魔性の島
10
「卵──!?」
ルフィとゾロは同時に叫んで知らず身構えた。
そしてゾロはあることに思い当たってハッとする。
「サヤ……、じゃあ、お前の兄貴は……」
ゾロの言葉にサヤがびくりと肩を震わせた。
「……取り込まれた」
搾り出すように出たサヤの声にルフィがハッとサヤを見、そしてまた卵に目線を移すと醜いそれを睨みつける。
「助からねェのか?」
恐らくは触れて欲しくない、核心を突いたルフィの残酷とも取れる問いにサヤは眉根を寄せた。下唇を噛むと、ぎゅっと目を閉じる。
でないと、涙が零れるに違いなかったからだ。
「なァ、サヤ!」
「ルフィ!」
今にも泣き出しそうなサヤを思ってゾロがルフィの詰問を咎めるようにその名を呼ぶ。
しかし、ここはサヤが決断を出すべき場なのだとルフィは知っていて、敢えてそんな言い方をするのだと言うことも、ゾロには解っていてそれ以上の責める言葉を失った。
「……兄は、この中で生きてる」
取り込まれた命ごと息づいている。しかしもう、別のモノとなって。
「サヤ……」
ルフィが後押しするようにその痩せた肩を掴んだ。
「解ってる。もう、後がないんだ」
末裔のサヤ。辿り着く先は一つしかなかった。
「珠に封印を……!」
迷いのないサヤの目に、ルフィは静かに頷き一歩後退する。ここからは自分の出番はないのだと。
サヤは黒い珠を懐から取り出すと、首に掛かっている紐をぶちりと引きちぎった。
そして単体となったそれを掌に握り込むと額に当て、目を閉じて呪文を唱え始める。
ゾロとルフィは黙ってそれを見守った。
静かな月の明かりに溶け込むかのようなサヤの念術が岩の砦に流れ、サヤがカッと目を見開く。
そのサヤの目は紅く燃えさかる炎のようで、それは怒りの全てをさらけ出して輝いていた。
「瞳の色が……!?」
ゾロが驚きに目を見張る。
しかしサヤの変化はそれだけにとどまらず、髪に隠れて見えなかったはずの角が一角獣を思わせる鋭さを以て天に向かって伸び出したのだ。
それには角の存在を知らなかったルフィが息を呑む。
そしてサヤの手の中にあった黒い珠はいつしか白く変色を遂げ、拳大の大きさにまでなってサヤの手の中でふわりと浮かんでいた。
「綺麗だな」
ぽつりと言うルフィの、珠の白い光を浴びて浮かび上がった横顔にゾロはゾクリとした。
ルフィは時に酷く、残忍で冷静だった。
そのギャップがゾロを惹き付けて止まないことを、ルフィは知っているのだろうか。
先を見るときの、押し黙った眼光の美しいことを。
ついルフィに見惚れていたゾロが、一際高く紡ぎ出されたサヤの呪文にハッと顔を上げる。
見れば発光と共に蜘蛛の糸のような白い筋が珠から伸びて卵を包んで行くところだった。
今まさに封印が成されようとしている。
その時。
「──!?」
いち早く異変に気づいたルフィが卵に目を向けたまま隣のゾロの腕をぐっと掴んだ。
「ルフィ?」
ルフィの顔が険しくなって行くのを見て取ったゾロは、よくよく目を懲らして卵を見つめる。
「──そんな……」
同じく異変に気づいたらしいサヤが驚きに目を見開いていた。
卵が、孵化し始めたのだ。
ぴしぴしと、耳に刺さるような殻の割れる音。
開いた隙間から滲み出てくる白い光。
それはサヤの生み出すどれとも違う光を放って身の内を主張し始めた。
「卵が──!!」
3人共が息を詰め、その様子に手も足も動きはせず、何かに封じ込まれているかのような錯覚に陥る。
殻が全て剥げ落ちると、さも蝶が羽を広げて新しい空気を吸い込むかのように白い塊が姿を現した。
「ここまで来て……! 畜生!」
サヤは気落ちせずにいられないものの封印の手を休めることはせず、尚一層強く念術を唱える。
そのサヤを挟むようにゾロとルフィが隣へ並んだ。何かあった場合の援護の為だ。
「頑張れ、サヤ!」
