19×17


「ちっ……もうひと押しだったのにな~~」
逃した魚は大きい。コックだけに。なんつって。
サンジは、海上レストラン『バラティエ』の副料理長をやっている。それ以外の過去はすべて捨てた。
今ではこの料理の腕前と、持ち前の美貌と、何より乙女心を知り尽くす最高のおもてなしとで、全世界のレディに愛されるべきモテコックだと自負している(すべて自己申告)。
現に落とした美女(に限る)は星の数(ちょっち誇張)、今夜のお相手も決まったぁ!と確信していたのに……。
ギリでフラれちまうなんて。
「ま、こんなこともあるさ。いや先週もだったかな……いやいやいや。つーかそこにいるのは誰だ!?」
部屋の隅でモガモガフガフガとあり得ない音が聞こえるのだ。
ここはサンジの寝室。副料理長になって初めてあてがわれた、小さな城。冷たい壁も鉄格子もない、この安らぎの場所へ、不審人物の闖入とあっちゃあ……三枚にオロしてやる!!
「ほひへふほっほ!!?」
しかしひょこっとリスほっぺの少年が顔を出したのである。
「なんだ。雑用か。またつまみ食いしてんのか? しかもとうとうこんなとこにまで逃げ込みやがって……」
「ングッ! ご、ごちそうさまでした! 見逃してくれェ~!!」
「おう、いいぞ。行けよ」
「!? お前は確か、ちびナス……」
「サンジだ! バラティエ副料理長の!」
「わりぃわりぃ。サンジは怒んねェの? やっぱいいコックだな~! おれの仲間になる気になったか?」
「なってねェよ。今おれァ傷心なのよ。ちょうど人肌が恋しかったとこだ……お前ラッキーだったな」
サンジは言って、タバコに火をつけると備え付けのデスクに腰掛けた。
雑用係は確かルフィとかいう海賊のガキで、ちょっと訳あってバラティエでタダ働きをしている。
黄色い麦わら帽子に赤いベスト、半ジーパン。子供のような幼い顔に、細い手足。とても強くは見えないから東の海からも出られるかどうか……怪しいもんだ。
サンジは早くも同情までしてやりつつ、強い者に屈しなければ生きていけない人生など誰にも歩んで欲しくはないと、そう思っていた。
でもそれはそれ。
欲望は欲望──。

「なぁ雑用」
「ルフィだ」
「ルフィ」
「ん?」
「今夜、おれの部屋に泊まりに来ねェ?」
わざと色事を匂わせてみた。つまりはそういうお誘いだ。
「なんで? おれちゃんと自分の船あるぞ! ゴーイング・メリー号っていうんだ、いい船なんだぞ~!」
「知ってるよ。見たから。別にただ寝に来いって言ってんじゃねェ。テメェも海賊なんかやってんだからわかんだろう? 手っ取り早く処理しようぜって話だ」
この手の下世話な話題にはもうサンジは慣れっこだった。
子供の頃ゼフに拾われて以来、むさ苦しい男社会で生きてきたのだ。見目の良い新入りは格好の的だった。
しかしここの連中には少なからず人の情というものがある、温かい血が通っている。サンジにとっては居心地のいい場所だった。
実力だけで今の地位に上り詰めた最近では、そんなバカな誘いをする者もいなくなったが……(何より自分は女が好きだ)。
「しょり? なんの? あ、メシの処理か! 大歓迎だ!!」
「ガク……。あ~そうじゃねェそうじゃねェ」
「じゃあなんだよっ」
気の短いガキだ。サンジはすとっと机から下りるとベッドに胡座をかいているルフィに歩み寄って行く。
そして丸い顎をつまみ上げると、
「結構かわいー面してんだから、ヤローに言い寄られたことくらいあんだろ?」
見えている右目だけが、優しく綻んだ。誘ってはみるも強要するつもりはこれっぽっちもない。
「だから何すんだって」
「セックスだよ、セックス」
「せっくすか……なるほど」
「お、知ってんのか?」
「知らん!」
「なんだ……ハァ。まぁいい、おれが教えてやるよ、ヤりながら」
「いや大丈夫だ! おれにはもう仲間がいるから! ししししっ」
「それはどういう……」
「仲間に教えてもらうよ」
「待て待て! まさかあの一緒にいたオレンジ髪の美女に? 筆下ろし手伝わせる気か!?」
「ナミか? ナミはうちの航海士だ! の、予定だ」
「なんだまだ仲間じゃねェのか……。ビックリさせんな」
「おれ昼休憩1時間貰ってんだよ。せっくすって1時間でできるか?」
「まぁできなくも……いやだから待て、教えて貰うって実践で?」
「そりゃそうだろ。聞いただけでできるわけねェじゃん、おれやったことねェもんよ。んじゃちっと船に戻ってくるよ! じゃあな~!」
「だからおれが……! あーあ、行っちまった……鉄砲玉かよ。まぁいっか?」
実際になって怖気づかれるより、先に体験して来る来ないをアイツが決めればいい。
やっぱりサンジはその程度の期待しかしてなかった。


