19×17


いつもお腹が空いていた。
生きるためには手段を選ばなかった。
悪魔の実さえ、腹の足しだった。
身を隠し、強さと頭の良さを駆使して開けてくるのは自ずと悪への道。それはそう、一方通行の。

人を殺した。
いっぱい殺して、
そして慣れっこになった。

感覚は麻痺した。

だから。

「涙が出るとは思わなかったわ」
ニコ・ロビンはそう呟くと船の手摺りに肘を突き、船首に座って気持ちよさそうに風を切っている船長の後ろ姿ににっこりと微笑んで頬杖を突いた。
もちろん潮を掻き分ける波の音と、船の動力音で聞き取れるものではない。
それでよかった。
この船長は、自分が側に居ることを許してくれる。


夢があった。
“真の歴史の本文”を捜すこと。
“真の歴史”を語る石。
ただ歴史が知りたかった。大事な人達の意志を継ぎたかった――。
今や、国や人間が死のうが生きようが興味のない自分の、それは無二の希望。
その希望を諦めると同時に流れた涙は、残っていた自分の中の、最後の綺麗なものだったのかもしれない。


***


「死を望む私をあなたは生かした……。それがあなたの罪……。――だからこの船に置いて」
「何だ、そうか。そらしょうがねェな。いいぞ」
「ルフィ!!!」
その船長の決定には流石のクルー達も我が耳を疑わないわけにはいかなかった。
そして顔面蒼白になった彼らに、ルフィはいとも簡単に言うのだ。
“心配するな。こいつは悪い奴じゃない”
心配せずにいられようか。
ロビンは自分に向けられ続ける冷たい視線達に臆するでもなく、くつくつと妖艶な笑みを浮かべていた。
現在、彼女の内情はこうである。

さてと……。どうやって諫めようかしら、この子達?
子供と動物は軽く遊んであげればいいわ。ほら、こんな風に。
ロビンの手が甲板から生え、ルフィとチョッパーを擽りまくる。
「ぎゃはははは!!」
途端に子供達は歓喜の声を上げた。
うふ、楽しそう。
そして降ってきた「私はダマされない」との、頭上からの声にロビンは耳だけ傾けた。
彼女は確か元泥棒……。お金が大好きな女航海士ね?
どこからともなくロビンは小さな、しかしずっしりと重い袋をテーブルに置く。
クロコダイルからくすねてきた宝石がこんなとこで役立つなんて。
ナミはころりとロビンに寝返ると“ロビンお姉さま”よろしく目に星を浮かべて擦り寄ってきた。
ふふ、ちょろいものだわ。
そしてウソップの質問にさらさらと答え彼を震撼させながら、ロビンはくるくると舞いながらコックが持ってきたおやつを頂くことにする。
この男は一番問題ないわね。この目のハートマークはどうやって出しているのかしら……。
「ウソップ! チョッパー」
題材を巧く使える子供の特技で、ルフィは頭に手を生やせるとチョッパーの角に似せ、ウソップに自慢気に見せた。
「ぶっっ!!」
あら、あの魚人みたいな長鼻の子は手を下すまでもなかったわね。
後は……。
くるりとロビンは甲板を見回す。
捜すまでもなく、痛い程の殺気が先ほどから自分を射ていた。

ロロノア・ゾロ……。
三刀流の元賞金稼ぎで“魔獣”と呼ばれた男。
今はルフィの相棒であり、懸賞金6000万ベリーの賞金首らしい。
しかしたかが17の、しかもあんな子供子供したコドモについていこうとした理由は何なのだろう。
否、確かにルフィは強い。

でもそれだけかしら……?
一筋縄では、いかなそうだわ。

ロビンは様子見がてら、ゾロに近付いていった。
「いつもこんな賑やか?」
カツリと踵を鳴らすとロビンは手摺りに背を預け、ゾロの顔を見ることはなく眼下の騒ぐクルー達を眺めた。
「……ああ、こんなもんだ」
ゾロが不機嫌な口調そのままで、しかし律儀に答える。
「そ」
ロビンが楽しそうにニッコリと微笑めば、ゾロがその真意を測りかねて訝しみ、片眉を上げて顔を顰めた。
どうやって料理してやろうかしらこの男。くす、楽しみだわ。←こんなことを企んでました。
後は重い沈黙のみ、二人を襲ったのだった。