ゾロが少しでも力づけようと声を掛ける。しかしルフィは何を思ったのかサヤの前に飛び出して行くので、慌ててゾロはその腕を掴んで引き留めた。
「危ねェ、ルフィ!」
「……なんか、さっきの奴と違う」
「え?」
ルフィの言葉にサヤもハッと顔を上げる。
言われてみれば影特有のどす黒い肢体ではなく、ラメ状にきらきら煌めいてまさに羽を広げた蝶の様に美しい。
「どういうことだ?」
ゾロがサヤに振り返ったとき、突然サヤが頭を押さえてしゃがみ込んでしまった。
「サヤ!?」
二人が駆け寄ってサヤの青ざめた顔を覗き込む。
「頭が、痛い……」
どうすることも出来ない二人の前でサヤの目がぎゅっと閉じられ、額には玉の汗が浮かんでいた。
しかしそのサヤが次の瞬間ぱっと目を見開いて立ち上がるもよたつく体をゾロとルフィが支え、二人はサヤのその変化を見守り言葉を待つ。
「……兄さん」
「兄貴がどうかしたのか!?」
ゾロの問いかけにもサヤには聞こえていない風で、ずっと一点を見つめたままピクリとも動かない。
一体どうしてしまったというのか。困惑し続けるゾロの横で、ルフィの目が険しく細められた。
「聞こえてんだな、声が」
「声!? まだ意思があんのか!?」
こっくりと、サヤが頷く。
震える声が兄のその言葉を語る。
「今だ、って……。自分が抑えこんでいる間に、封印を……。もうすぐ月が満ちる、その間に自分ごと……っ」
最後まで伝え切れずにサヤは下唇を噛むと俯いてしまった。
つまり、サヤに終止符を打てと言っているのだ。
弟の手で、まだ正気の兄を殺せと。
そう言っているのだ。
「どうしよう、おれ出来ない」
弱音を吐いて首を横に振るサヤの肩をルフィはがっしりと掴み、顔を覗き込んだ。
「いいかサヤ。覚悟を決めろ」
「ルフィ……」
泣き出しそうな顔でサヤがルフィを見る。真摯な、真っ直ぐなルフィの目を。夢を自分の手で取り戻した、強いその人を。
「これは、お前の闘いだ!」
言い放たれたルフィの言葉がサヤの心臓を鷲掴みにした。
そして一度目を伏せ、またルフィを見ると慎重に頷く。
「おれ、やるよ。この島を救いたいんだ!」
意を決し孵化した兄の化身の眼前に立つと、サヤは再び呪文を唱え始めた。
心の中で、兄との別れの言葉を繰り返しながら。
長い、長い闘いの日々を想いながら。
これで終わるのだと。
全てが無に還るのだと。
全てが。
月が、満ちた。
──封印は成された。
「ゾロ、頼みがあるんだ」
「頼み?」
封印が終わり、主をなくした岩山はバランスを崩したのか崩壊した。
下が滝壺だったこともあり大事には至らなかったが、ゾロは泳げないルフィと、サヤとを抱えてどうにか安全な場所まで移動することに成功した。
少し落ち着き、湖となった畔でしんと静まった辺りをゾロはゆっくりと見回す。腕の中には気を失ったルフィがいた。
水面に月の光が反射して、明るく3人を浮かび上がらせる。
サヤは深呼吸を繰り返してから心臓が落ち着くのを待ってゾロを見た。そして、ゾロに言ったのだ。
「ゾロがいいんだ。頼みを叶えてくれないか?」
「おれに出来ることなら」
その言葉にサヤは薄く微笑むと、小さく元に戻った珠を胸に当てる。サヤの紅い目と伸びた角はそのままだった。
ゾロはその後のサヤの行動に目を見張ることとなった。
珠が、黒いサヤの珠がその胸中に埋まっていったのだ。
「サヤ?」
「これで、本当に封印は終わり。でも、まだこれだけじゃ足りないんだ」
「足りない? まだ他にも何か?」
「だからゾロに頼みがある」
サヤはそう言うとゾロの目前に立った。
ゾロはルフィを横たえ、一度頬に触れて眠っていることを確かめると自分もサヤの前に立つ。
サヤの紅い目がちり、と揺らいだ。
神秘的な、しかしどこかぞくりとくるそれにゾロは息を呑む。
「おれを殺して」
「な……っ!?」
「今の内に、元の姿に戻ってしまわない内に……!」
「出来るわけ、ねェだろ!?」
