魔性の島

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魔性の島がある。
風はそこで色を変える。
それはそれは、目に見えない綺麗な色に。
見えなかった綺麗な色に。
知らない色に。







類を見ない緑色の髪が好きだった。
その色よりも深い落ち着いた緑の瞳も。
優しく響く声も、無骨に見えて器用な指先も。
口の端を上げて笑う笑い方とか、綺麗な弓なりの眉の片方を上げる癖とかも。

みんな大好きだったのに。

ゾロは、いなくなってしまった。



「どうしてあんなこと言ったの?」
航海士は大きな目を吊り上げて自分より少しだけ背が高い船長に食ってかかった。
「………」
「ねェ、ルフィ?」
怒ったような、いじけたような、そんなルフィの表情を見ることはそうないと思うが言わずにはいられない。
「ナミ、船長はおれだ。おれが決めたんだから文句言うな」
その言葉の裏にどんな決意があってのことなのか、ナミには想像が追いつかない。
端からこの船長を理解していたわけではないのだが。
ナミはふぅっと息を吐く。
「そうね、船長はルフィだわ。勝手にしなさい」
もう知らない、と付け加えたナミはルフィに背を向け、彼のお気に入りの場所を後にした。
羊の頭。
船は走ってなんかいないのに。
ルフィは変わらない港町をただボーっと、いつまでも眺めていた。
自分じゃないような気がする。
なんか変だ。
――変なんだ、ゾロ。


「どこだここは?」
鬱蒼とした木々が生い茂る、道無き道を進みながら三本の刀を腰に従えた剣士は小首を傾げる。
町の老人は親切に親切に海までの道のりを教えてくれたはずだった。
「どう見ても山じゃねェか? ここ……」
剣士は足を止め、空を仰ぎ、木々の間から漏れる光に目を細めた。
陽でも暮れればさすがにヤベェか?
不意に、その木漏れ日にルフィを見たような気がゾロはして、思わずきゅっと目を瞑った。

「ゾロ、この船を降りてくれ」

唐突にそう言われた。
立ち寄った港町に食料調達の為、滞在すること3日目の事だった。
何故、船長がそんなことを言うのか、さっぱり心当たりが無い。
「ルフィ」
声に出してみれば、それはとても情けないモノで。
どうしちまったんだ? おれは。
ルフィが降りろと言うのだから、そうして欲しいというなら、それで良いはずなのに。
何も迷う事もなければ、抗う必要もない。
いつだってそうしてきた――。
自分は自分の野望の為に、自分一人で動けばいい。
また賞金稼ぎに戻ったって構わない。
なのに、何故。
ゾロは溜息をひとつ吐き、大木を背にしゃがみ込んだ。
「足が、動かねェ……」
なんなんだこれは。
両手を顔の前で組み、額に当てた。
落ち込んでんのか? おれは。
「ハッ、ざまァねェな……」
自嘲気味に笑ってゾロは目を閉じた。
なのに思い出すのは、アイツの顔ばかり。
今だけだ、今だけ……。
そうしてゾロが顔を上げようとしたその時。
ザザッ……。
思いの外近くにある人の気配に、ゾロはハッと顔を上げ刀の一本に手を触れた。
「誰か居るのか?」
低く声を絞り出し、すぐにでも立ち上がれる体勢を取る。
ザザザ……。
草を掻き分けて近付いてくる気配に殺気はなく、ゾロは警戒心を弛緩させた。
ゆっくりと立ち上がって、木と木の間へと目を凝らす。
現れたのは。
「……ルフィ!?」
見れば細身で黒髪の、そして大きな黒い瞳の、その人物は。
「あんた誰だ?」
透き通るような高い声。それがゾロに伸びる。
現れたのはゾロの良く知る人物に、酷似した少年だったのだ。


