行方





食糧難3日目。
無駄な努力かもしれないとそろそろ皆が思い始めたことはそれぞれの胸にしまい、その日も朝からクルー達は釣りの為の針を青い海へと潜らせていた。
「あ~! 腹減った~~~~!!!」
いつも一番にその台詞を吐くのはもちろんこの船の船長ルフィで、おれはルフィがサンジの腹をぽんぽこ叩いているのを横目に見た。
「お前もちったー協力しろ。寝てばっかいねェで」
マストに凭れ掛かって目を閉じていたおれの足を誰かが小突いた。
声はルフィのもので、つまりサンジということだ。
おれは鬱蒼と片目だけ開けてルフィの顔を確認するとまた目を閉じた。
二人は未だ、元には戻っていない。
「二人を元に戻す」とは言ったものの、もちろんその方法をその時思い付いた訳ではなく、そして今もまだその方法は見つかってはいなかった。
しかし、必ずおれが元に戻してみせる。それだけは決意していたことだった。
「おい、お前らきりきり釣れよ! またこのおれにパンとスープしか作らせねェつもりか!?」
サンジはどうやら相手にしなかったおれにはさっさと見切りを付け、一応は精鋭達に期待をかける。
摘み食い出来なかったもので食事を作ればそれは小麦粉で出来るパンと、粉末を溶かしただけのスープくらいのもので、サンジにとってみれば物足りなくて仕方がないのだ。
「んなこと言ってもよ~! こいつら才能ねェんだよ!」
ウソップが抗議を漏らすのをサンジは一瞥し牽制する。実際に睨んでいるのはルフィなのだがまた手が出ては適わないと思ったのか、ウソップはすぐさま「すすすいませ~ん!」と笑って誤魔化した。
「ウソップだって釣れねェくせに~!」
ルフィがサンジの口を尖らせると、サンジに「な?」と同意を求めている。
「いいから釣れ!」
しかしサンジは言い放ち、胸ポケットから煙草を取り出すと火を着けた。ルフィの細い指がそれを挟み、口へと運ぶ。
やっぱりやめてねェじゃねェかよ……。
おれは苛立ちを覚え、一度ダンッと足で床を鳴らすと立ち上がった。
大概、腹が減って皆苛立っているのだ。
それは解っているが、だからといって冷静でいられるほどおれは物解りが良くない。一同に背を向け、静かな場所を探すことにした。



眼下にルフィ達を見下ろす。
おれは見張り台に昇り、いっそ頭を冷やすことにした。
冷静になろうと思えば思うほど旨くいかない。
ナミのことを考えてみた。
あいつはきっと、おれが感情のままに突っ走らないかを案じているのではないだろうか。
仲間の命を犠牲にしても、たった一人の、ルフィの命を最優先に考えるのではないかと。
実際どうかと問われれば、マニュアル通りに答えるならばノーだ。
チームプレイにそれは当たり前だ、しかし。
おれはずっと一人だった。
一人で戦ってきた。
「仲間」と呼べるのは、きっとルフィが初めてだった。
いざその場になってみて自分をコントロールする自信は、ハッキリ言っておれにはない。
しかし、それこそがナミの怖れていることなのだ。
ならばどうすればいいのか?
