19×17

「兄貴のことでも考えてんのか?」

船長の狭い背にそう言葉を投げたら、ルフィはわからないくらいにぴくんと肩を揺らせた。

麦わらの一味は無事スリラーバークを出航し、一路、魚人島を目指している。
新しく仲間に加わった男はかねてから船長ご希望の音楽家で、しゃべる骸骨のブルックを、ルフィは会ってその場で勧誘した経緯を持つ。
そして死にそうになった事件など忘れてしまったかのように、サニー号では盛大なブルック歓迎会が催され、歌声が大海原に響き渡った。
そんな、宴の最中。
そろそろ酔いも回っていい具合にまったりムードに突入したころ、ゾロは船長の姿がないことに気づいたのだった。

広い船内でいまだ迷子になる剣士だが不思議と船長のもとへはすぐ辿り着ける。
と言っても今回は探すほどでもなく、操舵席のある前甲板のデッキで一人、手すりに両腕を乗っけて夕日を顔いっぱいに浴び、潮風に黒髪と麦わら帽子を靡かせているルフィをゾロは見つけた。
彼はよく船首にいる。
それはクルーなら誰もが知っている。
けれど今のルフィはどうしてだか、ライオンの頭には乗っていなかった。

ほんの僅かな、違和感。
誰をも寄せ付けない雰囲気。
たまにルフィはこうして一人でいることがある。
何を思って、誰を想っているのか、内に秘めたそれを語ることはない。

そんな船長の性格を熟知していて尚ゾロが冒頭の人物を特定したのは……。
ルフィの兄エースに生命の危機が迫っていると、ルフィを始め皆が知ったからだった。

ルフィにとっての兄の重さなどゾロは知らない。
アラバスタで一度、偶然に会っただけの相手だ。
ルフィと違って常識人だとあのとき印象を受けたものだが、実際のところはルフィにしかわからない。
……知りたくないのかもしれない。

「ルフィ?」
少しだけ距離を開けゾロは船長の背後で立ち止まった。
ルフィはゾロの問いには答えずぷるぷる頭を振って、何かを立ちきるようにパッと体ごと振り返った。
「どうしたんだよゾロ! もう呑まねェのか!? お前しばらく寝てたから酒切れてねェ?」
ししし、と笑う。
一見、いつも通りのルフィ。
だけどゾロは見逃すつもりはない。船長のどんな機微すらも。
「ドクターストップだ」
「ああ! そっかそっか!」
一歩、二歩、と近づいて行けば、自分より背の低いルフィの大きな目がだんだん上目遣いになっていく。
その瞳の奥がかすかに揺れているのさえ……見逃さない。
ゾロは右手を上げ、つ、とルフィの左頬の傷に指先で触れた。泣いてなどいなかったけれど。
「ゾロ?」
「お前が決めた進路におれは口出さねェよ。船長はお前だ」
その判断が間違ったものならいつかのように下船覚悟で正すが、ルフィの兄弟のことはルフィが決めればいいことだ。
あとは、船長の決めた指針に従うのみ。
「それ……ブルックと同じ意味じゃねェよな? ゾロはそんなこと言わねェ」
ブルックは寄り道してもいいと言ったのだ。
確かにそれは違う。
兄の人生を尊重するルフィを、ゾロは尊重している。
答える代わり、でもないが、ゾロは身を屈めると船長のやわらかい唇に自分のを重ねた。
ふわ、と揺れたルフィの睫毛がそっと伏せられる。
大人しく相棒からのキスをうけるルフィは今、誰のことを考えているのだろうか。
唇を離せばすぐにぱちりとルフィの目が開いて、その真っ黒い瞳は子供のように澄んでいた。

