19×17
シャキン、シャキン。
チョキチョキチョキ。
男部屋の洗面台の前では、銀色のハサミが小気味いい音を奏でている。
「こらルフィ、ちゃんと目ェ瞑っとけ」
「だってよ……だって!」
「平気だ、切りすぎてねェから」
実は今、ゾロがルフィの髪を切っているのだ。
洗面台の鏡に映っているのはスツールに腰掛けビニールを体に巻き付けて、自分の髪を丁寧な手付きで櫛ですくゾロを鏡越し、心配そうに見ている本船の船長。
うなじを覆うようになるとルフィは無意識にガリガリ掻いてしまうので、そうならない内にゾロの長い指はいつも握る刀の柄でなく、髪切り用のシザーを握る。
ちょうど最後の仕上げ。前髪のカットに差し掛かったところだった。
なぜだか、ルフィは前髪の長さに異様にこだわるのだ……。
以前はナミが切っていたのだがルフィの注文が意外にもうるさくてさじを投げたらしい。
ナミに「女の子じゃあるまいしいっそ刈り上げちゃえば!?」と三下り半つきつけられ放棄された船長は、次に器用そうなウソップに頼んでみたら「これぞ芸術!!」とドレッドヘアにされてキレ、次にサンジに頼んだら「男もキューティクル命」とか訳のわからないポリシー押し付けられ気づいたらストッパーを当てられていた。あのときのキレ方は半端なかった。
そんなわけで次の矛先がゾロに向ったとしても、順当ではないかとゾロは思っている。
ルフィの数ミリ単位での注文を辛抱強く聞き失敗なくこなせたゾロは、日頃の鍛練による忍耐力のたまものなのか単に“船長命令”に逆らえなかっただけなのか。はたまた、隠れた才能だったのかもしれない。
以来、ゾロの散髪が大変お気に召したらしい船長様の散髪係はゾロ、と決定したのだった。
「ゾロ切りすぎてねェ!?大丈夫か!?あ、でもこの辺は眉毛の下くらいでこっちはちょっと短くて──」
「解ってる解ってる。お前の髪切んの何回目だと思ってんだ」
「でもナミは何べん言っても切りすぎたし……」
「それも何べんも聞いたよ。──よし終わったぞ。どうだ、完璧じゃねェか?」
どこがどう変わったのか解らない程度に散髪された前髪をゾロがパタパタ払う。
ルフィの広い額や白い頬にわずか数ミリの真っ黒い髪がたくさんくっついている。
あとで綺麗に払ってやらねェと……とゾロは考えながら、そういやルフィのストレートヘアは普段と真逆でえらい大人しく見えたよなぁとか女の子みたいだったよなぁとか、益体もなく記憶を巡らせてみたり。
つーかあのドレッドはねェよな……。
そしてパチッと目を開けたルフィが鏡の中の自分をマジマジ見るや、
「うんうん今回もバッチシだな!ありがとなゾロ!!」
「おう」
「やーっぱゾロに頼むのがいっちばんだよな~~」
今回もご満悦で、何より。
完璧といっても見た目は“いつものルフィ”なので、何の変哲もないと言うのに。
ルフィは冒険大好きなわりに髪型の冒険はしないようだ。ゾロもそうだが。
ゾロがルフィに巻き付けていたビニールにくっついていた髪を新聞の上に慎重に落とし、そろそろと外してやる。
途端、暑かったーとルフィがベストの裾をバフバフするのを待て待てと押さえ込み、ゾロはルフィの首筋や鎖骨あたりに散っていた細かい髪をタオルで丁寧に取ってやる。
「ルフィ、今夜はちゃんと髪洗えよ?」
ほっとくと10日は風呂入らねェからなぁ、この風呂嫌いは……。
「んじゃゾロ、今日は一緒に風呂入ろうな?」
「最近シャンプーもセットになってねェか?」
「まーまーいいじゃん!ゾロのシャンプー気持ちいいんだもん」
うひゃうひゃ楽しそうな船長にゾロはハァと嘆息するも、断る理由が見つからないので「わーったよ」と了承。もれなくチョッパーも便乗しそうだ。
最後にルフィの背中をバンバンはたいてやったらホントのホントに終了──。
「けどお前、なんでそんなに前髪だけこだわるんだ?」
ふと疑問に思ってゾロが聞いてみると。
「ん?」
スツールに腰掛けたまま、自分の前髪の一房を指でつまんで満足気に眺めていたルフィが、後ろに立っている鏡の中のゾロを見るなりむっつりと口をへの字にした。
