないゾロは、一緒に床で寝ていたにもかかわらずそんなルフィの様子を実は見ていない。
ようするに夜中はサンジとウソップが交代で起きて寝かしつけたらしいのだ。
で、結局朝一番叩き起こされたゾロはルフィと共に追い出された、というわけである。
だいたい、子守を押しつけておいて「お前が悪い」とは酷い言い種だ。とゾロは思わなくもなかったが、なんだかルフィが自分の面倒を見ろと言っているような気がして結局強くは出られないのが現状だった。
倉庫にある予備のマットを引っ張り出し、まだ寝ているルフィを寝かせると毛布を掛け、その横にゾロは添い寝した。
すぐにうとうととしてくるが、ゾロは昨日の大変さを思い出す。
結局「ゾロのミルクの飲ませ方は異常!」とのレッテルを貼られたゾロが何も言い返すことができずに黙っていたら、サンジが調理用のガーゼをビニル袋に入れ、その中にミルクを入れて袋の端に小さな穴を開けるとそれはちょっとしたほ乳瓶代わりになった。
思わずゾロは調理人の発想の転換に、不覚にも感心してしまったくらいだ。
おむつも、ウソップが器用に巻き方をあみ出してくれてなんとか形になったし、服はゾロのTシャツをあちこち輪ゴムで縛って無理矢理着せた。
何もかもあり合わせだったが、ルフィはくるくるとよく笑っていて満足そうだったので、ゾロはもくもくと世話を続けたのだった。
ゾロが眠りに落ちようとした時、ルフィがいきなり泣き出した。
「うお、びっくりした。もう朝だから夜泣きじゃねェよな」
ゾロはのろのろと起きあがるとまずはおむつを取り替えることにした。
ガーゼは幾分湿っていて、これがサンジやウソップだったら絶対やらねェ、とゾロは思う。
そして想像してしまったことを思わず後悔しながらゾロが濡れタオルで綺麗にしてやっているときだった。
ピュ―――――ッ!
「うおおおぉぉぉ!!!」
見事な弧を描いてゾロに向かってきたその液体がルフィのお○っこであることに気付くには、そう時間はかからなかった。
こんなこともあるさ……。



「よう、来る頃だと思ったぜ」
朝飯の準備を始めていたらしいサンジが手を止めてゾロを振り返った。
サンジはゾロの腕の中のベビールフィを認め、「ほらよ」と袋を差し出す。ミルクの準備をしておいてくれたらしい。
「人肌に温めておいてやったから」
それだけ言ってまた元の作業に戻ってしまう。
「ああ……」
ありがとうと言いたいのになんだか口惜しくて出てこない。
やっぱり修行不足だな、とまたゾロは自嘲しながら思った。
長椅子に座ってルフィにミルクを吸わせていると、ナミが入ってきた。
「おはよう! あらゾロ、早いじゃない」
しかしナミがゾロの目線を辿って「ああそっか」と納得したように頷いて隣へ座る。
「おはようございます、ナミさん! 今すぐ愛の朝食をご用意します!」
相変わらずのラブコックぶりでサンジが手を早めた。
「ん、そうして!」
サンジにそう言うもののナミの視線はルフィに釘付けで、つんつんとほっぺを突いてみたりしている。
「かっわいい~! 面倒を持ってこないルフィってのもたまにはいいわね!」
この事態がゾロにとっては既に面倒なのだが……、と抗議したかったがやめた。お○っこまでかけられた後ではもう何も言う気が起こらない。
「って、戯れてる場合じゃなかったわ。ゾロ、あんた昨日お風呂入った!?」
「……入ってねェ」
「やっぱり……」
烈火のような形相をしていたナミが途端に項垂れた。と思ったらまたすぐ復活してゾロを睨み付ける。
「今すぐ入ってらっしゃい! バスにお湯溜めて来たから!」
用意周到、これを伝えるのが本来の目的だったらしい。
「赤ちゃんは清潔にしておかないと駄目なのよ!」
そういうならお前入れろ、と言いたかったが落とされたり溺れさせられたりしたら堪らない、と思い直してゾロは一つ溜息を吐いた。
「飯は……」
「後!」
やはり……。触らぬナミに祟りなしという言葉もある(麦わらの一味にのみだが)。さっそくゾロは立ち上がったのだった。