「おれんこと、酷い弟だと思うか?」
「……」
「エースが死にかけてんのに見捨てておれはおれの冒険に進もうとしてる」
「……ルフィ」
「だってエースはガキのころからすっげー強ェんだ! おれなんかいっつも足手まといでよ、泣いてばっかで、何回も死にそうなとこ助けて貰って、おれエースのあとばっか追っかけちゃ怒られて、でもエースは──」
「珍しいな、饒舌な船長は」
「ジョーゼツ?」
「滅多に自分のことなんかしゃべんねェくせに……。お前の気持ちは解ってるつもりだ。兄貴は海賊なんだ、一度分かれた道は滅多なことじゃ交わらねェ」
「ゾロ……」
「けど、不安なんだろう?」
「!!」
初めて目で見てわかるくらいルフィの大きな瞳が揺れた。
ルフィにとって一番の大きな存在かもしれない、道標でもある兄。
その人の死に直面したとき、はたして彼は立っていられるのだろうか。
きっとルフィ自身だって想像がつかない──。
「厄介だな、人の気持ちってもんは」
焦燥、嫉妬、独占欲、自己顕示欲、……不馴れな愛情。
己の気持ちが一番厄介だ。
「?」
ルフィがちょこっと首を傾げる。
「おれはもしお前の野望の前にあの兄が立ち塞がるなら、そんときは容赦なく斬る。それだけは覚えとけ」
「……ゾロっ」
「まぁ逆に殺されるかもしれねェけどな。けどおれはおれのやりてェようにやる」
「おれどっちが死んでもいやだぞ?」
「うっせェ。だからてめェもてめェのやりたいようにやれっつってんだよ!」
「ゾロわかりにく!!」
「海賊の高みで会うんだろ? 今てめェが兄のためにできることはそれだけじゃねェのかよ。不安になってる暇なんてねェ」
「うん……。うん、そうだよな! 約束したもんな!」
ルフィにいつもの調子が戻ってきた。
おれは海賊王になるぞー!と両拳を振り上げ、西日の眩しさに目を細めている。
そんなルフィにゾロは口角をつり上げ「単純な奴」と揶揄するも、ルフィとは別の意味で切れ長の目をすっと細めた。

一度だけ、彼のために自分は命を捨てた。
野望を諦めても構わなかった。
ルフィより大事にしたいものなどないと、今の自分は知っている。
もう後へは戻れない。
それをこの船長に伝えるつもりなどないが……。
誰より近くにありたいと思う。
そしていつか必ず、あの誓いを果たす──。


ルフィがゾロの腰にぎゅーっと抱きついてきた。
戦っているときの精悍な顔つきが嘘のような、甘さを含んだ表情で、それはゾロにだけ見せるものだ。
しかし抱きつく力は半端じゃないのでむぎゅむぎゅっと締め付けられて……、
「ゴホゴホ……ッ」
まだまだ体は本調子じゃない。非常にもどかしい。
「わわ! ごめんゾロ!! 傷痛かったか!?」
「どってことねェ」
「ん~でもしばらくえっちはムリかなぁ……おれ元気なんだけども」
「……船長命令とあらば応えるぞ」
正直、応えたい。ぶっちゃけ早く抱きたい。
「いやいや! ムリすんなって!! おれがどんだけ心配したかゾロ知らねェだろっ?」
「寝てるおれに酒のまそうとしたって聞いたが?」
「ギクッ……」
さっそく船長がボロを出して目を泳がせる。バレバレだぞこら。
しかしゾロはこれ以上ルフィに心配掛けまいと、彼をぎゅっぎゅと抱き締めそのこめかみにそっとキスした。
「ルフィ」
「うん」
「抱きてェ」
「んお!? そ、そっか? そうなんか??」
「なに照れてんだ今さら」
「べ、別に照れてねェ……! ったくゾロは、おれの知らないとこじゃいっつも自分勝手に全部決めちまうくせに……」
ブツブツとルフィが腕の中でボヤいた言葉に今度はゾロの方がギクリとさせられた。
自分が船長の身代わりになったことを本人は知らないが、たまに野生の勘が働く船長様だから、侮れない。

「ゾロはよ、たまにはおれのことも考えろ」
「その台詞そっくりそのままお前に返す」
「ん!?」

とにかく、強く強くなろう。
命を引き換える必要などないくらい、いつでもコイツを守ってやれるように。

強く強くなろう。
未来の海賊王の右腕でありそして、世界一の剣豪となるために──。



(了)
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