「お願いだから……! 自分の中に封印しても、突き破って来ることがあるんだ。自分が死なない限り、完全な封印なんかない! だって、それでおれの父さんは……っ」
心臓を突き破って出てきた影に殺された。
「そんな、馬鹿な……!」
「本当だよ……。だからゾロ」
「嫌だ。おれには出来ねェ」
断固として言い張るゾロにサヤが眉根を寄せる。
「ゾロに、最後の終止符を打って欲しかったんだ。おれのこと、忌み嫌わなかった、ゾロに」
ぽろりとサヤの目から涙が一粒こぼれ落ちた時、眠っていたはずのルフィがむくりと起きあがった。
「ルフィ、大丈夫か?」
慌ててゾロが駆け寄り、立ち上がろうとするその手を取ってやる。
「サヤ」
「ルフィ……」
話を聞いていたのか、またきつい目線がサヤに向けられる。
サヤはルフィの叱責を覚悟してぎゅっと目を瞑った。しかしつかつかと近寄って来たルフィがサヤの角をがしりと掴んだのだ。
「ルフィ!?」
ゾロが驚愕して名を呼ぶが、止める間もなくルフィの腕の薄い筋肉が盛り上がり、サヤのその角はあっという間にへし折られた。
「痛い……っ!」
ぽたぽた、と角から赤い血がしたたり落ち、その角を手に持ったままのルフィがそれをサヤに翳した。
「こんなのに捕らわれてるからいけねェんだ!」
「──っ!」
サヤの瞳の色がみるみる元の黒い色に戻っていき、頭部から角は忽然と消えた。ルフィの手によって。
「無茶しやがる……」
封印が解けなかったから良かったようなものの……なぜならサヤの角は呪いそのもので、呪いから得た力の筈だった。
もしかしたらあの珠は呪いの産物なんかじゃなかったのかも知れない。
本来は一か八かの賭けを何も知らないルフィが勝手にやってしまった、これを無茶苦茶と言わず何と言うのか。
そうゾロは毒づくも、ルフィの言いたいことを感じ取って口端で笑った。
「お前はもう一人じゃねェ。角もねェし、島を救った。誰も知らなくてもおれたちが知ってる!」
「ルフィ……」
涙を堪えることなく零れたサヤのそれが地面に吸われていった。そして静かに口を開く。
「おれ、ずっと考えてた。この闘いに決着が付いたら死ぬべきなんだって。この島から、間違って出来た種族なんていらないって。……今がその時だと思った」
「サヤ、それは違うぜ。お前はこの島の英雄だ。それでいいじゃねェか」
今はサヤの中にあるあの珠は彼ら一族の希望の化身。きっとこれからのサヤを守ってくれる。
ゾロは心からそう思い、よく知るサヤの瞳を覗き込んだ。語られない伝説の数々をゾロはよく知っている。自分の船長が起こした奇跡を、痛いほどに知っているのだ。
「ゾロ、ルフィ。ありがとう……」
絞り出されたサヤのその言葉はそのまま彼の未来を表す。
「生きるって誓うか?」
ルフィが最後の問い掛けをした。
「うん、生きる!」
顔を上げたサヤの顔は清々しく、ルフィはそんなサヤにやっとニッと笑って見せる。
「よし! 腹減ったな!」
「腹?」
目をぱちくりとさせるサヤにゾロが吹き出した。
そしてゾロはぐりぐりとサヤの頭を撫でる。
「こういう奴なんだ」
微笑みかけてくるゾロを見上げ、サヤは次にルフィを見た。
「あれ? 怒んないのか、ルフィ?」
「怒る?」
首を直角に曲げて言われた意味のわからなかったルフィが眉根を寄せた。
「そういや、そうだな」
ここへ来てずっと、ゾロがサヤに触れるのを阻止してきたルフィ。
ゾロはそうかあれは怒っていたのか、と思ってルフィを見るが、本人さえも解ってない様子だった。
「なんでだ?」
ルフィが降参とばかりサヤに訊くと、サヤは気にしなくていいよ、とだけ言ってまた笑う。
これまでになく、晴れやかに。
「まァ、いいか!」
釣られて笑うルフィにサヤが声を立てて笑い始めた。
明るく、楽しそうに。
それはゾロも未だ見たことのない、真新しい彼の人生のような輝かしい笑顔で。
少しずつ白んできた空が、新しい島の朝を告げていた。
