小話

-源の雨 1-


 彼を見ていると兄の姿を思い出す。
 見た目は勿論、科学者の真似事をしているのが兄を追っているようで。それが彼の望みならば、俺は応援するしかない。例えオレを滅ぼした研究であっても。


 黒い髪に紅い瞳。普段は研究室に籠りっぱなしで、肌は通年白い。たまには一緒にフィールドワークでもどうだ? と誘っても、兄はフィールドワークよりこちらが得意だから、と遺伝子の研究を行っている。
 黒い髪に紅い瞳。弟のオレは、フィールドワーク担当で主に烏を見ていた。そのお陰か兄よりも健康的な肌の色で、筋肉もまあまあついていた。

 兄には、一人息子がいた。名前はクロウ。なんでも、烏の研究を主に行っているからCrowカラスと名付けたらしい。安直というか、考えなさすぎというか。子供にそんな名前はどうかと思ったが、同じ研究者である兄の妻──クロウの母は、いい名前ねと肯定までしていた。夫婦揃って馬鹿だ、と思ったが兄に怒られるので口には出さなかった。まあ、このネーミングセンスの無さは親譲りなのかもしれないが。
 研究所を家としていたので、研究所内では頻繁にクロウに会っていた。それはもう赤子の時から今に至るまで。子供の成長ってのは早い。ちょっと顔見なかっただけで、兄そっくりの顔付きになっている。歩くことを覚えたらそれはもうあちこち勝手に歩いて、一度外に行ってしまったのではないか、と大騒ぎになった事がある。研究所内をくまなく探してみると、休憩所のソファの上ですやすや気持ち良さそうに寝ていた。呑気なもんで、当の本人は忘れてやがる。いや、そんな小さい頃の事覚えてなくて当然か。
 クロウは将来、父のような科学者、研究者になると常に言っていた。小さい子供からすれば、立派な職業に見えたのだろう。だが現実は違う。戦争に使われるはずだったキメラの研究を行っているんだ。“戦争は終わった”のに。クロウが生まれる一年前だったか。それぐらいに戦争は終わった。そしてオレ達、遺伝子の研究者はキメラではない他の研究に移るはずだったが──お国から、キメラの研究は止めるな、とお達しが来たのだ。理由は不明。兄はキメラの研究に没頭していたので、逆に良かったのだろう。ますますのめり込んでいった。


「レイニ。人と動物、どちらにも成れるキメラを作るのはどうだと思う?」

ある日、一緒に昼食を取っていると兄からそんな事を言われた。

「いいアイディアだと思うけど、どちらをベースにするのかで色々変わりそうだな」
「ベース……魂のベースか? それなら人間だ。動物が主になったら、会話が通じなくて困る」
「そういう意味じゃ……まあいいや。喋れる動物もいるんじゃない? 烏は頭いいし、実は喋れる声帯がないだけで、人間の体を持ったら喋ったりして」
「確かに。ふむ……ちょっとそれで考えてみよう」

 適当に言ったつもりだったのに兄はかなり真剣な顔をして、皿に残るおかずをよそにして研究室へと戻っていく。あまりの行動の速さに呆気に取られたが、腹が減ってはなんとやら。その日は兄の分の昼食も頂いてしまった。
 昼食を終えると、オレはオレの研究室──烏のいる森へと足を運んだ。俺が来るとカアカアと鳴き声を上げて寄ってくる。今度はこいつらが昼食の時間だ。餌を撒くと一斉に飛び付いてきた。

「ごめんごめん。遅れちゃった」

 声に振り返ると、中年の男性が小走りに掛け寄ってくる。オレと共に烏の世話をしながら、研究をしている人でオレの上司だ。

「オレもさっき来た所なんで」
「そうか。ところで所長から話は聞いた?」
「どういう話ですか?」
「明日からカラス達の健康診断をやりながら、何羽か使うらしい」
「へえ……って、もしかしてここにいるカラス全部……?」
「健康診断は全部」

 平然と上司は頷いている。なんて事を考えているんだ所長は。ここにいる烏は百を超えている。健康診断なんか一日に出来て十羽だ。最低でも十日はかかる作業。思わず目眩がした──ような気がして頭を押さえる。
 上司はというと、やってりゃすぐ終わる! と他人事のように笑いながらオレの背中を叩いてきた。烏が慣れている人間はあんたとオレだけ、つまりこの二人で行う作業だというのに……どうしてそう楽観的にいられるのか。オレには理解できない。

 午後の仕事を終え、研究所に戻るとクロウが飛び付いてきた。

「あしたのおてつだい、おれもやる!」
「明日の……? え、まさか」
「うん! とーさんいいって! からすと仲いいと、やりやすいって言ってたから!」
「あいついいって言ったのかよ……いやでも危ないって。ダメダメ」