メリー号に戻り、ルフィは甲板で一番に目についたウソップに声を掛けてみた。
「ウソップ」
「お、ルフィおかえり! 今日はもう終わりか?」
気のいい長鼻が日用大工の手を止めてルフィを振り返る。
「いや休憩だ。ナミは?」
「船長室じゃねェかな。自分の部屋にしちまってるけど」
「ふーん」
「おれ達もまた後で食いに行くからよ!」
「おう待ってる! それよかよォ、ウソップ~」
「ん? なんか困った顔してんな。まさかイジメられたのか!?」
「いや、せっくすって知ってっか?」
「はぁぁ!? ま、まままわされたのか!?」
「???」
「なわけねェか。ルフィは強ェもんな。し、知ってはいるがやったことはねェ……残念ながら」
「そっか~。じゃゾロに聞いてくる」
「アイツはヤってそうだよなァ、魔獣と呼ばれてた男だもんな……」
「おおアレってそういう意味なのか……(←誤解)。ゾロどこ行った?」
「居住区のソファで寝てたぜ。ゾロは昼寝が好きみてェだな」
「そいやそうだな! ほんじゃちょっくら行ってくる!」
ルフィがパカリとハッチを開け、あっという間に中へ消えた。
ウソップは一人になってふと気付く。
「ルフィのやつ、そんなこと聞いてどうすんだ? バラティエで変なこと吹き込まれてなきゃいいが……」
我が子がグレるんじゃないかと心配する親のように、ひとりあわあわするのだった。


「ゾロ起きろ!」
ぽふぽふ、とルフィがゾロの腹巻きを軽く叩く。
んあ?と片目を開けたゾロがルフィを視認するなり、なんかあったのか?と体を起こした。
「あのさ、サンジがさ」
「誰だ……?」
「バラティエの金髪コック」
「あのぐるぐる眉毛か……。で?」
「今夜せっくすしようって言うんだけど、おれわかんねェから仲間に教えて貰うって言ったんだ」
「な、なにをしようって?」
さすがにゾロの目も覚めた。
「だからせっくすだ! 料理人のサンジのこったからよ、なんかすんげーうめェ料理の名前なんだろ!? サンジはやりながら教えてくれるっつったんだけど、そんなの面白くねェじゃん? んでウソップはゾロなら知ってるって」
「………いや、そりゃ、セックスは知ってっけど……」
知識でも、経験でも。
「ホントか!? おれに教えてくれ!!」
どーーん。
その知識と経験をなぜ男のルフィ相手に披露しなければならないのか、そして何故そのコックはルフィを誘ったのか。
「教えたら……コックとヤんのか?」
そこがなぜだかゾロ的には一番引っかかる点だった。
「そりゃあ、その為に教えてもらいに来たんだから美味かったらやるだろ? サンジと作ったほうが絶対ェうめーもん」
「おいしく食われんのはテメェのほうだ、ルフィ」
「ええええ!? おれが食われちまうのかァ!?」
「ソイツにとっちゃそうじゃねェか? ま、ナヨナヨしてたから意外と逆かもしんねェが」
「逆って、サンジが食われるってこと? おれに?」
「あぁ」
「どっちもマズそう……」
「食うつってもホントに食うわけじゃねェし、基本は気持ちいいもんだぜ、セックスってのは」
「マジで!?」
「男同士は知らねェけど、多分な」
「やっぱ教えてくれ! やってみてェ! おれは何すりゃいいんだ?」
「何って……。おれに食われる気、あんのか?」
「んん~~……ある!!」
ばーん。
「好奇心旺盛なこって……。あとで泣きごと言うなよ」
「言わねェよ。言い出しっぺはおれだ!」
「上等」
すっと立ち上がったゾロの顔がルフィのやや上になって、ルフィは上目遣いで相棒の整った顔を見詰めた。よくよく見たらやっぱかっこいい顔してんなぁと思う。
するとゾロが自分との位置をくるんと入れ替え、肩を押されるままソファに座る。
更に体重を掛けられてソファに寝転がされ、のしりとゾロが覆い被さってきて……。
でも危機感はない。
ルフィはゾロのすべてを受け止める覚悟があるから。
口を口で塞がれたときはビックリしたけど、ベロを舐められるのも吸われるのも存外に気持ち良くて。
いつの間にか外されていたボタンはベストの前を肌蹴させ、素肌を顕にしていて。
ゾロにさわられたりちゅーされたり舐められたりすると、ルフィは味わったことのない気分にさせられ、ちょっとだけ戸惑った。
「ハァ……なぁゾロもしかして」
「あ?」
「せっくすって、料理の名前じゃねェのか?」
「違うに決まってんだろうが。簡単に手ェ出されやがって……」
おれなんかに、とゾロが小さく続けた。少しだけゾロが後悔しているように感じた。
じゃあ〝ゾロだから〟になればいいんだ、とルフィは思った。
けれど、もはや変な声しか出てこなかった。


