行方





「良い風になったわ」
食堂から出てすぐの手摺りに手を掛けたナミが前方から吹く風に気持ちよさそうに目を細めた。
オレンジ色の髪が靡く。
「ね? ゾロ」
ね? と言われてもおれに風の臭いなど嗅ぎ分ける能力なんかないのだが。
おれは片眉を上げるとナミを一瞥した。
「なによ、その顔は。私が話しかけるのがそんなに迷惑? あんたってほんと分かり易い」
分かり易い? 何も言ってねェのになんで解るんだ、この女は。
「別に迷惑だなんて言ってねェだろ。なんの用だ」
おれはあからさまにムッとした顔を作るとナミとは反対側の左舷に向けた。そこにはうちの船長と狙撃手が並んで釣りをしている光景があったからだ。
さっきもおかしなモンタージュ野郎を釣ったばかりで、また余計な物を釣り上げなければいいが……。幸か不幸か敵に面が割れてしまった。
まあ、おれは幸の方だと思っているのだが。と、再び吹いた風に麦わらを押さえるルフィの後ろ姿を見つめて思った。
ルフィだってきっとそう思っていると確信しているからこそ、かも知れない。
「ほら、分かり易い」
「言ってる意味がよくわからねェ」
「まあ、いいわ」
ナミはふふん、と笑っておそらくはおれと同じ方向に目線をくれる。
「ねェ、ゾロはルフィのどこが好きなの?」
「はァ!?」
いきなり何を言い出すんだ。
おれは慌ててしまったことを少し後悔しつつナミの横顔を睨み付けた。
狼狽する理由をナミに悟られたかと思ったからだ。
しかしナミはちっともこっちを見てはいないし、その二重で黒目がちの目はルフィを見つめたままで。
口元には、笑みさえ浮かんでいる。
「私はね、強いとこ!」
そう言い切ってナミは満面の笑みを浮かべた。
ああ、そういう意味だったのか。仲間としてであって恋愛感情のものではないということだ。
しかしナミのその短い理由の中にはいろんな意味が含まれているのだろう。
何と言ってもナミはあの船長に、人生を変えられたのだから。
「ゾロは?」
「なんでそんなこと訊くんだ」
「……頭で思ってても、言葉にしないと気付かないことってあるのよ」
それはそうかも知れないが、それをどうしてナミに言わなければならないのか。
ルフィの好きなところだと? そんなもの、おれにはナミのように端的には表せない。
そんなに器用な方ではないのだ。
「私ね、ルフィとあんたとサンジくんの強さは本物だと思ってるし、きっとこの先も何とかなるって思ってる。だって、何度も命を助けられたり一緒に殺されかけたりしてるんだもの。そしてこうやって生きてる。唯一無二の仲間だわ。でもね、それだけなの。漠然としてるの。私に、信用させてくれないかしら」
「……悪ィが、おれには何を言えばいいのか解らねェな」
女ってのはどうしてこう、おおざっぱなクセに細かいとこばっか真剣になるのか。
「今はいいわ。考えて!」
「考えろだ!? おれがルフィの好きなところを言うのと、おれらの強さと、どういう関係があるってんだ?」
「それも考えて。じゃね!」
じゃね、ってオイ……。
ナミはおれに手をひらひら振ると鼻歌なんか歌いながら階段を下りて行ってしまった。
おれは小さく溜息を吐くと、またルフィを見る。
ウソップと何やら楽しそうに話をしながら釣りをしているその横顔は、これから見えてくるだろう目的の島のことなんかちっとも考えてない風で。
そしてそれがルフィの持つ雰囲気なのだ。
「あの……」
背後から声を掛けられ、おれはまた振り返る羽目になった。
青い髪を風に靡かせ、不安そうな目が自分を見上げている。
「王女様が、何か用か?」
「Mr.ブシドー、ちょっといいですか?」
「ああ」
今日はやたらと話しかけられる日だ。
「さっきのナミさんの話なんですけど、あ、聞こえてしまったんです。ごめんなさい」
「別に」
「あの、私の為だと思うんです……」
ビビは一度言葉を切ると、おれの隣へ来て手摺りに掛けたおれの手を見た。
「もうすぐ、アラバスタに着きます。これからの戦いは、ハッキリ言ってあなた達にはボランティアだわ。この船の船長であるルフィさんが言い出したことだから、あなたたちは従ってるけど、でなきゃきっと私の国のことなんか関係なかったはず。危険な戦いをせずに済む……。そうでしょ?」
申し訳なさそうに長い睫毛を伏せ、ビビが眉根を寄せる。
「それとナミの言うことと、何の関係があるってんだ」
おれにはどうしてビビがそう思うのか、やっぱり解らなかった。
ただ船長がそこへ行くというなら従うまでだし、“王下七武海”とやらが強い奴らならおれは敢えてやり合いたい。
そして負けるわけにはいかねェんだ。ルフィと、親友との約束のために。
これはおれにとって必要な道、それだけのこと。
「つまり……、あなた達がどこまでルフィさんについて行けるかだと思うんです」
「あんたは疑ってるのか。おれたち仲間を。ナミのために進行を遅らせたあんたが」
「そ、そんな! そうじゃなくて……。いえ、そんな時期もありました。特にルフィさんの脳天気さには、何度か怒りを感じることも……。でも! 今はそんなことこれっぽっちも思ってないわ! リトルガーデンでまた命を救われて、無事脱出も果たせて、そしてナミさんを守ったルフィさんを見て、すべてが仲間の為だからこそできることなんだと……。そればかりか、彼はそこでまた多くの魂を救った。そんな人を信じないはずがない! もちろんナミさんだって……!」
「だったらナミはどうしておれに考えろって言うんだ?」
「それは……、さっきも言ってたけど、言葉にしてみて気付くこともあるんじゃないかしら」
それきり訪れた沈黙におれの方が先に決まりが悪くなり、おれはその場を後にした。
後甲板には人もおらず、日陰を選んで腰を落ち着ける。
目を閉じてみた。
ナミの言ったことを思い出してみる。
……ルフィの好きなところ。
ナミのいう好き、はおれには一種類ではなかった。
仲間、友情、誓った相手、そして……愛情。
どのくらい前からおれはルフィが好きだったんだろう。
──ルフィのどこが好きか、だと?