「ルフィ、メシだぞ」
コックは船首からどうやら動くつもりのないらしい船長に、もしかしたら今までで一番至近距離でそのことを告げたかも知れない。
ルフィの腹時計は人より早く回っていて、大抵が出来上がるより早く食堂にやってくるし、あるいは食堂を出てすぐのデッキの上から叫べば飛んできて、コックの手を煩わせることがそうないからだ。
今は、ルフィのすぐ後ろまで来ている。
ルフィのトレードマークである麦わら帽子が外れ、ひもで首からぶら下がって黒い髪と一緒に風に微かに靡いていた。
振り返るルフィは、笑っていたけれど。
「おう、サンジ! メシか!!」
「ああ」
微かにサンジは笑って、胸ポケットから煙草を抜いた。
どうやら我らが船長は悩んでいるらしい……。
サンジは口に煙草を運ぶ前に、それを挟んだ指でもってルフィの鼻先を指差した。
「泣いてたのか?」
「誰が?」
「お前」
「まさか! おれが泣くかよ!」
そうか? おれはてめェが泣いてるところを見たことあるが?
それは多分、今自分がそんなことを言ってしまった原因の剣士の為に。
ぷくっとぽっぺを膨らませるルフィにそれは言わなかったが、サンジは「鼻が赤い」とだけ言った。
「ちょっとさみくなっちまった。きっとだからだ。それよか、メシメシ!!」
ピョン!と飛び降りてサンジの脇をすり抜ける瞬間、ルフィの腕をサンジが捕らえる。
おかげで煙草一本落っことしちまったじゃねェか。
「ちょっと待った」
くん、と引っ張られてルフィは足を止めた。
「ん?」
「追いかけろよ」
「あ?」
「アイツ」
「アイツって?」
「とぼけんな。ずっと考えてたろ?」
「………。何で解るんだ」
「てめェの頭ん中なんざたかが知れてる」
「何だとっ。失敬だな!」
本気でむくれて見せる船長をコックは気に入っていて、これは仕方のない忠告だと思うのだ。
「行けよ。行って連れ戻して来い」
「……イヤダ」
「てめっ……」
人が親切に柄でもねェ役やってやってんのに。
「なんでサンジがそんなこと言うんだ」
「ナミさんに言ったんだってな。”船長はおれだ。おれが決めたから文句言うな”って?」
「ああ、そうだ!」
「ナミさんを怒らせた罰だ。行って来い」
「なんだそりゃ」
本当はナミの為だけではないのだが、サンジはそんな言い方をあえて選んでルフィの肩をポン、と叩いた。
「海賊弁当作ってやっから!」
「……ホントか?」
「ああ、すぐにな」
「メシも食ってくぞ?」
「おう、食ってけ!」
「じゃあ、行く……」
っとに、調子狂うぜ……。自分は一体どうしちまったってんだ。
そこで素直に言うことを聞く頑固なはずの船長も、どうしちまった?
サンジは勇み足で食堂への階段を上るルフィの後ろ姿を見守りつつ、事の経緯を推察してみる。
あれ、だろうか、原因は。
「サンジー! 早く、海賊弁当!!」
「おう!」
だとしたら、これは本人の自覚の問題であって、誰にもどうすることも出来ない。
ただ一人を除いては。
サンジは食堂へと消えたルフィを追うべく、弁当の中身を考えながら前へ踏み出した。


「何だったんだ?」
ウソップがあっという間に小さくなったルフィの背中を見送りつつ長い鼻を掻く。
「まぁ、いいんじゃない?」
「はぁ?」
ナミのあっけらかんとした物言いに、ますますウソップは首を傾げるしかなく。
「たまには悩むのも良いってこと」
「そうか? ルフィが悩んでるとこなんて想像出来ねェんだけどなァ」
「なんか、どうでも良くなって来ちゃった」
「おいおい~! ナミがそれでどうすんだよ。おれには何も出来ねェぜ~?」
弱気なウソップは嘘もつかず根を上げるが、「ああでもない、こうでもない」と自分なりの考察をまとめてみる。
「喧嘩か! そうだろナミ!! ゾロとルフィは喧嘩したんだな!?」
「さぁ。知らない」
「仲直りしに行くんだ! 違うか!?」
「知らないわよ」
「知らないって……。ナミ~~! どうしちまったんだ~~!!?」
騒ぐウソップを余所に、もう見えなくなったルフィが去った後をナミは見つめ、「なるようになるわよ」とニッコリ笑ったのだった。


島に風が吹く。
二人別々の旅が始まる。
色が変わり始める。



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