19×17


「ゾロ、一人んなったか?」
「人の腹に上に乗りながら言うな。そこも火傷してんだ」
“島の歌声”が天と言わず地と言わず鳴り響いたそんな夜、400年の確執をものともせず、和解した空島界の人々の「喜びの宴」は終わりなく続く。
きっとこのまま何日も騒いだところで彼らの喜びを表しきることはないだろう。
ルフィは、満足気に酒瓶を片手に空人の憧れた大地(ヴァース)に寝そべっているゾロに近付くと、そんな台詞を吐きながらどっかりとその腹に跨った。
「ゾロ、おれの知らねェやつと飲んでた」
「お前も誰だかわかんねェやつと手ェ繋いでただろ」
「踊ってたんだ! で、一緒にいたヤツ誰?」
「あー……、何つったかな。一戦交えたヤツだ」
「へ? 闘ったのか? 勝った?」
「まァな」
飲み比べの方は互角だったけれど。
「そっか! ししし」
「嬉しいのか?」
「敗けたら悔しいだろ」
「お前がか?」
「うん、おれが!」
「でもよ、そしたら……」
「ん?」
「いや」
エネルに敗れ倒れていたゾロを見たはずなのに、ルフィは何も聞いて来ない。
命果てない限りあの誓いを破ったとは思わないし、野望を賭けて闘って負けた訳でもない。けれどどれも言葉にすれば言い訳にしかなりそうにない。
敗けは敗け。
自分より強いヤツは五万といる、そう言う現実。
「敗けたら悔しい、か……」
ゾロは小さく呟いて上体を起こすとルフィを膝へと移動させ、細い腰をそっと支える。
ルフィは神に勝った。エネルを神とは認めないけれど、ヤツに勝ち鐘を鳴らし、400年に渡る空の民とシャンディアとのいがみ合いをなくした。
ヴァースは誰の者でもないのだと、誰も拒みはしないと気付かせた。
「でもさ、一番嬉しいのは」
少し目線上のゾロの双眸を見上げ、ルフィがワクワクを絵に書いたような顔になる。
「あ?」
「そうやって勝っても敗けても、そいつと笑える時が来ることだ。そう言うことできるゾロが好きだ」
「…………。そんなら今ここにいるやつらはみんな──」
「うん! みんなすげェな! おれここの奴ら好きだぞ」
「……一日で天国も地獄も見ちまったな」
「上手いこと言うなァ!」
「感心すんなよ。……お前が……」
……ここにいる人々を笑顔にしてんだ。
言葉を切ったゾロにルフィがこてりと首を傾げた。
「ゾロ?」
「お前はただ、鐘を鳴らしたかっただけなんだよな。下にいるあいつらに聴かせたかった」
その功績の大きさなんか考えちゃいない。
──だからルフィなんだ。
「聞こえたよな!?」
「さァな」
「聞こえたって言えよケチ!」
「おれは別にどっちだっていい」
今聞こえるのは、飲んで騒ぐ彼らの叫び声と笑い声。
それからルフィの声。
聞こえる筈のないキャプテンの声が、あの時、聞こえた。
だからゾロは今やるべきことへと向かえたのだ。
”おれが鐘を鳴らすんだ!”
「良かったな」
けれどニヤリと笑って言ってやれば、ルフィが満面の笑みを浮かべて大きく頷いた。
「おう!」
「おれは悔しいけど」
「へ?」
「お前があの雷野郎に勝って、鐘を鳴らして、長ェ戦いが終わってみんな笑ってやがって、おれァ敵だったヤツと酒飲んで……今この光景をよしと思ってる、自分が」
「んー……、ん? それって嬉しいって意味か?」
「いらねェ時だけ鋭いよなお前……クソ、縮めてやる」
逞しい両腕をルフィの細っこい体に巻き付けてゾロがぎゅうっとルフィを抱きしめる。被っていた麦わらが落ちて、ルフィは「ぎゃー」と喚いた。
「いってェ!」
「あ? お前がこんくらいで痛ェわけねェだろ」
「い、いや、うん。痛くねェ」
何でも顔に出る船長がそっぽを向くので、ゾロはもしやと思いあからさまに顔を顰めた。
そしてごそごそと、遠慮なくルフィの赤いベストに背中から手を突っ込む。
案の定、生々しい傷痕に指先が触れ、ゾロはますます顔を顰めるしかない。しかしさすがと言うか、ほとんど塞がってはいるけれど。
きっとエネルに付けられた傷なのだ。
「やめろよエッチー!」
