TRPG
はてさて、ボクの憂鬱よ
秘匿性の高い回線で黄泉咲汝偽の研究室へと呼び出された斬人は、ドアをくぐって挨拶よりも先に差し出されたメスと感情の読み取れない穏やかな微笑を浮かべながらそれを差し出した本人の顔を交互に見やった。
何も言われないが受け取れと言うことなのだろう。が、長い間、大悪党地獄ヶ原斬人として活動しているうちに鋭くなった直感、あるいは危機察知能力が警鐘を鳴らす。受け取るな、これは碌でもない案件だぞ、と。特にこの男、黄泉咲汝偽は厄ネタの宝庫である。彼が関わって頭と胃の痛くならなかった案件は極めて少ない。
それでも生真面目な質である青年は渋々ながら銀色に輝くそれを受け取ってしまった。
「これで僕に何をしろと? 殺して欲しい相手でもいるんですか?」
軽くて冷たい、ごくごく一般的なメスだ。どの角度から眺めても、指で軽く弾いても、それ以上の情報は得られない。
「君は平穏を求める割に、思考はどうにも過激だね」
「そういう世界で生きてきたものですから。で、いったい何の用なんですか?」
「そうそう。これは君にしか頼めないと思って呼び出させてもらったんだがね、ボクの腕や背中の皮膚を剥いで欲しいんだ」
地獄ヶ原斬人は大悪党である。いや、正しくは大悪党であった、だろうか。
十代の半ば頃からとある組織に身を置き、殺人、盗み、テロ行為、とその身を常に危険に晒してきた。
最近では最後の任務と騙されてスカイツリーを破壊し、これまで属していた組織を抜け、壊滅させて、今はその天才的な才能の数々を駆使して何でも屋のような事をしている。荷物運びや迷子のペット探しのような単純なものから、法で裁けぬ悪人相手の盗みや殺しまで、その幅は実に広い。
そんな斬人であっても、汝偽の頼み事が即座に理解できなかった。まさか相手の言葉が右耳から入って左耳へ抜けていく、などという事が自分に起こるとは夢にも思わなかった。情報の聞き逃しなど、己の生死に直結する。
「……すみません、今、なんて?」
「ボクの腕や背中の皮膚を剥いで欲しいんだ」
聞き返してみるが、やはり理解し難い頼み事が返ってきただけだった。
意図が全く分からずフリーズした斬人の肩をポンポンと叩く汝偽は、感情の読み取れない微笑みのままである。
「大丈夫、君ほどの大悪党の手捌きならば、それはそれは綺麗にできるだろうとも! 隣の手術室に機材は揃っているし、君の見立てで足りないものがあったら用意もするさ!」
「……普通の医者に行け。ツテくらいいくらでもあるだろう。そもそもどうして急にそんな事を言い出した」
「つれないねぇ。君の腕を買っているというのに。それに友人だろう? ささやかな頼み事くらい聞いてくれてもいいと思うんだが」
「毛の先ほどもささやかじゃないんですよ!」
自分は冷静沈着で感情を表に出さないタイプだと自負していたが、この男と関わるようになってから案外そうでもないという事に気付かされる。
そんな斬人に、汝偽はやれやれとまるで我儘な子供を微笑ましく見つめる大人の様な表情をしながらデスクの引き出しから取り出した一通の封筒を差し出した。
極秘と赤い判が押されている。元犯罪者にぽんと渡していいものではないはずで、この男がわけのわからない事を言い出した元凶がコレか、と斬人は警戒しながら受け取る。
中には数枚の書類と写真が入っていた。犯罪者の資料だったが、顔写真はなし、年齢、国籍、性別なども全て不明で、氏名の欄にはコードネームだろうか、人間師、と書かれている。
人間を材料に様々な物を作り出す芸術家の通称のようで、何代にも渡って名前と技術をつけ継がせているらしい。背後に大規模な組織や政財界のお偉方がいるために逮捕できずにいるようだ。
