P3P まとめ
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
終わりを告げる鐘が鳴る
常ならば黒に近い深い緑をした空は、今は灰色の雲が覆い尽くしている。
その雲よりも低い所に、本来なら新円を描くであろう満月がいびつに歪んで白く輝いていた。夜のはずであるのに、その輝きがあまりにも強くてまるで昼間のようだった。
そんな異質な風景の中で、二つの影が対峙する。
一つは、少女。身にまとう黒の制服はぼろぼろで、長柄の武器を杖のようにして体を支えている。体中にできた傷は、立っていられるのが不思議なほどに深いものばかりだ。
一つは、異形の化け物。傍目には分からないが、少女の容赦ない攻撃を受けてその生命力は極限まで削られている。
互いに限界が近く、次の一撃で全てが決することを感じ取っていた。
先に動いたのは、少女だった。見る者がいれば満身創痍の体のどこにそれだけの力が残っているのかと思わせるほど、地面を蹴る足は力強い。
遅れて異形は腰に佩いた細い剣を抜き、走る少女を待ち受ける。
少女の体が深く沈み、全身をばねのように使って飛び上がる。捨て身の攻撃だ。捉えれば敵を確実に葬り去るが、己にも大きな隙ができる。それを理解した上で、少女はその行動を選択したのだ。
宙に身を躍らせる少女の色素の薄い瞳に異形の姿が映り込む。少女の目の中の己が姿をみて異形は嬉しそうに笑い、少女もふと厳しく引き締めていた顔をほんの一瞬だけ和らげた。
ぞぶん、と鈍い音が二つ重なる。
少女の薙刀は異形を左肩から右脇腹までを切り裂き、異形の剣は少女の胸を貫いた。互いにそれで絶命には至らなかったが、すぐに命の炎は消えるだろう。
ぐったりと力を失った少女を、異形は愛しそうに抱きしめた。少女が異形に向ける表情も優しく微笑んでいた。
異形は少女を愛していた。少女もまた、異形を愛していた。
互いの手で最期を迎えたいと願い、愛しているからこそ互いの終わりを導きたいと望み、出来ることなら二度と離れないように溶けて一つになれたらと祈っていた。
二つは叶い、最後の一つも、成就しようとしている。
少女によって切り裂かれた場所からだくだくと闇が黒い液体となって漏れ出し、それは少しずつ世界を覆って溶かして全てを混ぜていく。
異形の腕の中で少女の口が何度も同じ動きを繰り返す。だが既に言葉を発するだけの力も残っていないために、動くだけで音にはならなかった。異形はその動きから発されるべき言葉を読み取る。
「……りょ……じ……」
それは名前だった。
名前? 誰の?
既に少女も異形も闇に溶けてしまった。かろうじて残っている意識も遠のいていく。その名前がをぐるぐると無くなった頭の中を回る。そのうちに名前は音を持ち、少しずつ音量を大きくして響く。
違う。響いているのではない。誰かが、呼んでいる。
・・・
「綾時くん!」
重たい瞼を持ち上げると、心配そうな公子ちゃんの顔が飛び込んできた。
嬉しいことに顔の距離がとても近い気がする。ああ、でもそんな泣きそうな顔はしてほしくないな。笑ってるほうが素敵だと思う。
それにしても、なんでこんなに近くに顔があるんだろう。そういえば、横になって布団の中にいるのもなんでだろう。霞がかかったようにぼんやりとする頭だと、何がどうなっているのか理解できない。
僕は、化け物になって、彼女と戦って、彼女を殺して、殺されて、溶けて。
違う。あれは、夢だ。その証拠に、僕は化け物じゃないし、僕も彼女も生きている。
「公子、ちゃ……?」
「大丈夫? すごくうなされてたから」
「僕……ここ……?」
「覚えてない? 帰ろうとしたら突然倒れて。保健室に運んだの」
言われて、記憶が押し寄せる。
終業を告げる鐘が鳴って、一緒に帰ろうと彼女に声をかけて、いつものようにアイギスさんに睨まれながら彼女と一緒に教室を出た。ところまでは覚えている。そこから先を覚えていないということは、そこで倒れてしまったのだろう。
