短編まとめ
本日の業務を終え、勤めてる診療所から出ると上司である院長が小走りで近付いてきた。
「待って待って、萩中くん!」
「どうしたんですか?」
「夕飯買いながら萩中くんを見送ろうかなと」
「はあ」
「そんな嫌そうな顔しないでよぉ」
嫌そうな顔をしたつもりは無かったが、どうやら自然と表情に出ていたようだ。院長はこのこの、と脇を小突いてくるので距離を取る。隣に立つのが美しい女性ならともかく、頭部が寂しくなった老人と帰りの道を一部共にして何が楽しいのか。さっさと別れたい一心で足取りを早めるも、路地に人が倒れているのが見えてしまい足を止めた。
「ん? 猫でもいたかね?」
「いや、人……」
近付いて見ると、派手な柄シャツを着た若い男が仰向けになっていた。顔や捲られた袖から覗く腕からは青い痣だけでなく、傷付いて鮮血がついている。脈を確認すれば、しっかりと正常な脈拍が感じ取れた。
「生きてるか、よかった。救急車を──」
「怪我人か。よし、うちへ運ぶぞ萩中くん。手伝いたまえ」
「はあ!? 救急車呼んだ方がいいでしょ、意識無いんですよ?」
「うちの患者にしてがっぽり戴こうじゃないの! ワハハハ!」
院長は手伝えと言ったが一人で男を背負い、診療所へと戻っていく。いつもの、患者を金づるにする魂胆だろう。
「ほら何してるの、萩中くんも来て」
「ええー……残業代頼みますよー……」
金入りがいい時は恐ろしいほど残業代が出るが、普段は出ない事の方が多いので基本定時で俺は帰っている。今日はどうだか──それはこの男の〝職〟によって決まるので、彼の意識が戻るまではわからない。どうかそっち系であれ──と願いながら俺も院長についていき、診療所へと踵を返した。
■■■
「あれ、この子高校生だわ。保険証もちゃーんと持ってる」
「マジっすか……」
ベッドの上で意識が無い男の、怪我している部分を丁寧に手当てしている間、院長は男の持っていた財布を漁って男の身分証が入っていないか確認していた。ほら、と俺に見せたのは学生証。貼られた写真は、今俺の目の前で横たわる顔と同じだ。身長が高い上に体格もしっかりとしているので、成人にしか見えなかったが高校生か。まあ高校生なら成人と見間違えてもおかしくはない。
「──高校、一年……
「一年──一年!?」
「うん。一年ってあるよ」
「最近の高校生コワ~……」
流石に一年生は予想外だった。こんな顔して、数ヵ月前は中学生はちょっと、いやかなり恐ろしい。顔の傷にガーゼを当ててテープで留めていると、男──近藤の腕が僅かに動いた。
「────ってぇ……」
掠れた声が漏れた。痛そうに顔をしかめながら、辺りを見渡して俺の存在に気付く。
「アンタ、何──?」
「医者です。そんでここは一応病院。まだ手当てしてるから動かないでくださいねー」
近藤は大きく溜め息をつくと、再び目を閉じた。
「あー寝ないで、起きててよ」
「寝ねぇよ」
「ならいいや」
「お? 起きたのかい?」
漁り終えたのか、院長がキャスター付きの椅子に座ったままやってきた。
俺は気にせず近藤の腕にガーゼを貼っていく。
「話せるかな? 色々聞きたいんだけど」
「──あんだよ」
「キミ高校生だよね。ここら辺、在学した子が来るような場所じゃないんだけどどうしてここに?」
「なんだっけな……」
そう呟いてしばらく思案すると、思い出したようで近藤は続けた。
「ああ、道でぶつかって──喧嘩売られたからやろうとしたらこっち来いって言われて──」
「ついていったの?」
「ああ。そこで大人数にボコられた」
「馬鹿じゃん……」
つい、思わず言ってしまった。近藤の鋭い視線が俺に刺さると同時に目をそらす。
「名前は言える? あ、コレ診察だから。記憶が正常かの診察」
「……近藤」
「うんうん、大丈夫そうだねー」
「院長、財布ちゃんと返してやってくださいよ」