「ふざけてんじゃねェ! ……チョッパー呼んで来てやる」
慌ててルフィの双肩を掴んで膝から下ろさせようとしたゾロの手を、ルフィが掴んで阻止した。
「どこ行くんだ!」
「だから船医呼んで来るっつってんだろ! お前は大人しくここにいろ」
「ゾロだって包帯ぐるぐる巻きの癖に」
「寝りゃ治る。いつもそうだろうが。それにコレに関しては心配されたくねェ」
「なんで?」
真面目に聞き返して来たルフィにちっと舌打ちして、ゾロは取り敢ず腰を落ち着けた。ルフィが一旦いいと言ったら聞かないのは解っていることだし、それでも放っておけないのは自分のキャプテンのことだから。
どんなにそのウエイトをゾロの中で占めているかなんて、きっとこの子供が知ることはないのだ。
「……格好悪ィとこ、見られたな。また不安にさせちまったか?」
言うまいと思っていたことをとうとう口にして、ゾロはやはり失敗したと眉をひそめた。
ルフィはキョトンとして、そしてみるみる眉根を寄せた。
「当たり前だろ! ゾロをあんなにするなんてどんな強ェヤツなのかと思ったんだぞ! ま、ナミに聞いたらおれがゴムなのが良かったみてェだけど。おれゴムじゃなかったらどうなってたかなァ。あ、負ける気はしねェけど、あんなインチキ神!」
「悪かった……仲間を守れなかった」
仲間意識なんて擽ったいだけだけれど、チョッパーが倒れていたのを見た時の気持ちを思いだし、ゾロは言葉にしてから「ああそう言うもんなのか」と改めて思った。
戦いの理由になどやはりする気はないが、闘志を滾らされたのは本当のところ。
ルフィはらしくもなく表情を消すと、幾分重い口調で口を開いた。
「おれな、ヘビから出て来た時、すっげェ遠くからゾロが倒れてんの見つけたんだ。そん時おれ、ゾロしか目に入らなかった。よく見たらみんな倒れてんのに、ゾロにしか足が向かねェんだ」
ルフィはぽてりとゾロの肩口に頭を預け、喋り始めたら止まらないと言うように続けた。
「そんでよ、なんかめちゃくちゃムカついてきて、お前あんなに強ェのに何やってんだって。おれゾロがいるからみんなはだいじょぶだって思ってたのに、何でだよって。でもそんだけエネルが強ェってことなんだって解って、おれの強ェ仲間に何しやがんだってそっちに腹立ってきて。ナミもいねェし、絶対ェ許さねェって思ったんだ。でな……、ってゾロ聞いてっか!?」
「聞いてる」
示唆するようにぽんぽんと、ルフィの黒髪をゾロは叩く。
「でな、でな……、ゾロが息してて、すっげェ……安心した」
「……は?」
「そりゃ好きなんだから当たり前だ。好きだからいっぱい期待するし駄目だったらムカつくし文句も言うし、けど……、やっぱり信じてる」
「ルフィ……」
「でもおれは怒ってたんだ!」
ガバッと上げた近い顔にゾロが目をしばたいた。
「ああ、ごめんな」
「バカゾロ!」
「だから悪ィつってんだろ」
「しっかりしろ大剣豪!」
「しつけェな、チョッパー呼ぶぞ?」
「駄目だ!」
むっつりと口をへの字にするルフィに、ゾロが口を噤む。黙ったら黙ったで居心地悪そうに体をもそもそさせるルフィに、ゾロは「それから?」と口の端を上げて笑った。
促され、ルフィはまた眉根を寄せてゾロを見た。
「……これからなんべんおれはゾロに不安にさせられるんだろうな。お前は敗けねェし死なねェって解ってるけど、あんなのは……あん時を思い出す」
「……ルフィ」
遠い昔のことのようなのに、思い出す鮮血は赤く、その他の色はどす黒く、あの瞬間の絶望と悲しみはいつまで経っても色あせることはない。けれどあの「誓い」があるから。
「いつもはすっかり忘れてんだけどな!」
そして彼らしくしししと笑った。
「忘れてろ」
誓ったことだけ覚えてろ。
「反省しろゾロ!」
「したした」
「……ムカつく」
またぷっくりと頬を膨らませてしまった船長にゾロはこつこつと額を合わせ、そして「ありがとな」と告げた。
「なんで」
「すっきりした」
敗けてしかられるのも、たまには悪くない。



