魔性の島

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「魔性の島」と呼ばれた島が、ゆっくりと小さくなって行く。
象徴の山をなくし、見た目も大きく変貌を遂げたその美しい島は、生まれ変わってあの少年を暖かく包んでくれればいいのに。
ゾロは見張り台から、後にした島を眺めながら大きく息を吐いた。
瞬く星々が降り注ぐように島を照らす。
この島に、また来ることがあるだろうか。
いつか大剣豪となった自分の名を、彼が耳にすることがあるだろうか。


ゾロとルフィが港へ着くと、図ったかのようにGM号が着岸するところで、沖へ投錨していた理由をナミから聞けばあの島は「人の夢を食う島だからだ」と言うことだった。すぐには意味が解らなかったが、ルフィの様子がおかしかったことを思い起こしてなるほどと思う。そしてゾロ自身、自分らしくなく立ち止まったりしていたのだから。
すべては、あの少年が封印した魔物の所為だったのだ。
ゾロはそう理解して船に戻った。
「戻った」剣士には、皆「おかえり」と言ってくれたのだが。

背後でぱしり、と音がして振り向くと、見張り台に掛かった手が見えてすぐにルフィが顔を出した。
「よう!」
「よう……」
よく知った笑顔にゾロが笑みを返す。
船に戻ってきたルフィはもういつものルフィのように見えた。ゾロはそれが嬉しくて麦わらを被った頭をぽんぽんと叩く。
「島、見てたのか?」
ルフィがその拍子で帽子のツバに隠れてしまった目をそのままに問うので、ゾロは表情が解らない彼にとりあえず「ああ」とだけ答えた。
「ルフィ?」
顔を上げないルフィを不審に思って声を掛ければ、帽子のツバを弾いて顔を上げたルフィがニッと笑う。
「そっか!」
ルフィはそのことをどう思っていたのかゾロには解らなかったが、こくりと頷いた彼がゾロの隣へ並んで立つので体を少し横へずらしてやる。また小さくなった島を二人眺めて、どちらからともなく肩を寄せた。
「なァ、ルフィ」
「ん?」
「お前の野望って何だ」
「そんなん、海賊王になることに決まってんだろ!」
「そうだったな……」
腕を振り上げて宣言するルフィには、ゾロは安堵の笑みを漏らす。
もっと他に聞きたいことがあったような気がしたのに、ルフィのその言葉だけでいいような気もするし、それ以上、聞きたいことがないような気もした。
傍らにある、伝わってくる体温がルフィのものなら、もうそれでいいような気が。
そんなことを考えながらゾロが島を見送っていると、ぐいっと二の腕を引っ張られて気を抜いていたゾロはルフィによってあっけなく見張り台の狭い床に引き倒された。
ルフィという存在を全く警戒していない良い証拠だと、少し情けなくもなったのだが、あの島への名残がそれだけ強かったと言うことか。
「な、なんだよ。ルフィ」
膝を折ってしゃがみ込んでいるルフィは何故かゾロの腕を掴んだまま上目遣いに睨み付けてくるので、ゾロはルフィの急な変貌に戸惑いを隠せない。
「もう、見るなよ」
「え?」
「あの島、見るな」
「……もう、大丈夫なんだろ? あの島の……」
呪いは解けたのだから、と言おうとしてゾロはルフィがそんなことを言いたいのではないと悟った。しかしルフィが何故見るな、というのか、その理由は解らなかったけれど。
ゾロはルフィの前に胡座を掻いて座り込むと、ルフィの大きな瞳を見返してにやりと笑って見せた。
それが、ルフィに対する答えなのだと。
そうするとルフィは思った通り破願して、しししし、と笑うのだ。
ゾロはその笑顔に手を伸ばし、頬に触れる。
少し冷たいそこはゾロの体温を求めて吸い付くようで、ゾロは招かれるように空いた方の頬に自分の唇を押し当てた。
瞬間、ルフィが目を閉じたのが解ってゾロは頬にあった手をルフィの細い肩に回すと、柔らかいその唇に移動する。角度を変え、ゆっくりと啄めば、ルフィから微かな吐息が漏れた。
ああ、そうか。やっと思い出した。
どうして船を下りろと言ったのか、それが聞きたかったのだ。
唇を離してそれを聞けば、ルフィは「もういいんだ」と、ゾロにしてはもうよくないことを言った。
「おれ、変だったんだ」
