19×17


「でっかい目だな」
そうボソリと言ったゾロに、言われたルフィは目をぱちぱちさせた。
青空を見上げるルフィの目があまりにも大きくて、思わず口走ってしまったのだ。
「め?」
「いや、何でもねェ」
視線を逸らせたゾロにまたルフィは瞬きをする。
「そんなん、言われたことねェぞ!」
何故だか怒っているらしいルフィに、軽く流してくれるだろうと思っていたゾロは少し面食らって、再びルフィに視線を合わせた。
覗いた目は、でかいその瞳は、明らかに怒りの色を含んでいて。
「や、悪ィ。そんなつもりはなかったんだが……」
どうして謝らななければならないのだろう、とすぐに思ったが自分を睨むルフィの眉は吊り上がっているので。
「……?」
謝らせておいて(勝手に謝ったのだが)ちっとも聞いていない様子のルフィは、何やら考え込むように片眉を上げると首を傾げた。
「何怒ってんだ? おれ」
と終いには訳のわからないことを言い出す始末。
それはこっちが聞きてェよ、とゾロはこっそり思うも、ルフィの目が大きいのは事実だし、ゾロに言わせれば言われたことのない方がいっそ不思議だった。
「嫌なのか? でかい目って言われんのが」
また機嫌を壊されるかと思いつつ、ゾロは敢えて聞いてみる。
「何か、引っかかるんだよなァ。なんだっけ。すっげームカつくことだったような気がすんだ!」
それからルフィにしては珍しいくらい、長い間考え込んで、そのでっかい黒い目をあっちへこっちへキョロキョロさせていた。
ゾロは飽きもせず、それを観察。
つい、かわいい……、とか、思ってみたり。
言ってみようか、かわいいと。また怒るだろうか。
「かわいいなァ……」
首を傾げたままのルフィの顔を覗き込んで、ゾロは気持ちのままを言葉にしてみた。
ルフィがまた瞬きをして、「あ」と口を開く。
「そっか! そうだ! サンキューな、ゾロ!」
ゾロの袖口をぐいぐい引っ張って満面の笑みを浮かべたルフィが、目前でそんなことを叫んだ。
サンキュー? かわいいって言われたのが嬉しいってことか??
いや、まさかな……。
「思い出した思い出した~! あーすっきりした!」
「思い出した?」
「おう! 昔な、よく言われてたんだ。いっつも喧嘩して負けた後にさ~。だから腹立ったんだな!」
言われてた? 誰に?
聞いてもいいものかと、散々怒らせるようなことを言っておいてゾロは今更そんなことを思い戸惑う。
「でか目でか目ってな! かわいいなァってバカにすんだもんな~。おれが勝てねェからって」
「誰に?」
ルフィが〝勝てない相手〟とは……。
「ああ、それはな――」


あの時確かに一度だけ、その名をルフィが言ったはず。
「エース!?」
そう、そんな名だった。
「変わらねェな、ルフィ」
こいつが……?
変なウエスタンハットに数珠みたいのを首飾りにして、上半身裸の手から火噴いた、こいつが?
ゾロは自分の三連ピアスと腹巻きを棚に上げ、そんな印象を勝手に受けた。
街中で海軍に追いかけられていたルフィが、全力疾走して必死に逃げてる最中だというのに、自分を見付けたことに優越感に浸りそうになってうっかり聞き逃すところだったのだが。
確かに、ルフィの知っている男なのだ。ゾロの知らないルフィの過去の記憶を持つ男、エース。
しかし今はそんな感慨に浸っている場合ではない。海軍に追われている。
盾になってくれるというエースの申し出と、「行くぞっ!」というルフィの声に、ゾロは我に返ると素早く踵を返した。
一路、G・メリー号へ向かう。


「おれの兄ちゃんだ」
ルフィはごく当たり前のように言った。
船に戻り、一同甲板にて一息ついた頃、ようやくさっきのは何だったのかという話題になったのだ。
ルフィが手摺りの上に胡座をかくと、にしししと笑った。
ゾロは以前に出た名前があの男であったことには驚いたが、ルフィに兄がいるという事実には特に驚くことなく、一瞬見ただけの男の容姿を思い出してみる。
似てるといえばどことなく似ているが、細かく思い出してみればちっとも似ていないと思った。
何でもルフィよりも3つ年上で、海賊で、ワンピースを狙っていて、ようするに敵ではないか。
少し、ムカムカする。
ゾロは片眉を上げると、笑うルフィから一瞬目を逸らせた。
「しかし兄弟揃って〝悪魔の実〟を食っちまってるとは……」
サンジが笑って良いものなのか迷ったような、苦虫を噛みつぶしたような顔になって言う。
その事実はルフィも知らなかったらしく、驚いているのかいないのか、しかしどこか誇らしげに彼は言うのだ。
〝喧嘩をして一度も勝てたことがなかった〟と、しかも豪快に笑いながら。
村にいる頃、当時ルフィが14歳までの事で、確かにまだ子供ではある。それを差し置いても能力者に生身の人間が勝てるものなのだろうか。
「おれなんか負け負けだった」
そんなことを、平然と。
もし自分だったら……。
一度も勝てなかった幼馴染み。しかも女。
こんなに楽しそうに笑っては、きっと言えないだろう。
これが肉親と他人の違いというやつか……?
「でも今やったらおれが勝つな」
そしてまた笑う。
けれどもそのルフィの笑顔からはそんなこと、二の次に思え――。
兄への信頼、尊敬、親愛……そんなものを、ゾロはいっぺんに感じた気がした。


