短編まとめ

入院患者


 毎日騒がしい繁華街。夜になると笑い声に混じり怒声も聞こえてくる。働き始めた当初はその声にビビっていたが、半年も経てば些細な雑音にしか聞こえなくなっていた。

「先生、あざっした!」
「ちゃんと毎日ガーゼ取替えんの忘れんなよ」
「ハイ! ではアニキに呼ばれてるんで失礼しやす!」

 たった今治療を終えた、腕をナイフで刺されたてここに駆け込んで来た男は深く頭を下げてから雑踏へ消えていった。
 そこら辺のゴロツキ相手に法外な金額をふっかけて成り立っている病院。所謂闇医者。声を荒らげる奴は対応もだが治療もしづらいので、基本お断りとなっている。それが院長の方針。なのでちょっと見た目が怖いお兄さんが多いが、素直に手当を受けてくれるので医者としては良いカモ……いや、良い患者だ。

 見送りついでに外の空気を吸い、患者のいない今のうちにカルテでもまとめておくか、と院内へ入ろうとする直前。視界の端に気になるものが入った。
 ──そんなもの、無視したっていいのに。
 好奇心は猫をも殺すというのに、俺は無視出来なかった。出来るはずがなかった。数々の経験から、きっとまた何かに巻き込まれる気がしても、今見えた、病院着の人物は放っておけるはずがない。

■■■

 人混みに揉まれながら、その人物を追う。土曜日のせいか、いつもより三割増しの人手だ。土地勘はあっても、追っている人物はフラフラとあっちこっちに動いており何処へ向かっているのか検討が付かない。あと少し。あともう少し──
 やっと、腕を掴めた。白く、細い腕。黒く長い髪がうねり、こちらを向くと思ったより若い女性──いや、少女だった。後ろの髪程では無いものの、前髪も長く表情を読み取れないが、きっと驚いているのだろう。咄嗟に掴んだ手を離し、両手を顔の横程まで上げて不審な者では無いですよアピールをする。

「あ──いきなりゴメン。病院着のまま外彷徨いてる人なんてそう居ないから……あーえっと、大丈夫?」
「…………」

 口は噤んだまま動かない。視線を落とすと、裸足である事に気付いた。

「靴……無い、の? ……おんぶはちょっと俺自信無いから……悪いけどそこまで歩ける? 俺んとこまで来たらサンダルくらいは貸して」

 少女はいきなり糸が切れた人形のように、膝から崩れて倒れこんだ。倒れる直前、即座に上半身を抱え込めたが俺の筋力で少女とはいえ人ひとりを数メートル先の病院まで運ぶのはかなりキツい。ということで持っているスマホで応援院長を呼びつける。すぐそこの距離なので五分程で到着し、「急患急患〜」と院長が声を上げながら担架で移動出来たので、ささっと道が開けて合計でも十分掛からず患者を運び込む事が出来た。


「一応クスリやってないか検査させてね〜チクッとしますよ〜」

 少女は気を失ったまま。その間に院長は腕に注射器を刺し、血液を採って手際よく検査機へ入れていった。

「ところで萩中くん、この子どしたの」
「それは俺も知りたいっすよ……病院着のままフラついてたんで捕まえたら急に倒れて……」
「うーん。なんだろうね」

 俺は少女の汚れている足を消毒液で拭き取り、裸足のせいで傷付いた足裏に薬を塗ってガーゼを貼る。しかし足首のだけは強めに拭いても汚れを取る事が出来ない。……これは傷か?

「あ、院長。これ」
「うん?」
「……拘束具の跡っぽくないっすか?」
「ああ、確かに。…………っていうと精神病院からの脱走かね。または薬物乱用で治療中か……どちらにせよ私内科は多少診れても外科のが得意だし。精神科も薬物系も診れないなァ」
「俺だってそうですよ」

 院長は机の上にあったマグカップを手に取り、ぬるくなったコーヒーを一口飲み混む。

「……でもさ萩中くん。経験ってのは必要だと思わないかい?」
「拘束具付けてた入院患者は難易度高すぎだと思いますが」
「キミなら出来るサ☆」
「あ、俺だけっすか。院長もそこは経験積みましょうよ、死なば諸共ですよ!」
「コラ! 金づるを殺人鬼みたいに言わない!」
「患者を金づるって言う方が駄目だと思いますけどねぇ!?」