そんなもの中身に決まっている。
決して揺るがない意志や、純粋で無垢なところ、ナミの言う強いところ。
何より、大事な物を感じ取る術を本能で知っている男だ。
そして、その覚悟。
おれにとってルフィは本物だった。
だからここまでついてきたし、これからだってついていける。ルフィがいるから海賊なんぞに成り下がったのだ、逆に言えばルフィがいなければ意味を成さない。
そんなことはナミだって同じ筈なのに……。
「言葉にする?」
それを、ナミに話せと言うのか? それともルフィに?
悪いがおれはそんな殊勝なタイプではない。
言葉にするのはあの時で最後だと思っている。あの、ミホークに負けたとき、ルフィに誓ったあの言葉。
“おれはもう、二度と負けない。世界一の剣豪になってみせる”
あれが今のおれの総てだ。
それに余計なことを言ってルフィを不安にさせたくはない。
それのどこがいけない?
「何だゾロ、起きてるのか?」
いきなりさっきまで考えに考えていた相手が目の前に立っていて、おれは心底驚いた。
「び、びっくりすんじゃねェかよ!」
「あ、悪ィ」
にしししと笑ってルフィがちょこんとおれの前にしゃがみ込んだ。
そして大きな目がおれを捕らえる。
好奇心に満ちたその目はまだ子供のもので、おれはルフィが聞いたら怒りそうだがかわいいと思ってしまう。
待てよ……。おれはこの目が、好きなんだ。
大きな、何もかもを映す真っ黒い瞳。
それは時に信じた未来をも映しているようで、ずっと見ていたくなる。
ルフィが黙り込んだおれを不審に思ったのか、首を傾げた。
その仕草までもがかわいいと思う。
かわいい? おれはルフィがかわいいから好きなのか?
だめだ、混乱してきた……。ナミの言っている意味はそんなことではないのに。
思えば、おれはルフィの中身だけを好きなわけではないのかもしれない。
そう思い始めると、目元が熱くてルフィの顔をまともに見られなくなった。
「ゾロも、釣りしねェか?」
「いや、おれはいい」
「えー! なんで」
「かったりィ」
「ちぇ! あ~あ、つまみ食いなんてするんじゃなかった! 腹減ったなァ」
すくっと立ち上がったルフィを、おれは咄嗟に見上げた。
「ルフィ、ちょっと待った」
「ん?」
勢い良く立ち上がったおれに、ルフィは驚くでもなく真っ直ぐな目を向けてくる。
「あのな、お前、おれのどこが好きだ?」
聞いてしまっておれは100万回頭の中で後悔した。
ルフィがきょとっとした顔で目をぱちぱちさせている。そりゃそうだろう。
「あ、やっぱいい! 忘れてくれ……」
言葉にして聞きたかったのはおれの方じゃねェか……。
おれはまた、その場を立ち去ることしか出来なかった。



翌早朝。
「何やってんだ。腹減ったのか?」
おれは朝早くルフィの気配が消えたことに気付いて目が覚めた。
我ながらすごいと思ってしまう。
その姿は食堂で見つけられた。
「ああ!? 何言ってんだクソ剣士。朝食の用意に決まってんだろうが。ったく、何にもない食材で作るこっちの身にもなれってんだ……」
その物言いにおれは固まった。クソ剣士? ルフィにそんな風に言われた覚えは今まで一度だってなかった。
まるであの、ぐる眉のような言い方……。
「ありゃ?」
白いエプロン姿のルフィが振り返ると喉の辺りを押さえた。
「おれこんな声だったかな」
「そんな声だろう。それよりなんでルフィが飯の支度してんだ?」
「ルフィだ!? ……そうだ、ルフィの声だ!! ああ!? 今なんて言った!?」
自分で言っておいて何を言っているのか、おれは自分がまだ寝ぼけているのかと真剣に悩んでしまった。
「大丈夫か?」
おれはルフィに近付くとその丸いおでこに手を当てた。熱はないようだが……。
「何すんだ、気色悪ィな!」
ペッと手を払われ少なからずショックを受ける。
何かがいつもと違う……。
つんつんの黒い髪も、大きな目も、華奢な腕も、確かにルフィそのものなのに。
「どうしちまったんだ、ルフィ?」
おれはそっとルフィの頬に触れてみた。なんでかさっきから思い詰めた顔をしているのだ。
「どうなってんだ……」
その小さなルフィの呟きが何を意味するのか、おれは想像がつかない。だが、ルフィの身の上に何かあったのだけは確かなようだ。
腹の減りすぎか?
