いじわるな男


 「よう、ジュミョン」
 「オ、オ・セフン!なんでお前がここにいるんだっ……!」
 うららかな春、校舎に植えられた桜の木から薄桃色の花びらが舞い散る高校の入学式の日、誰も知り合いがいないはずのこの場所で、ジュンミョンはまさかの人物に出くわした。同級生である目の前の男が、紛れもなく自分と同じ制服を身に纏っているのだから、新入生であることは聞くまでもないのだけれど、わが目を疑ってしまう。セフンとジュンミョンの偏差値はかなり違っているはずで、高校が同じになるわけがなかったからだ。
 「なんでって、俺もここに入ったからに決まってるだろ。また3年間よろしくな」
 「う、嘘だろ……」
 「じゃあな〜」
 棒立ちになって固まってしまったジュンミョンを置いて、セフンはしたり顔で入学式が行われる体育館の方へすたすた歩いて行く。
 ジュンミョンは、遠ざかっていくやたらと大きな背中を茫然自失と眺め、しばらくすると肩を落として大きなため息を吐いた。
 セフンは、小学4年生の頃に都会からやってきた転校生だった。地方の子供たちにとって、都会からやってきた少年は羨望の対象で、注目の的である。
 セフンは、いつも人に囲まれていた。最初はただの興味半分で集まっていた子供たちも、見知らぬ土地で見知らぬ子供たちの中に混ざろうが物怖じせず堂々としているセフンとすぐに友達なった。おまけにセフンは、運動神経もよく、見た目もカッコいいとあって、女子からの人気まであっという間に獲得してしまった。
 そんな人気者のセフンを悪く言う子は誰もいるはずがない。だがジュンミョンは、セフンが苦手だった。はっきり言ってしまうと、嫌いだった。なぜかって?それは、セフンにいじめられた記憶しかないからだ。まず最初の印象から最悪だった。
 「なに読んでんだ?」
 教室で、大好きな児童文学を夢中になって読んでいたとき、セフンに声を掛けられて顔を上げた。もうその時点で、ジュンミョンの手元に読み耽っていた本はなかった。セフンがジュンミョンから取り上げた本の開いたページを、ふーんと、まじまじと眺めている。
 「かっ、返してよ!」
 ジュンミョンは比較的大人しい子供だった。休み時間は、外に遊びに行くよりも、本を読むか、仲の良い友達と話したり、教室の中でできる遊びをして過ごす。ときには勉強を教えてほしいと請われて、クラスメイトにレクチャーしたりもしていた。
 セフンが転校してきたその日も、他の子供たちが珍しがってセフンの元にわらわら集まる中、人見知りのジュンミョンは一人静かに本を読んでいた。だけど牧歌的なクラスで、そんなジュンミョンを揶揄う子は一人もいなかった。むしろ優等生のジュンミョンはみんなから一目置かれ、頼られる存在だった。
 「やーだよ」
 セフンは本を持った手を高々と上げた。図書館で借りた大事な本が、セフンの手の中でパタパタと揺れる。ジャンプして取ろうとしても、セフンも飛んだり、右へ左へ動くので、到底取れやしない。
 ジュンミョンは、あんまりセフンがしつこくいじわるするので、つい泣きそうになった。ずっと平和な毎日だったのに、こんなことされたのは初めての経験だった。
 ジュンミョンは飛ぶのをやめた。すると、セフンもどうしたんだ?と怪訝な顔をして動きを止める。
 ジュンミョンは涙のたまった目でセフンを睨みつけた。必死に堪えようとするけど、今にも涙がこぼれ落ちてしまいそうだった。それを見たセフンは、目を見開いて驚き、しどろもどろになって上擦った声でしゃべりだした。
 「あっ、えっと……あの、あのさ、おれ……」
 セフンはまだ何か言いかけていたけれど、そこで始業のチャイムが鳴った。ジュンミョンは、チャイムに気を取られてだらりと下がったセフンの手から本を奪い取ると、涙を腕で拭いながら「席に戻りなよ」と、セフンに背を向けた。
 セフンの席は、窓際のジュンミョンの席からいちばん遠い廊下側にある。教室に先生が入ってきて、他の生徒たちもバタバタと席に戻る中、セフンは肩を落としてとぼとぼと席に戻っていった。ジュンミョンは、そのバツが悪そうな態度に、そう思うなら最初からやらなければいいのにと、ますます腹が立った。