 こんな小さな子供まで使うなんてあり得ない。確かにクロウはあそこの烏達と仲がいいが、それとこれとは違う。明日行うのは健康診断の為の“捕獲”。普段は大人しい烏でも、捕らえられるとわかると凶暴になる奴は当たり前にいる。我が兄よ、いくらなんでも野生の烏を舐めすぎではないだろうか。足元でやるやる駄々をこねる黒髪を撫で、待ってろと言い聞かせて兄のいる研究室へ向かった。

「兄貴! 子供に何やらせようとしてんだよ」
「いや、クロウに聞かれてしまって。やりたいっていうもんだからつい」
「つい、でオッケー出していいもんじゃないからな!?」

 だらしなく目元と口元が緩んでいる。大馬鹿で親馬鹿。義姉にも許可を取ったのか問い詰めると、取っていなかった。いや、仮に良いと言っていてもこれは止めていた。

「大丈夫だよ、クロウは俺の子だ。ついていかせるだけならいいだろう?」
「あのな、普段と違って捕獲するんだぞ? もし烏に怪我させられたら誰が責任取るんだよ。オレだろ」
「じゃあ俺も行こう。それなら親である俺の責任だ」
「マジかよ…………」

 あんなに外に出たがらなかった兄が、息子となるとこんなに行動力が出るのか。少しだけあの子供に負けたような気がして、どこか寂しい気持ちになった。




次の日。今にも雨が降りそうな曇天。雨が降りだしたら捕獲作業はやめて、いる分だけで健康診断を行うということになった。
作業は勿論オレ、上司の二人。兄とクロウは端の方で遊んでいる。

「外で見る所長はなんだか新鮮だなぁ」
「オレも子供の時以来に見ましたよ。兄貴が外に出てるの」

 表情筋が死にながらも、兄とクロウの姿を目で追う。烏達は普段見ない人間を見たからなのか、少々騒いでいた。烏の名前を一羽ずつ呼んで、近くに来たのをすぐに捕まえる──のではなく、撫でていつも通り、いつも通りに接して油断している所を捕まえ、ケースに入れる。一羽捕まると異変に気付き、羽ばたいてその場から逃げる烏や威嚇してくる烏、マイペースでそんな事気にしない烏など様々な反応を見せた。
 そうして悪戦苦闘していると、クロウが一羽の烏を抱えて兄と共に寄ってくる。

「ゲンがね、すぐきてくれたよ!」
「気難しい奴なのに……クロウは好かれてるんだなぁ」

 ゲンは群れになかなか馴染めず、一匹狼ならぬ一匹烏になっている烏だ。人には慣れてはいるものの、髪の毛を引っ張ったりつついてきたりとちょっかいを出すのが好きらしい。それだから群れから外れるんだろう、と思うが烏であるゲンに言っても伝わる事はなかった。
 そんなゲンが、クロウの腕の中で動かず、大人しくしている。もしかして調子が悪いのか、と触っても無反応。気味が悪い。ふと兄を見れば、兄はすごいだろう俺の子は。と言わんばかりの親馬鹿笑顔であった。

 幸いにも雨が降る前に一日のノルマ分は捕獲でき、健康診断もスムーズに進んだ。終えた分はすぐ森に戻す予定ではあったが、思った以上に雨が強いので弱まってから戻す事に。その間、クロウは烏達と遊んでいた。その光景を兄と少しだけ一緒に覗いていたらぽつりと呟いた。

「あの子はゲンと合いそうだ」
「結構仲いいよなぁ。今日のは本当にびっくりしたよ」
「それもあるが……遺伝子が合っている」
「……? どういう意味?」

 答えられる前に、他研究員から声がかかり兄はその場を離れた。
 ────嫌な予感がする。しかし続きを聞くのは怖くて、聞くに聞けず数日が経った。


 どこか引っ掛かるものを感じながらも、普段通りに仕事をしていると義姉から話があると呼ばれ、休憩所にて二人っきりになる。椅子に腰掛けると飲み物を淹れましょうか、と言われたがそれは断り、早速話を始めた。

「レイニさん、夫から聞きましたか?」
「えっと……何をでしょう」
「クロウの事です」

 胸騒ぎがした。冷や汗が出てきた。呼吸が荒くなりそうだった。鼻から大きく息を吸い、大きく息を吐く。

「……聞いてませんね。何かあったんですか?」
「そうでしたか……では、“家族”として話しておきます。夫は、あの子をキメラの実験に使う予定でいます」

 ああ──やはりそうか。心臓が張り裂けそうなほど叫びを上げている。頭を押さえ、冷静に、冷静に。瞼を閉じて、大きく息を吐いて、思考を整える。顔を上げて義姉を見るとオレとは違って実に落ち着いているのが少し不気味だった。