それはあの島の所為で?
「ゾロがな……」
「おれが?」
やはり自分が何かしたのかと思ってゾロは記憶を辿ってみる。もちろん、そこには何もなかったのだけれど。
ルフィは目線を泳がせながら言い淀んでいる風で、ゾロが思わず「お前でも言いにくいことがあるんだな」と言うとぷっくりと頬を膨らませた。
「あ、悪ィ」
「もう、言わねェ!」
「悪かったって。教えてくれよ」
「……だってゾロが、悪いんだぞ」
「お、おれが?」
それは初耳だ。
「ゾロが、サンジと……」
サンジ?
「なんでそこにぐる眉が出てくるんだ」
「出てくるんだ!」
「……なんで」
「……サンジと、ちゅうしてただろ!」
どーん。
「ちゅ……」
柄にもない単語が口から出そうになってゾロは思わず口を覆う。
「おれ、見たんだからな」
「してない……と思うがな」
例えしていても覚えていそうにない自分が憎い。この場合、サンジとキスした記憶ではなく、はっきりと正解を言えないことにだ。きっぱりと「違う」と言ってやれない自分に腹が立つ。
「食堂で……、おれからはゾロの背中しか見えなかったけど。サンジがこうやって、顔を近づけて……」
良いながらルフィが唇を寄せてきて、ゾロはそのシチュエーションの方によっぽどドキドキして自分の不謹慎さに目を逸らせてしまった。
「こっち向けって! ……んでな、確かサンジがこうやって手を回してな」
ルフィがむんずっとゾロの首を片手で掴み更に顔を近づけて来るので、ゾロはここは一つ、ルフィの身の危険を回避するために負けじと首を後ろへ引く。注釈として、ルフィの身の危険とは彼の貞操のことだ。
「じっとしろよ!」
「んなこと、言ってもだな! 身に覚えねェもんは、ねェって!」
「だってこうやって!」
ぐぎぎぎ、と音がしそうな程ルフィが今度は両手で引き寄せ、とうとう根負けしたゾロが力を緩めた次の瞬間、ごいん、と実に良い音がして二人の額がぶつかり合った。
「痛ェ……!!」
もちろん痛くないルフィは平然としたもので、苦痛を訴えたゾロが額を押さえてのたうち回る。
「てめェ! ちったァ、加減しやがれ!!」
「あー、悪ィ」
にししし、と笑って誤魔化すルフィは確信犯だと、その笑顔に弱いゾロは溜息を吐いた。
「とにかく、おれは知らねェからな」
低めの声音で言えば、ルフィは「んー」と唸りながらも観念したのかそれ以上何も言うことはなく、その代わりにすっくと立ち上がった。
「どうした?」
「もう、寝る」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
身の危険を、などと思いながら何故引き留めてしまったのか、それはつまりは手遅れだからである。
ゾロはルフィの手を引くと今度は自分が引き寄せまた元の位置に座らせた。
「やきもちか?」
「ん? なんだそれ」
「嫉妬、てやつだ」
「誰が」
「ルフィが」
「誰に」
「クソコックに」
きっぱりと言い放って、ゾロは更にルフィの手を引くとその細い肩を抱きしめる。それから耳元に唇を寄せた。
「おれがコックとキスしてると思って、嫉妬して”船を下りろ”って言ったのか?」
「………」
自分にしては良い推理だと思って言ってみたのだがしかし、ルフィの答えはいつまでたっても返っては来ず、だからと言うわけではなかったのだが、ゾロはゆっくりと狭い床の上にルフィを押し倒した。
「ゾロ?」
「おう」
聞いているのはこっちなんだが、と返しながらもゾロはルフィの服の裾から手を忍び込ませ、暖かな胸元に掌を這わせていく。
途端にルフィの体がピクリと震えた。
嫉妬だったのかどうかは、きっとあの島の魔力の所為だったと言われればそれまでで、本当のところなんか解りはしない。それでも怒った風に言うルフィがかわいくて、ゾロの理性はとっくに星の彼方へと飛んでいってしまった。
「ゾロってば!」
「ちょっとだけ……」
体を這い回るゾロの指と、首筋に吸い付く唇に焦りを感じ始めたらしいルフィが身を捩って抗議するのだが、なにせ狭いこの空間が思うようにさせてはくれず、再び降りてきたゾロに口を塞がれてルフィは被りを振るくらいしか出来ない。