 それからしばらくよっぽと悪いと思ったのか、セフンはジュンミョンに話しかけてこなかった。
 だから安心していたのに、ある日の休み時間、前の席の女の子に勉強を教えてあげているときだった。うしろから何かが肩に飛んでくることに気がついてジュンミョンが振り返ると、セフンがうしろの席に座っていた。あの日から今日までの間に席替えなど行われていないので、当然彼の席はここではない。セフンは、他人の席で、他人の消しゴムを使って、せっせと消しカスをつくってはこちらに投げつけているようだった。
 「なにしてるの?やめてよ」
 「別に、なんもしてないけど」
 むっとして窘めると、なぜかジュンミョン以上にぶすっとしてこちらを見もしない。怒りたいのはこっちの方なのに、意味がわからなかった。
 「消しカス投げてきてるだろ」
 「たまたま当たったんだよ」
 もうこんな奴ほっておこう。ジュンミョンは、また女の子に続きを教え始めた。すると、また肩に当たる消しカス。
 「だから、やめてってば!」
 今度はそっぽ向いて完全に無視される。もうほんとうに頭にきて、それから2、3度また肩に飛んできたが、ジュンミョンは相手にしなかった。
 それからもなぜかセフンは、ジュンミョンにまとわりついて揶揄ってきたり、ちょっかいかけてきたりし続けた。ずっと嫌われているのだろうと思っていたのに、同じ中学に上がってすぐの頃、道端で他校の先輩に因縁つけられて絡まれたときは、たまたまそこに居合わせたセフンが、助けてくれたことがあった。
 ジュンミョンが素直に礼を言うと、いつもの気勢はどこへやら、ぼそぼそと「別に」とそっけなく言ったきり横を向いてしまう。そのとき髪からのぞいた耳はほんのり赤く染まっていた。
 もしかしてセフンって案外いい奴なのかも?なんて見直しかけたが、また翌日にはいつも通りジュンミョンを揶揄ってくるのは変わらなかった。
 それでも助けてもらった一件からジュンミョンのセフンに対する印象は格段に良くなった。
 セフンとの相変わらずの小競り合いは、周りの人間からすれば『仲良くケンカ』しているようにしか見えないらしく、中学のクラスでは、セフンとジュンミョンのそれが名物になったりもして、それきっかけに友達の輪が広がることさえあった。いつしかジュンミョンもセフンのことを大嫌いとは思わなくなっていた。——かといって大好きなんてとんでもないのだけれど——そんなよくわからない間柄ながら小中とずっとセフンと一緒だった。
 進路を決める時期を迎え、成績の良かったジュンミョンは偏差値の高い高校を迷わず選んだ。その頃には、セフンとなんだかんだいつも一緒にいる仲になっていたが、お互いの進路を話すような間柄ではなかったから、どこに進学するかは知らなかった。でもまさか、よく赤点を取っていたセフンが、ジュンミョンと同じ高校に行くとは当然考えもしていなかったのだ。

 高校2年になった今も、ジュンミョンは毎日セフンと顔を合わしている。
 偏差値の差があるはずのセフンと同じ高校になったわけは、すぐにわかった。
 ジュンミョンの通う高校は科によって偏差値が違う。セフンは偏差値が低い方の科に入学したのだ。
 だがそれでも、ジュンミョンが知るかぎり中学の頃のセフンの成績で合格は厳しかったはずだ。ジュンミョンが知らないところで、セフンは相当勉強を頑張ったらしい。
 それにしても、科が違っているのに、毎日毎日休み時間の度にジュンミョンを訪ねてくるなんて、よっぽど暇なのか?それとも友達がいないのか?なんて、心配になってくる。だって昼食まで毎日ジュンミョンのところで食べているのだ。小学校のときは各自の決められた席で給食を食べるスタイルだったから別として、昼食が弁当になり席を移動して食べるようになった中学の頃でも、昼は互いに別のグループで食べていた。それなのに今では昼食のときもべったりジュンミョンの隣にいる。