湯の温度は適温だった。熱くもないしぬるくもない。
なんのかんの言っても結構助けられてるのかも知れない、とゾロは今更ながらに思ったりしてみた。
きっとルフィの為なのだろう。自分のためではない、ゾロは素直にそう思う。
現に今の自分だってルフィのために奮闘しているに違いないのだから。
ゾロは自然と笑みを零しながら自分が先に服を脱いで、ルフィの服を脱がしにかかった。
そういやルフィと風呂に入るのは初めてだな……。これが一緒に入った内に入るのかどうかは謎だが、ゾロは心なしかドキドキしてくるのを感じて焦った。
改めて自分がルフィに邪な心を抱いていることを再確認してしまう。
「バカか、おれは……」
そんな考えから来る動悸を無視しよう試みるが上手くいかない。
違うはずだ。この気持ちは欲望だけではない、もっと深い何かがあるはず……。
しかし目に飛び込んできた肌は紛れもなくルフィのもので。
相手がルフィだとこんな乳児の姿をしていても興奮してしまうのかと、ゾロは絶望するしかなかった。なるべくルフィを見ないようにして湯船に浸かるが、手が触れているルフィの肌があまりにも柔らかくて目眩がする。
元のルフィもこんなに柔らかいのだろうか……。
ふと本来のルフィの姿が目の前にちらついた。なんだか懐かしいような気さえする。
ルフィの長い手足はそれでも大人のものではない。ましてこんな子供のものでも。その曖昧さがゾロを引きつけるのか。
無邪気に手でお湯をぱちゃぱちゃ叩いているルフィを見て、ゾロは微笑む。こんなとこはちっとも元と変わらない。
どんな姿になってもルフィはルフィで、それがこんな錯覚を生んでいるのだろうと思った。
体を洗ってやると、じたばた暴れて大変だった。力の入れ具合も難しいし、頭に至ってはどうやって湯をかけたものかと思案してシャワーで流すことに成功した。
再び湯に浸かった時にはすでにゾロはくたくただった。
頭がボーっとして、これは湯当たりに似ていると思う。
そのせいだろうか、なんとなくゾロはルフィの二の腕に触れてみた。相変わらずルフィはあちこち触りたがってじたばたしている。
しかしゾロは次に背中、お尻、太股に触れてみる。
すべすべしていて驚くほど瑞々しい。変な感情抜きにして、赤ん坊の肌の真新しさに感動してしまった。
お腹を触るとくすぐったいのかルフィがきゃっきゃと笑う。
ついおもしろくなって足の裏をくすぐって更に笑わせてやりながら、なかなかおもしろい遊びを発見したものだとそれに没頭してしまって、上がった頃には本当に二人して湯当たりしていたのだった。



それから夜までゾロは熱心にルフィの世話をし、いつの間にか口を挟む者はいなくなっていた。
天気が良いので甲板を一緒に散歩したり、遊んでやったり。サンジの作ってくれた離乳食というやつを食べさせたり。
洗濯をしたいからとルフィをウソップに預けたが、ゾロの姿が見えなくなってすぐルフィが大泣きして大暴れしたらしくすぐに返却された。結局おんぶして洗濯をするハメになり、こんな所をヨサクとジョニーに見られた日には幻滅され大泣きされるだろうってなエピソードができてしまったほどだ。
こんな毎日がいつまで続くのか、ゾロはいつの間にか考えなくなっていた。
もしこのままなら、ルフィが海賊王になるまで育てるまでだ。
そして自分は大剣豪になり、傍らでこいつを守り続けてみせる。
ごく自然にそこまでの決意をしていた。

就寝前、ゾロは倉庫の一角で添い寝をしながら眠るルフィの寝顔を眺めてみた。まるいおでこを撫で、そっと頬を寄せて目を閉じる。
その夜中、息苦しさに目を覚まして口と鼻の上に乗っかっている物体を掴んで持ち上げ、急いで呼吸した。
「ぷはーっ!」
なんだ? と思って掴んだものを見てみると、それは紛れもなく人の腕だった。
ベビールフィの腕にしては太い……。ゾロは首を捩って横を見てみる。
「ル……!」
ルフィと叫ぼうと思って寸での所で自分の口を塞いだ。
横で寝ているのは見間違えようもない、元のサイズに戻ったルフィだったのだ。
体ごとこっちに向けているルフィの規則正しい寝息が聞こえて、ゾロはルフィの腕を傍らへ置いた。
ルフィの背中から向こうにはおむつにしていたガーゼと輪ゴム。元に戻って窮屈なので無意識に自分で取ったのだろう。
ちょっと待て。ということは……。
当然このTシャツの下は何も身に付けていない、ということになる。
ゾロはそーっと視線を下へ下ろしてみた。が、ゾロの期待にそぐわず、Tシャツとルフィの足とで見ることはできない。なにを、とは言わずもがな。
残念なような、ホッとしたような複雑な心境で、ゾロは静かに息を吐いた。
「何を考えてんだ、おれは……」
しかしシャツから覗く肌が窓から差し込んでくる月明かりに照らし出されて、益々ゾロを妙な気分にさせた。
ゾロは今にもルフィを抱き締めてしまいそうな自分を抑え込み寝返って背中を向けた。
まさか元に戻っていやがるなんて……。反則も良いところだ。
熱をやりすごそうとぎゅっと目を瞑ったゾロの後ろでルフィがごそごそと身じろぎしたのが解った。その後起きあがったような気配がするも、なぜか身動きしなくなってしまう。
なんだろうと思って振り返ろうとした瞬間、バンバン!と腕を叩かれてゾロは驚いて飛び起きた。
「な、何もしてねェぞ!」
思わずアホな言い訳をして自分で口を塞いだ。
「ゾロ!」
「なんだよ……」
怒ったような顔のルフィに気圧されて、ゾロは弱々しく返事をしたものの、ルフィに胸ぐらを捕まれマットに共倒れさせられて何がなんだか解らなくなった。
しかもそのままルフィはゾロの腕を枕にすやすやとまた眠ってしまったのだ。
どうやら元に戻った自覚がないままの、夜泣きのようなものらしいとゾロは推測する。
赤ん坊が泣かずに喋れたらこんな風なのだろう。
ゾロはクスリと笑って、ルフィの背中をポンポン叩いた。そのあやす様な振動にルフィはゾロの胸に頬をすり寄せ、ようやく落ち着いたように深い眠りへと落ちていった。
ゾロもルフィと一緒に毛布を被り、こんどこそ目を閉じる。
安眠は、すぐにやってきた。



今夜だけは、まだこのルフィはおれだけのものだ。
そう、短い時間だったが確かにルフィはゾロのものだった。
この現象を一番喜んでいたのは、本当は他の誰でもない自分だったのではないかとそんなことを考えながら、ゾロは眠りに落ちていった。
こうしてゾロの、長い長い2日間は幕を閉じたのだった。


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