……一つの答えしか思い当たらない。
ルフィを、諦めるということ。
そして、戦いの目的こそを把握し、自分の野望を貫くということ。
そうでなければ、おれがおれである理由はないのだ。
ルフィを諦めるんだ……。


昼食後、おれはナミを倉庫へ引っ張り込んだ。
こんな所をサンジに見られたらあらぬ疑いを掛けられてしまうので、おれにしては辺りに気を配って慎重に事を運んだ。
「なによ、襲う気?」
「んなわけねェだろ!」
「そんなきっぱり言わなくても……」
少なからず傷付いたらしいナミが小さな口を曲げた。
「聞きたいことがある」
おれはさっさと本題を切り出すことにした。
「答えなら教えないわよ」
「それじゃねェ。お前、あの二人が元に戻る方法を知ってるんだな?」
「ええ、知ってるわ。あんたが本当の答えに気付いたらその方法を教えてあげる」
魔女のような笑みを浮かべてナミが腰に手を当てて言うので、おれは腕を組むとその態度に負けじと対峙する。
「それなら、気付いた」
ナミの目を見据え、おれはきっぱりと言ってやった。
流石にナミも驚いたような顔つきになり、少し考える風に眉を顰めたかと思ったらとふふんと笑う。
「それを、ルフィに言うのよ」
「ルフィに!?」
今度はおれが驚く番だった。
お前を諦めると、ルフィに言えと言うのか。それ以前におれはルフィに自分の気持ちを伝えたことなど一度たりともないのだ。
しかもその上、お前より野望を取ると、お前の命よりも目的を優先すると、そう言えと言うのかこの魔女は。ルフィならおれや仲間のことを考え、頷いてしまいそうだけど……。
「でないと、あの二人はずっとこのままだわ。それでもいいの?」
良い筈がない。
おれは勝ち誇ったようなナミの顔を見つめ返したが、即答することが出来なかった。
「お前は、どうなんだ」
「え?」
思いもよらなかったらしいおれの切り返しに、ナミの笑みが消える。
ふと思ったのだ。なら、ナミはルフィのことをどう思っているのか。
以前聞いたのは、ルフィの強いところを仲間として好きで、信頼しているということ。
なら恋愛感情は?
「お前は、おれと同じ目でルフィを見てんじゃねェのか?」
だからおれの気持ちに気が付いた。
ナミの眉が苦しげに寄る。
心なしか、その瞳が泣き出しそうな色をしていておれは戸惑った。
「な、仲間よ……。それ以上でもそれ以下でもないわ」
声が震えているように感じるのは、おれの気のせいか?
じゃ、と言ってくるりとおれに背を向けるとナミは倉庫を出て行った。
女の気持ちになど無頓着なおれにはもちろん、ナミの気持ちを推し量ることはやはり出来ないのだ。


いつかは、ぶち当たる壁だった。
おれはそう思うことにした。
己の私情のために誰かが犠牲になったりしないためには。
どちらかの野望が、費えたりしないためには。
このグランドラインを征し、ワンピースを手に入れ海賊王になったルフィの傍らで、高みで待つ男を倒し世界一の剣豪になるその瞬間を手に入れるためには。
必要のない感情に振り回されている場合では、ないのだから……。
おれは午後からも獲物釣りにチャレンジしているルフィ達の元へ歩み寄った。
だからといって、直ぐさまこの気持ちを伝える勇気など出るはずもなく、その上おれが「ルフィ」と呼べばサンジの顔が振り向きにっこりと微笑んだりするのだ。
「あ~、ゾロの頭が野菜サラダに見えてきた!」
ルフィが呼吸も辛そうにそんなことを言うので、おれは肉よりも野菜が連想されたルフィに切羽詰まった空腹を感じる。
人一倍大食漢な彼が一番辛いのは事実だろう。しかしサンジの胃袋になってもそう感じるというのはやはり中身の、脳の満腹中枢の問題なのだろうか。
いや、この場合脳もサンジのものということになるのか?
