19×17
「ああゾロ、久しぶり!」
砂漠の王国、アラバスタ。首都アルバーナ。
七武海クロコダイルとの死闘に勝利し、3日振りに目を覚ました“語られぬ歴史の英雄”、麦わらの船長は。
ちょっと旅行にでも行っていただけのような、それ以上に何事もなかったかのような、そんな屈託のない笑顔でおれの顔を見るなりそんなことを言いやがった。
だからおれも何でもないような顔ですぐに目線を逸らせ、酒を注ぐ。
「お前またトレーニングしてきたんじゃないだろうな!?」
船医はトナカイの目をクジラのようにしておれに食ってかかってきたが、言いつけ通りじっとしていることなど出来るはずがない。
“あの時”の力を逃さないために、そして。
そうじっとなんかしていられるもんか……。
次々と仲間が目を覚ましていく中、コイツだけが目を開けなかった。
「久しぶり?」
なのにコイツと来たら、自分がそう言った理由さえ解っちゃいないのだ。
おれにとって、どんなにこの時までが長かったか。
怖かったか……。
そうおれは、怖いと思った。
“もし、このままルフィが目を覚まさなかったら?”
そんなあってはならない未来まで想像してしまいそうな自分が。
朝晩熱にうなされ続ける、弱ったアイツをはじめて見て、動揺する自分が。
トレーニングでもしてなけりゃ落ち着かない自分が……。
集中しなければ、そう思った。
この恐怖に耐えられるように。
強くならなければと、一層思った。
そうしたら余計じっとしてなんか、いられなかった。
「あ~あ、アラバスタ料理もっと食いたかったなァ」
ルフィが与えられた自分のベッドの上で「う~ん」と伸びをしながら、唯一残した悔いを漏らす。そして被っている麦わらの鍔を弾いて大袈裟に溜息を吐いた。
「おれは食ってからでも別に構わねェぜ? さっきはああ言ったがキャプテンはお前だ。お前が決めりゃいいだろう?」
おれは酒の入ったグラスをおくと、ルフィの隣の自分のベッドに腰掛ける。
「でもナミに怒られるし」
ぷくーっと頬を膨らませてアラバスタの英雄は、一番怖いらしい女の名を漏らし顔を顰めた。
本当にルフィが決めたのなら、誰も逆らいはしない。だが、突飛な発想のこの船長には終始ついて行かれないのだ。
窓からの風が、ルフィの伸びた前髪をさらりと掬って吹き抜けていった。それさえ今のおれの目を細めさせるには充分で、早くこの船長に手を伸ばしたいと逸る気持ちを密かに抑える。
相手は昼間に目を覚ましたばかりの怪我人だろうがよ……。
風呂上がりの所為か夜風が昨日までより心地良く、それは心に余裕を持たせ、おれの理性を図らずして救ってくれた。
船員達は出港前の準備に余念がないらしく、寝室に留まることはなかった。
ルフィとゾロを除いては。
「良い風だ。平和の風だ」
窓の外に目をやり言ったおれに、ルフィが変な顔をする。
「何だよ」
「ゾロでもそんなこと言うんだなァ」
「は?」
「国のことはどうでもいいのかと思ってた」
「ああ、どうでもいいが?」
何を今更、このキャプテンは言うのか。
おれは本気で訝しい顔つきになってルフィを見やったが、そんなおれに何故だかルフィは本当に嬉しそうに微笑みかけてきて、ますますおれの首を捻らせるのだ。
「どうしてかな」
「何が」
「どうしてそう、ゾロは優しいかな」
今度はおれが笑ってやろうか。
「ありえねェな」
「そうか?」
「そうだ」
おれはルフィのベッドへ移ると脇へ腰掛け、ルフィの腕を取った。もう片方の手で邪魔になるだろう麦わらを取り去って。
掴んだその腕はまた、細くなったような気がする。おれの書いた左腕の仲間の証はもうとっくに消えてしまっていた。
おれが見つめている目が、おれを見た。
ルフィが何かを言う前におれは目線と一緒にその唇に唇で触れ、閉じない黒い瞳を見つめ返す。
けれどルフィの指先がおれの服の袖を掴んで小さく引っ張るのに、静かに目線の距離を開けた。
ルフィのその目は。
ちゃんと開いて、おれを見ている。
「ルフィ……」
力の限りでその背を掻き抱く。
二人の間に、外気が入って来れないくらいの抱擁を。