ノックもなしにいきなり開いたドアにサンジはしこたまビックリさせられたが、昼間の約束をルフィが果たしに来たのだとわかり、ニコリと迎え入れた。
「ホントに来たのか」
「うん。ちゃんと教えて貰った」
「誰に?」
そこには興味がある。
「ゾロ」
「ゾロ? あの緑頭の剣士か?」
なんとなく聞く前からそうじゃないかとは思っていた。
「そうだ」
「まぁ入れよ」
お邪魔します、と言いながらルフィがなんの警戒心もなく部屋へ入ってきた。
ベッドへ座らせると、途中まで吸っていた煙草を灰皿にもみ消す。
「サンジの部屋は煙草臭ェな~」
おえーという顔をルフィがする。
「キスももれなく煙草臭ェぞ、悪ィなぁ」
「ゾロはちょっと酒味だったかも」
「へぇ」
あの堅物そうな剣士がよく船長を自分のところへ寄こしたものだ、とサンジは少し疑問に思った。
ルフィの隣へ腰掛けると、ぷんと石鹸のいいにおいがして、食われる気満々かよと鼻先を寄せる。
「ん?」
「いいにおいだなルフィ」
「せっくすのせいじゃんか、おかげで一週間ぶりに風呂入った」
「毎日入れ……」
「聞いてくれよサンジ~」
「なんだよ」
言いつつも、肩を抱いて首筋に顔を埋めていくとくすぐったいと大笑いされたので、舌打ちしながらも身を引いてやる。
「おれビックリだ! せっくすってめちゃめちゃ気持ちイーんだな! ま、ゾロがちんこ入れてきたときはビビったし痛かったけど……」
「ちん……あのなルフィ、お前にはデリカシーってもんがねェのか? 今からヤる相手に前のセックス持ち出すな」
「あ! これ言うんだった! おれは仲間としかヤらん!! だからおれとヤりたかったら仲間んなれ!!!」
ドーーン。
「じゃあやんな~い」
「あっさりー!? ちぇ、つられねェか」
「お前なぁ、この先もそうやって体使って勧誘するつもりか? そんで仲間になってくれた奴らと毎晩交代でヤんのか? 上か下かは知らねェけど」
「じょ、冗談だって……。あんなの毎日ムリ! ゾロと1時間もやってねェのにクタクタにされたんだぞ!?」
「ふーん……カレ意外とスゴイのねぇ……」
「だから〝ごめんなさい〟だ」
「なーんだ、そういうことね。別に延期でもいいんだぜ? 一年間タダ働きなんだろ? 先は長い」
「おれは一週間に負けてもらうつもりだ! 実はそれ、サンジからも頼んでみてくんねェかなーと思って今夜は来たんだけども……。お前一応エラいんだろ? ダメか? おれこんなとこで一年も止まってらんねェんだよ!!」
「そう言われてもなぁ。まぁ頼むだけ頼んでやってもいいが、ただし二度とつまみ食いはなしだ!」
「え~~…うん、わかった。じゃあついでにおれの仲間になるって言えよ」
「言わねェよっ」
「つられねェかぁ~」
「お前何気にたち悪ィな……」
「じゃあよろしくな!」
「はいはい。相棒くんにヨロシク。いっぺん許したら束縛強そうだから気ィつけろよ?」
「なんで?? それはおれじゃねェかな。おれは仲間と認めたヤツを諦めねェ!!」
「……!」
もしかしたらコイツなら、と思わせる期待をサンジは抱いたが、口では「はいそうですか」とそっけなく返しておいた。
ルフィの言葉を身を持って知るのは、サンジが麦わらの一味加入を決め、更に二年以上先の話となる。