「な~んなのかしら、あのいちゃつきっぷりわ。たった数時間離れてただけだってのに……。せっかく同じチームにしてあげたのにさっさとはぐれたらしいじゃない」
「妬けますか、ナミさん」
「どこがどう妬けるのかしら、言ってごらんなさいサンジくん」
「……あれ、あの子」
話しの矛先を変えようと思ったのかどうかは定かではないが、サンジは後方からワンピースの裾を翻して駆けてくる小さな少女に気付きナミに目配せした。
「アイサ!」
泥んこだった顔が綺麗になっていて、小さな羽根が可愛い。
気を取り直したナミがパッと明るい顔を向けた。
「ナミ~~!!」
そして全開の彼女の笑顔に、少しホッとした。こんな小さな子供が大人の事情に振り回される事はない。けれどそれは同時に、シャンディアと言う民族の結束の堅さをも意味していると言うことであり。
その絆は宝となる。
「楽しそうね、良かったじゃない」
「あ、ありがとう! ……それからね、ナミ、ええっと」
「なぁに?」
「ごめんなさい! その、色々と……」
「私に謝ることないわ。それはあの変な騎士に言ってやんなさい? あんたにとっては元神様だったかしら」
現在、この国の神は不在。
「……そ、それは、後で……。今、酋長達と話してるし……」
「まだ勇気が出ない、か」
「ん……」
「これから徐々にでいいと思うわ。ずうっと一緒に、暮らして行くんですもの!」
優しくアイサの髪を撫でるナミに、アイサはぱあっと破願すると大きく頷いた。そして「あ」と気付いたような顔をしてナミの後方に見えた人物に目を向けるので、それがルフィだと悟ってナミはちょっと苦笑する。
「あー、あのねアイサ。ルフィは……」
「ルフィにもお礼言わなきゃ! ……あれ、でも誰かといるね。ルフィ具合悪いの?」
「あれは~」
ハハハと誤魔化し笑いをして、ナミはちらりと振り返るとゾロとルフィを睨む。二人は更に体勢を変え、寝転がったゾロと、その上にちゃっかり体を預けて何やら面白くなさそうな顔をして喋り続けているルフィ。
子供の情操教育に悪いったらない。
まあ、あの二人もまだまだ子供には違いないけれど。
変わらない歳のくせにそんなことをナミは考えながら肩を竦めると、諦めたような目線をサンジに投げてなんとか言ってと訴えた。
「あの二人はね、アイサちゃん」
「うん?」
「うちの海賊船切ってのバカップルなんだ。だから今はそっとしておこうね」
「サ、サンジくん!」
一向に話しの通じないアイサだけが、「ふうん」と首を傾げた。
「ほら、お呼びが来たよ、アイサちゃん。綺麗なお姉様の」
ぷっかと目をハート形にするサンジの足を踏みつけながらも、ナミは話しが逸れたことで許してあげることにする。
ラキはアイサを軽く手招きして、サンジとナミには遠慮がちな笑顔を向けていた。
「あのルフィ見てたら、あたいもラキに甘えたくなっちゃったなァ」
「おや、小さくても女だね。あの雰囲気が解るとは」
サンジが煙草に火を着けながら肩を竦め、ナミは黙ってうふふと笑った。
確かにマントラとか言う力のせいばかりではなさそうだ。
「じゃあまた後でね!」
ラキへと向かって駆けだしたアイサの後ろ姿を笑顔で二人が見送る。するとアイサがふと足を止めて振り返るので、まだ何かあるのかとナミが首を傾げた。
「あ、でもナミ! あたいもっと強い女になるよ!」
そう言い切ってナミに手を振るアイサにはにっこり笑って返したけれど、もうそんな必要はないのだとナミは思う。だけどそれはアイサの仲間が教えればいいこと、ナミが口を出すことではない。
アイサはラキの手を取りニカリと微笑むと、「ねェ髪を切って!」と告げた。
シャンディアの誇り、大戦士カルガラ。もちろん尊敬してはいるけれど、今は彼らのような強さが欲しい。
強くなりたい。
……青海の、戦士達のように。




