gloomy glory

次に意識がはっきりと覚醒したのは、路地にあるゴミ捨て場であった。ビニール袋パンパンに入ったゴミ達が良いクッションとなり、しばらくそこに横たわっていたようで身体に妙な臭さが染み付いている。うちいくつか、人間の着物が詰め込まれたビニール袋があったのでその中から適当に取り出し、大変不快ではあるが下界での服を着て他の人間達と違和感無いように着飾った。羽は……左側が完全に無くなり、右側の二枚しか無くなっている。背中の痛みはあれから元からこのような背中であったかのように、一切無い。
まだ残っている羽は人間に見られぬよう形だけ消して、路地から抜け出た。

ぶらつきながら、先程路地にあったゴミと服の山について考える。着心地は案外悪くなく、サイズは若干合わないものの汚れている様子も穴が空いている箇所も無くどうしてゴミと共に置かれていたのだろうか。明らかにまだ着れるのに、勿体無い。こうして不要になったらどんどん捨てていく人間は嫌いだ。


神は慈悲を与えてくれた。
まだ天使として、羽を残してくれている。きっと私が人間を好きになればまた天界へと戻してくれる為だろう。その意図はわかっている。神は簡単に捨てなどしない。大切に、大切に扱ってくれている。こうして生きているのも神の慈悲だ。それをありがたく受け止め……たいが私はどうしても人間が嫌いで、好きになれそうにない。堕ちて早速この出来事があったから余計に。


道なりに適当に歩んでいると、日は落ちて辺りは暗くなってきた。帰路に着く人間達が増えて足音がたくさん響いている。
下界に帰る家など無い私は、人間があまり近寄らない場所を探すと、河川敷の橋の下という格好の場所があった。そしてそこに座り軽く目を閉じた。


次に目を開けると、辺りは明るくなっており目の前には最悪の光景が表れていた。

「こんな所で何してんのろっきゅん」

天使の中でもかなり自由奔放、しょっちゅう下界に降りて遊んでいるという熾天使が異常に近い距離で顔を眺めていた。下界にいるので勿論羽は隠しており、格好も下界にすっかり染まっている。天界では二言三言、会話をしただけで親しい交流はした事が無いのに妙な渾名で呼ばれ不快極まりない。

「なに、その嫌な顔。下界で天使仲間であり、下界の事なら何でもお任せあれ! な俺に会えたんだから喜んでよ~」

ここで会ってしまったからこそ最悪なのだ。このクソ天使は分かっていない。降りすぎて人間に染まりすぎているんじゃないだろうか。
──とそんな軽口を言える相手なら良いのだが、熾天使は智天使である私より上位の天使。むしろ敬っていかねばならない存在なので大変面倒臭い。

「……どうして貴方がここにいるんでしょう。キャナレノ様」
「それ俺が聞いてるんだけど……まあ俺はキミがいるのを見かけたから来ただけ。んでろっきゅんは?」
「ロクサリア、とお呼びください。……私は……神の怒りを買ってしまい堕とされたのです」

嘘を言える人格でもなく、上手く誤魔化す事も出来ないので正直にありのままを話すと、熾天使は目を丸くして驚き、返す言葉が無かったのかしばらく固まっていた。

「……そ、そうなの……え、何したの。結構真面目な印象だったけど、意外とヤンチャだったの」
「違います。変な事はしていません。ただ……人間嫌いが原因というか」

熾天使は驚き口元を手で覆いながら、適当な事を言うので訂正をすぐに入れた。すると嗚呼、と妙に納得し呆れたような表情で見下すように顔を反らしこちらに向けている。

「何でしょうか」
「いや……何でもないよ。てか敬語やめよ? ここに降りちゃえば階級なんて関係ないんだしさ~」
「つまり対等の立場になれ、とおっしゃっているのでしょうか。流石にそれは」
「なれ、じゃなくてなってるの! だってここでは人間と同じように睡眠も食事も必要になってる訳だし、ね?」

