19×17
「やだ、ルフィったらこんなとこで寝てるわ」
船首側の甲板で大の字になって寝ているルフィを発見したのは、この船の航海士ナミだった。
型は古いが未使用だったらしい三角帆が特徴のゴーイング・メリー号は、つい昨日海賊船と生まれ変わったばかりだ。
そこでさっそく寝ころんでみた船長のルフィは、どうやらそのまま眠ってしまったらしい、とナミは推測する。
推測するまでもなく見たままなのだが。
「どうした」
少し離れたところで壁を背もたれに居眠りしていたゾロが、片目だけ開いてナミの方を見て訊いた。
「ちょうど良いわ、ゾロこっち来て」
「ああ!? 面倒くせェ」
「何ですって!?」
山姥のように吠えるナミにさっさと投降したゾロが、言われた通りにそちらへ向かう。
「ルフィを部屋まで運ぶから、あんた足持って」
「いいじゃねェか、そのままで」
実のところ、そこでルフィが寝ていることを知っていたゾロは、あまりに気持ちよさそうに寝ているので起こす気になれなかっただけの話だ。
「何言ってんのよ! 転げて海にでも落ちたら面倒でしょう!? こいつ泳げないんだからっ」
腰に手を当て仁王立ちしたナミがきっぱり自分の言い分を述べる。
普通風邪ひくから、とかじゃねェか? とゾロは思ったが、この魔女に言うのはあえてやめた。倍返しされるのは目に見えている。
「ほら早く」
なにをそんなに焦っているのか、ナミはルフィの頭へ回ると両腕を掴んだ。
しかしその直後。
ドゴーンッ!!
キッチンの方から爆発音が聞こえてきたのだ。
ナミは浮かせかけたルフィの上半身をあっけなく落っことし、「あーも~!」とこめかみを押さえて立ち上がる。
「何だ今のは」
ゾロは尚も眠っているルフィを確認し、それから食堂を振り返った。
「ウソップよ。さっき火薬持ち出してたから嫌な予感がしてたのよ~!」
後はたのんだわよ! とナミは言い残してすごい勢いで食堂へ続く階段を駆け上がって行った。
取り残されたゾロが肩で息をつき、ルフィの傍らへしゃがみ込んだ。うちの航海士は忙しいらしい。
さて、どうするか。言う通りにしないとまた後がうるさいだろう。
ゾロは静かな寝息を立てているルフィの肩と膝の裏へ手を差し込むと、そっとその肢体を抱き上げた。
なんだ、軽いな……。
食欲のわりに痩せ形のルフィは、ゾロの腕にしっくり収まるサイズのようだ。
起きるなよ……。
ゾロはなぜだかそう願う。
階段を降りて2,3歩行ったところで、ルフィの眉がピクッと動いた。
「ルフィ?」
降ろそうかどうか迷う。と、ルフィの腕がするっとゾロの首に回って、ぎゅっとしがみついてきたのだ。
思わず硬直……。
「降ろすに降ろせなくなっちまった」
呟き、どうしたものかと自分の肩口にあるルフィの顔を見下ろすも、どうもこうもない。自分は役目を果たすまでだ。
起きたわけではないことを確認してから、ゾロは再び男部屋目指して歩き出した。
今度はもっと、慎重に。
大した時間も要さずルフィを抱いたゾロが居住区である男部屋へ降り立った。
ソファの上へそっとルフィを横たえ、だがしかし、しがみついたルフィの手はなかなか離してくれそうにない。
ゾロはまたしばらく考えてから、まずはルフィの麦わら帽子を机の上へ置いた。
どうもこういうシチュエーションには長けていないらしい。と自分で確認してみる。
とりあえずルフィの腕をのけようとした時、間近にルフィの顔があってなぜか狼狽した。
こんなに間近でルフィの顔を見るのは、もしかしなくても初めてかも知れない。まあ、出会って間もないのだから当然だが。
ゾロが少し逸る心臓に罪悪感を感じて目を逸らそうとした瞬間、ルフィの閉じた目から一筋の水が伝うのを見つけ、目を見張った。
いや……これは涙だ。
「ルフィ?」
