21×19

目が覚めたとき、見えたのはまぁるい天井だった。
途端、気管に溜まっていた海水を吐き出し、咳き込む。
自分はどうしたのだろうかと記憶を巡らせ、サンジはハッとした。
「ナミさん! ロビンちゃん!!」
愛しいレディ達の名を叫びながら飛び起きた。どうやらソファに寝ていたようだ。
サンジは辺りを見回し、ハテナを浮かべた。
「ここは一体……?」
全く知らない場所だった。
けれど命があるのだから、海流に呑まれたあと助かったことだけはわかる。
恐らくこの部屋の住人に救われたのだろうことも推測できた。
「あいつらは!?」
自分と一緒に仲間の何人かが海の底へと呑まれている筈だった。
水玉のソファから丸太の床に足を下ろしたサンジは、自分が身に覚えのないTシャツを着ていることに気付き、しげしげと眺める。誰かが着替えさせ介抱してくれたということだ。
そしてその模様には見覚えがあった。
「この☆マーク……確かケイミーちゃんが着てたブランドのもんだよな。あのヒトデの、なんとかいう……」
そこまでは思いだせなかったが、サンジの胸は次第に期待で膨らんでいった。
それからくんくんくん……。
「こ、これは……!!」
まさしく乙女の芳しき匂いに違いねェ!!!
サンジならではの嗅覚である。
「ブッ……! いかんいかん、妄想だけで鼻血を噴くとこだ。にしてもあのキッチン……水に浸かってんぞ?」
向かいの壁には水に半分ほど浸った台所があったのだ。咄嗟にキッチンをチェックしてしまうのはもう職業病である。
そしてようやく足元に人の気配を感じ、サンジが「うわ」と下を見れば、そこにウソップの長い鼻が見えた。
布団に寝かされているウソップはまだ気絶したままだったが、この世の終わりのような顔をしている。
死に目にあったのだから無理もない……。
それからその向こう側にある大きな貝殻のベッドには、ルフィとチョッパーが並んで寝かされているのも見え、サンジはホッと息を吐いた。
「よかった、能力者の二人も無事か……」
フラつく足で立ち上がってみる。
ウソップを跨いでふかふかベッドに足を踏み入れればいい匂いがして、サンジは鼻の穴をこれでもかというほど膨らませた。
「こ、これはまさしく、お、乙女のベッド……! くんくんくんくん」
軽く危ない人である。
それからサンジは膝をついてルフィとチョッパーの顔を交互に覗き込み、命に別状はなさそうだと改めて安堵した。自分がいて船長に何かあったのでは某剣士に何を言われるか解ったものではない。て言うか斬られる。
「しかし顔色が悪りィなァ。たく能力者ってのは厄介なもんだぜ」
それにしても、ここの住人はどこへ行ったのだろうか。
サンジの予想が正しければここは魚人島で、希望は超美人の人魚ちゃんの家であるハズ。
「魚人島……。そうかとうとう……そしてこの島には夢にまで見た人魚ちゃんがおれを待っている……!! もうすぐ会えるんだ!!」
自ずとサンジの興奮は高まった。
しかしながら、自分は今「女性免疫不全」という真にありがたくない病名を頂戴しているのだ。このままでは見ることも叶わない。