考えても解らないのでやめることにした。
「ウソップの鼻はクッキーに見えるし、チョッパーとカルーは……。お、そのままで旨そうだなァ……」
今にも涎を垂らしそうな勢いのルフィが、女を見て涎を垂らしているサンジを思い出させておれには笑えたのだが、当の動物たちはぶるると身を震わせてさっさと逃げてしまう。
確かに噛みつかれてもおかしくないかもしれない、と思わせるものが今のルフィにはあった。
「おれも水飲んで来るわ~」
そう言ってウソップがその場を離れたので、幸か不幸かいつの間にやらおれとルフィの二人切り。
「お前は?」
「ん? 水か?」
おれが唐突にかけた問いにいまいちピンとこなかったのか、ルフィが釣り糸の先を見つめながら聞き返してきた。
「いや、自分の姿を見て食いたくはならねェのか?」
おれは違った意味で食いたいがな……、と節操のないことを思ってしまい一人赤くなるところだった。
「食いたくねェ! だってさ、ゴム食ってもまじィだろ!?」
なるほど……。
振り向いたサンジの顔がいかにも不味そうに舌を出しているので、おれはちょっと笑ってしまった。
「それはそうかもな」
「おう!」
にしししと笑うルフィの隣へ行くと、おれは彼が座っている手摺りに肘をつき体を預けた。
同じ伝えるなら、早い方がいい……。
「なァ、ルフィ」
「なんだ?」
「おれな、コックの奴とキスしちまった」
昨日の朝のことだ。
何でもなかったように言ったつもりはなかったのだが、それでもルフィは充分驚いたようだった。
「キ…ス?」
「ああ、正確には、ルフィの体と」
「おれと?」
「ルフィと入れ替わったコックと。ルフィじゃねェって解ってるのに、お前だったから……」
ルフィはじっとおれの方を見ているのに、おれはちっともサンジのその青い目を見返すことが出来なかった。
「おれだったから?」
ルフィはおれの言葉を繰り返しながら、多分おれの言っている言葉の意味を理解しようとしているのだろう。きっと今ルフィの頭の中は理解不可能なおれの感情がぐるぐる回っている筈だ。
ここから先はきちんと目を見て、ルフィに伝えなければ。
おれは真横のルフィを見上げると、困惑気味のサンジの目を見つめた。
「おれは、ルフィが好きなんだ」
サンジの手が、ぎゅっと竿を握りしめたのが解った。
「ゾロ……」
その表情にはまだ行き着いた感情の色はなく、何度かの瞬きの後も無表情におれを見つめたままだった。
まあ、予想していたことではあったのだが……。
そしてそんなルフィに更に続けなければならない。
「でも安心しろ、もう諦める」
そしておれはまた、ルフィから視線を逸らすと前方の青い水平線を見つめた。
それはサンジのそれよりも青い。
「諦めるって、何をだ?」
その声には幾分の怒りが含まれていて、訳の分からないことを言い出したおれへの怒りだと感じた。
「ルフィを好きな気持ちをだ。おれは、自分の野望を捨てられねェ。お前の為には死ねねェんだ」
胸が痛い……。
言葉にしてみて初めて自分がルフィの為に死んでもいいと思っていることを知った。しかし、それは決してしてはいけないこと……。
ひいてはルフィの為に。
「おれは……!」
ルフィが何か言おうとした時、突風がルフィの麦わらを浮かせた。
咄嗟にいつもの調子で腕を伸ばすつもりだったルフィがはっとした時は遅く……。
「ルフィ!」
前へ出た勢いのまま、サンジの体は真っ逆様に船の外へと落ちていってしまったのだ。
ザパン。と、小さなものでも落ちたかのような水音。
おれは何も考えずにその後を追った。
サンジの体なので泳げるし浮かぶはずだ。そう思っていたのに。
その体はどんどん、どんどん、深くなる青に呑み込まれていく。
ルフィ……!
距離をだんだんに縮めながらどうにかサンジの白い手を掴み浮上し、水面に二人の顔が出たところで、おれは意識を手放してしまった。


「ルフィ!」
飛び起きたとき、酷い耳鳴りにおれは頭を抱えた。
「気が付いたか!?」
目の前にいたのはウソップ、その背後にはサンジがいた。
「ルフィ!?」
言ってからそうだったと思い、踏み出した右足が止まった。
「おれの体なら無事だぜ。今ナミさんの部屋で眠ってる」
「そうか……。よかった、ルフィは無事なんだな……」
辺りをよくよく見渡せば、男部屋のソファの上らしかった。円い窓から見える外は薄暗く、夜が近付いていることが解る。
「耳がおかしい……」
