19×17


漂流すると判っていて漂流する奴も珍しい。

ロロノア・ゾロは小さな船で大海原を彷徨いながら、その真上に広がる大空を見上げて思った。
「漂流してきたんだ」
と何でもないように言ってのけたのは他でもない、この船の船長で、キャプテンがそう言うのだからそうなのだろうと思う。
これでいいのだろう、この船は。
そう思える彼自体おかしいことに、この時ゾロは気づいていなかった。

「それにしても腹減ったー」
船長、モンキー・D・ルフィが、狭い船で大の字に寝ころびながらぼやいた。
ゾロはそれが彼の口癖同然であり、超大飯食らいな一面をすでに知ってはいたが、自分も空腹であることを確認して同意の相づちを打つ。
もう三日も食ってない……。
「ゾロ、なんか買ってきてー」
「行けるか!!」
無茶を言うルフィにゾロが即座にツッコムとルフィはしししと笑った。
何かにつけて暢気に構える性格らしい、このキャプテンは。と再確認する。
こうやって、徐々にお互いのことを知っていくのだろう。
とは言え、こいつはおれの過去なんかどうでもよさそうだとゾロは思って苦笑する。
彼自身それがどうだというわけでもないし、自分が知りたいと思ったことだけ判ればそれで良かったから、ゾロもたいがい他人に関心がない性質だ。日々考えていることと言えば、大剣豪になることとたまに思い出す死んだ親友のこと……。でもそれは「約束」として、いついかなる時も大前提にあった。

『お前とおれのどちらかが世界一の剣豪になるんだ!』

幼い頃の、それは約束。
そして今新たに気になるこの存在を、ゾロはまだ理解できないでいる。
どうして海賊になんかなってしまったのか。どうして彼の仲間になったのか。喋ることが下手なゾロは考えることも下手で、彼にその答えはすぐには見つからない。

『おれは海賊王になる男だ!』

全身で弾丸を受けとめて自信満々に彼は言った。大勢の敵に囲まれている最中。

『なってやろうじゃねェか、海賊に!』

その時、口をついて出たゾロの言葉。決して勢いなんかじゃなく。
ゾロもまた、自分の野望を彼へと告げたのだ。

――世界一の剣豪になってみせる、と。

『海賊王の仲間なら、それくらいなってくれないとおれが困る!』
ゾロが仲間となって、初めての要求――それもまた、約束。

これはなんだろう、とゾロは思う。
ただルフィといると気持ちがいい。たとえ彼が悪魔の息子だとしても。否、だからこそなのかもしれない。
「寝る」
ルフィは言うなりごろんと仰向けになり寝に入った。
「切り替えの早い奴だな」
まあ、空腹を寝て誤魔化すのも良いだろう。
ゾロは一つ伸びをすると、ルフィの隣へ寝ころび、しばらくして眠りの縁へと落ちていった。




ゾロは閉じている瞼に強烈に明るい光を感じて意識が覚醒し、目を薄く開けた。
視界に広がる、赤。
「ルフィ?」
船尾に胡座をかいて海の向こうを見つめているらしい彼の後ろ姿が目に入り、ゾロは身体を起こしてその名を呼んだのだ。
「見ろよゾロ!!」
振り向くルフィの顔は逆光で表情は読めなかったが、跳ねるような明るい口調でそれが悪いモノでないことが判る。
ゾロはまだはっきりしない頭でルフィの隣まで移動すると、同じく肩を並べ、ルフィの指さす方へと目をやった。
それはきつく眩しく暖かい……。
「でっかい夕日!!」
「ああ……」
本当に、でかくて綺麗だった。下の丸みはすでに海に落ちている。
「うまそうだなァ!!」
「お前なァ……」
男二人にムードは必要ないにしろ、彼の頭の中は今食べること一色だ。
ゾロは半分呆れつつも、隣のルフィを見つめてみた。
でっかい黒い目はいつまでも大きな夕日に向かっている。全身が朱に染まり、なんだか暑そうなのにその熱っぽさがこの少年にはよく似合う。トレードマークらしい麦わら帽子も赤に染まっていた。
恐らく自分とは正反対なのだろう、とゾロは思う。
ルフィがそんなゾロの視線に気付き、初めてその赤から目を反らせた。
「ゾロ、太陽あっちだぞ、あっち」
口をヘの字にして自分の見ていた方向を指さす。
そんなことは言われなくてもわかっている。
ゾロは変に感心して、コクリと頷いた。
「お前も真っ赤だ」
「ゾロもだ」
ルフィがにししと笑う。
「おれは食えねェぜ」
ゾロは口の端をあげて笑い、「筋肉だからな」と冗談ぽく付け足した。
その後者の台詞がルフィには気に入らなかったらしく、自分とゾロの腕の太さを見比べてプクーっとほっぺを膨らませる。どうやら結果までお気に召さなかったらしい。
「おれも食えねェぞ! ゴムだからな!!」
いいんだ、筋肉はこれからつくんだ! と何故か威張ってみせるルフィがおかしくて、ゾロはとうとう声をあげて笑った。
やはり、こいつといると自分は気持ちが良いらしい。再確認してゾロは唐突にルフィの指を掴んだ。ルフィの大きな目が更に丸くなる。
不意にゾロは、ルフィの人差し指を自分の口元へ持っていくとその細い指先に歯を立てた。
ちょうど爪の先とその裏の柔らかい肉とを挟む形で、躊躇い無く、まさに「噛みついた」のだ。
「……痛っ……!!」
さすがのルフィも予想しないゾロの行動と、彼から与えられた思いもよらない激痛とで瞬時にゾロから指を奪い返した。と同時に、その犯人の顔面へと一撃を食らわせる。
ガコッ。
「何すんだゾロ!!」
ルフィが赤くなった指先を自分の前にピッと立て、なぜかその患部に向かって叫んだ。
「お前こそ何しやがる!! いってーな!!」
ゾロが吹き飛ばされた身体を起こしつつルフィを睨みつけた。
「何しやがるはお前だ! 何すんだ!!」
今度はその指をゾロへと突き立ててルフィがゾロに抗議する。これが正解だ。
その後も二人の訳の分からない喚き合いは続いたが、ぐぐうと高らかに鳴ったお互いの腹の虫で奇しくも終戦の合図となった。