 言い合いの声が大きかったせいなのか。少女は突然目を覚まし、上半身を勢いよく起こして周りを見渡した。

「ここ、は……」
「ア! 検査結果出たカナー!」
「院長!?」

 恐れおののいたのか院長は検査機のある隣部屋に引っ込んでしまった。医者としていいのか、あれは。溜息をつきながらも、少女の問いに答えるべく、少女のほうを向いた。

「ここは病院。つっても、正規の病院じゃないけどね」
「………………」

 病院という言葉を聞くと、警戒するかのように体を丸めて小さくなっていき、手はシーツを掴んで皺の線が少女に集まっていく。入院していた病院で何かあったのだろうか。前髪の隙間から覗く朱い目は、俺を睨んでいるような気すらした。

「病院名乗ってるけど、実際は治療費としてアホみたいな金額ふっかける詐欺まがいやってる所だから!」
「何を言うんだ萩中くん! 頂いている治療費は正当な対価だ、ちゃんと治療してやってんだからね!?」

 院長がすぐに戻ってきていた。ぎゃあぎゃあと言い合いしている横で、少女は頭を抱えて何かを呟き出した。

「…………病院……また、体、違う……? 変な事に使われて……また追われて……」

 丸めた体を更に小さく丸めていく。まるで何かに怯えるように。次第に呼吸も荒れ、体は小刻みに震え始める。院長はそれを見て一言。

「……鎮静剤でも先打つべきだったかな?」
「起きたの見た瞬間逃げましたよねアンタ」

 とにかく、このままでは危険だ。落ち着かせられるかはわからないが、安全な場所という事を伝えなければ。

「……とにかく、ここは大丈夫だから、ここはキミに変な事はしないよ」
「あの子の為? あ、あの子のために私の身体をまた使うんですか? 協力はします、でも私の体は駄目だって言いましたよね……」
「あの子? 俺達はそのあの子を知らない。だからその……使う? とかもしないよ」
「…………嘘、ですよね。ここは別の実験室とかなんですよね」

 まるで話が通じない。どう説明すれば信用してもらえるのか……いや、今はどう話しても疑心暗鬼になっているのだろうか。そうならばどうしたってこちらの手は無意味になる。

「クスリの反応は出てなかったし、統合失調症ってやつかな……萩中くん知ってる? 確か妄想幻覚を信じすぎちゃうヤツ」
「薬物の線は無いんすね。……まあ病名と多少の症状くらいは」
「結構厄介だぞこれ。まだ躁鬱の方が薬出しゃマシになるけど統合失調症となると薬すら疑う可能性があるからなぁ。毒だなんだ、ってね。人によっては攻撃的にもなる。まあ素人診断だから本当に統合失調症かはわからないけど」
「ほんとそれなんですよね〜」

 そう。先程も言ったが院長も俺も精神科はお門違いなのだ。パッと見そう見えても、実際は違う精神病──別の病気の影響の可能性だってある。例えば脳に腫瘍があって、それが妄想を引き起こしている、とか。
 幸い少女はぶつぶつと呟いているだけでこちらを襲って来たりはしないので良い方……なのだろう。院長と二人してうんうん唸ってると、少女はいつの間にか独り言をやめてこちらをじっと見つめているだけになっていた。

「あ、院長……」
「ん? ああ、落ち着いたかね? ご両親はは、と聞きたいがそれは後にしておこう。改めて説明は必要かな? ここは私戸田寛志が運営している病院だ。病院といっても私は医師免許持ってないので、萩中くん……そこのトゲトゲ青年くんが医師免許持ってるのでそれを利用して一応病院を名乗っている。なので書類上は萩中くんが院長となっているが私が院長なので忘れずに。私は私に逆らったら医療費倍にすると常に患者達に言っているからネ。勿論キミも対象だ! だってここは私の病院! 私の病院のベッドにインしてる! からキミは既に私の患者なのだ!」
「……ちょっと何言ってるかわからない。てかなんか初耳な事聞こえた気がしたんですけど?」
「きーのせい、気のせいだよ萩中くんあっはっは少し喋りすぎてしまったようだね! 本当に気にしないように」

 院長は咳払いを一つすると俺の肩にぽん、と手を添えた。俺は即座にその手をはらった。これは後でかなり詳しく問いただせないといけないな。なんかすんごい面倒な事になってる気がする、俺。
 俺自身の事も気になるが、今は目の前の少女だ。院長の捲し立てるような早口についていけなかったのか固まっていた。手を目の前で振って声をかけてみる。