「とんでもねェぞ、そんな勿体ねェこと……。誰がするかよ!!!」
サンジは突如、別の使命に燃えた。
そして思い立ったのである。
ここには船長の犬、クソ剣士はいない。
誰にも邪魔されずリハビリに励めるというものだ。
「天はおれに味方した!!!」
とんだはた迷惑だが今のサンジに背に腹は代えられない状態だった。
これは人魚達とお近づきになれる一世一代のチャンス。千載一遇。こんな夢の楽園にきてまで、鼻血でぶっ倒れるわけにはいかない。
「悪りィなまりも。ちっと船長借りるぜ……」
この時のサンジは超悪人面をしていたそうだが、幸い見咎める者はなかった。
2年前とは逆になった分け目から切れ長の左目をにやりと細め、ルフィの顔の脇に両手をつくと、真上から見下ろしてみる。
じっとぉ~~~。
「…ありゃ? 興奮しねェ。なんでだ……?」
そういえば過去2回、ルフィで鼻血を垂らしたきっかけはルフィの笑顔だった。
笑ってねェとダメってことか……?
「いっちょくすぐってみるか」
そうっとルフィの脇に手を伸ばし、こちょこちょ、こちょこちょこちょ!
「ん~~っ」
「もう一息……?」
こちょこちょー、こーちょこちょ!
「ムニャ…ダメだってゾロォ~」
……ゾロじゃねェぞクソゴムが。
しかしいくらくすぐってみたところでルフィに笑う気配はない。
おまけに「もうムリ~」とか言うので何がだよと問い詰めたくなってくる。
「どんな夢見てんだよ……。たく、ルフィのクセに」
に、しても──。
こんなロマンチックな貝殻ベッドに横たわって違和感のない19歳男子はルフィだけじゃないだろうか。
まるで真珠貝の眠り姫のよう……て待て! その発想はどうなのよおれ!!(大反省)
けれど「ん~…」と眉根を寄せひ弱なうめき声を上げる船長は超貴重で、なやましげに身をよじる細い体にサンジはうっかりアノ時を連想してしまった。
ぶっちゃけ、セックスしてる最中のルフィを……。
「まりもに抱かれてる時ってのはこんな感じなのかね……」
ルフィがハァと苦しげな息を吐いて片手をぽてんと顔の横に投げ出した。
今は生気のない唇も、きっとアノ時ならバラ色のように赤く、色香を放ってゾロを誘うのだろう。
「いつもはつやつやだもんなァ」
肉の油で……。
そして多分、ゾロの前でだけ普段からは想像もつかないような色っぽい表情をしたり、仲間が聞いたこともないあられもない声を……。
「こんなガキくせェのに、ゾロの野郎にいい様にされてあんあん啼かされてるってわけか」
なんか、ムカつく。
なぜかムカムカする。
いやなんでおれは腹立ててんだ……? まさかとは思うが、こりゃあやきもち??
「いやいやいや!! それだけはねェから!!」
自分は超がつく女好きだ。バリバリのノンケだ。
ゾロみたいに、こんな子供でちんちんついたヤローに欲情するもんか。
そのノンケ男がたった今、男相手にリハビリしようとしている事実を免疫切れのサンジが自覚することは残念ながらなかったのだが、気付かない方が幸せということで……。