剣士さんの弱点はあの子ね。
ロビンにとっては早いモノだった。彼の目線の先を追っていればそれはすぐ知れた。
いつどこにいても、ゾロはルフィの所在を確かめるのだ。
それが邪なモノを含んでいることも、ルフィが何気なくゾロに触れた肩に、向けられる視線に、戸惑いの中の照れた仕草にピンと来た。
いいえ、解らない方がおかしいくらいだけれど?
当のキャプテンは知っているのかいないのか。
きっと他の船員達は気付いているに違いない。
「何て楽しい船なのかしら」
ロビンは久しぶりに胸躍る自分を感じる。
ようやく遊び終えたらしいルフィが、マストに凭れて昼寝をしているゾロの膝へダイブした。
遊びの矛先が代わっただけの話しだ。
驚いた剣豪が目を覚まし、それが船長の仕業だと解ると苦虫を噛み潰した様な顔をするがしたいようにさせておく。
愛のなせる技だ。なにせゾロは、ルフィの体当たりをまともに受けるだけの根性と力を兼ね備えているのだから。
あらあら、なんていいシチュエーションなの?
「なんだ、もうメシか?」
ゾロが近くに在りすぎるルフィの顔から目を背けながら鼻の頭を掻いた。
「んにゃ?」
「じゃあ、何だ」
「なんとなく!」
どーん!
にしししと笑うルフィに釣られるように、ゾロは小さく微笑む。
そんなゾロの笑顔にルフィは目をぱちくりとさせると、本当に嬉しそうにまた笑った。
いやぁね……。見せつけてくれるじゃない?
ロビンはさて、と肩を軽く鳴らす。
その次の瞬間。
「ん?」
「お!?」
ルフィの両肩から2本の腕が生え、ルフィの上着をむんずっと掴むとガバッと開いたのだ。
ぶちぶちぶちっ。
3つのボタンが宙を舞った。しかしその瞬間には、もう腕はどこにも見あたらない。
「あ、ボタン!!」
「いや、そうじゃねェだろ……」
ツッコミを入れながらもゾロはルフィの露わになった白い上半身に目が釘付けになった。包帯がまだ痛々しく巻かれていた。
「あ~あ」
「ルルル、ルフィ」
「おう?」
「早くしまえ……」
ゾロはルフィの肌のことを言ったのだが、ルフィは小首を傾げるばかりだ。
「ゾロ、真っ赤だ……」
「悪かったな!」
そうしていそいそと逃げ出すゾロを、ルフィはほっぺを膨らませて見送ることになった。
「ゾロのいくじなし……」
と言う呟きを、残念ながら聞き届けることのない相棒へと密かにぶつけながら。


「おい、女!! お前の仕業だろ!?」
「あら、気付いたの?」
「気付かねェのはあのバカくらいだ!!」
「そうかしら」
ロビンは食堂裏のデッキの上にいて、詰め寄るゾロを気に留めるでもなく、遠ざかる景色に目を細めながら靡く髪を手で押さえた。
「鈍感ね……」
「ああ!?」
「また、やってあげてもいいわよ?」
「……っ!」
息を詰まらせるゾロのこめかみに更に3筋ほど青筋が追加される。
「どう?」
「……絶対、もうやるな!! いいな!? でねェとおれはお前に何するか解んねェぜ……!」
「やだ。怖いわ」
ちっとも怖そうでないロビンが頬に掌を当てにっこり微笑んだ。
「バカにしやがって……」
それだけ言い捨て、ゾロが足早に去っていく。
あらら……。失敗しちゃったみたい。まぁ、たまにはこんなこともあるわよね。
取り残されたのを気にする風でもなく、ロビンはまたふふふと、楽しそうに笑って見せた。


***


「なんだ、居たのか」
ルフィは振り返ると傍らに立つロビンを見下ろし、ニッと笑った。
太陽のようだと、暗黒の世界にいたロビンに柄でもないことを思わせてしまうこのコドモに、羨望の溜息を吐かないわけにはいかない。
自分の心は常に荒んでいるはずなのだから。
だからこそ流した涙は、彼女の最後の砦だった。
あるいはこの光が、また夢を見て良いと言ってくれる……?
「お前あの時、国や人が死のうとどうでも良いって言ったよな」
「聞いてたの?」
少し驚くロビンに、ルフィはくるりと身体ごと回転させると彼女に向き直る。
そしてニッと白い歯を見せた。
この男は、どういうつもりで自分を助けたのだろう?
ふとそんな疑問がロビンの脳裏に過ぎる。
「でもさ……」
「え?」
「お前、2度もおれの命救ってくれたな!」
ロビンはハッと顔を上げると、ルフィの髪から透ける日差しに目を細めた。
ああ、この少年は……。
――命がそこにあるから救ったのだわ。
「適わないわね、あなたには……」
「そうか? お前、めちゃくちゃ強ェじゃん!」
「そう? ありがとう……」
にこっと笑ったロビンに、ルフィがにしししと笑う。
「大丈夫! お前は悪いじゃねェって!!」
そう言い切れる自信はどこから沸いてくるのか、しかしこれがあの剣豪や船員達を魅了して止まない彼の持ち味なのだろう。
そしてロビンの記憶の中の、“歴史の本文”に記されていた“兵器”の全てが頭を擡げた。
邪悪の化身クロコダイルが求めていた最終兵器の記録……。それは今、自分の頭の中だけにあるのだ。
「さて、どうかしらね……」
呟くとニコ・ロビンは、これまでになく綺麗に笑った。



END

この後はもちろん剣豪が血相変えて迎えに来ます(笑)
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