「……もしもーし……?」
「……! えっと、つ、つまり…………院長さんは犯罪者……」
「そう、合ってる合ってる」
「言い方!! いやまあそうなる、んだけど……そうなんだよな、私犯罪者か……そう言われるとヘコむな……。……ポリスメンに言う? 言っちゃう? ならちょっと懇意にしてるおじさんお兄さん達呼ばせて貰うけど」
「脅迫すな」

 老人のハゲ頭をぺしんと軽く叩き、そんな事しないからね、と少女に向けて付け加えた。少女は意味を理解しているのかしていないのか、わからないが何故か先程より緊張感が緩んだ気がする。

「……あ、あの、私、は……元気なので、お世話になる必要は無い、と思う、んですけど……」
「患者は皆そう言うのだ少女。医者として言うが、キミは少し入院して安静にすべきだ。ほら、裸足で歩いてたから足裏に擦り傷がある。今はベッドに座っているから大丈夫だろうが歩くと痛いぞ」
「え、あ……」

 言われて気付いたのか、足に貼ったガーゼに触れる。

「す、すみません。ありがとう、ございます……」
「ほんじゃ入院手続きしよっか! お名前は? 保護者は? いたら連絡先おせーてね!」
「あ、わ、私は、小鳥遊禊、です……ほ、保護者、は…………」

 入院の際必要な書類を素早く取り出した院長は、尋問のように畳み掛ける。一方少女は名乗りを最後に再び黙りこくってしまった。

「保護者いない感じ? まあいいけど、お代はキミ自身が払うことになるよ」
「………………アール……」

 しばらく間を置いて開いた口からは、何かの暗号のような言葉。それに俺は思わず聞き返した。

「アール?」
「い、いえ。……ほ、保護者はいないです。わ、私がお金払います、でも……」
「一文無しなんだろう? そういう時は後払いも可にしてるんだ、ただし利息は結構つくがね」

 利息とか借金取りなんだよなぁ。思わず口にしそうになったが、手で押さえてなんとか留められた。悪徳業者にもほどがある。

「……こ、ここで働くのは、駄目ですか!?」
「え?」
「た、多少ですが医療知識ある、ので……ここで学ばせてください! 入院費とか、給料から引いてもらって構わないので……!」

 まさかの返答だった。いや、多少知識あるだけで子供に医療従事させるのは──

「いいよ!」
「いいの!?」
「だって人手足りないし。ちょっと派手なケンカ起きた時とか二人じゃ手回らないでしょ? ああ勿論働くのは退院してからね。今は患者だから、治すのに専念しなさい」

 院長は将来有望だなァ、なんて言いながらぽんぽんと少女の頭を撫でている。本当にいいのか? ……もしかしてロリコン趣味あったりする?

「萩中くん、言わずとも顔に出てるよ。私がロリコンとでも言いたいのかね。そんな訳無いだろう、私の好みは峰不二子ちゃんだって知ってるでしょ」
「エッ、あ、ハイ、ソウデスネ……」

 心読まれたのちょっと、いやかなり怖い。そんなわかりやすかったかな、と自分の顔を両手で揉む。

「じゃあ担当医は萩中くん、キミね。退院して面倒見るのも萩中くん、キミね」
「両方俺!?」
「だって拾ってきたのは萩中くんだよ? 最後まで面倒はちゃんと見るように!」
「そんな捨て猫みたいな」
「あ、ありがとうございます……よろしくお願いします!」

 少女は俺と院長に頭を深々と下げた。そんな大した事はしてないけれど、礼を言われるのは気持ちがいい。思わず頬をかくと、新たな患者がやって来て院長はその対応に向かった。

「まあ……しばらくはそこで休んでて。また後で色々聞いたりするから」
「は、はい」

 今来た患者は院長が対応してるし、一旦休憩でもしようかと思ったその時。出入口から院長の大声が響いた。

「萩中くーん! 喘息発作だー! アレ持ってきてアレー!」
「アレじゃわかんないっすよ! 吸入薬なのはわかるけどどれ!?」
「適当に持ってきてー!」
「良くないでしょ!?」

 とりあえず薬の引き出しから、うちに置いてある吸入薬の全種類を一つずつ手に持って院長の元へと向かった。
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