バレンタインデー/神の証明
バレンタインデー。そんな馬鹿げたイベントに、僕が参加するとは思ってもいなかった。
バイト先のカフェで、要予約バレンタイン限定メニュー(持ち帰り可)を作ったら予想以上に予約が入ったので作るのを手伝って欲しい、と連絡が入った十二日夜。給料が出るというので、二つ返事で引き受けたら本当に予想以上の量であった。
「最近は男性からもチョコを渡すっていうからねぇ。あと自分用だっけ? 女性が渡す、女性から貰うだけの文化がまあ結構変わっちゃったよねぇ」
店仕舞いをし、暗くなった客席を眺めながら店長はぼやき、大量のチョコレートを刻んでいる。並んで飾りつけ用の菓子を開封し、種類ごとに容れ物へ入れている僕は特に返答もせず、ただ聞いているだけ。それでも店長は気にせず続けるのが、この店の日常だ。
「ただいまー! バターに薄力粉ですよー!」
大きな声が空の店内に大きく響く。店員であり、店長のお嬢さんである彼女はいざ作ろう、とした時いくつか材料が足りなかったので買い出しに行っていたのだ。明らかにそれ以外の物が大量に入った、複数のビニール袋をキッチンシンクの上に掛け声と共に重そうに乗せた。
「それ、何ですか」
「マシュマロとココア! 安かったからついいっぱい買っちゃったっ」
「ココアはともかく、マシュマロなんてうちのメニューでは使わないでしょ」
「いいじゃん! これに使おうよ!」
呆れた理由に小さく溜め息をつく。バイトである自分に口を出す権利は無いので、ただただ受け入れるのみ。お嬢さんは冷蔵庫にいくつか物を仕舞うと、手を洗って店長と共にチョコレートを刻みだした。
恐らく、二キロはあるんじゃないだろうか。一日で終わる気がしないが……明日がバレンタインである以上、終わらせる他ない。僕も今やっている作業を終えると、刻み作業に移った。
作っているのはフォンダンショコラとチョコレートプリン。現在フォンダンショコラはオーブンでの焼き上がり待ち、プリンは冷えて固まるのを待っている最中だ。元々はフォンダンショコラだけだったのが急遽、買ったマシュマロも使うということでプリンが追加された。プリンはそれほど数が無いので、我々店の人間だけが楽しむ用として作られた。
「ヒノキくんは誰かにあげないの?」
大量のチョコレートを切り刻んだ疲れを残した休憩中、お嬢さんからの問いかけに思わず顔を上げる。
「いや……僕男ですし」
「お世話になってる人とかあげないのー? 感謝を込めて私にくれてもいいんだぞ? ん?」
僕から女性にあげるなんてしたらどうなる事やら。僕の事を異常に気にかける妹が黙っていられる訳がない。家で作っている所を見れば「誰にあげるの?」「男? 女?」などと質問攻めにあい、買ってきたものならば「ウララも食べちゃ駄目? 自分で食べないの? なんで?」とこれまた質問攻めにあうのは確実だ。
「妹がうるさいのであげるにあげられないですね」
「むむ……そうか。じゃあ妹ちゃんと一緒に作ったら?」
「それはそれで、私も一緒に作ったものを知らない人にあげたくないー、とか言い出すかと」
「そっかぁ……じゃあここで作っちゃえよYOU! 余ってるチョコがそこにあるだろう~?」
ウインクし、ぐっと親指で指した先にはボウルに入ったチョコレートの山。余り物とはいえ店の食材をそう簡単にバイトにあげていいのか。
「あー使うなら使っちゃっていいよ、むしろ使いきって!」
まさかの店長からの一押しが入った。いやしかし、一番の問題がある。僕は簡単な料理ぐらいなら作れるが、菓子は作れない。
「ありがとうございます、でも僕は何も作れな」
「ねえねえこれどう? 簡単だよ! 他の材料もある!」
お嬢さんは食い気味にスマートフォン画面を見せてきた。見てみるとどうやら生チョコのレシピだ。お借りします、と断ってスクロールし作り方を見てみると、確かにそれほど複雑な行程は無く、冷やすだけで出来るのでこれなら僕でも作れそうな気がした。そのまま見て作っていい、というの早速取り掛かった。
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「出来たようです。どうぞ」
小さなプレートの上に並べられたチョコレートの塊。爪楊枝を二本刺し、それぞれに食べて貰う。
「ん、おいしい!」
「へぇ~、こんな簡単に生チョコって作れるんだねぇ……うん美味い。お店出せるよ」
「出せる出せる! あー、これも作ればよかったかも。ほんとおいしい。もう一個いい?」
「どんだけ作るの……そんなにいらないでしょう」
二人から好評を貰い、少し目線をずらす。どうぞ、と差し出すとお嬢さんはまた美味しそうに顔を緩めてもぐもぐと口を動かしている。店長も欲しそうな目線を送ってくるので、もう一つぐらいなら、と爪楊枝を刺す許可を出した。
渡す相手は──まず目の前の二人はこの味見でいいか。後は妹のウララ、居候の実子。最近よく出入りしている事務所にも持っていくか。二人に今の分でいいですよね、と言うとあと三つ食べられてしまったが、そこそこの量が出来たので充分足りるだろう。そして店長は持ち帰る用にとタッパーまで貸してくれた。明日、洗って返さねば。礼と共に別れの挨拶を済ませると、寒さに身を震えさせながら帰宅した。