数ヶ月後──。

「出かけなかったのか、ルフィ」
「ゾロ」
ユニットバスから出てきたゾロが、大きなダイニングテーブルに一人ぽつんと着いているルフィに声をかけた。ずいぶん包帯が取れ、白いタンクトップから健康的な肌が見えている。ゾロもルフィと同じGCマーク入り、黒Tシャツだ。
GC──ガレーラ・カンパニー。
麦わらの一味は今、エニエス・ロビーから脱出し、ガレーラ仮設本社〝海賊ルーム〟にて匿われている。
新しい海賊船ができるまで、あとどのくらいだろうか。
と言ってもみな自由なもので買い物に出かけてしまったが。
ルフィはなんのかんのと言い訳をして出かけなかったが、ゾロは彼が喧嘩別れしたウソップを待っているのだと感づいている。
迎えに行こうと言い出したルフィを止めたのは他ならぬゾロだから……。
これはウソップのケジメなのだ。向こうから謝ってくるまで、決して受け入れることはできない。
ムシャムシャと水水肉を頬張っているルフィの隣の席へゾロは腰掛けると、ふわりと香るシャンプーの匂いになんとなく鼻を寄せた。
「いいにおいだな、ルフィ」
「………」
「な、なんだよ」
こりゃセクハラだったか??
自分もルフィもあまりマメに風呂に入らないから、いいにおいをさせていると何だか違和感、そう思っただけなのだが。
「前にどっかで言われたことあんなーって……」
「は?」
「あ、そうだ! なぁなぁゾロ、おれら前にさぁ」
「おう」
「セックスしたよな!!」
ゴーン!!
と、ゾロが額をテーブルに打ち付けた。
いったいなんの罰ゲームだよ!?
「……あぁそうか、仕返しか」
おれが、ウソップを迎えに行くなら一味を抜けてやるとまで豪語したことへの。
とかゾロは皮肉って考えたが、ルフィはそんな回りくどいことをするタイプじゃない。
単に誰もいない部屋に二人切りで、交代でシャワーを浴びたシチュエーションがふと思い出させたに過ぎないのだろう。
「ヤったこと覚えてたのか」
「そりゃ覚えてるだろ、あんなことあとにも先にもゾロとしかしてねェし」
「そうなのか……?」
少し喜んでしまっている自分に待て待てと思う。アレは全面的にゾロが反省すべき過去の過ちなのだ。
船長を組み敷くなんざ……まだ二番手としての自覚が足りなかった。足りなさすぎた。
「結局サンジは仲間になってくれたんだよな。良かった~、こうやってどこでもうまい飯が食える!」
「そうだな」
あれからあのエロコックの誘いはなかったのだろうか。そのクソコックは晩飯の買い出しに出かけていった。
「ルフィ」
「ん?」
「あの日のことは……忘れろ」
「えー!? ヤリ逃げ!? ゾロひでぇ!!」
「うぐ……そ、そうだよな、すまん……。けどやっぱり忘れてくれ」
「……」
ルフィがよく読めない表情でこちらを見てきた。
先日、思いがけずルフィの家族のことを少し知ったが、まだまだお互い知らないことだらけ。それでもいいと思っていた。今でもそう思う。
でも体のことやアッチの相性(大変ヨカッタ…)について本来は知る必要なかったことだから……。
ルフィの肌の滑らかさや、唇の柔らかさや、ナカの絞め付けの強さ、それがもたらす快感とか──。
て、待て待ておれも忘れろ!!