「それはガキの頃にだなぁ……」
「ああ、兄貴に切られすぎた挙げ句笑われたとか」
「んな、何でわかるんだ!?」
「ルフィならそんなとこかと」
「むーぅ……。だってよエースの奴、デコっぱちって言ったんだぞデコっぱちって!バカにしてガハガハ笑いやがったんだ!!」
「デコっぱち……」
確かにルフィのデコは広めである。幼い容姿をいっそう幼くする要因。
でも丸みを帯びた綺麗な額だとゾロは思っていたのだが、コンプレックスってのは他人にゃわかんねェもんだなぁ……。
ゾロは、鏡に目をやりながらルフィの前髪をかきあげた。
ルフィが「んー?」と顎を上げて直にゾロを見てくる。
その視線を受け止めつつ片手をルフィの頬にそっと添え、その頬や、耳たぶについた髪を擦りすぎないよう取り払ってやって。
ルフィはクスクス笑って頭を振ったが「あとで痒くなるぞ」とゾロがたしなめれば頑張ってじっとしていた。
「でもな、最近は違うんだ」
今度はルフィが唐突に喋り始めた。やはり彼はこれで終わらない。
「違う?」
またまた自分を見上げてきたルフィをゾロも見つめながら、続けて、
「デコっぱちはもういいのか?」
「うん。どうせデコなんかしょちゅう全開だし、おれ」
「確かに……。じゃあ今ルフィがこだわってる理由は何なんだ?」
どうせまたくだらない理由だろう、とゾロは大した期待もせずにルフィの鼻の頭に残っていた毛も親指の腹でこしこして、一応尋ねてみると。
「ゾロが、ちゃんとおれんこと見てんの確認できるから」
「………確認するまでもねェと思うんだが」
とんだフェイントを喰らった。
まさか散髪係にそんなご利益(?)があったとは……。
船員として相棒として、常に船長の言動に注視していることなど当然。
否……微妙な違いすら正せる程いつもいつも、ゾロがルフィを見ていることなど、確かめるまでもないと思っていたのに。
なんとなく面映ゆくてゾロは、「にっしし」と笑っているルフィから目を逸らせてしまった。
そうして。
またルフィの髪が伸びたら自分が切ってやろう、と思った。
(おしまい)
チョキチョキチョキ。
男部屋の洗面台の前では、銀色のハサミが小気味いい音を奏でている。
「こらルフィ、ちゃんと目ェ瞑っとけ」
「だってよ……だって!」
「平気だ、切りすぎてねェから」
実は今、ゾロがルフィの髪を切っているのだ。
洗面台の鏡に映っているのはスツールに腰掛けビニールを体に巻き付けて、自分の髪を丁寧な手付きで櫛ですくゾロを鏡越し、心配そうに見ている本船の船長。
うなじを覆うようになるとルフィは無意識にガリガリ掻いてしまうので、そうならない内にゾロの長い指はいつも握る刀の柄でなく、髪切り用のシザーを握る。
ちょうど最後の仕上げ。前髪のカットに差し掛かったところだった。
なぜだか、ルフィは前髪の長さに異様にこだわるのだ……。
以前はナミが切っていたのだがルフィの注文が意外にもうるさくてさじを投げたらしい。
ナミに「女の子じゃあるまいしいっそ刈り上げちゃえば!?」と三下り半つきつけられ放棄された船長は、次に器用そうなウソップに頼んでみたら「これぞ芸術!!」とドレッドヘアにされてキレ、次にサンジに頼んだら「男もキューティクル命」とか訳のわからないポリシー押し付けられ気づいたらストッパーを当てられていた。あのときのキレ方は半端なかった。
そんなわけで次の矛先がゾロに向ったとしても、順当ではないかとゾロは思っている。
ルフィの数ミリ単位での注文を辛抱強く聞き失敗なくこなせたゾロは、日頃の鍛練による忍耐力のたまものなのか単に“船長命令”に逆らえなかっただけなのか。はたまた、隠れた才能だったのかもしれない。
以来、ゾロの散髪が大変お気に召したらしい船長様の散髪係はゾロ、と決定したのだった。
「ゾロ切りすぎてねェ!?大丈夫か!?あ、でもこの辺は眉毛の下くらいでこっちはちょっと短くて──」
「解ってる解ってる。お前の髪切んの何回目だと思ってんだ」
「でもナミは何べん言っても切りすぎたし……」
「それも何べんも聞いたよ。──よし終わったぞ。どうだ、完璧じゃねェか?」