確かに、下界へ行くと天使は皆人間と同じような構造となり面倒だが必要事項が増える。それで対等の立場になっている、と熾天使は言うが上位下位の関係は変わらない。複雑な思いもあるが、階級が上である熾天使が言うのだからこれ以上は逆らわず同意し、対等な立場に向ける言葉を放った。

「では、失礼して……。なんでここでもお前に会わなければいけないんだ」
「え?」
「堕ちただけでも最悪だというのにクソ天使で有名なお前に下界で会うとか最悪通り越して死んだ方がマシ。あー早く天界戻りてぇ」
「それ対等どころか下に見てない!? ねえ!?」
「対等だけど? クソ天使に向けるならこれぐらいで対等だろう」
「……ごめん、やっぱ喋りはいつも通りにしようか」
「はい、承知致しました」

対等なつもりでいたが……見下した感じになってしまっただろうか。この熾天使は嫌いすぎてつい本音が零れてしまった。まあそれで普段の敬語でも良い、というので助かったとも言える。普段の言葉使いよりは敬語の方が話しやすいからだ。

「うーん……意外ときっつい事言われてツラいな~……まあ本当の事だから何とも言えないんだけど」
「では、私はこれで」
「待て待て待て、どこに行くの」
「適当に人間観察でもしようかと」
「そんなんで人間好きになるぅ?」

わからない。けれど、少しは人間の事を知る事が出来るだろう。私は今まで生きている人間に目を向けず、死者だけを見て天国へと導いてきた。死者は肉体を無くし、清く尊い存在となっているから好ましい。しかし生者は汚ならしい。生に必死で、無駄ばかり増やし、この世の生物のトップとして君臨し好き勝手自由に環境破壊を行っている。実に汚ならしい。

「人間好きになるには人間と交流していかないと! という事でこのキャナレノ様が色々案内させてあげましょう!」
「はあ」
「ではレッツゴー!」

腕を無理矢理引っ張られ、抵抗しても力が強く無意味。そして決まった行き先もなく熾天使に付いて行くしかなかった。

■■■

辿り着いたそこは寂れたカフェであった。熾天使は馴染みの店なのか、店員と目が合うとああ、と笑顔になって席へ案内された。長年使い古されたであろう、木製の椅子に座るとギシギシと音を立てている。テーブルは最低限の衛生面を保って綺麗にはしてあるが、年季が入った色合いが少々不潔に思えてしまう。

「どお? いい雰囲気のお店でしょ?」

熾天使はニコニコと語りかけるが、店内の様子だけで気に入る要素は一つもない。正直に感想をぶつけたい所ではあるが、万が一それが店員の耳に入って対応が雑になるのではと思い、返答はせず店員の置いていった水に無言で口を付けた。
熾天使は何も返ってこない、とわかると口を尖らせ脇に立っているメニュー表を開いてこちらにも見せながら、注文どうする、と聞いてきた。気になる物は無かったので熾天使に任せる、と言うとすぐさま店員を呼びつけ注文をしていた。

「アイスティー二つとオムライスとハヤシライス、お願いね」
「…………はい、かしこまりました。少々お待ち下さいね~」

店員はメモを取ると厨房へと入っていき、五分もしないうちに飲み物が先に運ばれてきた。アイスティーには紙製のスティック状のモノと、小さな白いプラスチックの入れ物が共に付いてきている。熾天使にこの二つを聞こうと顔を上げると、既に封を開けてグラスの中へ入れていた。

「どした?」
「……いえ、何でもありません」

様子を見るに、白いプラスチック容器のものを入れると色が変わったのであれはミルクであるとわかり、紙製のスティックからは白っぽい粉が出てきていたので砂糖だろう。お茶には余計な物を入れて飲みたい、とは思ったことがないのでそのままストローに口を付けて味見をしてみた。……ごく一般的な、否、低俗な安い味がする。これなら水を飲んでいた方がマシだ、と顔をしかめると熾天使が反応してきた。

