行方





おれは神など信じたことがない。
きっとこれからも信じないだろう。だが、いるとしたらもう恨むしかない。



おれはメリーの頭に乗っかっていつもの如く海の彼方を眺めているルフィに近付いた。
しかしそれはいつもであっていつもではない。
その姿がサンジの形をしているからだ。おまけにその頭にはルフィのトレードマークである黄色い麦わら帽子が乗っかっていた。
なんという悪夢。
今朝、サンジの姿をしたルフィが食堂に現れて事の全容を知った。
ルフィとサンジの中身が入れ替わっているのだ。
……何故?
それに関してはどうやらナミが事の真相を知っているらしいが、否、首謀者であるというべきか、だがおれは今朝の一件以来ナミとは口を利いていなかった。
「ルフィ」
低く呟いたつもりだったのにルフィに届いたらしく、おれの方を振り返った。
その顔はもちろんサンジだ。
サンジはにっこり微笑むと嬉しそうに「ゾロ」とおれの名を呼ぶ。声までもが当たり前だがあのぐる眉だ。
いや、ルフィではないのだ。
我知らず暗い表情になっていたはずなのに、おれは口元だけでも笑うことが出来た。
にっこり笑ったままのそのサンジはくるりと向きを変えるとポン! とおれの目の前に降り立つ。
「うっわー!」
そしてぱあっと明るく笑った。
こんなサンジの無垢な笑顔は初めて見る。
中身がルフィなのだから当たり前なのだが、おれは戸惑った。
思わず後ずさってしまったおれを気にする風でもなく、ルフィがその間を容赦なく詰めるとサンジのさらさらの金髪を風に揺らして顔を近付けてくる。
「な、何だ?」
声が上擦って巧く喋れてない自分に、おれは腹が立った。
目の前にいるのはルフィなのに。
おれは本当にルフィの外見だけを見ていたというのか?
“そんなはずはない”
もう心の中で300万回くらい繰り返した。
「ゾロとおんなじくらいだ!」
そういうとまた嬉しそうにサンジの顔は笑い、自分の頭の天辺とおれの頭の天辺に交互に手のひらを翳す。
「そりゃそうだろ。おれとアイツの身長は同じくらいだ」
った気がする……。
実はルフィとの身長差以外、確かな記憶がない。昔一緒に鎖で繋がれたことがあるからだ。あの時は足が余って仕方なかったのを覚えている。
「へへ、でもなんかいいなァ。かっこ良くねェ? おれ」
「別に。ただのコックだが?」
悪いがおれにとってお前以外はただの仲間だ。
もちろんそんなことまで言わないが。
「それはそうだけどさァ」
そういうとサンジのほっぺはぷくっと膨らんだ。
ルフィがよくする表情の一つだ。
おれはその表情に、心臓がどきんと跳ねるのを確かに覚えた。
なんだろう、これは。
そんなおれのことはお構いなしにサンジの口でルフィが弁解を始める。
「だってさ、おれは自分が見えねェから自分だろ? でも視界は全然いつもよか高ェんだ! なんか身長が高くなった気分なんだよな~!」
そういうとにしししと白い歯を出して笑った。
「なるほどな……」
おれはルフィらしくて素直に感心した。
自分がどんな状況に置かれているか知っていても、ルフィには自分は自分なのだ。
こんなに自分の感情を自分で理解できているルフィを、おれは見習うべきかも知れない。
自重気味におれは笑った。
「あ! バカにしてるだろ。自分はいっつも背が高いからってさァ」
いっつもって、これ以上は伸びねェぞ?(わかんねェけど)
おれはそのルフィの物言いにぶっと吹き出した。何だか長い間笑ってなかったような、そんな気までする。
「なんで高ェのが嬉しいんだ?」
おれは素朴な質問をしてみた。
「ん~。いつもは見えねェ物が見える気がする」
からかな? とルフィはちょっと首を傾げてみせる。中身がサンジでは到底見られないようなそれはあどけない表情だった。
その仕草におれはまたどきりとする。
もしかしたら、おれはこのサンジをかわいいと思っているのだろうか。
「だってさ! ゾロの目の中、すっげーよく見えるぜ!」
「え?」
聞き返す間もなくルフィがおれの目を覗き込んできて。しかしもちろん、目の前のその瞳はルフィとは全く違う、蒼い瞳のくっきりした切れ長の眼。
なのに。
おれは今度こそ心臓のリズムが狂うのを自覚した。
「ゾロの目、緑ですげー綺麗。光の具合でいろんな緑に見えるんだ……」
好奇心に満ちたサンジの目は飽きるでもなくおれの目を見つめ、くるくる動き続けた。
いろんな緑とはどんな緑なのか、おれは自分ではちっとも解らない。一体何がそんなにおもしろいのだろう。
おれはわざと違うことを考えて、サンジの体が離れるまでの時間を耐えることにした。