「……家族として、母親としては反対です。しかし、私も研究者。やりたくないと言えば嘘になります。だから私は彼の研究の協力をしたいと思っていますが……」

 目を伏せてそう言う義姉は、どこか悲しそうでもあった。俺の兄、義姉の夫に逆らえるとか、逆らえないとかではない。研究者としての“さが”が、家族の愛情よりも上回ってしまっている罪悪感があるのだろう。だから誰かに反対して止めて欲しかった。特に、家族・・であるオレに。
 落ち着いているのは、クロウを使ってしまうという覚悟が決まっているから。そんな覚悟を、母親がしないといけないなんて。胸が、苦しい。

「──オレは研究者としても、家族としても反対です」

 一瞬、義姉の表情が明るくなった。その言葉を待っていたと言わんばかりに。

「義姉さんの気持ちもわからなくはないですが……やっぱり俺は反対です。子供を使うなんていけない事じゃないですか」
「……レイニさんは知らないんですね」

 表情がまた曇った。何だ? 義姉は重たそうに口を開く。

「他の研究所では、子供を実験に使うことは当たり前なんですよ。使わないここが、珍しいぐらいに」

 ──────は?
 理解が出来なかった。オレはこの研究所しか知らない。でも、そんな。子供を使うのが当たり前? いいのか。国は許しているのか。嘘だろう。そんな事あってはいけないだろう。驚きが徐々に怒りに変わる。やるせない気持ちを拳で握り締め、テーブルを殴った。

「夫も初めは子供を使うのを毛嫌いし、烏など動物中心の今の研究体制になったんですって。しかし他研究所の視察や講義で影響を受けて、“使ってみたい”という気持ちが芽生えたそうなんです。私は元々他の所に居ましたから、そう抵抗はないのですけど……ね」

 そうだ。義姉は異動でこの研究所に来て、兄と出会い、結婚に至った。抵抗がない──つまり、慣れている。恐ろしい事だ。戦争に使う予定だったモノが、子供だなんて。あり得ない、あってはいけないだろう!

「……話は以上です。レイニさんの意見、夫には私から言っておきますね」
「いや、オレが言うんで大丈夫です」

 今すぐにでも言わないと気が収まらない。義姉の声が耳に届く前に、俺は立ち上がって休憩所を後にした。

 兄はいつもの研究室にいた。足早に近付いて胸ぐらを掴み上げる。

「おい、何考えてんだよ」
「ど、どうしたんだ急に」
「他の研究所で子供使ってっからってここでも使う気なのかよ!?」
「待て、落ち着け。場所を変えよう」

 ふと周りの目線に気付く。他の研究員もいる事を、頭に血が上って気付いていなかった。乱暴に掴んだ手を離し、兄の言う通り移動する。兄にそのまま着いていくと、研究所の外であった。

「クロウを使う事、聞いたのか」
「ああ。……あんなに可愛がってたのに。罪悪感とか何も無いのかよ」
「確かにクロウは可愛い我が子だ。でも、俺を尊敬しているんだ。実験に使われる事だって本望のはずだ」
「死ぬかもしれないだろ」
「俺の実験に使われるんだ。それだけでも嬉しいだろう。烏を捕まえるのを手伝うといった時のあの顔。喜ばないわけがないだろう!」

 なんだ、この変な自信は。ここまで兄がイカれているとは思っていなかった。どこで狂ってしまったんだ? 以前はこんな人ではなかった。義姉はまだ人としての良心が残っていたので、影響を与えたとかそういうのはしていない。
 ────他の研究所。そんなに魅力的なのか。子供を使う研究というのは。

「オレは絶対にそんな事させない」
「どうして? 研究が進むんだぞ」
「どうして……? 子供を、それに我が子を使う実験だぁ!? オレにとっちゃ甥だぞ? 許せるわけないだろ!」

 振り上げそうになる拳を必死に押さえているというのに、兄は気付かない。何もわかっていない。

「ううん……しかし他の子供といっても、連れてくるのがなぁ」
「なんで子供なんだよ。他の子供でもよくねぇよそんな実験」
「…………ああ、大人でもいいな!」

 兄の間抜けな発想に口が半開きになる。そういう事じゃないだろ。

「そうだ、ゲンの遺伝子はお前とも合いそうだったんだよ。どうだ?」

 ──────オレまでも、実験材料。研究、研究、研究。研究の為なら何でも使う。そうしているうちに人としての心も、道徳も、何もかも消えていて。本物の“研究者”に成っていた。人を辞めた研究者に恐ろしさは無く。探求心に従う奴隷。

 この研究者は、とっくに兄ではなくなっていた。


「────クロウを実験に使わないって約束するなら」
「そうか。じゃあよろしく頼むよ、レイニ」

 かなりの間を置き答えたにも関わらず、研究者は気持ちいい笑顔でオレの肩を叩くと研究所へ戻っていった。
 空はまた、あの時と同じ曇天であった。
1/5ページ