主な犯罪の詳細と彼、あるいは彼女の作り上げた何点かの作品の写真に斬人は顔を顰めた。芸術に明るくない斬人であってもその高い技術力と表現力は写真からでも分かる。だが、どれほどの技量があろうと凄惨で悪趣味だとしか斬人には思えない。この悍ましさを美術品だと褒め称え高額で取り引きされるなど、理解がまったくできなかった。そして、己の思考や感覚はまだまともな部類であるらしい事に斬人は少しばかり安堵した。
「イギリスの犯罪者なんだがね」
弾んだような汝偽の声に、斬人は書類から顔を上げた。
「ボクも市販のクラフト用の革や骨材で作ってみたのだよ。だが、それではただの工作だ。児戯だ。ちっとも彼に近づけない」
汝偽の色の薄い目がにわかに熱を帯びる。ぎらぎらとしたそれは黄泉咲汝偽を黄泉咲汝偽たらしめ、常人から逸脱させる狂気だ。斬人が魅入られてしまった熱。
「人間の皮膚を使ってみようと思ったのだがね、医療用の人工皮膚ではやはり違うし、しかし本物を調達するにしても他人から頂戴するわけにもいかない。だから、自分で試そうと思ったのだよ」
犯罪リバイバルの通称は伊達ではない。まさか自分の体すら切り刻むとは。斬人はため息を堪えられなかった。
「思わないでください。他にもあるでしょう。刑の執行された死刑囚から剥ぐとか、不審死を遂げて解剖にまわされた死体とか」
「そちらはもう断られてしまったよ。残念だ」
既に対応済みだった。無駄に行動力の高い男である。思わず頭を抱えた斬人である。
「まあ、そう言うわけだ」
「……相変わらず、理解できない話ですね」
「そうかい? 実に単純な話だろうに」
斬人から返された封筒をデスクにしまい、かちゃりと鍵をかけた。
にい、と黄泉咲汝偽は笑う。
「ボクは、彼を理解したいんだ。その為にはその行動をなぞってみるのが一番だろう? 君の行動を模倣したみたいにね」
そんな犯罪者を理解しなくていい。
僕だけを理解してくれれば、それで。
などと言いたい言葉を何度目かわからない溜め息として吐き出して、斬人はどうやってこの無駄に頭と口の回る男の要望を断るかに頭を使い始めるのだった。
2024.11.09
秘匿性の高い回線で黄泉咲汝偽の研究室へと呼び出された斬人は、ドアをくぐって挨拶よりも先に差し出されたメスと感情の読み取れない穏やかな微笑を浮かべながらそれを差し出した本人の顔を交互に見やった。
何も言われないが受け取れと言うことなのだろう。が、長い間、大悪党地獄ヶ原斬人として活動しているうちに鋭くなった直感、あるいは危機察知能力が警鐘を鳴らす。受け取るな、これは碌でもない案件だぞ、と。特にこの男、黄泉咲汝偽は厄ネタの宝庫である。彼が関わって頭と胃の痛くならなかった案件は極めて少ない。
それでも生真面目な質である青年は渋々ながら銀色に輝くそれを受け取ってしまった。
「これで僕に何をしろと? 殺して欲しい相手でもいるんですか?」
軽くて冷たい、ごくごく一般的なメスだ。どの角度から眺めても、指で軽く弾いても、それ以上の情報は得られない。
「君は平穏を求める割に、思考はどうにも過激だね」
「そういう世界で生きてきたものですから。で、いったい何の用なんですか?」
「そうそう。これは君にしか頼めないと思って呼び出させてもらったんだがね、ボクの腕や背中の皮膚を剥いで欲しいんだ」
地獄ヶ原斬人は大悪党である。いや、正しくは大悪党であった、だろうか。
十代の半ば頃からとある組織に身を置き、殺人、盗み、テロ行為、とその身を常に危険に晒してきた。
最近では最後の任務と騙されてスカイツリーを破壊し、これまで属していた組織を抜け、壊滅させて、今はその天才的な才能の数々を駆使して何でも屋のような事をしている。荷物運びや迷子のペット探しのような単純なものから、法で裁けぬ悪人相手の盗みや殺しまで、その幅は実に広い。
そんな斬人であっても、汝偽の頼み事が即座に理解できなかった。まさか相手の言葉が右耳から入って左耳へ抜けていく、などという事が自分に起こるとは夢にも思わなかった。情報の聞き逃しなど、己の生死に直結する。
「……すみません、今、なんて?」
「ボクの腕や背中の皮膚を剥いで欲しいんだ」
