21×19
「おい9番目」
食堂へ入ってくるなり、ゾロがそんなことを言った。
ダイニングテーブルに着いていたクルーの目が一斉にゾロに向けられる。
そして一様にそれぞれ顔を見合せ、首を傾げた。
「ゾロどうしたんだ?」
一番手前にいたチョッパーがゾロに声を掛ける。
キッチンから女性陣のため食後の飲み物を持ってきたコックのサンジが、ナミには紅茶を、ロビンにはコーヒーを差し出しながら(但し鼻血を噴射するので姿は見ない方向で)、
「ルフィ、呼んでるぜ」
必死にデザートの果物に食らいついていたルフィに目配せをした。
「ん?」
「だからゾロが呼んでんだって」
「おう! ゾロちょっと待っててな!」
「ああ」
「9番ってルフィのことなの?」
小首を傾げるナミの後ろから、それでも鼻血を垂らしながらサンジが目玉をハート型にして「そうなんですよ~この野郎ときたら」とさんざん自慢されたことを語るのは丸無視で、胸にかかった長い髪をぱさりと後ろへ流した。
「はう~んナミさんがぱさって! 今シャンプーのいい香りが……くんくんくん。ナ、ナミさんもう1回! もう1回~~!!」
「サンジ君うるさいっ!」
「また喋ったぁ~~ブーーッ」
やっぱり大噴射してふっ飛び、壁にぶつかってチョッパーが慌てて駆け寄った。
2年経って対女性用免疫が切れていたサンジは、抗体が復活しないまま益々ナミにメロメロになったようだ。
それはもちろんロビンにもだったのでいつまで身が持つやら。
そしてまた献血中……。
待たせていてもしっかり食べ切ったルフィが、ようやくガタリと席を立つ。
「おまたせー! で、何だっけ?」
「ちょっと来い」
ゾロがちょいちょい指でルフィをこまねいた。
「わかった」
銘々が一味団欒を満喫している真っ最中に、我らが船長様を連れ出そうとは、どれほど顰蹙かなどちっとも考えないのはゾロだけだろうと、誰しもが思ったが口に出す者はいない。
それが相棒の特権であることを皆が認めているし、だが嫉妬する者諦めている者微笑ましく思う者それぞれ個人差はあるものの、この二人の間に割り込めない絆が存在することをちゃんと理解している証拠だった。
そうして連れだって出ていったゾロとルフィにちょうど意識を取り戻したサンジがちっと舌を打つ。とりわけゾロと仲の悪い彼はこの手の感情を隠すことをしない。
また別の意味で感情表現豊かな音楽家ブルックが不自然な沈黙に気を使ってか、「一曲お聴かせいたしましょう」とバイオリンを構えた。
「いいわね。お願いしたいわ」
精神的にも大人のロビンが妖艶な笑みを浮かべたら、
「ルフィ関係で一番変わってねェのはゾロだよな」
とウソップが苦笑いで肩を竦めた。
「解ってるのよ、解ってるんだけど……」
ルフィに会いたかったのはゾロだけじゃないのよ、とナミは言葉にせずとも伝わるだろうと、言葉を切った。
「まぁまぁ! おれ様のロボダンスを披露してやっからそうカリカリするんじゃねェよナミ!!」
フランキーが鼻のスイッチに指を触れればウソッチョの目が輝いた。次は一体どんな髪型になるのか。ちなみに今は坊主である。
「おれにスイッチ押させてくれよおれに! フランキー!」
「あーズリィぞチョッパーおれもおれも!!」
「チッチッチ、まずはナミからだ。ジュンバンロボ」
「ロボ語出たぁ~~~!!」
興奮しきりのウソッチョにけれどナミは、
「結構」
どーん。ばっさり切った。
フラウソッチョが「え~~!?!」と目を剥く。
「喜ぶとでも思ったの!?」