 もうここまでくれば——なんだか不服ではあるけれど——友人と言っても差し支えないだろう。けれど、いまだに揶揄ってくるのは変わらないし、つっけんどんな態度も相変わらずで、わざわざ教室を移動して休み時間を減らし、クラスメイトとの時間を削ってまで、一緒にいたいと思うほど、自分が好かれているとはとても思えなかった。
 「セフンさ、毎日俺んとこ来てるけど、そっちの友達はいいの?」
 食堂で買った焼きそばパンをもそもそ口に含んでいるセフンに、ジュンミョンは改めて問いかけた。
 1年のときはもうしょうがないとして、もう2年になった。ジュンミョンのところにばかり来ていたら、新しいクラスで友人関係を築いていけないだろうと、腐れ縁の男には余計な世話も焼きたくなる。
 セフンは紙パックのコーヒー牛乳のストローを音を立てて豪快に吸うと、ぎろりとこちらを見上げた。
 「何度も言ってんだろ。別にいいんだよ。お前揶揄ってる方がおもしれぇし……それとも、ジュンミョンは嫌なのかよ、俺がここに来んの」
 セフンは少し口を尖らせて、ぷいっと横を向く。怒らせたかと思ってヒヤッとしたが——なんでヒヤッとしなければならないのかと自分でも思うが——その横顔は怒っているというより、気のせいか寂しそうに見える。
 一体、なんなんだこの男は。だいたい揶揄うのが面白いってどういうことだよ。
 ジュンミョンはむっとしかけて、そうだと思いつく。いつもいつも自分を揶揄ってばかりくるこの男に、たまにはやり返してやらなくちゃいけないんじゃないか。だいたい本来やられっぱなしは性に合わないのだ。
 ジュンミョンは目を細め口角をニイッと上げると、机に腕をついて手を組んだ上に顎を乗せ、セフンの目を下から覗き込んだ。
 「ふーん、そんなに俺のことが好きなんだぁ。揶揄ってくるのだって俺が好きだからなんじゃないのー?この天邪鬼」
 ボボボボボボ。カァーッ。プシューッ。これが漫画の一コマだったら、セフンの顔の横にそんなオノマトペが添えられて、おまけに湯気まで立っていたに違いない。
 セフンは目を点にして、顔を真っ赤にして固まってしまった。
 「え…?」
 あれ?と、予想外の反応にジュンミョンの方が戸惑ってしまった。てっきり、そんなわけないだろ!とかなんとか怒りだすかと思ったのに……。まさかとは思っているが、一応冗談ぽく尋ねてみる。
 「まさか図星だったr……」
 「うっ、うるせぇっ!馬鹿!ばーか!俺もう帰るからなっ!」
 セフンは、大きな音を立てて椅子から立ち上がると、そのまま教室を出て行ってしまった。廊下を左に行って……って、それ反対じゃないか?あ、ちゃんと右に戻って行った。
 なんだったんだ、あれ…… まさか図星……?いや、まさかな。そんなわけないない。あのセフンだぞ???
 「くっくくくくっ」
 ぽかんと口を開けていたジュンミョンのうしろから押し殺したような笑い声が聞こえきて振り向くと、クラスメイトのド・ギョンスが、机につっ伏して肩をぶるぶる震わせて笑っていた。
 ギョンスがこんなに笑うなんて珍しい。ジュンミョンはギョンスと席が近くなったことをきっかけに仲良くなったのだが、ギョンスは群れるタイプではなくて昼食も一人で食べるし、口数も少なくて、笑ったところなんてほとんど見たことがなかった。それなのにこの大笑いである。
 「面白いな、お前たち……っていうか、あいつ」
 「あいつって、セフンのこと?」
 「うん。ずっと面白いと思ってたけど、今日は特に。くっくくくく……」
 え、なに?ずっと面白いと思ってたの?ていうかなにを面白いと思ってたんだ?俺とセフンのことで、そんなにギョンスのツボにハマることがあったんだろうか?
 ギョンスは目に涙まで浮かべ、眼鏡をはずすと、それを手の甲で拭った。
 「はぁ、久しぶりにこんな笑ったわ……なぁ、ジュンミョナ、どうせだったらさ、もっと面白いことしないか?」
 ギョンスは眼鏡を元に戻し、にやりと笑みを浮かべた。ジュンミョンはそのとき、いつも鹿爪らしい顔をした友人の悪そうな顔をはじめて見たのだった。
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