聞き返してみるが、やはり理解し難い頼み事が返ってきただけだった。
意図が全く分からずフリーズした斬人の肩をポンポンと叩く汝偽は、感情の読み取れない微笑みのままである。
「大丈夫、君ほどの大悪党の手捌きならば、それはそれは綺麗にできるだろうとも! 隣の手術室に機材は揃っているし、君の見立てで足りないものがあったら用意もするさ!」
「……普通の医者に行け。ツテくらいいくらでもあるだろう。そもそもどうして急にそんな事を言い出した」
「つれないねぇ。君の腕を買っているというのに。それに友人だろう? ささやかな頼み事くらい聞いてくれてもいいと思うんだが」
「毛の先ほどもささやかじゃないんですよ!」
自分は冷静沈着で感情を表に出さないタイプだと自負していたが、この男と関わるようになってから案外そうでもないという事に気付かされる。
そんな斬人に、汝偽はやれやれとまるで我儘な子供を微笑ましく見つめる大人の様な表情をしながらデスクの引き出しから取り出した一通の封筒を差し出した。
極秘と赤い判が押されている。元犯罪者にぽんと渡していいものではないはずで、この男がわけのわからない事を言い出した元凶がコレか、と斬人は警戒しながら受け取る。
中には数枚の書類と写真が入っていた。犯罪者の資料だったが、顔写真はなし、年齢、国籍、性別なども全て不明で、氏名の欄にはコードネームだろうか、人間師、と書かれている。
人間を材料に様々な物を作り出す芸術家の通称のようで、何代にも渡って名前と技術をつけ継がせているらしい。背後に大規模な組織や政財界のお偉方がいるために逮捕できずにいるようだ。
主な犯罪の詳細と彼、あるいは彼女の作り上げた何点かの作品の写真に斬人は顔を顰めた。芸術に明るくない斬人であってもその高い技術力と表現力は写真からでも分かる。だが、どれほどの技量があろうと凄惨で悪趣味だとしか斬人には思えない。この悍ましさを美術品だと褒め称え高額で取り引きされるなど、理解がまったくできなかった。そして、己の思考や感覚はまだまともな部類であるらしい事に斬人は少しばかり安堵した。
「イギリスの犯罪者なんだがね」
弾んだような汝偽の声に、斬人は書類から顔を上げた。
「ボクも市販のクラフト用の革や骨材で作ってみたのだよ。だが、それではただの工作だ。児戯だ。ちっとも彼に近づけない」
汝偽の色の薄い目がにわかに熱を帯びる。ぎらぎらとしたそれは黄泉咲汝偽を黄泉咲汝偽たらしめ、常人から逸脱させる狂気だ。斬人が魅入られてしまった熱。
「人間の皮膚を使ってみようと思ったのだがね、医療用の人工皮膚ではやはり違うし、しかし本物を調達するにしても他人から頂戴するわけにもいかない。だから、自分で試そうと思ったのだよ」
犯罪リバイバルの通称は伊達ではない。まさか自分の体すら切り刻むとは。斬人はため息を堪えられなかった。
「思わないでください。他にもあるでしょう。刑の執行された死刑囚から剥ぐとか、不審死を遂げて解剖にまわされた死体とか」
「そちらはもう断られてしまったよ。残念だ」
既に対応済みだった。無駄に行動力の高い男である。思わず頭を抱えた斬人である。
「まあ、そう言うわけだ」
「……相変わらず、理解できない話ですね」
「そうかい? 実に単純な話だろうに」
斬人から返された封筒をデスクにしまい、かちゃりと鍵をかけた。
にい、と黄泉咲汝偽は笑う。
「ボクは、彼を理解したいんだ。その為にはその行動をなぞってみるのが一番だろう? 君の行動を模倣したみたいにね」
そんな犯罪者を理解しなくていい。
僕だけを理解してくれれば、それで。
などと言いたい言葉を何度目かわからない溜め息として吐き出して、斬人はどうやってこの無駄に頭と口の回る男の要望を断るかに頭を使い始めるのだった。
2024.11.09
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