「ああ、よく1時間もルフィ抱えて船に張り付いてられたよなァ。もっとおれが早く戻ってれば……」
どうやらウソップが第一発見者らしい。
浮かんですぐ気絶したもんだと思ったが、そうではなかったのか。この耳鳴りはそのためらしい。
「顔色が悪い。もう少し寝てろ」
サンジがおれをソファに押し返そうとするので、おれは首を横に振った。
「ルフィに謝らなきゃいけねェ……」
「謝る?」
おれはそれ以上何も告げず、男部屋を飛び出した。
ルフィが動揺したのはおれのせいだ。でなきゃ、あんなヘマはしない。
おれは女部屋のハッチを勢い良く開けると階段を駆け下りた。
「ゾロ!?」
「Mr.ブシドー! 駄目です、まだ寝てないと!」
ナミにビビ、それとチョッパーがおれを振り返って皆が一斉に起きてきたおれに寝ていろと指図するが、おれは首を横に振りながらベッドに横たわるルフィから目を逸らすことはなかった。
まだ眠っているらしいサンジの青白い横顔が目に入って、居たたまれなくなる。
「おれに、付き添わせてくれねェか」
おれはルフィの看病を申し出た。駄目だと言われるのは解っていたが、言わずにいられなかったのだ。
「いいわ」
意外にも許可を出したのはナミだった。
「でも……」
反対の意を示してきたビビとチョッパーに首を横に振り、「いいから」と強い瞳で訴えかける。
「頼む……」
おれは言って微かに目を伏せ、そして一同が部屋を出て行くまでの間そうしていた。
沈黙が訪れる。
静かにルフィの眠るベッドに近付き、膝を着いた。
「ルフィ……」
赤みの少ないサンジのその頬を眺め、そっと手を伸ばして撫でてみる。
温かい……。
おれはようやくホッと安堵することが出来た。
その時、すっとサンジの目が開き、思わず身を乗り出す。その目はしかし、こちらを見ようともしなくて……。
「ルフィ!?」
「出て行ってくれ」
その低い声にサンジ本人が言ったのではないかという錯覚に一瞬陥った。が、そうでないことはその言葉を告げられた直後、おれを射た彼の目で解った。
「ルフィ?」
「おれのこと、諦めるんだろ?」
「それは……」
おれは確かにルフィにそう言った。今更弁解など出来やしない。
「出てけよ!」
ルフィは身を起こすとおれの胸をドン、と叩いた。
これ以上、掛ける言葉も伝えるべき言葉もおれにはない……。
「解った……。悪かったな」
おれは最後に、こんな目に遭わせたことを詫びた。
ルフィは下唇を噛みしめ、何かに耐えるようにサンジの吊り上がった眉を苦しげに寄せる。
おれはルフィに背を向け女部屋を出た。
「ナミ……」
そこにはナミが立っていた。きっとおれ達の会話も耳に入っていたに違いない。
振り向いたナミのその顔はすごい形相をしていて、殺気が漲っていた。
「あんた、もしかしてただのバカ!?」
「ああ!? 何だと……っ」
短気なおれはナミの不躾なその言葉に言い返そうとしてはっと言葉に詰まった。
ナミの目から、一粒の涙が落ちたからだ。
「ナミ?」
「あのルフィ、誰に見えた!?」
嗚咽に耐え、やっと絞り出すかのようなナミの声に、おれは息を呑んで聞き入った。
「あのルフィって、コックだが……」
「じゃあ、あんたはまだ本当の答えを解ってない! 間違ってるってことよ!」
また落ちた涙を拭いもせず、ナミがおれに思いも寄らない事実を宣告する。
「なっ……そんな……」
「教えてあげるわ! どうして二人の中身が入れ替わったのか」
ナミが両の拳を握りしめた。
「本当は、入れ替わってなんかない。私が集団催眠にかけたのよ! だからあのルフィが海に沈むのは当たり前のことなの。すべては錯覚よ!」
「錯覚だと!?」
催眠……?
「そうよ! あんたが本当の答えを見つけるまで、解けることはないわ……!」
そう言い捨ててナミが背を向けたので、おれは瞬間的にナミの肩を掴んだ。
「ちょっと待てよ!」
「触らないで! 私はあんたに……っ」
ナミが何か言いかけて口を噤むと下唇を噛んだ。
おれに……?
一瞬緩んだおれの手をナミが振り払う。そしてきゅっと踵を返し、走ってその場から消え去ってしまった。
「おいナミ!」
もちろん追いかけて捕まえたところで何も教えてはくれまい。解っていても、おれにはそこしか逃げ場はなかった。
そう、逃げている場合ではないというのに……。
チキショウ……!!
その場に立ちすくみ、ただ拳を壁に叩き付けた。



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