「ありゃ、お口に合わなかった? 紅茶なら無難に美味しいと思ったんだけど」
「私は好みませんね、こういう味は……」
「砂糖とミルク入れてみたらどう?」
「入れない派なのでご遠慮します」
「あっはい……」

それからは話す事が無いのか、気を使ってなのかは分からないが熾天使は黙って長方形の機械を取り出し、指を忙しく動かしている。一人の世界に没頭しているようであったし、それほど興味を持つ物でもなかったので、時折水を飲みながら料理が運ばれて来るのを待っていた。

「お待たせしました~」

店員がハヤシライスを持ち上げると熾天使は私の方へ手をかざし、ハヤシライスは私の目の前へ置かれた。消去法でオムライスは熾天使の前へ。

「俺さ、ここのハヤシライスが一番好きなんだよね。だから是非食べて貰いたくて。オムライスも二番目に好きだからこっちも味わって、シェアして食べようぜ」
「しぇあ」

聞き慣れない言葉に思わず反復し答える。いや、意味は「共有」と分かっているのだが、出された食べ物を共有して食べる、というのが理解出来なかった。

「そ、シェア。半分ずつ、って言えばいいかな?」
「……他人の口が着いたものは不潔では?」
「俺は全然気にしないけど……ろっきゅん潔癖症か~。残念」
「ろっきゅんではなくロクサリアとお呼びください」

しゅんとした顔でスプーンを手に取り、オムライスを口へ入れるとたちまち表情は緩く阿呆らしいものへと変貌していった。自分も、とスプーンを取ってハヤシライスの一部を軽く混ぜて口へ運ぶ。ほのかな野菜の甘みと肉の油が良い味をしており、微かな酸味が鼻を通って実に心地良かった。想像以上の美味さに思わず目を見開き、二口、三口とどんどん腹の中へとかきこんでいった。
するとあっという間に皿だけとなり、完食していた。ハッと我に返り、熾天使を見るとオムライスはまだ三分の一ほど残っており、にやにやと気持ち悪い笑みを浮かべている。

「お腹空いてたんだねぇ」
「……そのようですね。自分でも気が付きませんでした」

目線を脇に置いてある紙ナプキンに移し、一枚取って口元を拭く。夢中になって食べるなど、子供のようで少し恥ずかしくなり頬が熱くなった。水を飲んで冷やそうとするも、一口分も残っておらず仕方無く残っていた氷を口に含んだ。

「あ、水──」
「大丈夫です、これ以上はいりませんので」

ぼりぼりと氷を噛み砕き、平静さを取り戻す。

しばらくして熾天使も食べ終わり、会計を済ませ再び外へと出た。

「奢ってもらってすみません。まさか手持ちの金銭すら消えていたとは思わず……」
「いいっていいって、向こうとこっちじゃお金違うからどちらにせよ俺の奢りだったね」
「そうでしたか……どうしましょう」

金というものはどこでも必要だ。天界であっても、金銭のやりとりはある。しかし天界では天使、として居るだけで職に就いているようなものなので、暮らしに困らない程度の金は常に手元にあった。下界では天使という職は無く、金を手にするならば肉体労働をしないといけないという事だ。下界の事なぞ全く知らないのでどう職を探し、どう就けば良いのかすらわからない。それに、住む家も無い。雨風凌げて横になって寝られる場所があればそれだけで良いが、そのような場所がそこら辺にあるとは思えない。

「別に返さなくてもいいよ、これくらい」
「あ、いえ、そうではなく……これからどうしようかと」
「あーそっか、いきなり落とされちゃったから家も何も無いのか……じゃあうち来る?」
「は?」

反射的に理解できない、受け入れ難いという心情を込めた一音が漏れ出てしまった。熾天使はそんな事を一切気にせず、更に続ける。

「部屋はそんな広くないけど二人住むぐらいなら全然苦にならないと思うし…ね? 是非おいでよぉ……あ、まず見に来る? 来るよね? よし行こう」

再び腕を掴まれ、無理矢理熾天使の下界の家へと連行された。
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