「返すよ! 信用問題に関わるんだから、患者から盗るワケないでしょ!」
人の財布の中身を勝手に見るのもどうかと思うが。院長はコロコロと椅子を動かして財布を置いた机へと戻り、またこちらへとやってきた。
「何勝手に取ってんだよハゲ、さっさと返──っ!」
近藤はハゲ……じゃない、院長から財布を奪い返そうと上体を起こすと、痛みに悶絶しそのまま固まった。院長は即座に腹の辺りから触診を始める。
「ちょっと前開けますよー」
「いったたた……」
「すごい痣だねー、肋骨やってそうだこれ。レントゲン撮ろうか」
「…………やらないと駄目なやつ?」
「やらないと駄目なやつ」
痛そうにしている所申し訳ないが、なんとか立たせてレントゲンの場所まで歩かせる。部屋に入って撮るだけなので負担はそうかからないだろう。さくっと撮って、ベッドへと患者を戻す。院長がレントゲン写真を見ている間に、俺は大痣が広がった胸部に湿布を貼り付けた。
「ヒビ入ってるよ、しかも二本。こりゃあしばらく通院もいるね!」
嬉しそうに院長は言った。対して近藤は嫌そうに眉間に力が入る。
「通院って言っても近くないとキツイでしょう。えーと、近藤くん? 家はどこ?」
「五個ぐらい先の駅行った所」
「じゃあ近いね、通院決定! よしっ!」
わかりやすくガッツポーズまで決めた。患者の前でそれはいかがなものか。
「五個はそこそこ遠いような……あ、院長、薬──」
「無くていい」
痛み止めの薬が無いとつらいだろう。なのに近藤は断った。本当にいいの? と念のためもう一度聞いたがやはりいらない、と答えた。
「あ、そう。じゃあコルセットだけしておこうか。院長、コルセットお願いします」
「ん? ああそうか、ハイハイ」
胸部を固定するコルセットを持ってきてもらい、着けさせる。
「まーこんなもんかな。さて、生々しい話になりますが、ここは善意でやってるビョーインじゃないんですよ」
「そうそう! ココは個人経営だからね、お金無いとやっていけないのよ。でも保険証持ちなら普通の病院と同じで……」
院長は白衣のポケットから電卓を取り出して数字を打ち「これくらいかな?」と料金を見せた。
「…………十五万? いくらなんでもボッタクリだろ」
「あ、ごめん七割減らさないとだ。ええーっと……」
「いやそれでも高ェだろうが」
「ほら、拾ってきた代とそのコルセット代も含まれてるから、ネ?」
「拾えなんて頼んでねぇ! じゃあコルセットはいらねッ…………!」
「騒ぐな少年。何、分割払いや出世払いにも対応している診療所だ、安心したまえ」
ホッホッホ、と上品そうに笑いながら患者の肩を優しく叩く院長。さながら悪徳業者を見ている気分になる。だがこれが院長の常なのだ。正規の病院ではない為に、ある程度はやりたい放題。なので金も安定して入らない。
「──ッ、じゃあ、出世払いで」
「お? 言ったね? じゃあじゃあこちらの用紙に住所氏名電話番号メールアドレスよろしく」
既に答えを把握していたかのように、バインダーに挟まれた紙とボールペンを即座に渡した。
「ああ、あと学生証出して」
「は? なんで」
「コピー取るから。逃げられたら困るから、ねえ?」
「……チッ」
近藤は舌打ちをしながらも財布から学生証を取り出して、院長へと渡す。院長は嬉しそうにコピー機へと向かい、さっさとコピーを取って学生証を返した。
「うんうん、住所とかも書いたね? じゃあ後は帰って……あ、いやちょっと待って」
書き終えたバインダーを受け取ると、院長は何かを思い出したようだ。机の脇に置いてあるメモ用紙にさらさらとペンを走らせ、一枚取って近藤に渡した。
「ココと萩中くんの電話番号。何か体調おかしかったらどっちかに電話してね」
「ちょっ、勝手に個人情報バラさないでくれます!?」
「主治医なんだからいいじゃん?」