ルフィの両手がおれの肩口に掛かって、おれの鎖骨に押しつけられたルフィの唇から呼吸を感じて。
はじめて、力一杯二人で抱き合った。
途端、
「いっ……! いでででででっ!!」
当然のごとく痛む傷跡。
二人して叫んで、二人して目を合わせ、二人して笑った。
「傷だらけなの忘れてた」
ケロッとルフィが言うのにはもう腹も立たない。
そしてまた、おれ達は笑った。
思い切り笑った。
本当に、本当に。
ホッとした。
ルフィが目を閉じる。
だけどもう怖いことは何一つありはしない。
おれはルフィの小さい顎に指を添えると、少し忙しなくその唇を塞いだ。
ルフィじゃないが3日分取り返さなければ。
「ゾロ―――!?! またトレーニングに……。あ」
「あ?」
勢いよく入ってきたチョッパーが動きを止め、蹄を弾いた。
「わわわ~~~!」
そして何故か奇声を上げて近寄ってくるトナカイに、ルフィが「よう!」と片手を挙げる。
「んな明るく挨拶交わそうとすんな、ルフィ……」
「ん?」
あんまり目撃されたいもんでもねェだろ、とおれは思うのだが。
「人間でもそんな挨拶するのか!?」
「あいさつ?」
首を直角に傾げたルフィがチョッパーを見やれば、
「こうやってな……」
チョッパーはピョンッとベッドへ飛び上がるなり、青い鼻をおれの鼻にくっつけてきたのだ。
つーかなんでおれ……?
「動物の、友達同士のあいさつさ!」
「へェ~~~! そうなのか!」
「うん!」
くっついてる場所が違うがチョッパーにはそう見えたらしい。
しかし「じゃ、おれにも!」とルフィが自分の鼻を指して言うのには、
「やだ食われる!!」
とのチョッパーの反論が。
「何だと~? 失敬な!! おれにもやれ!!」
「やだ―――っ!!」
かくして追いかけっこが始まった。
ルフィが素早く麦わらを被ると逃げるチョッパーの後を追う。
「おい、出発前にんな余裕あんのか?」
けれどおれが言い終わらない内に、二人の姿は足音と共に消えるのだ。
ドドドドドド。(行き)
ドドドドドド。(帰り)
「お、戻ってきた」
「待てトナカイ~~~!!」
「ぎゃあああああ!!!」
疾風と共にチョッパーがおれの目の前を走り去っていく。
それを見送りながら、おれはやれやれと立ち上がって間もなく来るであろう鬼(ルフィ)を待ち構えることにした。別に止めようという訳ではないが、ふざけたアイツを見るのもこんな光景も久しぶりで、何となく心が沸いて仕方がないからだ。
自然と笑みが零れてしまう。
「ゾロ―――っ!!」
「お? チョッパーじゃねェのか?」
あっと言う間に走って近付いてくるルフィを確認した、次の瞬間には。
バフッ!
黄色い麦わらがパサリ、と床に落ちて――。
ルフィが、おれの腕の中にいた。
「さすが、ビクともしなかったなゾロ」
「おう任せとけ」
とりあえずそう返し、腕の中のルフィを見下ろせば。
見慣れた大きな目と、
「ルフィ?」
どうしてだろう、いつもの笑顔なのに。
……泣き出しそうに見えた。
もちろん泣くはずのないルフィの両腕がおれの首に回ってきて、一度ぎゅっとしてからすぐに離れた。
今は自信に満ちた、惹かれて止まない強い瞳。
もしかして巧く誤魔化されちまったか……?
「ルフィ?」
「今度は、すぐ会えたな!!」
「……そりゃ、会えんだろ」
離れる気なんてありはしない。
おれはルフィの意図するところをわざと外して薄く笑うと、ルフィの麦わらを拾って被せてやった。
会えない時間が、お互いの存在を大きくさせる。
「ほら、チョッパーが待ってるぜ」
指差す先には、片目だけを隠してこちらを覗いているトナカイが。
「待て、チョッパー!!」
「嫌だ―――っ!!」
そう叫びながら逃げる彼の顔は笑っていて……。
おれも笑った。
今夜。
出発の刻。
大海賊は再び海へ出る。
END
大口開けてゾロが笑ってるの久しぶりに見たかなーと。はじめはよく笑ってもんな。
そしてルフィが笑ってるのがなにより嬉しい。
そんなことを思いながら、実はWJ読んだその日に書きました。