「卵──!?」
ルフィとゾロは同時に叫んで知らず身構えた。
そしてゾロはあることに思い当たってハッとする。
「サヤ……、じゃあ、お前の兄貴は……」
ゾロの言葉にサヤがびくりと肩を震わせた。
「……取り込まれた」
搾り出すように出たサヤの声にルフィがハッとサヤを見、そしてまた卵に目線を移すと醜いそれを睨みつける。
「助からねェのか?」
恐らくは触れて欲しくない、核心を突いたルフィの残酷とも取れる問いにサヤは眉根を寄せた。下唇を噛むと、ぎゅっと目を閉じる。
でないと、涙が零れるに違いなかったからだ。
「なァ、サヤ!」
「ルフィ!」
今にも泣き出しそうなサヤを思ってゾロがルフィの詰問を咎めるようにその名を呼ぶ。
しかし、ここはサヤが決断を出すべき場なのだとルフィは知っていて、敢えてそんな言い方をするのだと言うことも、ゾロには解っていてそれ以上の責める言葉を失った。
「……兄は、この中で生きてる」
取り込まれた命ごと息づいている。しかしもう、別のモノとなって。
「サヤ……」
ルフィが後押しするようにその痩せた肩を掴んだ。
「解ってる。もう、後がないんだ」
末裔のサヤ。辿り着く先は一つしかなかった。
「珠に封印を……!」
迷いのないサヤの目に、ルフィは静かに頷き一歩後退する。ここからは自分の出番はないのだと。
サヤは黒い珠を懐から取り出すと、首に掛かっている紐をぶちりと引きちぎった。
そして単体となったそれを掌に握り込むと額に当て、目を閉じて呪文を唱え始める。
ゾロとルフィは黙ってそれを見守った。
静かな月の明かりに溶け込むかのようなサヤの念術が岩の砦に流れ、サヤがカッと目を見開く。
そのサヤの目は紅く燃えさかる炎のようで、それは怒りの全てをさらけ出して輝いていた。
「瞳の色が……!?」
ゾロが驚きに目を見張る。
しかしサヤの変化はそれだけにとどまらず、髪に隠れて見えなかったはずの角が一角獣を思わせる鋭さを以て天に向かって伸び出したのだ。
それには角の存在を知らなかったルフィが息を呑む。
そしてサヤの手の中にあった黒い珠はいつしか白く変色を遂げ、拳大の大きさにまでなってサヤの手の中でふわりと浮かんでいた。
「綺麗だな」
ぽつりと言うルフィの、珠の白い光を浴びて浮かび上がった横顔にゾロはゾクリとした。
ルフィは時に酷く、残忍で冷静だった。
そのギャップがゾロを惹き付けて止まないことを、ルフィは知っているのだろうか。
先を見るときの、押し黙った眼光の美しいことを。
ついルフィに見惚れていたゾロが、一際高く紡ぎ出されたサヤの呪文にハッと顔を上げる。
見れば発光と共に蜘蛛の糸のような白い筋が珠から伸びて卵を包んで行くところだった。
今まさに封印が成されようとしている。
その時。
「──!?」
いち早く異変に気づいたルフィが卵に目を向けたまま隣のゾロの腕をぐっと掴んだ。
「ルフィ?」
ルフィの顔が険しくなって行くのを見て取ったゾロは、よくよく目を懲らして卵を見つめる。
「──そんな……」
同じく異変に気づいたらしいサヤが驚きに目を見開いていた。
卵が、孵化し始めたのだ。
ぴしぴしと、耳に刺さるような殻の割れる音。
開いた隙間から滲み出てくる白い光。
それはサヤの生み出すどれとも違う光を放って身の内を主張し始めた。
「卵が──!!」
3人共が息を詰め、その様子に手も足も動きはせず、何かに封じ込まれているかのような錯覚に陥る。
殻が全て剥げ落ちると、さも蝶が羽を広げて新しい空気を吸い込むかのように白い塊が姿を現した。
「ここまで来て……! 畜生!」
サヤは気落ちせずにいられないものの封印の手を休めることはせず、尚一層強く念術を唱える。
そのサヤを挟むようにゾロとルフィが隣へ並んだ。何かあった場合の援護の為だ。
「頑張れ、サヤ!」
ゾロが少しでも力づけようと声を掛ける。しかしルフィは何を思ったのかサヤの前に飛び出して行くので、慌ててゾロはその腕を掴んで引き留めた。