「お前が、誰に勝てるって?」
そう言ってルフィの上に降ってきた話題の主は、今し方まで弟の座っていた場所をぶん取った。
――空気が変わる。
思わずゾロは刀の柄を握る手に力を込めた。
ちらりと目があったような気がしたのは、気の所為だろうか。
ゾロはひとり、強烈な違和感を感じていた。
しかし案外、礼儀正しく愛想の良いこの男は、すぐその場の雰囲気に馴染んだようだった。
海賊船に似つかわしくないご丁寧な挨拶が交わされる。
その姿勢はどうみても兄としてのものだったので、ゾロは少しばかり肩の力を抜いている自分に気付いた。こんなところはルフィと似ているかもしれない、人に警戒心を与えないというか、独特のカリスマ性を兄もまた備えているのだろうか。
そして放った次の言葉も、兄としての想いだった。
「ルフィ、お前……ウチの〝白ひげ海賊団〟に来ねェか? もちろん仲間と一緒に」
それに対するルフィの答えは、ここにいるみんなが解っているものだったのに。
「いやだ」
予想通りのルフィの即答。
束の間の、もしかしたら最後になるやも知れない兄弟としての会話と再会。
求める宝は一つしかない。そして海賊王という座も、だ。
兄としての弟への愛情と、背中に彫られた刺青への忠誠。
答えは解っていても選べなかった想いは言葉となって、エースの口から滑り出たものだった。
選ぶのは、ルフィ。
そして決裂し残ったものは。
兄の言う〝最高の海賊〟とはもちろん弟のことではなく、海賊王になるのはエースにとって〝白ひげ〟ただ一人、という結果――。
そして〝海賊王にしたいのは弟のお前ではない〟ときっぱり告げる兄に、弟は躊躇いもなく言うのだ。
「だったら戦えばいいんだ!」
それは兄が言わせたものだったのかもしれない、と、ゾロは後々そう思った。

「お前にこれを渡したかった」
そう言って最後、エースはルフィに小さな紙切れを放った。
再びふたりを引き合わせるというその紙切れを、エースはずっと持っていろとルフィに言う。
どこか決意したような、そんな強い眼光で笑って。


「茶でも出すぜ」というサンジの申し出を断った通り、エースがさっさと出発準備を始める。
もとより〝野暮用〟の方が優先だったのだ。
後にそれが世界を揺るがすある事件のきっかけになるとも知らず、エースはG・メリー号の横に着けた小舟に颯爽と乗り込み、括り付けていた舫を外しに掛かった。
ふと見上げたエースが、ゾロと目が合った瞬間ニッと笑った。
不審に思ってゾロはくいと片眉を上げる。
「なァ、そこの緑頭くん。ちょっと手伝ってくれねェか?」
その不敵な笑みは断らないだろうと言う確信犯だ。
ゾロはひとつ溜息を吐きつつも、エースの小舟へと降り立った。
「何を手伝やいいんだ?」
「いや、何もねェ」
「ああ!?」
「手伝ってる振りしてくれ。ルフィが上から見てる……」
会話は聞こえないので声のトーンを落としはしないものの、エースは上を見ずゾロにそう告げた。
ゾロはちらりと、ルフィがこちらを覗き込んでいるだろう真上の手摺り辺りに目をやると、その存在を確かめてから目線を元に戻した。
少しだけ寄ったルフィの眉が、少し寂しそうにゾロには見え、またムカムカしてしまう。
「なんでおれなんだ?」
一番に感じた疑問をゾロは素直に投げかけた。
「ああ、それはなァ」
手を止めて振り返ったエースが初めて、ゾロをまじまじ見詰めた。
「お前さんが、呼べば渋々でも来てくれて、約束したことはきっちり守りそうだからだ」
「なんだそりゃあ」
なんだか自分とルフィのことを言われているように感じ、少し戸惑う。
そんなゾロの様子にエースはしたり顔でニヤリと笑った。
「高みを目指す目だ。ルフィと同じ。でもそれは、少し違った位置からだ」
言い切るエースにゾロは肯定も否定もしない。ただじっと彼の目を見た。ルフィと同じ、黒い瞳を。
「何が言いたい?」
不遜な物言いで聞くゾロに、エースはニッと白い歯を見せまた笑う。
「おれとお前、似てるだろう」
そしてそんな訳の解らないことを言い出すのだ。
「はァ!? あんたの弟はルフィだろ」
似ているといえば目つきの悪いところくらいか。
その反応にエースがはっはっはっとおかしそうに笑った。
「違う違う。顔じゃねェよ」
「…………」
何か言いたげに、しかし何も言わないエースの目は、「解るだろ?」と語っていた。ああ解るさ……。
ゾロはわざとらしく溜息を吐いて見せた。
「そうかもな……」
ゾロの肯定にエースは嬉しそうに、また人懐こい笑顔を作った。
エースは白ひげを、ゾロはルフィを、頂点に立たす為に傍にいる。
それぞれの想いを乗せて一味の船はワンピースを目指すのだ。
しかしゾロにはゾロの野望がある。だがこの兄は、弟を見ているゾロの存在に自分と同じものを感じ取ったのだろう。
「じゃあ、あんたもわかってるんだろ? いつかは……」
ゾロは敢えてそこからは言葉にしない。
血の繋がりとは、本当はそんな単純なものではないはずだから。
「ああ……」
いつかは戦うべき相手。
必ず訪れる現実だと、エースもゾロも理解している。
その戦いはもう〝兄弟喧嘩〟では済まないのだ。互いの魂を賭け、命を賭ける。
あの紙切れはそんな兄の、弟への最後の想いなのかもしれないと、ゾロはそう思った。
「お前さんにはこれをやるよ」
言って、エースがゾロにも小さな二つ折りの紙切れを手渡してきた。
一拍間を空け、ゾロはそれを受け取る。
「ああ、それはすぐ捨てて良い」
最後に笑ったエースのその笑みは、どこか悪戯っ子のそれだった。

