21×19


抜き足、差し足、忍び足。

トレードマークの麦わら帽子を被った船長ルフィが、2階キッチンを出て右、そろそろと右舷デッキを目指し歩を進めていく。極力、足音を立てないように。
右へ曲がれば右舷、左は滑り台。まずは壁にペタリと背中をつけ、慎重に右舷を覗けば……。
そこには一人、海底を遊泳する魚の群れを腕組みで見上げる、隻眼の剣士の姿が。

こっからが勝負だ……!

ルフィはふんと息巻いた。
これは自分の予想が正しいことを証明する勝負なのだ。
草履を脱いで、両手に持つ。
壁づたいに右へ曲がって、そお~っとそお~っと、慎重にゾロに近づいていって。
抜き足、差し足、忍び足……。
うんゾロの奴、やっぱ気付いてねェ。
だって──。


現在、サウザンド・サニー号は、コーティングされた船体で魚人島へと向かっている。
サニー号をすっぽり包んだシャボン玉の向こうは絶景の海の世界。
マングローブの太っとい根っこが真っ直ぐ上へ何本も伸びていて、サニー号の周りや、その根っこの合間を海王類が我が物顔で泳いでいる。
とてもキレーで、ルフィはちっとも見飽きないし、海の中の冒険にワクワクしきりだった。

早く魚人島も見てみてェなぁ~。
ジンベエは元気にやってっかな……。
人魚って言えばケイミーは元気だろうか。あっそうだ、ココロばあさんも!
魚人島料理はやっぱ魚中心か? いやいやそれじゃ共食いじゃん!!

とか何とか、楽しみなことが満載なのだ。とは言え次から次へと楽しみを見つけるルフィである、そうして面白そうなことも。
これはちょっとしたルフィの試みだった。
物音でゾロに気づかれたらおしまい、ルフィの予想は証明されない。盗人のように一歩一歩、相棒へと近づいて行く。

少し上を見ているゾロの横顔は、こうやって左側から見ると2年前とは全く変わっていた。
瞑られた左目と、そのまぶたの中心を通り縦に伸びた斬り傷。
誰につけられたかなど、ルフィは知らない。
ただその代償の分ゾロの強さと自信が増したことくらい、聞かなくても判ることなんだから。

そんなことをほんの数秒で瞬く間に考えながら、ルフィの歩みはさらに慎重になっていった。
抜き足、差し足、忍び足……。

あと少しで、指先がゾロの二の腕に触れる。
そんなとき。

「なんか用か、船長」
「うわっなんでだ!?」
気配は消したつもりだしなんたってゾロの左目は見えないのだ。
それとも見えない振りとか?と慌てていたら、初めてこちらを向いた剣士がにやりと笑った。
なんだかドキドキしてくる。きっと実験がバレたからだ。
「やっぱウマそうだよな、魚」
「え……へ!?」
「で、なんの遊びだ? おれは混ざらねェぞ。釣り勝負ならやるが」
「勝負!? そーいやさっきは止められちまったもんなー!」
「だがあっちで覗いてる二人に見張られてる。殴られるのがオチだな」
ゾロがくいっと親指で自分の後ろを指した先には、ルフィとは逆方向から抜き足差し足でやって来てこっそりこちらの様子を伺っていたウソップの長鼻と、片目だけ壁に隠して丸見えのチョッパーが……。
「ちぇっ、なんだよぉ~~。ゾロあの二人にも気付いてたんかぁ?」
えーー!とか言いながらウソップが姿を現した。チョッパーは現れるまでもない。
「ルフィ! だからおれが言っただろ! 無駄だってェ~~」
ウソップがそれ見たことかと肩を竦めたら、その隣のチョッパーが、
「あ、あのなゾロ! ルフィがゾロの左側から近づいたら絶対見つからねェって言ったんだっ。おれも無駄だって言ったんだけど……」
しゅ~んと肩を落とした。
船医的には、ゾロの左目を診察してみたいのだけれど、どう言い出したものかと迷っていたところへルフィにこの実験をやってみたいと持ちかけられた。本当のところ関心があった。
そしてウソップは、またゾロが刀でシャボンを斬ろうとするのではと、見張りの意味もあったのだ。
「さ、魚釣りは諦めろよゾロ!!」
「そうだぞ余計なことすんな!!」
「わかってるよ。また殴られたらたまんねェもんな。なぁ船長?」
「お? お、おう!!」
ちょっとやる気だったのは隠しておこう。←バレバレでした

「なら実験は失敗に終わったってわけか、ルフィ。そりゃあ残念だったな」
ニヤニヤする剣士はちっとも残念そうではない。
泡島で少しだけゾロの戦闘を見たことをルフィは思いだし、一体どれだけ強くなったのだろうとまたドキドキした。

「絶対ェ左側から近づいたら気づかれねェと思ったのに……。おれ2年ですんげー修行したのによ! ゾロも見聞色鍛えたんか??」
手に持っていた草履を床にペタンと落とし、気も落とし気味に履き直す。
「さぁな。とりあえずおれにもその2年が経過したってこった」
不敵なゾロの表情。それすらも久しぶりで。
すぐにでも会いたくて会えなかった仲間の声を、2年ぶり、初めて聞かせてくれたのがこのゾロだった。
あ~あなんだろーな、無性に抱きつきてェんだけど!!
あんときはくまみたいな奴にジャマされちまったもんなぁ……。

そんな風にルフィがムズムズしていると麦わらの天辺にパスッと重みを感じた。ゾロのでっかい左手がルフィの頭に乗せられたからだ。
「?」
ふと、顔を上げる。
見上げる角度が増した気がする。
それからルフィの顔に影がさし……ゾロの顔がドアップになったと思ったら、その唇が自分のに当たった。

「2年ぶり、いやそれ以上か」
そんなことを呟いてゾロがまたバスバスとルフィの麦わらを叩く。それから「じゃあ後でな9番」とか言いながら、脇を通り過ぎて行った。
「だ、だから9番ってなんだよ!!」
くりんっとゾロを振り返って叫ぶ。
つーか今キスしたか!?
後ろ姿の剣士が右手を刀の柄に引っかけたいつものスタイルで、スタスタと歩いていく。
「後で何すんだ……」
しかし問題がそこではなかったことを、ルフィは背後の二人組を思いだしハタッと固まった。
そろぉ~っと振り返る。

「見てない! 見てない見てない!! な、チョッパー!?」
「うおー! ゾロがルフィにちゅ」
「言うなぁーー!!」
わたわたとウソップがチョッパーを抱え込んで今さら後ろを向いた。
「嘘だ見ただろ……」
ウソッチョの背中にルフィは小さく問いただした。
絶対見られた……ゾロにキスされたトコ。
「み、見てません」
「見たじゃん!! 嘘吐くなっ!!」
そしてあのキスはこの実験に対するゾロの仕返しだ。
あんにゃろ~~!

2年ぶりのキスなのに、あんな、あんな……っ!!

「待てゾロ勝負だぁ~~~!!!」
釣りでもなんでも受けて立つ!!

ゾロ的にはただじゃれつきたかっただけなのだけれど、それをルフィが身をもって知るのはまだもう少し先の話になりそうである。



(おわり)
1/19ページ