19×17


――どうもありがとう。ぼくは本当に幸せだった。

メリーの最期の言葉と、顔に受けるメリーを激しく焼く炎の熱さを、おれは死ぬまで忘れないと思った。


海はすべての思い出とメリー号を呑み込み、あとは白い淡雪をいくつも受けとめ溶かしていた。
ルフィは頬に残っていた涙のあとを腕でぐいぐいと拭い、ずびっと鼻をすする。
「なァ、メリー……。海の底は暗くて冷てェんだろうな。おれなら浮かばねェから、そこへ一緒に行ってやれるけど……でも行けねェよ」
振り返れば仲間が待っている。
ゾロがこっちを見てる。
あいつは迷わせちゃくれねェんだ。
ごめんなメリー、でもこの雪の一粒一粒がおれ達との思い出だから……淋しくはねェだろ?
また溢れそうになった涙を手の甲でぐいっと拭い、ルフィは顔を上げた。
さァ、みんなのところへ戻ろう。

ゴーイング・メリー号……、お前はおれの記憶としてこの先の海へつれていく。



ナミはいつまでもぐすぐす泣いていた。サンジが必死に慰めているのがどこからしくなかった。
チョッパーはずっと大号泣で、なぜかそげキングと抱き合って泣き崩れている。
ロビンは……、麦わら一味の仲間としてメリーを見送れたことを、きっと誇りに思っているだろう。
けれどもときが経てば皆それぞれがメリー号との別れに区切りをつけるのだ。そうしなければ先へは進めないことを、彼らは身に染みて知っているから。だからそれまではと縋るように、黙りこくっていつまでも、夕闇迫る大海原を眺めていた。

――ルフィもまた。

「おいルフィ」
背後から声がかかる。ゾロの低くて響く声だ。
この声音は……。
「おれちゃんとこの先のこと考えてんぞ。船長だもんな」
振り向かず、ルフィは言った。半分は嘘だから。ゾロのあの声はルフィの迷いを見抜いているときの声、ウソップが一味から抜けた、あのときと同じ……。
――迷うな、それが船長だろ。
「嘘つけ。お前あそこで何考えてた」
「……だから、な、」
「こっち向け」
二の腕を強く掴み強引に振り向かせる手。ルフィは泣いた後の顔をゾロには見られたくなくて、麦わらの鍔で顔を隠す。……ゾロの黒いブーツの先が見えた。

「考えるだけも……ダメなんか?」
メリーと……、仲間と一緒に居てやりたいと思うことは。例えそれが海の底でも。
「あァ、ダメだ。お前はダメだ」
「……うん。そんなん、わかってる」
本当は、わかっている。――だっておれは。
顔を上げたルフィが目の前の剣士を睨んだ。厳しい顔付きのゾロを、その強い瞳に映す。
「おれは船長だもんな!!」
言って、ルフィは二カッと笑ってみせるのだ。さっきの取ってつけたそれとは違う、ちゃんとした意味と重さを持っていることをきちんとゾロに伝える為に。
そんなルフィの真意が届いたのだろう、やっとゾロが小さく笑ってくれた。
気が、緩みそうになる……。
「けどメリーのヤツ……、幸せだったってな。良かったなァ、船長?」
打って変わったゾロの優しい口調と、ぽんと麦わらの頭を叩く大きな手。よく知る剣士の――。
「……おっ、お前っ!!」
「あ?」
お前、それは不意打ちって言わねェか!?


ルフィがくしゃ、と顔を歪ませた。
「う゛~~~っ」
「ル、ルフィ!?」
止まっていたハズの涙がまたぼろぼろと溢れだしてきた。ルフィは子供のような泣き顔をとうとうゾロに見せてしまったことを後悔する間もなく、とめどなく頬を伝う大粒の涙を甲板へといくつも落としていく。
「な、なに泣いてんだコラ……」
「ひっく、えぐっ」
「おいって、なァ」
「わ~~ん! またゾロに泣かされたァ~~~!!」
「はァ!? また? またってのはなんだ!? つーかおれじゃねェだろ泣かしてんのはよ!!」
「ゾロだ! ゾロしかねェだろっ!!」
「ああ!? なに…」
「うえっ、ひっく、おぐえぐっ」
「………」

それから、うーとかあーとか、ゾロは唸った。
どうすんだこれ……と、“これ”を目の前に手を上げたり下げたり。
「クソコックはさっきどうしてた?」
ナミのヤツに、と呟く。
結果ゾロは逡巡したのち、泣きまくるルフィの今は頼りなく見える狭い肩をただ闇雲に抱き寄せることにした。サンジのように殴られることもなく。
ルフィの帽子の鍔がゾロの頬に当たって後ろへ外れ、風に靡く黒髪がその鼻腔をくすぐっていく。焦げた匂い、それはルフィが誰より近くで逝くメリーを見届けたと言う、証。
ゾロにはなぜだかその後ろ姿を見ていることの方がよっぽど辛くて……、実は本人に当たったようなものだ。
ゾロはぐしゃぐしゃっとルフィの髪をかき混ぜ、そうして勢いのまま、いっそうきゅっと傷ついたその細い身体を抱き締めた。


「ごべん……じょろ、ズズッ」
「泣きやんでから謝れ」
なかなか泣きやめない自分にルフィは少々困る。
“ここ”はこんな場所じゃないハズだ。泣いたり甘えたり、そんな場所じゃないハズだ。
でもやまないのは舞い落ちてくるこの雪も同じだから、そんならどっちが先にやむか、競争することにしよう。

肩や腕に当たるそれはほのかに冷たい。
けれども。
ルフィの背をしっかりと抱いてくれるゾロの腕の中は……メリーを焼いた炎のように、とてもとても熱かった。


今までありがとう、ゴーイング・メリー号。

そこでゆっくりゆっくり、眠っててくれ……。




(END)
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