「いーいこと考えた~♪」
サンジのリハビリは続く。
ポンと手を打って、ルフィのまぁるい頬に片手を添え、ニマニマしながら顔を近づけたのだ。
そうして、

「お髭じょりじょり~~っ」

この2年で増量した顎髭をルフィのほっぺにぐりぐりこすり付けてやった。
傍から見れば親戚のおじさんが親戚の子供に髭じょりじょりして嫌がらせをする、アノ光景である。
これには気絶中のルフィも痛かったのか「んぎゃ!?」と変な声を上げたけれど、そこはルフィ、無意識の〝ゴムゴムの銃〟を放ってきて。
「っぶねェエー!! つーか起きちまったら元も子もねェな、失敗失敗」
でもこんど起きてる時にやってやろう、面白いかも。クソ剣士の反応も見物だし。フッフッフッフ……。
一人ニヤけながらいやそんな場合じゃなかった、と思い直し、さっさと次の手を考えることに。
「そうだなァ、こーなったらキスでもしてみるか?」
ゴム唇はどんな感触だろうと、ちょっとばかり興味もある。
サンジは「ん~~」と尖らせた口をルフィのふっくらした唇に近づけ、きゅっと目を閉じた。

「ちゅーしようとしてる?」
「してる!!」
「してない!!」
「してるんじゃない?」
「したから何!?」

「!!?」
な、なんだこのちっちぇの……。
サンジは腹筋と背筋を同時に駆使し、ガバァっとルフィから顔を離した。
しかも同じようなのが五つもいる。
浮き輪をつけているように見えるが、その足には尾ひれ……て、人魚か!?
「き、君たちはもしかして、に──」
「その声はサンジかァ~? 何してんだ?」
「ウソップ気がついたのか!?」
続いてチョッパーも目を覚ましたけれどまだぼーっとしている。
残るはルフィだけだが、まぁよかったよかった……。
ちなみにこのあと登場のケイミーの紹介でさっきの五つ子がメダカの人魚だと解った。
にしても、キスまであとちょっとのタイミングで邪魔が入るとは……まりもの呪い!?
「サンジお前……」
「なんだよウソップ、変な顔して。腹でも減ったか?」
「今ルフィにキスしようとし──」
「…てねェしてねェ!! ぜってーゾロには言うなよ!?」
ここでゾロの名を出したら認めたようなものなのに、人魚出現でテンパってしまったサンジの頭は回らなかった。
2年前ならこの程度で誤魔化せた麦わら一味のお子さま狙撃手も、心身ともに成長し、場の状況を読んでか白~い目で見てくる。
「言えるわけねェだろ……」
「これは神聖なるリハビリテーションだったのだ。おれにとっちゃ最重要項目なのだ!! 理解しやがれ」
「できるかっ!! このケダモノ!!」
尤もなことをツッコまれたけれど心優しい(ビビリともいう)ウソップなら、言わないでいてくれることだろう。

こうしてサンジのリハビリは終わったが、これが功を奏したのかはたまた彼の気合いと人魚への執着だったのか、幸い鼻血を噴くことはなかった。



その後──。

「見つけたぞー!! ここがオールブルーだァ~~!!!」
「いいのかそれで…サンジ……」

サンジは生きたまま天国を満喫していた。
ウソップのツッコミなどもはや聞こえて来ない。
目玉は常にハートマーク、美人で可愛い人魚たちと〝人魚の入り江〟で戯れ、今生の幸せを味わっている真っ最中だった。
「おれここに住む!!」
このセリフをもう何度言ったか解らない。
「いいよなー、サンジは泳げて」
ちなみにこれも、さっきからルフィがぶーぶー拗ねながら繰り返している。
「能力者の自分を恨め! どうだ羨ましいだろう!!」
両手両足3本目の足(ゴホゴホ)に花のこのおれが……!!
「うん羨ましいぞ、おれも泳ぎてェ」
「いやそっちじゃねェそっちじゃねェ。てめェもちったァ女に目覚めろ。まりもとなんかくっついてねェで」
「ん? ゾロがなに??」
「なんなら抱っこして泳いでやってもいいんだぜ……?」
1ミリくらいはルフィ相手のリハビリのおかげかもしれないし、ゾロへの格好のからかいネタになるだろう。わっはっは!
「ホントか!?」
ぱぁっとルフィは破顔。
しかしサンジが「じゃあ脱げ」と言えば、ルフィは両足で水をばしゃばしゃ蹴りながら「んー」と何やら考え始めた。
「おれやっぱいいや。シャボンで泳げるってケイミー言ってたし、それにサンジがヤマシイ?こと考えるから必要以上近づくなって、ゾロが」
「はいはい旦那がな……。お前ってゾロの言うことだけは何気に聞くよな、昔っからよ」
サンジはルフィが座っているサンゴの横、両腕を乗っけるとふうっと嘆息した。
大の仲良しのウソップとケンカ別れしたときだって、「迎えに行く」と言ったのをゾロの発言で180度変えてしまった船長なのだ。
そのあともウソップが謝るまで許してやらなかったし……。ゾロとつるんでな!!
「好きだよなァ、ホント」
なにげに一途な一面があったりするから、無理強いできない。
「へ? なにが? はたして??」
「ゾロのことだろうが! 好きなんだろ?」
「おお、そりゃ大好きだ!!」
2年前ならこのあとに「みんなも」とくっ付いてきたのに、こちらも心身(いや心だけか)ともに成長したということなのか。
気に食わん……。
「ちっ、ご馳走さん」
「?? 何食ったんだ?」
「食ってねェ!!」
「なんで怒るんだよォ~」
「怒ってねェーーっ!!」

「サンジちゃ~ん! 何してるのォ? 早くこっちおいでよ~! 遊びましょう~~♪」
「はいはぁい♡ 今行くよォ、僕の人魚ちゃん達ィ~~♡」

とにかく今は船長なんぞに構ってる暇はない。
さも当然のように「ゾロが好きだ」などと言うルフィなんか、もう放っておこうと思う。
また腹の奥がムカムカし出した自分には気付かない振りをして、サンジはまさかこの後、人魚の腕の中で大量に鼻血を噴いて生死を彷徨うことになるなど知る由もなく、夢のひと時へと再びダイブした。


(おわる)

お髭じょりじょりが書きたかったのです*
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