その他いろいろ
世は全て事もあり
少女の一日は、牧場生活を共にする良き友人らの朝食の準備から始まる。
餌箱にそれぞれの食べる量のペットフードを入れれば、その匂いに敏感な嗅覚を刺激されて大小二頭の犬と真っ白い猫が嬉しそうに起きてくる。
彼らに挨拶を済ませると玄関脇の止まり木に鎮座する大きなフクロウにクッキーを差し出して食べさせる。鋭い口ばしの先が手のひらを突く感触が以前は痛かったが今ではむず痒い。
食事を終えた友人らは各々自由に外へと出て行く。彼らを見送ってから少女は身支度を整えだす。朝食は朝の動物たちの世話が終わってからゆっくりと取ることにしていた。
今日のご飯はどうしようかな。パンを焼いて、絞りたての牛乳とサラダにしようか。それともご飯を炊いてちゃちゃっと焼き魚と味噌汁を作るのでもいいか。
そんな風に朝の楽しみに思いを馳せながら水色のワンピース袖を通していると、ドアの向こうからけたたましい犬の鳴き声が聞こえてきた。
その声に少女は怪訝そうな顔をした。
おかしい。あんな鳴き方をしたことは、今までにただの一度だってない。
警戒、というよりも、怯えている、と言った鳴き方だ。
外の様子が不安になった少女は裸足のまま外に飛び出し、目の前の光景に言葉を失った。
畑に、ミハイルが生えていた。
疲れてんのかなあ私。昨日は寝たの遅かったしなあ。あっそうだ、あとでアヤメ先生のところに行って栄養ドリンク作ってもらおう。って言うか幻覚か夢だよねこれ。
「やあおはよう。元気かい?」
どうやら現実らしい。
過酷な事実に打ちのめされた少女だが、これが現実であるならば逃避はできないということを長い牧場生活で学んでいる。とりあえず情報を集めて整理するべきだと冷静に考えることはできた。余裕があるからの冷静さ、ではなく、余裕がないからこその冷静さであることがポイントだ。
「人んちの畑でなにやってんですか」
「キミの畑の植物たちと話をしてみたくて」
音楽家っていうのは良く分からない。
胸までが土に埋まり、両腕は外に出ていることから自分で穴を掘って、入って、土を入れ直したと考えるのが妥当だ。本当にワケが分からない。
男の回答についていけなかった少女は、はあ、と曖昧な言葉しか出せなかった。
「それにしても、キミの家の畑は実に素晴らしいよ! キミが毎日愛情をこめて世話をしているからかな。見てごらん、この朝露に濡れた葉の輝きを! このはな村でだってこんなに生命に溢れた作物には出会えなかったというのに! それに季節の花の香りも素敵だし、ほら耳を澄ませてごらんよ。この香りに誘われた蜂たちが奏でるこの軽やかなメロディー! ああ、そうとも忘れてなんかいないさ! 牛に羊にアルパカにニワトリに犬に猫にフクロウ! キミたちのその伸びやかで、それでいて厳かささえ感じる声はオーケストラそのものじゃないか! そしてそこに野鳥や虫の声が加わることによって更に深い調和を醸し出している! ねえ分かるかい!?」
「いや、ちょっと何言ってるか分か」
「ああああ何ということだ!? キミのこの牧場はもう一つのコンサートとして完成されているんだとオレは思っていたんだよ。なのにどういうことだい? 今、キミの声がした途端にそれまでの完璧さが脆くも崩れ去ったんだよ! 信じられるかい? そう、キミのそのハイトーンボイスだ! それこそがこの場の音楽をより高次なものへと昇華させたんだ! ああ、この感動を現す言葉がオレにはないよ! 天上の音楽って言葉があるけれどそれすらも陳腐だ! お願いだ。もう一度、キミの可憐な唇を震わせて言葉を紡いでくれ。咲き初めの薔薇もかくやと言わんばかりに甘く、天使の吹き鳴らすラッパよりも高らかに、芽吹いたばかりの草木のごとく伸びやかに! さあ、さんはいっ!」
「この村って、おまわりさんとか駐在さんっていないんでしたっけ」
「ああっ、その涼やかな声音も素晴らしい。きんと冷え切って凍てついた冬の湖を思わせるよ! すごいな、こうしているとどんどん新しいフレーズが思い浮かんでくる!」
さて、どうしたものか。
無農薬なのがウリの作物だけれど、こうなった以上は仕方がない。
あとで除草剤と殺虫剤を買ってこようと、少女は頬をピンクに染めてよく分からないことを延々と語っているミハイルを見ながら今日の予定を組み始めた。
おまけ
「あ、そうだ。あんまりそこに立たれると、ちょっと困るんだ」
「ここは私の畑なんであれこれ言われる筋合いはないんですが……何ですか、日陰になって光合成ができないとかですか」
「それも由々しき問題ではあるんだけど、見えるよ?」
「何がですか」
「スカートの中」
「農薬は止めて鍬か鎌にしましょうか」
-----------
火稀こはる様へ
牧物漫画と交換した贈り物。
ミハイルさんは変態だと思うという話から、どういうわけかこんなどうしようもないミハイルさんになりました。
もっと性的に変態な気もするんだ……
2014.09.01
初出