びっくりするナミやみんなのそんなやり取りにロビンがクスクス笑えば、ブルックが「ヨホホホー!手厳しい~!!」とバイオリンを奏で始め、その場にはまた元の平穏な空気が流れ始める。
結局は笑いの絶えないダイニングでは、銘々が再会の喜びをじっくりと味わうことが出来た。
「いいわ、ちょっとくらい独り占めさせてあげる」
にっこり笑うナミにサンジがまた鼻血を噴いたが、それも新たな麦わら一味の一幕だった。
一方。
一味団欒を抜け出した2トップはと言うと。
サニーの芝甲板、メインマストのベンチに並んで座り、ルフィはゾロと目が合うとにししと笑った。
「ゾロだ」
「あ?」
隻眼の剣士がマジマジとルフィの顔を見つめる。
「ゾロだな~と思って」
「そうだな、ルフィだ」
「なんだそりゃ」
「お前が言い出したんだろうが」
「あそっか!」
用はなんだ、と聞かないルフィはやっぱりルフィだと実感する。
二人一緒にいる理由など、初めて出会ったとき以来言葉にしたことはない。
だからってなんとなくじゃない。
あれは運命だったと、自覚するまでもなく必然で。
ゾロは右手を伸ばし、ルフィの左頬の傷に指で触れた。
2年ぶりの感触。
少し確かめようかと思ったのだが、確かめるまでもなくルフィの外見はほぼ変わっていなかった。
大きく変わったのは……胸に刻まれた頂上決戦の爪痕くらいか。
そしてこの傷を見る度、自分はきっと何も知らなかった己の不甲斐なさを思い知るだろう。だがそれでいいと思う。
ルフィがこの傷のことをどう思っているかなど聞かないが、実は未だ直視できないゾロはサンジじゃないけれど色々と免疫が切れているのかもしれない。
「ゾロってこんな顔してたんだなー」
ルフィも同じように、ゾロのシャープな頬に手を伸ばし、ぴとっと掌を当てた。
麦わらのつばから見上げるルフィの大きなふたつの眼は、瞬きもせずゾロを見つめている。
どうせいくら見たところで、ルフィは似たようなのが現れれば間違えるに違いない。
「でもこれはズリィと思うんだよおれ。カッコイイもん」
と、今度は人差し指が左目の傷をなぞった。
「くすぐってェな。お前もこんな感じだったのか?」
「そうだぞ最初のころはな! おれの傷さわったり舐めたりすんのゾロが初めてだったもんよ」
そう言えば、とゾロは思い出してみる。
欲望のままルフィの頬傷に舌を這わせたら「やめろ」とジタバタしていた気がする。あれはくすぐったがってたのか……。
ゾロは改めて、ルフィと同じように親指の腹で横一文字の傷を何度も擦り、なんとなくそのまま下唇を辿った。
「ゾ…」
ゾロ、と言いたかったのだろうけれど言いにくかったようで途切れた。
それからルフィの指先が左のまぶたに触れたとき見たその表情に、ゾロは心臓をわしづかみにされたかと思った。
「なんつー顔すんだ、アホ」
ルフィは……とても淋しそうな顔をしていたのだ。
2年ぶり、一味団欒でもう寂しいことなんか何もないハズなのに、ちょっと寄せたルフィの眉根も、親指から伝わる唇の震えも、その瞳の奥がわずかに揺れるのも……なんだか切ない。
「?」
首を傾げるルフィはきっと自分じゃ解っていないのだ。
だけどお互いがお互いのことだけを考えている、今この時だけは。
どちらからともなく顔を近付け、唇を重ねた。
少し緊張しているのは自分だけだろうか。
触れるだけで離したらルフィは俯いてしまい、麦わらの天辺しか見えなかった。
そのままゴツンとルフィのデコがゾロの胸にぶつかってくる。
「ルフィ?」
「ん?」
「お前レイリーに手ェ出されなかっただろうなァ」
「色々出されたぞ?」