「おれイマイチだった?」
「……はい!?」
「物足りなかったんかな、ごめんなゾロぉ」
「あ、あ、謝んな!!!」
「!?」
なんでそうなるんだこンのど天然がっ!!
「謝るならおれの方だろう!?」
「なんでだよおれは気持ちよかった!」
「おれもヨカッタけどよ……!」
「じゃあ忘れる必要ねェじゃんか」
「だからイイ悪いの問題じゃなくて、おれは船長であるお前の威厳を守りてェってことをだな……」
「それはよーーっくわかった! ウソップの件で。ゾロありがとう!!」
「あ」
ありがとうってお前……。
謝らせておいて礼まで言われた残念な今のおれ、どうすんだよ!?(ガックリ)
すうとゾロは深呼吸し、わかって貰うにはどうすりゃいいのかと考える。
ルフィはまた怒られると思ってか緊張気味に身を固くして、キッと眉を釣り上げている。
その頬に、ゾロはぺたりと掌で触れた。
口の端についた食いカスを親指の腹でぐいぐい拭ってやって、それから当惑するルフィに顔を寄せると、静かに唇を重ねていった。
パチ、ルフィがひとつ瞬きして目を閉じる。
相棒のキスを甘受するのは何故だろう。
音もなく離すとすぐに目を開けたが、その色に嫌悪感はなかった。
「ルフィ、やっぱおれは一味を抜けるべきじゃねェか?」
「な、なんでそうなるんだ!? おれここで大人しくウソップ待ってるだろ!?」
やっぱり待ってたのか。
「ウソップとは別件だよ。船長に手ェ出すようなヤツ、置いとかねェ方がお前の身のためだろうが」
「違う違う、〝ゾロだから〟だ」
「……あ?」
「ゾロは? おれが船長だからチューすんの?」
「んなわけねェだろ! ルフィだからだ」
「ほらみろ!!」
ドーン。
何がほらみろかわからないが、ルフィの中ではこれで解決らしい。こうなるとルフィはテコでも動かない。
「んなこと言ってっとまた抱くぞ」
「ドンとこいだ」
「泣いてもやめねェからな……」
とかおどしてみるも、ちょっと悔しい。
だからというわけじゃないが、ルフィの二の腕を掴むと軽い体を引いて、ぎゅっと抱きしめる。
「しししっ」
ようやく笑ってくれたルフィの顔が見られないのは非常に残念だが……ゾロの背に回された両手の温度はわかるから。
手放したくねェのは、おれの方か──。


──ガチャ。
「ただいまー。お、ルフィとマリモしかいねェのか。今夜のディナーも期待しとけよ?」
「!!」
ピョーン、とルフィから飛び退いたゾロには気付かなかったのか、サンジがニコニコとキッチンへ向かった。
基本キッチンがあればいつでも上機嫌な男だ。
ルフィはさっそくサンジにまとわり付いて、肉!肉ー!とうるさい。
それをはいはいとサンジは軽くあしらって、袋から食材を取り出す手付きはレディに触れるときのように繊細で。
「いいから大人しく座っとけ。すぐに支度する」
「ほーい!」
いいお返事のルフィが駈けてった先はけれど、相棒ゾロの元だった。
──そういやアイツらって。
サンジはすっかり忘れていたが、ゾロとルフィは体の関係を持ったことがある。
あれっきりなのか、続いているのか。
まぁおれにゃあもう関係ねェ話だが?
ヤツらの間に割って入れる気など、さらさらしないから。

本来、海のコックは一期一会。
それを半ば強引に仲間に引きずり込んでくれたルフィ。
だけど夢を現実の目標だと信じさせてくれた、我が船長──。

未来の海賊王に飯を食わすのはいつだって自分の役目でありたい、そう願っている。

あぁ、ついでだから未来の大剣豪にも食わせてやるけどな……?