「は、腹減った……」
とうとう力無く二人その場に倒れ込む。
実に無駄な体力を使った……。
これというのもこの暢気な船長が……悪いんだっけ?
ゾロは首だけルフィの方に向けると「腹減った」と足をバタバタさせ始めたくだんの船長を見た。
「じっとしてろ。余計に腹が減る」
ルフィ曰く「うまそう」な赤い丸は、青い水平線に半分以上飲み込まれて半分になっていた。
「夕日、沈んじまうな」
ゾロが脈略無くそう言うと、ようやくルフィが大人しくなった。
「おれは食えねェって言ったのに」
随分暗くなった空を見上げていたゾロの視界に、さっきまで言い合いの原因となっていたルフィの指が収まった。
「まだ痛ェぞ」
起きあがって眉を顰めたルフィが、その指をくわえる。
「あ」
あー、それ、なんていうんだっけ……。ゾロの記憶にあるはずのその単語を思い出そうとするも、ダメだった。
恋愛用語に疎いゾロに「間接キス」なんて洒落た言葉は見つからない。
「……悪い」
ゾロはのろのろ身体を起こすと頭を掻き、ようやくポツリと言った。
その様子にルフィがしししと笑う。
「いや、いいんだ」
そんなに腹が減ってたのか? と問われ、ゾロは首を横に振るとニヤリと笑った。
「ゴムだからやっぱ噛みきれないもんなのかと思ってよ」
「そんなことでおれの指噛んだのか!」
「じゃあ食べる為だったらよかったのか」
「そっちのがマシだ!」
「そうか?」
「そうだ!」
とてもそうとは思えないのだが、ゾロはそういう事にしておく事にした。
全く飽きない奴だ、ルフィは。
ゾロは更にニタニタ笑って彼の首を傾げさせた。


これから何が起こるか判らない、けれど、こいつとならどんなことでもやってやれないことはない気がするから不思議だ。
「でっかい魚がピョーンてここまで飛んでこねェかなァ」
なんて間抜けな魚の話をするルフィに、ああそうか、とゾロは思う。
この暢気でお気楽な船長の鼻を、おれはあかしてやりたかったんだ。航海術も持たずに海へ出て、海賊王になるとほざいている、この悪魔の息子の……。
けれどその少年の強さと自信の前に、どんな無茶をも許してしまっている自分がいるのもまた事実で。

……おもしろい旅になりそうだ。
ゾロは内心ほくそ笑んだ。

彼方の赤いそれが完全に飲み込まれると同時に、ルフィはまた「寝る」と言って大の字になり、その言葉通りあっという間に眠ってしまった。
ゾロはクスリと笑ってルフィが被ったままの麦わらを傍らへ置いてやり、そうして自分もまたその隣へと横になり、ゆっくりと目を閉じた。

沈んだ夕日は明日、反対側の海から現れ、また眩しい光となって二人を照らし出す――。


END
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