少女の一日は、牧場生活を共にする良き友人らの朝食の準備から始まる。
餌箱にそれぞれの食べる量のペットフードを入れれば、その匂いに敏感な嗅覚を刺激されて大小二頭の犬と真っ白い猫が嬉しそうに起きてくる。
彼らに挨拶を済ませると玄関脇の止まり木に鎮座する大きなフクロウにクッキーを差し出して食べさせる。鋭い口ばしの先が手のひらを突く感触が以前は痛かったが今ではむず痒い。
食事を終えた友人らは各々自由に外へと出て行く。彼らを見送ってから少女は身支度を整えだす。朝食は朝の動物たちの世話が終わってからゆっくりと取ることにしていた。
今日のご飯はどうしようかな。パンを焼いて、絞りたての牛乳とサラダにしようか。それともご飯を炊いてちゃちゃっと焼き魚と味噌汁を作るのでもいいか。
そんな風に朝の楽しみに思いを馳せながら水色のワンピース袖を通していると、ドアの向こうからけたたましい犬の鳴き声が聞こえてきた。
その声に少女は怪訝そうな顔をした。
おかしい。あんな鳴き方をしたことは、今までにただの一度だってない。
警戒、というよりも、怯えている、と言った鳴き方だ。
外の様子が不安になった少女は裸足のまま外に飛び出し、目の前の光景に言葉を失った。
畑に、ミハイルが生えていた。
疲れてんのかなあ私。昨日は寝たの遅かったしなあ。あっそうだ、あとでアヤメ先生のところに行って栄養ドリンク作ってもらおう。って言うか幻覚か夢だよねこれ。
「やあおはよう。元気かい?」
どうやら現実らしい。
過酷な事実に打ちのめされた少女だが、これが現実であるならば逃避はできないということを長い牧場生活で学んでいる。とりあえず情報を集めて整理するべきだと冷静に考えることはできた。余裕があるからの冷静さ、ではなく、余裕がないからこその冷静さであることがポイントだ。
「人んちの畑でなにやってんですか」
「キミの畑の植物たちと話をしてみたくて」
音楽家っていうのは良く分からない。
胸までが土に埋まり、両腕は外に出ていることから自分で穴を掘って、入って、土を入れ直したと考えるのが妥当だ。本当にワケが分からない。
男の回答についていけなかった少女は、はあ、と曖昧な言葉しか出せなかった。
「それにしても、キミの家の畑は実に素晴らしいよ! キミが毎日愛情をこめて世話をしているからかな。見てごらん、この朝露に濡れた葉の輝きを! このはな村でだってこんなに生命に溢れた作物には出会えなかったというのに! それに季節の花の香りも素敵だし、ほら耳を澄ませてごらんよ。この香りに誘われた蜂たちが奏でるこの軽やかなメロディー! ああ、そうとも忘れてなんかいないさ! 牛に羊にアルパカにニワトリに犬に猫にフクロウ! キミたちのその伸びやかで、それでいて厳かささえ感じる声はオーケストラそのものじゃないか! そしてそこに野鳥や虫の声が加わることによって更に深い調和を醸し出している! ねえ分かるかい!?」
「いや、ちょっと何言ってるか分か」
「ああああ何ということだ!? キミのこの牧場はもう一つのコンサートとして完成されているんだとオレは思っていたんだよ。なのにどういうことだい? 今、キミの声がした途端にそれまでの完璧さが脆くも崩れ去ったんだよ! 信じられるかい? そう、キミのそのハイトーンボイスだ! それこそがこの場の音楽をより高次なものへと昇華させたんだ! ああ、この感動を現す言葉がオレにはないよ! 天上の音楽って言葉があるけれどそれすらも陳腐だ! お願いだ。もう一度、キミの可憐な唇を震わせて言葉を紡いでくれ。咲き初めの薔薇もかくやと言わんばかりに甘く、天使の吹き鳴らすラッパよりも高らかに、芽吹いたばかりの草木のごとく伸びやかに! さあ、さんはいっ!」
「この村って、おまわりさんとか駐在さんっていないんでしたっけ」
「ああっ、その涼やかな声音も素晴らしい。きんと冷え切って凍てついた冬の湖を思わせるよ! すごいな、こうしているとどんどん新しいフレーズが思い浮かんでくる!」
さて、どうしたものか。
無農薬なのがウリの作物だけれど、こうなった以上は仕方がない。
あとで除草剤と殺虫剤を買ってこようと、少女は頬をピンクに染めてよく分からないことを延々と語っているミハイルを見ながら今日の予定を組み始めた。
おまけ
「あ、そうだ。あんまりそこに立たれると、ちょっと困るんだ」
「ここは私の畑なんであれこれ言われる筋合いはないんですが……何ですか、日陰になって光合成ができないとかですか」
「それも由々しき問題ではあるんだけど、見えるよ?」
「何がですか」
「スカートの中」
「農薬は止めて鍬か鎌にしましょうか」
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火稀こはる様へ
牧物漫画と交換した贈り物。
ミハイルさんは変態だと思うという話から、どういうわけかこんなどうしようもないミハイルさんになりました。
もっと性的に変態な気もするんだ……
2014.09.01
初出