ゾロが夜間トレーニングから海賊ルームへ戻ると、常夜灯のみの薄暗い部屋からは、いくつかの寝息が聞こえてくる。
部屋の隅には二段ベッドがニつ、ゾロの寝床は奥の二段目、チョッパーの上だ。
一応、音を立てないよう気をつけながらベッドへ、そろそろと梯子を昇っていたのだが──。
「ゾロ」
囁くようなルフィの声が下のベッドから聞こえてきた。
「ルフィ? なんで……」
ルフィにはルフィ用のベッドが宛てがわれているのだ。激戦で深手を負い、ずっと寝ていたので。
しかしそれも数日前、遊び相手のウソップがいないから体力を持て余しているのかもしれない。
「チョッパーに代わってもらった」
「そうなのか」
下を覗き込むとにんまり顔のルフィがなにやら自分を指差し、それから上のベッドをつんつんと指した。
ゾロはちょっと首を傾げたがあぁ、うんうん、と頷く。そのまま梯子を昇りきる。
するとルフィが猫のような身のこなしで音もなく、ゾロのいるベッドへ上がりこんできたのだ。

狭いベッドに男二人。
「どうした、眠れねェのか?」
「ううん、ゾロ待ってた」
「こんな夜中まで? なんか昼間言えねェことでもあったか?」
例えばウソップのこととか。
しかしルフィはふるふる首を振ると、「一緒に寝る」とか言い出すのでビックリ……。
ゾロはなんとなく昼間の続きを想像してしまい待て待ておれ、と下心を抑え込みながら、片側を空けて横になると隣をポンポン叩いた。
その反応に満足してかルフィがもごもごと添い寝してきて。ゾロはルフィと自分にブランケットを被せる。
こんなふうにゾロは誰かとひとつの布団に寝た記憶がとんとない。行きずりの女とだって用が済んだら宿を後にした。人肌を恋しいと思ったことなど、一度もない。
自分はいつでも強くなることにしか興味がなかったからだが……。
その興味が今はルフィに向かうのを感じる。自分はこんな人間だったろうか。
ルフィはゾロの胸元に顔を伏せるとすりすりしてきて、ただ甘えられていることに気がついた。
……あんな風に叱りとばしたからか?
けれどこの行動とソレがどうにもゾロの中で結びつかない。
本当に不思議な奴だ、ルフィは。
「じゃあ寒ィとか」
残念ながら温まる以外の理由をゾロは思いつかなかった。
「ううん」
また否定された。
てことはやっぱ昼間の続き……いやいや、コイツはきっと寂しいんだ。
ウソップが出て行った日、彼は誰とも喋らずずっと独りで夜を過ごしていたのを思い出す。
寂しさを紛らわす以外にこんな夜更けにベッドを抜け出して、「また抱くぞ」と宣言したゾロの元に身を投じてくる真意は何だ?

ゾロを見上げてきたルフィの大きな目がぱちぱちと瞬きした。ただただ、無防備に。
なんで、おれはこんなときにルフィをクソ可愛いとか思っちまうかなァ……。
ゾロは片方の手をそうっと上げるとルフィの黒髪を撫でてみた。恋人でもあるまいし、余計な世話とは思ったけれど。
「ゾロぉ」
「ん?」
けれど不意に「ん」と目を閉じたルフィに誘われるまま、ゾロは小さくルフィの唇にキスした。
またやっちまった。おれの理性仕事しろ……。
色気も何もない、ただ触れるだけのキス。
昼間サンジの邪魔が入る前、二人は何度かぎこちないキスをした。
触れるだけの稚拙なそれは、相手の気持ちなんかわからず手探りで、結局はっきりと形にはならなかった。