声もなく泣くルフィを、ゾロはこのまま寝かせておきたくなかった。なぜだか、そのままにしておきたくなかったのだ。
なぜって、こんなルフィをゾロは知らない。
「ルフィ……、ルフィ!」
揺さぶると案外すぐにルフィの瞼が開いた。
「……クス。シャンクス……」
「え?」
がばっと抱きつかれてとっさに逃げようとしたゾロがルフィごと後ろへ倒れ、尻餅をつく。普段ならルフィの体重くらいビクともしない自信があるのに、情けない。ゾロは床にしこたま肘をぶつけ、顔を苦痛にゆがめた。
「……ってェ」
けれどもルフィの身体を庇うことはできたらしい。
「夢……、見ちまった。昔の夢だ」
腕の中のルフィが、案外はっきりした口調でそう呟くのが聞こえてきた。
「なんだ、起きたのか」
そりゃ起きるか……。
抱き抱えたままのルフィの顔をゾロは覗こうとしたのだが、ルフィはいつまでもゾロにしがみついていて叶わなかった。
「ルフィ?」
それっきり口を開こうとしない、彼の名を呼ぶ。
「ごめんな!」
しかしぱっと顔を上げたルフィはもう笑っていて、ゾロは釈然としないものを感じずにいられなかった。
「シャンクス」とは誰で、「何があった」とか、聞きそびれてしまったことに船長の顔を見つめる。
その大きな目にはまだ、涙の跡が残っていると言うのに……。
ゾロはルフィの肩を掴んで上体を起こしてやると、その跡を親指の腹でぐいっと拭った。
するとルフィがもう数十センチ後ずさって、腕でぐいぐい目を擦り俯いてしまうので、ゾロはまた間合いを詰めて意地悪くその顔を覗き込む。
「まだ泣いてんのか」
「な、泣いてねェぞ!」
がばっと顔を上げたルフィは確かに泣いてはいなかったけれど、その代わりに顔は真っ赤。なるほど、この顔は男として見せられない。
ゾロはそんなルフィがかわいくて、ついクスリと笑った。
「あーっ、笑ったな! ゾロのバカ!!」
「バ、バカだと!?」
「バカだ! バーカバーカ!!」
おまけにルフィがゾロの頭をポカポカ叩いてくるのだ。負け惜しみもいいところだ。
「いっ、いてェっ!」
とっさにルフィの両手を捕まえ、ゾロはルフィを床の上へ押し倒した。
「ってめェ……、うごっ!」
今度は蹴りを食らう。
ルフィがもごもごゾロの下から這い出し「イーッだ」をするので、ゾロも真似して「アカンベ」を返した。
「ちょっと、うるさいわよ! なに子供の喧嘩してるの!!」
そうしてナミから一発ずつパンチを貰い、あっさりその場は終結……。
「全くどいつもこいつも」
手をパンパン払い、ナミがさっさと部屋を出て行った。
「あいつは千里眼か……」
ゾロが殴られた頬を撫でながら悪態をつけば、ルフィが他人事のようにわはははと笑う。
「笑い事じゃねェ! お前のせいだろうが!」
「なんのことだ~」
「このガキ……」
「ガキって言うな!」
ムキになるルフィに、ゾロはしめたとばかり、ニヤリ。
「子供は大声で泣いていいんだぜ、ルフィ?」
「うっ、うっせー!!」
またどかーんと真っ赤になって地団駄を踏むルフィがおかしくて、ゾロは腹を抱えて笑った。
「おれは子供じゃねェぞ! もう17だぞ!」
「何っ!?」
今度はゾロが焦る番らしい。
「うそつけ!」
「うそじゃねー!!」
「まだ14くらいかと思ったぜ……」
意地悪してちょっとオーバーに言ってみた。
素直にも、ルフィがぷくぅっと頬を膨らませる。全く負けず嫌いの船長だ。
けれど――。
「おう、その方がお前らしいぜ、キャプテン」
「ん?」
口の端を上げて笑うゾロにルフィが当惑顔を返す。
ゾロは机の上の麦わら帽子をルフィに被せ、その上からポンと頭を叩いた。
このトレードマークが彼の頭上にあることくらい、ルフィらしいではないか……。
「なんだ?」
パチパチ瞬きをするルフィを後目に、ゾロは「腹減ったな」とだけ言って、また少し笑ったのだった。
FIN