簡単に突き飛ばせるのにそうしないのは、まだルフィの中で消化し切れていない何かがある証拠で、曖昧なことを口にしないルフィはその場から動けないのだ。
執拗なくちづけから解放され、ルフィは空気を吸ってから自分の上のゾロの手を掴む。
「嫉妬なんか、してねェもん」
「あァそうかよ」
ルフィの拗ねたような言い方にゾロは憮然として答えたがしかし、ゾロにはもう目の前のルフィにしか興味はなくサンジとちゅうしたかどうかなんてことは……。
「あァ!」
「なんだゾロ。急に」
「思い出した! あれか……」
「あれ?」
「キスと言えば確かにそうかもな」
「どう言うことだよ!」
「あのクソコック……!」
「だから何だよ!」
「いや、そのだな。……か、かぼちゃをな。残したんだ」
「うん」
「あ、甘いからな。あれは」
「んなこと聞いてねェ」
「……でな、それが気にくわなかったらしくてな」
「おう」
「こうやって首根っこ捕まれて無理矢理口移しで……」
状況説明をしながらゾロは、さっきルフィが自分にしたように首を片手で掴んで顔を近づけた。そのまま音を立ててちゅ、とキスを送る。
「あ、これはこんなんじゃねェぞ。かぼちゃ味だしな、最悪だ。……いや、あいつが最悪だ。嫌がらせってやつだ」
ゾロのその言い分に、とうとうルフィが吹き出した。
「なーんだ! ゾロはサンジが好きなのかと思ったぞ!」
「んなわけあるか!! おれは……ッ」
「おれは?」
思わぬところで告白しそうになって、あまりに今更でゾロは口を噤んでしまう。代わりにくちづけて動く指を再開すれば、ルフィが小さくその痩躯を震わせた。
唇を解いて顔を覗き込むと、何もかもを見据える大きな目がゾロを射ていて目が離せなくなる。ゾロはそれに、にやりと口の端を上げて笑って、挑むように言ってやった。
「このままヤっちまおうか」
3つしかないボタンはあっという間にゾロの片手で外されて、露わになった肌がゾロを誘う。
「いやだって言ったら?」
「やめねェ」
「じゃあ……絶対やめんなよ」
「おう」
臨むところだと返してゾロは狭い見張り台の中で体を折るとルフィに覆い被さり、きつく抱きすくめて浮かせた背中に手を這わせた。
「野望も絶対、諦めるなよ」
ルフィが言った。
「ったり前ェだろう?」
「おれがもし、ゾロの野望の妨げになってもだぞ?」
「は?」
どうして突然そんなことを言い出すのか、ゾロはルフィの体に触る手は止めずにまたその顔を覗き込む。
「邪魔したおれのことも、諦めんなよ」
「ルフィ……何が言いてェんだ?」
聞きながらもゾロは、彼の綺麗に浮き出た鎖骨に舌を這わせた。
そんなゾロの愛撫に顔を顰めながらも訴えるルフィの言葉を理解しようと、頭を働かせてはみるも感じ始めたらしい彼の体に意識が飛んで、どうにも巧くいかない。
ゾロは先ほど弄んでいた胸の飾りに舌を移動すると、突くように這わせていった。
「んん……っ」
ちゃんと話を聞いてくれないゾロに業を煮やしたルフィがゾロの緑髪を掴むと自分の方へ向かせようとする。
「ルフィ?」
「この船を下りることは、絶対許さねェからな!」
ゾロは少し驚いて動きを止めたものの、すぐにくすりと笑って「ああ」と答えた。
「全部、諦めんなよな!」
「ああ、全部な」
そこではじめて、ルフィの想いを理解した気がした。
ルフィがずっと抱えていたその懸念を、魔性の島が浮き彫りにして突いて吐き出させた結果が、今回のゾロの下船命令に繋がったのだと。
今の言い分の方がよっぽどルフィらしいと、ゾロは嬉しさを隠しきれなくてその体を再度きつく抱きしめる。
そしてゾロは、誓うように言った。

「野望もお前も、絶対ェ諦めねェ!」

あの島に誓う。
新しく生まれ変わったあの島に。
蒼い、蒼いあの島に。

「お前もな」
「当たり前だ!」
「そっか、当たり前か」

ルフィのとびきりの笑顔がどの星々よりも眩しく輝いていて、ゾロは思わず目を細めた。


風が吹く。
新たな息吹を撫でて風が吹く。
これからはじまる歴史の何色にも染まるその風は、
二人の頭上を過ぎて真っ直ぐにあの島へ。
そこには、もう「魔性の島」はどこにもない。



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