新世界不文律


お望み通りに、彼をぎゅうっと抱き締めて、ゾロは自分の胸に顔を押し付けているルフィの黒い頭の天辺に顎をくっつける。
同じように抱きついてきた両腕は驚くほどに細いが、思ったよりずっと力強い。
二人は、宿屋の一室の古びたベッドで、言葉もなく抱き合いながらこれからの展開を銘々の頭の中でシミュレーションしていた。
それが先に完了したのはゾロだ。
制服がしわになったらまずいなと、そう思いながらも、ルフィの双肩を掌に包んで引き剥がすと顔を覗き込む。
するとルフィは目と目がカチ合う寸前、ぎゅっとそのでっかい目を閉じてしまう。
唇も、への字に結んで。
真っ赤な顔をして。
けれどゆっくりとゾロが押し倒しても文句を言わないので、艶やかなその唇に己のを近付け、あと数ミリ……そんなとき、
「ルフィ」
低く、名を呼んだ。
息が掛かりそうなその距離で。
ふるっと震えた唇は何か言おうと開き掛け、やめた。
ゾロは彼の前髪をさらりかきあげると、きれいに丸みを帯びた額に高い鼻先を擦りつける。
まるで雄を感じない曲線、甘ったるい匂い。ルフィが未成年なのは知っているが、自分のときとは随分違うと思う。
名を呼んだきりのゾロを不思議に思ったのか、ルフィの大きな大きな目がふわふわとひらいた。
「ゾロ……早くしろ。ヤろうって言ってんじゃん」
「……時間稼ぎか?」
「違う!」
「すぐムキになる……。お前は嘘がつけねェな。本当に抱かれるつもりか? 兄貴を逃がすためだけに?」
「あ、兄貴って誰だ」
「まだしらを切り通すのか。なら引っ掛かってやるよ、お前を抱きゃあいいんだろう?」
「……っ」
ゾロの、片方しかない翠の目がルフィを面白おかしげに射てきた。
彼の左目には縦に走る傷痕がある。
絶対正義の名のもと、職務を遂行する立場であるクセにまるでマフィアのドンみたいだ、とルフィは毎度思うのだ。
胸元に伸びた長い指先がルフィのシャツの第一ボタンを引きちぎり、いきなり、白く浮いた鎖骨に歯を立ててきた。
「い゙っ…!」
誘ったのはそりゃあ自分なんだし、覚悟は決めていたが、最後までヤられるシミュレーションを残念ながらしきらなかった。今後の展開でルフィは読み負けたのかもしれない。元々、自分は作戦なんて大層なモノは立てられない質だが、なぜか遂行力だけはあるし上手く転ぶ自信もいつもあった。
そうしてこの男の言う通り、ある程度の時間を稼げればあとは腹痛(仮病)にでもなって逃げるつもりだったのだ。
エースを守れればそれでよかったから……。

海軍GL支部、ロロノア・ゾロ中尉とは1ヶ月前に知り合ったばかりだった。
故海賊王の血縁者であるエースを探していると、どこから聞き付けたのだか幼いころから一緒に育ったルフィをこの男は訪ねてきた。血縁者は死罪となる。
ルフィとエースに血縁関係はない。もう1年以上も会っていなかった。けれど、ずっとゾロはルフィをマークし続けた。
その隙を狙いエースと再会したのが昨日のこと。エースには指針にない無人島へ逃げるつもりだ、と聞かされた。
ルフィはルフィなりに、兄の手助けをしたいと思った。決して頼まれたからではない。
もちろん追っ手はロロノアだけじゃないから、ちゃんと逃げ切れたか心配でたまらない。でもエースは強いから、きっと大丈夫。