「おう! ルフィ! ……なんかまだ慣れねェな」
釣り竿を2本持ったウソップが、サンジの容姿に戸惑いつつも明るく声を掛けてきた。隣にはチョッパー。
「釣りしよう!」
小さなトナカイの姿では長い竿を持て余すのではないかと思うくらいなのだが、チョッパーは至ってやる気満々の様だ。
食料の調達を始めるのだろうとおれは思うと同時に、自分から離れてくれたルフィにホッと胸を撫で下ろす。サンジの体が跳ねるようにウソップに近寄って行った。
「食いもん! 釣るか!!」
そう言って竿を受け取ったルフィは、おそらくはサンジの中で最高の笑顔を作って笑う。いっそサンジの年齢よりよっぽど若く見えるくらいだ。
やはり外見というものは、中身で違ってくるものなのだと、おれはその時やっと自分の鼓動の理由を理解した。
おれはサンジの外見にどきどきしていたわけではなかったのだ。ルフィのいつも通りの、自分を惹き付けて止まない雰囲気にどきどきしていたのだ。
「サンジもいつもそうやって笑ってたら、ちったーかわいげがあるのによう」
ウソップがまん丸い目をわざと細めて、満面の笑顔で竿を振り回しているサンジを見て言う。
その意見にはおれも賛成だった。余計な喧嘩をせずに済む。
大体あいつにはいちいち腹が立つのだ。
今朝だって……。
おれは不覚にも今朝キスされたときのルフィの唇の感触を思い出して赤面してしまった。
どうしてあんな手に引っ掛かってしまったのか。後悔せずにはいられなかった。
体はルフィでも、中身はあのクソコックだと言うのに。
自分の不甲斐なさに腹が立つ。
「誰がかわいげがねェって!?」
腕組みに仁王立ちの、白いエプロン姿のルフィがいつの間にかおれ達の後ろに居た。
その口には煙草がくわえられていて、余りの違和感に一同絶句してしまう。
もちろん中身がサンジだとは解っているのだが、ルフィのくわえ煙草に大人びた表情など見たことなかったからだ。
「サンジ……」
ウソップはしまった、という風に顔を顰めた。
にやっと笑ったサンジは、いきなりそのルフィの伸びる鉄拳をウソップに浴びせる。
ドゴ!
「うげっ!」
ウソップが一瞬にして後ろの手摺りまですっ飛んだ。
「一回やってみたかったんだよな~! ゴムゴム!!」
サンジがルフィの白い歯を見せて嬉しそうに笑って腕をブンブン振り回している。
「おれの技取るなよ、サンジ!!」
「今のルフィにゃできねェだろ?」
「むっ! それはそうだな!」
そんな理由で納得するなとおれは思ったが、また屈託なく笑うので何も言う気が失せてしまう。
それはやはりサンジの外見だとしても同じのようだ。
「あんた達!! サボってないでさっさと魚でも釣り上げなさい!!」
頭上からの声に一同その方向へと顔を上げた。
ナミが、サンジが作ったのであろうドリンクを片手にふふんと笑っている。隣ではビビのくすくす笑う姿も見えた。カルーが「くえっ!」と一声鳴くと、階段をどかどか駆け下りて来る。
どうやら参戦するつもりらしい。
食糧難2日目。まだ余裕さえ伺えると言ったところか。
「おう!」と一斉に片手を挙げると、戦友達は思い思いの配置に着いた。
ふと倉庫の壁を見ればサンジがどっかり凭れて座り込んで煙草を噴かせている。食材がなければコックは腕を奮えないのだ。
おれはルフィの肺に吸われていく紫煙を、目を眇め黙って眺めた。
「何だよ、またキスしてェのか?」
そんなおれの視線が気になったのか、サンジがルフィの顔でにやりと笑う。
「もう、絶対しねェ」
そんな台詞、ルフィの顔と声で吐くな……。
おれは苦虫を噛み潰したような顔でそっぽを向くとそう言い放った。
混乱していたとはいえ、もうあんなことはしない。
あれはルフィの体なのだから。だから、キスするかどうかを決めるのはルフィでなければいけなかったのだ。
そんな当たり前のことに、あの時は甘い目眩に惑わされて気付きもしなかった。いや、気付かない振りをしていた。
おれはサンジの隣へ腰掛けると、宇宙まで透けるような青い空を仰いだ。
「太陽の光の色が七色あるって知ってっか?」
おれはサンジの方には敢えて向かず言った。そこには太陽にも似たルフィの顔があるからだ。
太陽の光は七色が集まって白になる。なんだか、その色こそルフィそのものだとおれには思えた。
たくさんの色を持っているのに、本当は真っ白なのだ。