「危ねェ、ルフィ!」
「……なんか、さっきの奴と違う」
「え?」
ルフィの言葉にサヤもハッと顔を上げる。
言われてみれば影特有のどす黒い肢体ではなく、ラメ状にきらきら煌めいてまさに羽を広げた蝶の様に美しい。
「どういうことだ?」
ゾロがサヤに振り返ったとき、突然サヤが頭を押さえてしゃがみ込んでしまった。
「サヤ!?」
二人が駆け寄ってサヤの青ざめた顔を覗き込む。
「頭が、痛い……」
どうすることも出来ない二人の前でサヤの目がぎゅっと閉じられ、額には玉の汗が浮かんでいた。
しかしそのサヤが次の瞬間ぱっと目を見開いて立ち上がるもよたつく体をゾロとルフィが支え、二人はサヤのその変化を見守り言葉を待つ。
「……兄さん」
「兄貴がどうかしたのか!?」
ゾロの問いかけにもサヤには聞こえていない風で、ずっと一点を見つめたままピクリとも動かない。
一体どうしてしまったというのか。困惑し続けるゾロの横で、ルフィの目が険しく細められた。
「聞こえてんだな、声が」
「声!? まだ意思があんのか!?」
こっくりと、サヤが頷く。
震える声が兄のその言葉を語る。
「今だ、って……。自分が抑えこんでいる間に、封印を……。もうすぐ月が満ちる、その間に自分ごと……っ」
最後まで伝え切れずにサヤは下唇を噛むと俯いてしまった。
つまり、サヤに終止符を打てと言っているのだ。
弟の手で、まだ正気の兄を殺せと。
そう言っているのだ。
「どうしよう、おれ出来ない」
弱音を吐いて首を横に振るサヤの肩をルフィはがっしりと掴み、顔を覗き込んだ。
「いいかサヤ。覚悟を決めろ」
「ルフィ……」
泣き出しそうな顔でサヤがルフィを見る。真摯な、真っ直ぐなルフィの目を。夢を自分の手で取り戻した、強いその人を。
「これは、お前の闘いだ!」
言い放たれたルフィの言葉がサヤの心臓を鷲掴みにした。
そして一度目を伏せ、またルフィを見ると慎重に頷く。
「おれ、やるよ。この島を救いたいんだ!」
意を決し孵化した兄の化身の眼前に立つと、サヤは再び呪文を唱え始めた。
心の中で、兄との別れの言葉を繰り返しながら。
長い、長い闘いの日々を想いながら。
これで終わるのだと。
全てが無に還るのだと。
全てが。
月が、満ちた。
──封印は成された。
「ゾロ、頼みがあるんだ」
「頼み?」
封印が終わり、主をなくした岩山はバランスを崩したのか崩壊した。
下が滝壺だったこともあり大事には至らなかったが、ゾロは泳げないルフィと、サヤとを抱えてどうにか安全な場所まで移動することに成功した。
少し落ち着き、湖となった畔でしんと静まった辺りをゾロはゆっくりと見回す。腕の中には気を失ったルフィがいた。
水面に月の光が反射して、明るく3人を浮かび上がらせる。
サヤは深呼吸を繰り返してから心臓が落ち着くのを待ってゾロを見た。そして、ゾロに言ったのだ。
「ゾロがいいんだ。頼みを叶えてくれないか?」
「おれに出来ることなら」
その言葉にサヤは薄く微笑むと、小さく元に戻った珠を胸に当てる。サヤの紅い目と伸びた角はそのままだった。
ゾロはその後のサヤの行動に目を見張ることとなった。
珠が、黒いサヤの珠がその胸中に埋まっていったのだ。
「サヤ?」
「これで、本当に封印は終わり。でも、まだこれだけじゃ足りないんだ」
「足りない? まだ他にも何か?」
「だからゾロに頼みがある」
サヤはそう言うとゾロの目前に立った。
ゾロはルフィを横たえ、一度頬に触れて眠っていることを確かめると自分もサヤの前に立つ。
サヤの紅い目がちり、と揺らいだ。
神秘的な、しかしどこかぞくりとくるそれにゾロは息を呑む。
「おれを殺して」
「な……っ!?」
「今の内に、元の姿に戻ってしまわない内に……!」
「出来るわけ、ねェだろ!?」