「は!?」
そんな話しは彼から聞かなかった。と思う。……言うわけねェか。
ルフィは速まったゾロの鼓動を額に感じながら、組み手とかすんだから当たり前じゃん、と思っていたが、言葉が足りないのはお互い様である。
そろりと目線下にあった腹巻きを撫でたら懐かしい感触がして、ししし、と笑った。
「笑ってやがるし、ムカつく」
「ムカつく!?」
ルフィが慌てて顔を上げたのをいいことにゾロはルフィの唇を強引に塞いだ。
無理やり舌を差し込んだら色んな果物の味がして、そういやデザートデザートと騒いでサンジを急かし、みんなで食堂に引っ込んだのを思い出した。2年ぶり一味の初昼飯は、青空ランチもとい海底ランチだったので。
ミックスジュース味、そんなことをゾロは考えながら、甘い舌をきつく吸った。
「ふ…んっ」
夢中になって応えてくるルフィのキスは相変わらず拙かったが、ゾロの誤解が解けることはなかった。
「ぷハァ……ちと苦しかった」
2年ぶりのディープキスはキモチヨクもあったけれど、とルフィは火照る頬でゾロの双眸を見つめる。
そこでやっといつも自分を見つめていた翠の瞳がひとつないことを実感してしまい、
「おれもムカついてきた」
濡れた唇をとんがらせた。
「なんでお前が……」
「あいつ何だよ、あの女」
ムカつくと色々もやもやしたことを思い出してしまうものだ。
「どの女だ」
「もういい!」
「あ?? お前わがままに磨き掛かってねェ?」
出航前『2年間もおれのわがままに付き合ってくれてありがとう!!』と、珍しく殊勝な言葉を聞いたばかりだと思ったが。
「まぁいいや、ゾロはもうずっとおれと一緒だもんな」
「当たり前だ」
「そういやおれら傷がお揃いんなった! 顔と胸の!」
おれのはバッテンだけど、とルフィが赤シャツの前を開いて自分の胸を眺めるので、ふと目をやったがゾロはやっぱり目線を逸らせた。
「おれ、この傷あんま好きじゃねェんだけど……」
「……ルフィ?」
「ゾロと一緒の時だけ忘れてられそうだ」
でも、本当は片時も忘れちゃいけない。ルフィは解っている。
この傷にはたくさんの魂が詰まってる。
そして誰より救いたかった、あの人の──。
まだまだ消化しきれない想いがこの爪痕にはある。
だから神様はわざとこれを残したのだ。
その胸に、刻んでおけと──。
「でもたまにはいいよな」
不思議そうな顔のゾロをルフィは仰ぎ、にこっと笑ってみせた。
途端ぎゅっと抱き締められて、何故だかちょっとだけ涙が出そうになった。
「ルフィお前、いくつになった?」
「19歳」
「へぇ……。まぁいいか」
「なにがっ?」
何度もキスを繰り返して、頭がフワフワし始めていたところへそんなゾロの質問。
そう言うゾロはいくつだっけ??
ちなみに21歳のゾロは、すっかり赤みを増した船長の白い頬を撫でながら、実は少々前言撤回中である。
なにも変わってねェと思ったが……この色気は勘違いじゃない。
「ルフィ、色っぽくなったな。レイリーはそんなにヨカッタか?」
「へ? なんもよくねェよ! スッゲー殴られたんだぞっ! おれ最初んころ毎日タンコブだらけだった。まあ色んな冒険の話しは面白かったけどな!!」
「そっちじゃねェよ」
「どっちだよ。変な奴」
「ま、いやでもそのうち解るだろ、どんだけ仕込まれてきたか」
「?? 決闘でもすんの?」
ひたすらすれ違い気味の二人だがいずれ熱い夜が訪れるのは、約束されていることだから。
ひとまずまたすぐ邪魔が入るに違いないと、ゾロは再びルフィの艶やかな唇にくちづけた。
(おしまい)