「おい、心ここに非ずか?」
「へ? …あっ、いでェ! 噛むな!」
「お、ちっとは威勢のよさが戻ったみてぇだな。そうじゃねェと調子が狂う」
ゾロが顔を上げ、やっぱり面白いもんでも見るように見やって来た。
噂通りG-5の連中はろくでもない。無法者ばっかりだ。
一般人の自分に平気でこんなことするなんて……。
「何だよ威勢って。おれはいっつも元気だもん」
「元気って……」
ぶ、と吹き出したゾロの笑い顔が意外にも幼くてついついルフィは凝視してしまった。
こんな笑い方できるんじゃんか……と目から鱗だったから。
ルフィがひっそり見とれていると、ゾロは勝手に話を続ける。
「正直びっくりしたんだぜ? いいこと教えてやるっつーから足運んでやったのに『抱け』だし、抱き締めたらカチッコチだし」
「う、うっせェな! しょーがねぇだろドーテーなんだから!」
「だからてめェの作戦に乗ってやるつってんだよ。大人しく抱かれたらどうだ?」
「か、海軍のクセにそんなんでいいのか!? おれはまだ15だぞ!?」
「それで?」
「そんでっ、だから、お前呼んだのは……!」
「あぁ」
「……っ、す、好きだからだ!!」
ばーん。
「ちっ、引っ掛からねェか……」
「もーちっと感動しろよ! ゾロおれんこと好きなんだろ!?」
「そうだ。おれはお前に惚れてる。こんな手をてめェが思い付いちまう程な」
「だからそんなんじゃねェって……」
「お前が星を逃がしてェと懇願するなら協力してやるくらいには、多分とち狂ってるぜ。どうする……?」
「知るか! おれはゾロに会いたいから呼んだだけだ」
「バカかと思やぁ案外したたかなガキだ。だいたい、それが会いたい奴の態度か? 残念ながらお前はおれに惚れてねェ、だから感動も出来ない。……もう行くぜ」
「い、行くな! おれと一緒にいろっ!!」
体を離したゾロのコートの裾を必死に引っ張って、留めようと眉根を寄せるルフィをゾロは悔しいことに愛しいと感じる。
あの真っ黒で力強く、生命の総てを凝縮したようなキラキラした瞳を初めて見た瞬間、ゾロはあっけなく落ちたのだ。
彼の嘘を見破るのは実に容易い。
だが、乗ってやることはやはり出来ない。
ハッタリをかけるたび引っ掛かるなと叫ぶ自分。真実を知りたくないのだ、本当は……。
ゾロはコートを掴んで離さないルフィに嘆息するとまた彼に向き直り、もう一度きつく抱き締めて今度こそ唇を奪った。
「ん! ふ、んん……っ」
ルフィがいやいやをするが逃がしてやらない。ほどけた唇から舌を滑り込ませ、歯列を何度か確かめてから奥に縮こまっていた舌を引っ張り出す。
絡め取った熱塊は甘く、ゾロの理性を心地よく奪っていくが、タイミング悪く無線の小型電伝虫がポケットの中で吼えた。

『ロロノア!どこで油売ってやがる!』
ガーガー、と嫌な雑音を放つ、通信機。
それに「ちっ」とゾロは舌を打ち、ポケットから取り出した。
「今いいとこなんだが」
『あぁ!?』
「重要参考人から話を聞いてる。まだ掛かる」
言いながら、ルフィの胸元に掌を這わせるとルフィから小さな喘ぎが漏れ、掌で口を塞ぐ。
しかしその手をガブッと噛まれ、しかも電伝虫を奪ったルフィは、
「もしもしおれはルフィ! 海賊王になる男だ!!」
どーーん。言い放ちやがったのだ。
「おっま……!」
アッチを撹乱させるつもりだろうが思い付きにも程がある。
けれどルフィの思惑は次の女の声で呆気なく散ることになる。
『ロロノア中尉聞こえますか!? 火拳のエースを匿ったコーティング船が海中に逃げたとの報告がありました! 追いますよ、早く戻って来なさい!! あ、くれぐれも迷子にならないように!』
そしてブチ、と通信は一方的に切られた。
ゾロの了承など端から聞きもしない。上の命令は絶対だ。そして最後のは余計な世話だ。
「クソ、あの女は苦手なんだよ……。てなわけだルフィ、続きはまた今度な?」
「続きって……」
ゾロはルフィのぬくもりを立ちきるように身を離し、ばさりとコートを翻した。未練は残せない。
当然ルフィがあとを追いかけて来たがゾロはその手を振り払う。
「こらこらゾロ! ま、待て!!」
「抱かせるつもりもねェクセに……」
ごちて、振り向き様ルフィの肩を片手で抱き寄せると額にちゅっとキスして、今度こそゾロはさっさと部屋を後にした。

独り残された重要参考人は……。

「むう~~。ゾロめ!」
その場に立ち尽くし、今しがたキスされたデコに手を当てている。
大して兄の役に立たなかったことなど自覚している。
でも何もしないでじっとしてるなんて出来なかった。
おれはまだまだ弱い……。
ゾロの足一つ、止められやしなかった。
「でももし次、ゾロに会ったら……?」
ホントーにさっきの続き、されちまうのかな??
「…あわわっ」
カッカと熱いほっぺたを両手でパシパシ叩く。
長い付き合いになりそうだ、ゾロとは。

さっきの宣言、あれはルフィの本当の本気の夢だから──。


この2年後、海賊王を目指す少年“麦わらのルフィ”が世界的お騒がせ海賊として名を上げ、ロロノア軍との鬼ごっこの日々を繰り広げるのだが、それはまだあとのお話である。



(中途半端におわる)
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