「お願いだから……! 自分の中に封印しても、突き破って来ることがあるんだ。自分が死なない限り、完全な封印なんかない! だって、それでおれの父さんは……っ」
心臓を突き破って出てきた影に殺された。
「そんな、馬鹿な……!」
「本当だよ……。だからゾロ」
「嫌だ。おれには出来ねェ」
断固として言い張るゾロにサヤが眉根を寄せる。
「ゾロに、最後の終止符を打って欲しかったんだ。おれのこと、忌み嫌わなかった、ゾロに」
ぽろりとサヤの目から涙が一粒こぼれ落ちた時、眠っていたはずのルフィがむくりと起きあがった。
「ルフィ、大丈夫か?」
慌ててゾロが駆け寄り、立ち上がろうとするその手を取ってやる。
「サヤ」
「ルフィ……」
話を聞いていたのか、またきつい目線がサヤに向けられる。
サヤはルフィの叱責を覚悟してぎゅっと目を瞑った。しかしつかつかと近寄って来たルフィがサヤの角をがしりと掴んだのだ。
「ルフィ!?」
ゾロが驚愕して名を呼ぶが、止める間もなくルフィの腕の薄い筋肉が盛り上がり、サヤのその角はあっという間にへし折られた。
「痛い……っ!」
ぽたぽた、と角から赤い血がしたたり落ち、その角を手に持ったままのルフィがそれをサヤに翳した。
「こんなのに捕らわれてるからいけねェんだ!」
「──っ!」
サヤの瞳の色がみるみる元の黒い色に戻っていき、頭部から角は忽然と消えた。ルフィの手によって。
「無茶しやがる……」
封印が解けなかったから良かったようなものの……なぜならサヤの角は呪いそのもので、呪いから得た力の筈だった。
もしかしたらあの珠は呪いの産物なんかじゃなかったのかも知れない。
本来は一か八かの賭けを何も知らないルフィが勝手にやってしまった、これを無茶苦茶と言わず何と言うのか。
そうゾロは毒づくも、ルフィの言いたいことを感じ取って口端で笑った。
「お前はもう一人じゃねェ。角もねェし、島を救った。誰も知らなくてもおれたちが知ってる!」
「ルフィ……」
涙を堪えることなく零れたサヤのそれが地面に吸われていった。そして静かに口を開く。
「おれ、ずっと考えてた。この闘いに決着が付いたら死ぬべきなんだって。この島から、間違って出来た種族なんていらないって。……今がその時だと思った」
「サヤ、それは違うぜ。お前はこの島の英雄だ。それでいいじゃねェか」
今はサヤの中にあるあの珠は彼ら一族の希望の化身。きっとこれからのサヤを守ってくれる。
ゾロは心からそう思い、よく知るサヤの瞳を覗き込んだ。語られない伝説の数々をゾロはよく知っている。自分の船長が起こした奇跡を、痛いほどに知っているのだ。
「ゾロ、ルフィ。ありがとう……」
絞り出されたサヤのその言葉はそのまま彼の未来を表す。
「生きるって誓うか?」
ルフィが最後の問い掛けをした。
「うん、生きる!」
顔を上げたサヤの顔は清々しく、ルフィはそんなサヤにやっとニッと笑って見せる。
「よし! 腹減ったな!」
「腹?」
目をぱちくりとさせるサヤにゾロが吹き出した。
そしてゾロはぐりぐりとサヤの頭を撫でる。
「こういう奴なんだ」
微笑みかけてくるゾロを見上げ、サヤは次にルフィを見た。
「あれ? 怒んないのか、ルフィ?」
「怒る?」
首を直角に曲げて言われた意味のわからなかったルフィが眉根を寄せた。
「そういや、そうだな」
ここへ来てずっと、ゾロがサヤに触れるのを阻止してきたルフィ。
ゾロはそうかあれは怒っていたのか、と思ってルフィを見るが、本人さえも解ってない様子だった。
「なんでだ?」
ルフィが降参とばかりサヤに訊くと、サヤは気にしなくていいよ、とだけ言ってまた笑う。
これまでになく、晴れやかに。
「まァ、いいか!」
釣られて笑うルフィにサヤが声を立てて笑い始めた。
明るく、楽しそうに。
それはゾロも未だ見たことのない、真新しい彼の人生のような輝かしい笑顔で。
少しずつ白んできた空が、新しい島の朝を告げていた。