ささやかだったキスがだんだんと深く、長くなっていくのを最低にもゾロは止められなかった。
ルフィの素肌に触れたくてたまらない。
こんなのはダメだとわかっているのに。
はぁ、とちょっと息苦しそうなルフィに慌ててゾロが顔を離せば、ルフィはまたゾロを上目遣いに見て、こてんと首をかしげた。
「もうおしまい?」
「は? そりゃ誘い文句だぞルフィ、わかってんのか?」
「うん」
……うん?
ブランケットの中でルフィがギュッと抱きついてくる。体が熱い。ルフィの匂いが近い。
ゾロはもう自制する方法もわからぬまま、ルフィの背をするする撫で下ろすと、タンクトップのすそから手を忍ばせた。
さらっさらの肌の感触がゾロの劣情を勝手に高めていく。
このままこんな場所で、こんな宙ぶらりんの関係で、奪ってしまっていいはずないのに。そんなことはわかっている。
しかし何度か背を撫で回しながらルフィの額に、頬にとキスしていたら、ルフィがうししと楽しそうな声を立てた。
「くすぐってェ?」
「いんや、気持ちいい」
また好奇心かもしれない。ルフィにとっちゃセックスすら冒険の途中の些末な出来事なのかもしれない。
でもルフィはゾロに言ってくれたのだ、〝ゾロだから〟と──。
その言葉を信じていいと思う。彼は直情型の分、言葉に嘘偽りないから。
てことは、ここはおれが抑えるしかねェのかァ……(ため息)。
「もう寝ろ」
「えー」
「えーとか言ってもダメだ」
「ゾロは厳しいよなァ」
それはおれに怒られたことだろうか。
でも「はーい」といいお返事が聞けてホッとする。
タンクトップから不屈の精神でゾロは手を引っこ抜くと、ルフィの背をポンポンしてやった。
ちゅっとルフィが子供っぽいキスをゾロの口にしてきた。
それにはデコチューだけで返しておいて、
「寝るんだぞ? わかってんのか?」
「だって……ししししっ」
「おい何笑ってんだよ」
「思い出し笑い~」
「はぁ?」
「チョッパーがバラしたやつ! おれが壁に挟まってるとき、ゾロは煙突に挟まってたんだよな? おれらほんっと似たもの同士なんかなーって」
「笑えねェから……ナミを泣かしたんだろうが」
「う、そうだった……」
正直あのとき、ずっとルフィが笑ったところを見てなかったのでちょっとホッとしたのは内緒だ。
「ロビン戻ってきてよかったなァ」
「そうだな」
「ウソップは……あ、何でもねェ」
慌てて言葉を切ったルフィがらしくなく思え、ゾロはコホンとひとつ咳払した。
「あーあのな、ルフィ」
「うん?」
「おれはウソップの第一声が謝罪じゃなくても、とりあえず聞こえないふりをしてやることにする」
「!?」
ルフィがじーっと見てきた。それからぱあっと笑って、
「じゃあおれもそうする」
「おう。きっと数日後には元通りだ」
「……」
「……ルフィ?」
またてっきり「おれも」と、そう返ってくると思ったのに。
「ゾロ~」
「あ?」

「今度せっくすしような」

は!? と大声を上げそうになってゾロは口を押さえた。
今度? 今度っていつだよ!?
聞こうにも、ルフィは早くもくーくーと夢の中……。
「おいこら」
ゾロの肩からようやく力が抜けた。
そしてくつくつと笑った。


翌朝。
ゾロは何やら悪寒を感じて目を覚ました。
それから自分の不用意さを死ぬほど後悔した……。
「うぎ……!?」
ゾロとルフィが仲良く添い寝しているベッドをじっとぉ~~っと覗き込んでいる、無数の目があったからだ(ちーん)。
「アンタ達、そんっっなにくっついて一緒に寝ちゃって、どうなってんの? デキてんの?」
「ナミさんは目が腐るから見てはいけません!」
「ふふっ、知らなかったわ、ルフィとゾロがロマンティックな関係だったなんて」
「人間て一緒に寝たらロマンちっくなのか、ロビン?」
「チョッパーまで見てんじゃねェ! お、お前らあっち行け!!」
起き上がろうにもルフィにがっちりホールドされていて身動き取れない。
その船長が機嫌よく目覚めたときには、クルー達は何事もなかったように素知らぬフリで。疑惑の目がゾロにしか向かなかったのは一重にルフィが甘やかされている証拠だろう。
が、しかし。
「続いてたのねェ、君たち」
そうぐるぐるエロコックに耳打ちされては毎度の喧嘩勃発オチだったが、「二度と船長誘うんじゃねェぞ」と開き直って、釘を差しておくのは忘れないゾロだった。



(おしまい)
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