「またなー!」
ルフィの元気な声。それは遠く離れていくエースにも、はっきりと届いただろう。


ゾロは先程、エースがルフィに投げかけた言葉を思い出していた。
『次に会う時は、海賊の高みだ』
それがどんな状況で、どんな柵を負っているのかはまだ誰にも解らない。
ただ言えるのは、そのとき自分はその場にいて、見届けねばならない、それだけ。
例えルフィが兄を殺し兄の敬服する男を殺し、そのことで彼がどんなに傷ついたとしても。
ゾロの手の中の、紙切れがガサリと音を立てた。
別れ際、彼がゾロに背を向けたままボソリと言った。
『おれなァ、どっちもほしかったんだ』
どっちも、の片方をすでに諦めたことを、ゾロは渡された紙片に走り書きされた内容で知った。

“ウチのかわいいデカ目を頼む! 兄より”

「……っ!」
ゾロはギリッと奥歯を噛み締めた。
こういうのをただの〝ブラコン〟って言うんじゃねェのか!?
「弟想いのイイやつだ……!」
ゾロは歯軋りに似た笑みを浮かべ、手の中の紙切れを握り潰した。
言われなくてもさっさと捨ててやる!
先程からのムカムカの理由を、ゾロは今になって知った。
エースのその茶目っ気がタイミング良くゾロの逆鱗に触れたはしたものの、しかしふっと笑う。
「ああ、似てるかもな……」
「何が?」
俯いて呟いた囁きがチョッパーに届いたらしい。その彼は素直に感動して流した涙を拭き拭き、ゾロを見上げてきた。
「いや、なんでもねェ」
そう返して顔を上げたゾロの視界には、もうエースの船はどこにも無かった。


「ゾロ、何話してたんだ? エースと」
少し経ってからルフィが聞いてくるので、ゾロは一瞬何のことだか思い出せなかった。
そう言えば手伝っている振りさえしていなかったのだ、ただ話しをしていたと思われても仕方がない。
「ああ……、別に大したことじゃねェ」
「ふぅん」
気後れしているのか、ルフィが珍しく大人しい。
あの、楽しそうに兄のことを語っていた弟はどこへいってしまったのか。
もしかしたら、これからの運命を無意識に感じ取っているのかもしれない。
「お前のことだ、ルフィ」
「おれ?」
「ああ……」
ゾロは今し方までみんなでいた甲板に座り込むと、突っ立ったままのルフィの手を引いた。
大人しくゾロの前に座るルフィに、ゾロは至極優しく微笑んだ。
ルフィは瞬きして、そんなゾロの言葉を待つ。
「ウチの弟、かわいいだろってさ」
「な、なんだ? それ! なんか失敬だな!」
信じ切ってるルフィがおかしくて、ゾロは声を立てて笑った。
そんなゾロの反応にルフィがますます膨れるも、ゾロにはやっぱり可愛くしか映らないのだが。
ゾロはそっと手を伸ばして、ルフィの頬傷辺りを手の甲で擦った。
「このでっかい目で、いつでも見たいものを見続けろって、そう言ってた」
「……なんか、今度はムカつかねェ」
「そうか?」
「う~、うん、多分……」
「そっか」
自分が思っていることなのだから、きっとあの兄も同じなのだとゾロは胸の内で思う。
ルフィの麦わらをポンポンと叩いて、エースの言葉を繰り返した。
「次に会う時は、海賊の高みだな」
見上げてきたルフィの目に、ニッと笑って返して。
それから予想通りに白い歯を見せて笑ったルフィは、「おう!」とゾロに賛同してくれるのだ。
だけど今は、今のことだけ考えよう。


海賊の高みで待っている。

それは、

兄としてではなく。




END

まさかあんな未来が待ってるとは当時のわたしは思ってもなく……涙。
食い違いご容赦くださいm(__)m
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