主治医という理由で勝手に渡していいものじゃないだろう。近藤からメモ用紙を奪おうと思ったら、既にポケットに仕舞われて何もできなかった。
「なあ、もう帰っていいんだよな?」
「ああうん、イイヨー! 来週また来てね、お大事に~」
「俺も帰ろ……」
「萩中くん? 片付け終わってないよ」
どうせ今日の残業代は出ないんだ。後は院長に任せると背中で語り、近藤が診察室から出ると同時に改めて帰り仕度をして今度こそと帰路に就く。
駅のホームで電車を待つ列に並ぶと、近藤が前の方に立っていた。家の方向一緒なのかー、などとフランクに声をかけるような度胸も無ければ、一度並んだ列から外れて別の列に移る勇気も持ち合わせていない俺は、見て見ぬフリでやり過ごす。電車がホームに到着し、同じ車両へと流れ込んだ際にはできるだけ距離を取ろうとしたが、今は退勤ラッシュで人の多い時間。個人の意思で動ける余裕はない。流れに身を任せ、どうかバレませんように、バレても無視するタイプでありますようにと願うしかなかった。
最寄り駅に到着し、人混みを掻き分けて電車から降りる。近藤がどこで降りたのか、またはまだ乗っているのかは確認できなかった。だが、これで気にする事は無くなった。小さく安堵の溜め息をついて、改札を出ると真後ろに人の気配があり、咄嗟に振り返った。
「え!?」
「あ?」
反射的に驚いて体がビクついた。後ろには、眉間に皺を寄せた近藤が立っていたのだ。
「え……あ、家こっちなの?」
「違うけど」
じゃあなんでここにいるの? と続けたい所だったが、怪我まみれで恐い顔した不良らしい姿に慄いて会話が途絶える。何か、何か話したほうがいいのか。いや、無視して帰っていいか。数秒無言のまま悩み、帰る事にし歩みを進める。すると近藤はそのまま俺の後ろをついてきた。こんな時間から友人の家にでも行くのだろうか、不良め。そんな事を考えていたが、自宅のアパートまで奴はついてきて、ついには俺の家の前まで来てしまった。
「なんで俺の家まで来てんの!? 帰れよ!?」
「帰りたくねえ」
「帰りたくない、で人の家来ないでくれます?」
「ダチには今日は断られたんだよ。いいだろ少しくらい」
威圧的な顔と自分より高い身長に圧倒され、仕方なく扉を開けて中に入れてしまった。少しと言うのだから、遅い時間だし一時間もすれば帰ると信じる。信じるしかない。
近藤は俺が言う前に、テーブル前の座布団が置いてある所に腰を降ろして、テレビまで付けて寛ぎだした。遠慮という言葉を知らないのだろうか。それでも一応は客人なので、飲み物を準備をする。
「今出せるのお茶しかないんだけど、いい?」
「飲めりゃ何でも」
「じゃあ水になるけど」
「それでいい」
そこまで我が儘じゃなくて良かった。冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出してコップに中身を注ぎ、そのまま出す。
「いってて……ああ、どーも」
「やっぱ薬貰った方がよかったんじゃないの?」
「んなもん無くてもなんとかなる」
近藤は脇腹を押さえながら、水を一気に飲み干して痛そうにしながら息を吐いた。テレビの右下に表示されている時刻を見ると、午後九時前だった。不自然にはならない程度の距離を取って、俺も座ってテレビを眺めながら近藤に話しかける。
「薬欲しくなったらいつでもあの診療所に来いよ。患者なら出してやれるから」
「……ああ」
「てか親御さん心配してんだろ。早く帰れよ」
「だから帰りたくねぇんだよ……」
ああ、なるほど。こんな怪我だらけの姿を見たら誰だって心配する。親に心配かけたくないから、帰りたくないのか。ちょっとは良い奴じゃん、と見直した。
「せめて連絡ぐらいはしたら?」
「さっき泊まってくって連絡した」
「泊まるって……どこに」
「ここ」
近藤は真顔でそう答えた。暫しの間、理解出来ず固まる。ここ、って、俺の家に? 泊まる?