体を起こすと公子ちゃんがミネラルウォーターのペットボトルを差し出してくれた。それまで気付かなかった喉の渇きを強烈に感じて、僕は受け取ったそれに口をつける。水分を失っていたからか、口に含んだ水は鉄みたいな味がした。血の味に似ている気がした。
「ずっと、ついててくれたの?」
「うん、まあ。心配だったから」
「ありがとう。ごめんね」
「気にしないで。ほら、私、保健委員だし。……気分は?」
「まだちょっと、だるいかな」
「最近、体調あんまり良くないみたいだけど、大丈夫なの?」
「ここのところ夢見が悪くてあんまり休めてないのかも。でもただの睡眠不足だし、大丈夫だよ」
「今もうなされてたもんね。どんな夢?」
「……忘れちゃった」
真っすぐに目を見て嘘をつくのが辛くて思わず視線を外してしまった。後ろめたい思いに駆られたけれど、だからと言って話そうとは到底思えなかった。
その夢は、よく見る。
録画された映像のように寸分違わずに繰り返される。リアルで不吉なおぞましい夢。
なのに、それはこの上もなく甘美だった。
目が覚めて胸を満たすのは、殺してしまった罪悪感や殺されることへの恐怖といった後味の悪さでも夢でよかったと言う安心感でもなく喪失感であり、自分でも信じられないことに、僕はその夢にどうしようもない幸福感を得てしまうのだ。
そんな自分が怖くて体が小刻みに震える。それを誤魔化すようにもう一口、水を飲んだ。
「夢は」
公子ちゃんの声は静かで落ち着いていて、耳に心地いい。ずっと聞いていたいと思う。
晩秋の日は落ちるのが早い。さっきまでの鮮烈な光は消え、保健室は薄墨のような闇にゆっくりと浸食されていく。僕と彼女も、闇に沈んでいく。
ふいに夢の続きの中にいるような錯覚を覚えた。
薄闇に染まって全ての色彩は曖昧で、境界線もあやふやだ。そこからぐずぐずと全てが崩れて、溶けて混ざっていきそうな気がする。
そんなこと、あるはずがないのに。
「その人の深層心理の現れで、心配事とか願望とかを夢として見ることがあるんだって。悩みとかあるなら、聞くよ」
心臓を、掴まれたような気がした。
ならば。
異形の怪物に変じるのは僕の本性?
彼女を殺して得るあの安堵感は、彼女に殺されて得るあの充足感は、溶けて混ざり合うことで得るあの幸福感は、僕が気付かない程の心の奥底で願っている望み?
だとしたら、僕は最低だ。
「……だいじょうぶ、だよ」
心配そうな彼女を安心させようと笑おうとするけれど、いつものように笑えない。顔が強張るのが自分で分かる。
張り付いた笑顔を見て、公子ちゃんは泣きそうな顔をした。
聡い彼女のことだ。きっと何かあると感づいたに違いない。それ以上何も言わないのは、僕の表情から拒絶を読み取ったからだろう。
「ごめんね」
「……気に、しないで。もしも気が向いたら、その時にでも話してよ」
「うん。ありがとう」
その時は、きっとこない。こんな話、できるわけがない。気持ち悪いと、狂っていると、怖いと言って離れられるのは、耐えられない。
だったらどんなに辛くても、自分の胸の内に秘めている方がずっとマシだ。
会話はそれきりなくなり、壁にかけられた時計の秒針が時を刻む音が保健室に響く。
その音につられるようにして、公子ちゃんは時計を見た。
「もう下校時間になるね。私、先生に言ってくるから、もうちょっと横になってて」
「待って!」
悲鳴みたいな声を上げて、椅子から立ち上がった彼女の手を縋るように掴んだ。
驚いた顔をして、彼女は僕を見る。
強く握った手は、小さくて柔らかくて暖かかった。
「綾時くん?」
「手を繋いでいて。ここにいて。お願い」
「……うん。私は、ここにいるよ」
握った手はそのまま。空いている方の手で、彼女は僕の頭をそっと撫でてくれた。
夢で幾度も僕を殺すその手がとても優しくて、涙が出そうになった。
下校時間を告げる鐘が鳴る。