「頭までイかれたか、緑ゴケ」
「ああ!? 誰が緑ゴケだ!?」
それがサンジの作戦だと解っていておれはカチンと来るままその胸ぐらを掴んだ。間近になったルフィの顔がしてやったりとばかりに歪む。
おれはまんまと引っ掛かって、パッとその手を離した。サンジがきしししと、ルフィの声で可笑しそうに笑うのを忌々しく聞く。
「楽しいなァ、お前」
「おれはちっとも楽しくねェ!」
「まあまあ」
「……煙草臭かっただけだ。ルフィに、煙草は似合わねェ……」
言い訳ではあるがそれはおれの正直な気持ちだった。
「ああ、この体で吸ってもちっとも旨くねェ」
「だったらやめろ」
口から離した、もう3センチばかりになっている煙草を眺めてサンジがそんなことを言うので、おれは初めて制止の言葉を吐き出した。
本当は朝からずっと言いたかったのだ。
「そうだな、これを期に禁煙でもすっか!」
「無理な癖に……」
「あ、わかったか?」
おもしろそうに笑う(ルフィの顔した)サンジに溜息を吐きつつ、おれは「なァ」と言った。「あ?」と返事が返ってくる。
「お前、ナミが危険な目に遭ってたら命賭けて守れるか?」
「そんなのは当たり前だ」
「そうか……」
おれは、ルフィが死にそうな時、死んでも守れるだろうか?
神妙な顔になったおれを、きっとサンジは不審に思っているに違いない。
「おれは、ルフィが好きだ」
「知ってる」
隣にいるのはルフィの体で、その声はおれの告白に知ってると言ったのに、実際には本人には何も伝わっていないのだ。
なんだか可笑しくなってきた。なのに、ちっとも笑えない。
隣でルフィの体温が動くのが解った。こちらを向いたらしい。
「だがな、ゾロ。一つだけ言っておく」
おれはちらりとサンジを見た。ルフィの真摯な目は、その時はしっかりとサンジの意志を持っていて、彼のそれとダブったほどだった。
「……?」
「おれは、ナミさんの為に命は賭けられるが、死ぬ気はない。死んでも、ナミさんは喜んじゃくれねェだろう。おれは、大事な物を守る為には死なねェ……」
目の前のルフィがそう語るのに、紛れもなくそれはサンジだった。そしてふっと笑うとまた前に向き直る。
「これな、ルフィに教わったんだ」
「ルフィに?」
「詳しくは、教えてやらねェ」
そう言って何か思い出す風に楽しそうに笑ったので、おれは舌打ちだけして何も聞くことはしなかった。
もしおれがルフィのために死んだら、ルフィはどうするのだろう……?
おれは俯くと、そこから何も考えられなくなった。
「お前らしくねェ」
「おれらしく?」
「ああ、考えてる」
「……馬鹿にしやがって。でも今は何も考えてねェ」
「ああ、……ちょっとの間、何も考えずにおれをルフィだと思っとけ」
サンジはそう言って、おれの肩に小さなルフィの頭を預けた。
おれは黙っていた。
頬にルフィの黒い柔らかい髪が当たる。それは太陽の匂いだった。
太陽の光と匂いのするルフィ。
でもおれは、考えなければいけないんだ、クソコック。
目を閉じ、それからゆっくりと開けた。ルフィの細い肩を掴んで引き剥がすと立ち上がる。
一つ呼吸をした。
「ナミ!」
おれは頭上でルフィ達の魚釣りを眺めていたナミを見上げその名前を呼んだ。
ナミの意表を突かれたような驚いた顔がこっちに向く。
ナミは、おれのルフィに対する欲望だけを見て一緒にいる資格がないと言った。
それは確かにその通りだと思う。
それだけなのなら……。
おれは息を吸い込んだ。
「おれは必ず最良の答えを見つける、だから! ……待ってろ!」
必ずだ。
おれは自分の言葉を自分の胸に刻み、口元を引き締めナミを睨み付けた。
そのおれの目を真っ向から見据え、ナミがにっこり微笑む。
「わかった!!」
突然のおれとナミのやり取りに当然の如く困惑したクルー達はただあっけに取られておれとナミを交互に見ていたが、おれは振り返ると真っ直ぐにルフィを見つめた。
きょとっとしたサンジの目を。
しかしそれはルフィのものだ。
おれはルフィが好きだ。
そう、外見もその中身も。
総てが──。

「おれは、必ず二人を元に戻してみせる」
神よもしいるなら、おれの邪魔はしないでくれ。



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