「でなー、聞けよゾロ」
「命令ならばどうぞキャプテン」
相変わらずゾロの上に乗っかった状態のルフィが、脱力し切った様子で顔も上げずゾロに言い募る。
首元に当たる黒髪が少しくすぐったい。
「おう命令だ。……おれなー、すげェ悔しかったことがあってよ。もうちょっとでエネルをぶっ飛ばせたのに、あいつ逃げやがったんだ。おれを舟から落っことして戦いを放棄しやがった。そんなことしといて笑ってんだぞ? おれ手に金玉付いてたから重くてどうしようもねェのにあいつさー」
「金玉!?」
「黄金の丸くてでっかいの。手に付けられたんだぞ。ナミ欲しいって言うかと思ったけど言わなかったなァ、そう言えば」
「で、悔しくてどうしたって?」
「お、そうだった! だからな! ズリィよなーって話しだ! ムカつくだろ!?」
「ムカつくムカつく」
「……お前もやっぱムカつく」
ゾロの胸に置いていた顔を起こして顎を乗っけると、ルフィはちょこっと下唇を付き出す。ゾロが少し頭を上げて掠め取るようなキスをすれば、驚いたように瞬きするのでしてやったりと笑った。
「悔しかったんだな」
「んんー、なんかヒクツだゾロ。ん? なんか違うな」
「卑怯だろ」
「そうそれそれ! なんか卑怯だぞ!」
「お疲れさん、キャプテン。好きだぜ」
長めの前髪を掻き上げるようにしてぐしゃぐしゃっと頭を撫で、ゾロがそう告げればすぐさま彼の機嫌は直るけれど。
「うわまた卑怯だな!」
お返しとばかりにゾロの顎にキスをして、「次はどんな冒険が始まんのかな」と顔を輝かせる船長には、「どうせまた貧乏航海なんだろ」とわざとらしく溜息を吐いた。そして頭の下で両腕を組み、見上げた星空があまりにも近くて、本当に空島まで来たのだと改めて実感した。
随分と高いところまでやって来た。
けれど二人の野望の高さには敵うまい。
「ししし、それはおれに良い考えがある」
「また……。何を企んでんだかな、この船長は」

まだまだ行ける。
まだまだ進める。




400年の長き戦いに終止符を打った彼らが、これから成し得なければならないことは。
“シャンドラの灯”を絶やさぬこと。
“島の歌声”を響かせ「ここにいる」と、過去の偉人達にその存在を届かせること。
人々はもう、戦いなど望まない。
神の国「スカイピア」、都市の名は「シャンドラ」。
民族の共存と、新しい国を築き上げること。
その勇気を出すのになんとも長かった400年間など嘘のように。


彼らは進む。




(FIN)
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