その音が、まるで世界の終わりを告げる鐘の音のように聞こえた。
2009.11.28
初出
常ならば黒に近い深い緑をした空は、今は灰色の雲が覆い尽くしている。
その雲よりも低い所に、本来なら新円を描くであろう満月がいびつに歪んで白く輝いていた。夜のはずであるのに、その輝きがあまりにも強くてまるで昼間のようだった。
そんな異質な風景の中で、二つの影が対峙する。
一つは、少女。身にまとう黒の制服はぼろぼろで、長柄の武器を杖のようにして体を支えている。体中にできた傷は、立っていられるのが不思議なほどに深いものばかりだ。
一つは、異形の化け物。傍目には分からないが、少女の容赦ない攻撃を受けてその生命力は極限まで削られている。
互いに限界が近く、次の一撃で全てが決することを感じ取っていた。
先に動いたのは、少女だった。見る者がいれば満身創痍の体のどこにそれだけの力が残っているのかと思わせるほど、地面を蹴る足は力強い。
遅れて異形は腰に佩いた細い剣を抜き、走る少女を待ち受ける。
少女の体が深く沈み、全身をばねのように使って飛び上がる。捨て身の攻撃だ。捉えれば敵を確実に葬り去るが、己にも大きな隙ができる。それを理解した上で、少女はその行動を選択したのだ。
宙に身を躍らせる少女の色素の薄い瞳に異形の姿が映り込む。少女の目の中の己が姿をみて異形は嬉しそうに笑い、少女もふと厳しく引き締めていた顔をほんの一瞬だけ和らげた。
ぞぶん、と鈍い音が二つ重なる。
少女の薙刀は異形を左肩から右脇腹までを切り裂き、異形の剣は少女の胸を貫いた。互いにそれで絶命には至らなかったが、すぐに命の炎は消えるだろう。
ぐったりと力を失った少女を、異形は愛しそうに抱きしめた。少女が異形に向ける表情も優しく微笑んでいた。
異形は少女を愛していた。少女もまた、異形を愛していた。
互いの手で最期を迎えたいと願い、愛しているからこそ互いの終わりを導きたいと望み、出来ることなら二度と離れないように溶けて一つになれたらと祈っていた。
二つは叶い、最後の一つも、成就しようとしている。
少女によって切り裂かれた場所からだくだくと闇が黒い液体となって漏れ出し、それは少しずつ世界を覆って溶かして全てを混ぜていく。
異形の腕の中で少女の口が何度も同じ動きを繰り返す。だが既に言葉を発するだけの力も残っていないために、動くだけで音にはならなかった。異形はその動きから発されるべき言葉を読み取る。
「……りょ……じ……」
それは名前だった。
名前? 誰の?
既に少女も異形も闇に溶けてしまった。かろうじて残っている意識も遠のいていく。その名前がをぐるぐると無くなった頭の中を回る。そのうちに名前は音を持ち、少しずつ音量を大きくして響く。
違う。響いているのではない。誰かが、呼んでいる。
・・・
「綾時くん!」
重たい瞼を持ち上げると、心配そうな公子ちゃんの顔が飛び込んできた。
嬉しいことに顔の距離がとても近い気がする。ああ、でもそんな泣きそうな顔はしてほしくないな。笑ってるほうが素敵だと思う。
それにしても、なんでこんなに近くに顔があるんだろう。そういえば、横になって布団の中にいるのもなんでだろう。霞がかかったようにぼんやりとする頭だと、何がどうなっているのか理解できない。
僕は、化け物になって、彼女と戦って、彼女を殺して、殺されて、溶けて。
違う。あれは、夢だ。その証拠に、僕は化け物じゃないし、僕も彼女も生きている。
「公子、ちゃ……?」
「大丈夫? すごくうなされてたから」
「僕……ここ……?」
「覚えてない? 帰ろうとしたら突然倒れて。保健室に運んだの」
言われて、記憶が押し寄せる。
終業を告げる鐘が鳴って、一緒に帰ろうと彼女に声をかけて、いつものようにアイギスさんに睨まれながら彼女と一緒に教室を出た。ところまでは覚えている。そこから先を覚えていないということは、そこで倒れてしまったのだろう。