「ルフィ?」
名を呼ぶと見上げてくる瞳は、何故かおれをきつく睨み付けている。
おれは何か悪いことでもしたのだろうか。
「煙草……、持ってねェよな」
「煙草!?」
「そうだ、ルフィは持ってねェんだ。畜生、朝の一服ができないじゃねェか」
朝の一服……? それじゃまるで……。
「お前……」
おれは愕然としてルフィからパッと手を離した。
「てめェのそんな心配そうな面、初めて見たぜ」
にやりと笑うその表情は……。
「コックか!?」
「おう、やっと気付いたか。クソ剣士」
そう、そのクソムカつく言い方!
「どうりで包丁を扱いにくいと思ったんだ。身長が違うんだもんなァ」
などと暢気なことを言うので、おれは一気に頭に血が上った。
「てめェ! ルフィの中身をどこへやった!」
そして外見がルフィなサンジの胸ぐらを掴み、睨み据える。
「ゾロ……」
だが唐突に、ルフィのその声で縋るように名を呼ばれ、思わずおれはパッと手を離した。
しまった。バカか、おれは……。
「て、てめェ、卑怯だぞ……」
「ぶはははは! こりゃいい。魔獣と呼ばれた男がこんなにルフィに弱いとは知らなかったぜ!」
「うるせェ!」
とんだ弱みを握られたもんだ。
おれは歯軋りして奴を睨み付けるほかなかった。
「それよか、おれの外身の心配もしてくれよ」
「知るか!」
「冷てェなァ。おれ、知ってんだぜ?」
そう意味深に言うと、サンジがおれに詰め寄って来た。実際にはルフィが。
ルフィの表情が意地悪気に歪む。
「な、何を……」
「お前が……」
ますます間合いを詰め、そしてルフィの細い腕がおれの首に絡まった。
間近で見るルフィの黒い瞳が、おれを射て離さない。
その小悪魔的な笑みにも、おれは中身がサンジだと解っているにも拘わらず、逸る鼓動を抑えることが出来なかった。
体温が、上昇していくのが解る。
おれはもしかしてルフィの外見だけが好きだったのか!?
「ゾロが、ルフィのことを好きだって……」
「なっ……」
正直、焦った。
誰にも気付かれる要素なんてないと思っていたのに、流石はラブコック……。などと悠長なことを考えている場合ではない。
この手を振り払わなければ。取り返しがつかなくなる前に……。そう頭では思っているのに、腕が金縛りにあったように動かない。
温かいルフィの体温が伝わってくる。それは目眩にも似ていて──。
「してやろうか、お前があのルフィだと一生掛かってもできないこと……」
「できない、こと……?」
すぐ間近のルフィの目が閉じられて、おれはサンジの思惑をやっと悟った。
はね除けなければ。こんなのは違う……!
そう思ったときにはすでにルフィの唇が触れていた。
柔らかく温かな唇は、おれが想像していたよりもずっとリアルで甘味で……。
おれは自分の首に抱きついてくるルフィの腕がきつくなるのに煽られて、その折れそうな背を抱いた。
目を閉じてその唇を堪能すれば、腕の中のルフィはおれにとってルフィそのもので。
違うのに、違うと解っていたはずなのに……おれは欲望に逆らえなかったのだ。
唇を吸う角度を変えながら、きつくきつくルフィを抱きしめた。
ずっとこうしたかった……。
そして背後でバタンという扉が開く音がしてやっと我に返り、離れた時には時既に遅し……。
そこにナミが立っていた。
「ゾロ……、これがあんたの出した答えなのね?」
答え?
「おれは……」
「あんたがルフィを好きなのは知ってたわ」
はァ!? ナミまで知ってたってのか!?
「でもあんたの好きがそう言う意味だけなのなら……、あんたにはルフィと一緒にいる資格なんてないわ!」
そう言い放つナミのきつい眼差しが痛かった。
今がどんな状況なのか、おれはもう放棄してしまいたかった。
これが、本当におれの答えなのか……?
「サンジー! 腹減って目覚めた~!! めし……って、あれ?」
勢い良く扉を蹴って入ってきたのはサンジ……。つまり、これが……。
「おれがいる!!」
大きく見開かれたサンジの目が、本来の自分の姿を映している。
「お前、ルフィ……?」
おれの低い声が、静かになった食堂に響いた。

これは天罰なのか?


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