どこがどう変わったのか解らない程度に散髪された前髪をゾロがパタパタ払う。
ルフィの広い額や白い頬にわずか数ミリの真っ黒い髪がたくさんくっついている。
あとで綺麗に払ってやらねェと……とゾロは考えながら、そういやルフィのストレートヘアは普段と真逆でえらい大人しく見えたよなぁとか女の子みたいだったよなぁとか、益体もなく記憶を巡らせてみたり。
つーかあのドレッドはねェよな……。
そしてパチッと目を開けたルフィが鏡の中の自分をマジマジ見るや、
「うんうん今回もバッチシだな!ありがとなゾロ!!」
「おう」
「やーっぱゾロに頼むのがいっちばんだよな~~」
今回もご満悦で、何より。
完璧といっても見た目は“いつものルフィ”なので、何の変哲もないと言うのに。
ルフィは冒険大好きなわりに髪型の冒険はしないようだ。ゾロもそうだが。
ゾロがルフィに巻き付けていたビニールにくっついていた髪を新聞の上に慎重に落とし、そろそろと外してやる。
途端、暑かったーとルフィがベストの裾をバフバフするのを待て待てと押さえ込み、ゾロはルフィの首筋や鎖骨あたりに散っていた細かい髪をタオルで丁寧に取ってやる。
「ルフィ、今夜はちゃんと髪洗えよ?」
ほっとくと10日は風呂入らねェからなぁ、この風呂嫌いは……。
「んじゃゾロ、今日は一緒に風呂入ろうな?」
「最近シャンプーもセットになってねェか?」
「まーまーいいじゃん!ゾロのシャンプー気持ちいいんだもん」
うひゃうひゃ楽しそうな船長にゾロはハァと嘆息するも、断る理由が見つからないので「わーったよ」と了承。もれなくチョッパーも便乗しそうだ。
最後にルフィの背中をバンバンはたいてやったらホントのホントに終了──。
「けどお前、なんでそんなに前髪だけこだわるんだ?」
ふと疑問に思ってゾロが聞いてみると。
「ん?」
スツールに腰掛けたまま、自分の前髪の一房を指でつまんで満足気に眺めていたルフィが、後ろに立っている鏡の中のゾロを見るなりむっつりと口をへの字にした。
「それはガキの頃にだなぁ……」
「ああ、兄貴に切られすぎた挙げ句笑われたとか」
「んな、何でわかるんだ!?」
「ルフィならそんなとこかと」
「むーぅ……。だってよエースの奴、デコっぱちって言ったんだぞデコっぱちって!バカにしてガハガハ笑いやがったんだ!!」
「デコっぱち……」
確かにルフィのデコは広めである。幼い容姿をいっそう幼くする要因。
でも丸みを帯びた綺麗な額だとゾロは思っていたのだが、コンプレックスってのは他人にゃわかんねェもんだなぁ……。
ゾロは、鏡に目をやりながらルフィの前髪をかきあげた。
ルフィが「んー?」と顎を上げて直にゾロを見てくる。
その視線を受け止めつつ片手をルフィの頬にそっと添え、その頬や、耳たぶについた髪を擦りすぎないよう取り払ってやって。
ルフィはクスクス笑って頭を振ったが「あとで痒くなるぞ」とゾロがたしなめれば頑張ってじっとしていた。
「でもな、最近は違うんだ」
今度はルフィが唐突に喋り始めた。やはり彼はこれで終わらない。
「違う?」
またまた自分を見上げてきたルフィをゾロも見つめながら、続けて、
「デコっぱちはもういいのか?」
「うん。どうせデコなんかしょちゅう全開だし、おれ」
「確かに……。じゃあ今ルフィがこだわってる理由は何なんだ?」
どうせまたくだらない理由だろう、とゾロは大した期待もせずにルフィの鼻の頭に残っていた毛も親指の腹でこしこして、一応尋ねてみると。
「ゾロが、ちゃんとおれんこと見てんの確認できるから」
「………確認するまでもねェと思うんだが」
とんだフェイントを喰らった。
まさか散髪係にそんなご利益(?)があったとは……。
船員として相棒として、常に船長の言動に注視していることなど当然。
否……微妙な違いすら正せる程いつもいつも、ゾロがルフィを見ていることなど、確かめるまでもないと思っていたのに。
なんとなく面映ゆくてゾロは、「にっしし」と笑っているルフィから目を逸らせてしまった。
そうして。
またルフィの髪が伸びたら自分が切ってやろう、と思った。
(おしまい)