体を起こすと公子ちゃんがミネラルウォーターのペットボトルを差し出してくれた。それまで気付かなかった喉の渇きを強烈に感じて、僕は受け取ったそれに口をつける。水分を失っていたからか、口に含んだ水は鉄みたいな味がした。血の味に似ている気がした。
「ずっと、ついててくれたの?」
「うん、まあ。心配だったから」
「ありがとう。ごめんね」
「気にしないで。ほら、私、保健委員だし。……気分は?」
「まだちょっと、だるいかな」
「最近、体調あんまり良くないみたいだけど、大丈夫なの?」
「ここのところ夢見が悪くてあんまり休めてないのかも。でもただの睡眠不足だし、大丈夫だよ」
「今もうなされてたもんね。どんな夢?」
「……忘れちゃった」
真っすぐに目を見て嘘をつくのが辛くて思わず視線を外してしまった。後ろめたい思いに駆られたけれど、だからと言って話そうとは到底思えなかった。
その夢は、よく見る。
録画された映像のように寸分違わずに繰り返される。リアルで不吉なおぞましい夢。
なのに、それはこの上もなく甘美だった。
目が覚めて胸を満たすのは、殺してしまった罪悪感や殺されることへの恐怖といった後味の悪さでも夢でよかったと言う安心感でもなく喪失感であり、自分でも信じられないことに、僕はその夢にどうしようもない幸福感を得てしまうのだ。
そんな自分が怖くて体が小刻みに震える。それを誤魔化すようにもう一口、水を飲んだ。
「夢は」
公子ちゃんの声は静かで落ち着いていて、耳に心地いい。ずっと聞いていたいと思う。
晩秋の日は落ちるのが早い。さっきまでの鮮烈な光は消え、保健室は薄墨のような闇にゆっくりと浸食されていく。僕と彼女も、闇に沈んでいく。
ふいに夢の続きの中にいるような錯覚を覚えた。
薄闇に染まって全ての色彩は曖昧で、境界線もあやふやだ。そこからぐずぐずと全てが崩れて、溶けて混ざっていきそうな気がする。
そんなこと、あるはずがないのに。
「その人の深層心理の現れで、心配事とか願望とかを夢として見ることがあるんだって。悩みとかあるなら、聞くよ」
心臓を、掴まれたような気がした。
ならば。
異形の怪物に変じるのは僕の本性?
彼女を殺して得るあの安堵感は、彼女に殺されて得るあの充足感は、溶けて混ざり合うことで得るあの幸福感は、僕が気付かない程の心の奥底で願っている望み?
だとしたら、僕は最低だ。
「……だいじょうぶ、だよ」
心配そうな彼女を安心させようと笑おうとするけれど、いつものように笑えない。顔が強張るのが自分で分かる。
張り付いた笑顔を見て、公子ちゃんは泣きそうな顔をした。
聡い彼女のことだ。きっと何かあると感づいたに違いない。それ以上何も言わないのは、僕の表情から拒絶を読み取ったからだろう。
「ごめんね」
「……気に、しないで。もしも気が向いたら、その時にでも話してよ」
「うん。ありがとう」
その時は、きっとこない。こんな話、できるわけがない。気持ち悪いと、狂っていると、怖いと言って離れられるのは、耐えられない。
だったらどんなに辛くても、自分の胸の内に秘めている方がずっとマシだ。
会話はそれきりなくなり、壁にかけられた時計の秒針が時を刻む音が保健室に響く。
その音につられるようにして、公子ちゃんは時計を見た。
「もう下校時間になるね。私、先生に言ってくるから、もうちょっと横になってて」
「待って!」
悲鳴みたいな声を上げて、椅子から立ち上がった彼女の手を縋るように掴んだ。
驚いた顔をして、彼女は僕を見る。
強く握った手は、小さくて柔らかくて暖かかった。
「綾時くん?」
「手を繋いでいて。ここにいて。お願い」
「……うん。私は、ここにいるよ」
握った手はそのまま。空いている方の手で、彼女は僕の頭をそっと撫でてくれた。
夢で幾度も僕を殺すその手がとても優しくて、涙が出そうになった。
下校時間を告げる鐘が鳴る。
その音が、まるで世界の終わりを告げる鐘の音のように聞こえた。
2009.11.28
初出