「な──なんでだよ!? 泊まっていいなんて一言も言ってないぞ俺は!?」
「中入れてくれたじゃん」
「イコール泊まってオッケーにはならねえって! 他当たってくれ」
「体中痛ぇしもうこれ以上動けねぇー無理ー」
「痛いなら薬素直に貰えよ……」
だるそうにごろんと床に寝転がるも、体を軽く捻っただけで痛みだしたのかすぐ起き上がった。
「そうだ、夕飯……冷凍があるか。夕飯ぐらいは出してやるから、食べたら帰れ」
「食欲無いからいらねェ。疲れたから寝るわ」
そう言って隣の部屋にあるベッドに入って横になった。
「いやそこ俺のベッド! ちょっ……おい! 寝るなら布団敷くから出ろ!」
「怪我人優先でいいじゃねぇか」
「良くない!」
掛け布団を剥ごうにも、近藤も力強く取られまいと対抗しているため奪えない。それに体の大きさ的にも、怪我人という点からも、ベッドから無理矢理引きずり下ろすという事も出来ない。諦めて空いた腹をなんとかすべく、冷凍庫を開けてパスタを取り出し、レンジで温める。出来上がってからもう一度ベッドを覗くと、近藤は相変わらず眉間に皺を寄せたまま寝ていた。
なんという身勝手さか……親の顔が見てみたい、というのはこういう事か。不良とはいえ、相手は高校一年の子供。起きたらもう少し──いや、もっとキツめに注意をしなければ。幸いにも学生証のコピーを取ってあるのだから、何かあれば学校に連絡するなり警察に言うなりすればいいんだ。そうだ、大人の俺がビビる必要はない。食べ終えたトレーをゴミ袋に入れて、深夜のつまらないバラエティ番組を横目にスマホをいじる。検索トップに表示される記事には、何々県で火災、何々市で殺人。世の中は物騒だ。
そんなような記事を追っていたら、いつの間にか日付が変わっていた。急いで寝支度をして、押入れから布団を引っ張り出す。弟がたまに泊まりに来るので、そのために置いてある布団だがまさか自分が使うとは思わなかった。
灯りを消して、横になる。普段とは違う、低い位置で寝るというのはどこか違和感がある。しかし疲労というのは眠気を誘い、あっという間に眠りにつくことができた。
■■■
スマートフォンのアラーム音で目が覚める。いつもとは違う布団で寝ていたせいか、一瞬自分の家が知らない場所に思えて一気に覚醒した。時刻は午前八時。今日は非番の日だが、ゴミの日なのである程度は早く起きないといけなかったのだ。すぐ横にあるベッドはもぬけの殻で、台所には灯りが点いて物音がしている。
カーテンを開けて朝陽を室内に取り込み、台所の様子を伺うと近藤がトースターで何かを焼いていた。
「おはよう。……何してんの……」
「うおっ、起きてたのかよ。パン焼いてんだよ」
「それ、うちに置いてあったパンだよな」
「ああ。あったから焼いてる」
何故こいつは得意気になっているのだろうか。朝の寝惚けた頭では全くわからない。普通、人の家にある食べ物を勝手にいじるだろうか。仲が良いのならそれはあるかもしれないが、近藤とは昨日知り合ったばかりで、仲が良いも悪いも無い状態だ。その状態で家の物を漁るのはいかがなものかと──
「あ、できた」
音が鳴ったトースターから取り出されたパンの上には、ツナとマヨネーズが乗っており、食欲をそそる良い香りが漂ってくる。二枚焼いていたようで、一枚を皿に取ると俺に渡してきた。
「え、何」
「何って、朝食だよ。泊めてくれた礼」
「お礼なら自腹でやってくれませんかねぇ……」
コンロの側には空になったツナ缶が置かれている。パンだけでなく、ツナ缶まで開けているじゃないかこいつ。まあ作ってしまったのなら食べる他ない。二人してテーブルに持っていき、座って食べる。
何度か食べた、予想通りの味。普通に美味しい。
「今日月曜だけど学校は?」
「あるけど」
「そうじゃなくて、行かないの?」
「まだ痛ェしなー。行けたら行くわ」
「遊びの予定みたいなノリで言うなよ……しばらく痛むのは当たり前なんだから、痛むぐらいで学校サボるな」
「…………うっさ」
「勝手に泊まった癖に文句言うな」
不良の舌打ちに動揺しそうになるも、パンをかじって平静を保つ。家の主は俺だ。大人の俺だ。強く言ったって悪くはない。
食べ終わると皿を奪われ、洗ってくれた。そのまま放置されないだけ良かった──のだろうか。洗い終わると「じゃ、ありがとな」と近藤はそのまま家から出ようとした。
「あ、待って!」
そうだ、ちょうどいい。急いでゴミ袋の口を縛って、近藤に押し付ける。
「今日ゴミの日だから、ついでに頼むわ。階段降りてすぐの所にゴミ捨て場あるから」
「……チッ、わぁーったよ」
嫌そうにしながらも、泊まった恩からか素直に持っていってくれた。
「じゃあなー、二度と来るなよー」
玄関から更に声をかけたが、聞こえなかったのか無視したのか返事は無かった。まあいいか、と部屋に戻り、テレビの電源を付ける。
『──でした。次のニュースです。昨日、K市で再び行方不明者が出たと──』
──ああ、相も変わらず