その他いろいろ
Who am I ?
月と星の美しい夜だった。
ビークスは一人、荒野でそんな夜空を見上げていた。
ヒーローとの決闘に負けていなければ、気分よく夜空を見上げていられたであろう。
次は勝つ。必ず。
己の心にそう誓ったビークスの目の前、夜の闇から何の前触れもなく、ふうわりとそれは溶け出してきた。
物体としての体を持たないそれは半透明に透け、長く伸びた髪と足の先まで隠れる白いドレスの裾が吹く風の流れを無視して緩やかに宙を踊る。それだけでこの地上に在るべき存在ではないことがうかがえた。
パタポンの神。
加護する一族ともヒーローとも、どんな生き物とも似ても似つかぬ姿形は異様ではあるが、決して醜いわけではない。むしろ美しい。
「こんばんは」
穏やかで慈愛すら感じさせる声音で、それは敵に対してそんな風に夜の挨拶をする。
唐突な出現に驚くでもなく微笑むそれを一瞥するとビークスは忌々しそうに口を開いた。
正々堂々ととは言え決闘で負けた者に勝者が何の用があるというのか。あるとすれば男には一つしか思いつかなかった。
「何をしにきた、パタポンの神。敗者を嗤いにでもきたのか」
「貴方に聞きたいことがあって」
冷たくあしらった筈であるのに、それは微笑を崩さない。
まるで仮面のように表情が変わらず感情も読み取れない。それが宿敵であるヒーローを連想させ、ビークスの心を苛立たせた。
「その鎌」
破壊と殺戮のリズムを刻む五指の一本が男の持つ凶器にぴたりと向けられる。
「私のお気に入りの子と同じ鎌を持つ、貴方はいったいだあれ?」
ひたりと向けられる視線と問いに、胸がざわめいた。
貴方はだあれ? 貴方はだあれ? あなたはだあれ?
ぐるぐると回るその問いかけ。不愉快極まりない感覚に目が回りそうだ。
ぎりと強く歯を噛み締めて、それらを振り払うようにパタポンの神に向かって唸りを上げる鎌が振り下ろされた。
けれど凶刃は幻影のような彼女には当然のように傷の一つもつけることが叶わずに地面に音を立てて突き刺さった。
突き刺さった鎌を引き抜き、パタポンの神に突きつける。仮面の下の目は怒りに燃えている。
不愉快なのは愚かな質問をされたからだ。答えは、決まりきっている。
「バ・カ・メ! これはわしのレアものよ! そしてしっかりと覚えておけ、パタポンの神! わしはダークヒーローの一人、がっつきビークスだ!」
高らかに宣言すると、仮面のように思われたそれの微笑みが僅かに変化した。しっかりと見ていなければ気がつかないほど些細な変化だった。
美しい弧を描く唇がほんの少しだけ引き締められる。言いたい言葉を飲み込むように。
穏やかでありながら力強い光を湛える目がほんの少しだけ揺らぐ。何かに動揺するように。
それらの変化が何を意味するのかビークスには全く理解できなかったが、その表情に頭の片隅がちりと痛んだような気がした。
「……そう、ね。おかしな事を聞いてごめんなさい、ビークス。よい夜を」
震えるような声を残して、それは夜の闇の中に溶けて消えていった。荒野には一人、ビークスだけが取り残された。
貴方はだあれ?
今はもうしない声が、何故か耳にこびり付いて離れない。
己を見つめていた物言いたげな瞳が、脳裏に焼きついて離れない。
パタポンの神が消えた虚空を見つめ、投げかけられた問いにもう一度男は己の名前を唇に乗せる。
七人のダークヒーローの一人、がっつきビークス。
そうであるはずなのに、その名前はひどく空虚に響いた。
2011.05.21
初出
月と星の美しい夜だった。
ビークスは一人、荒野でそんな夜空を見上げていた。
ヒーローとの決闘に負けていなければ、気分よく夜空を見上げていられたであろう。
次は勝つ。必ず。
己の心にそう誓ったビークスの目の前、夜の闇から何の前触れもなく、ふうわりとそれは溶け出してきた。
物体としての体を持たないそれは半透明に透け、長く伸びた髪と足の先まで隠れる白いドレスの裾が吹く風の流れを無視して緩やかに宙を踊る。それだけでこの地上に在るべき存在ではないことがうかがえた。
パタポンの神。
加護する一族ともヒーローとも、どんな生き物とも似ても似つかぬ姿形は異様ではあるが、決して醜いわけではない。むしろ美しい。
「こんばんは」
穏やかで慈愛すら感じさせる声音で、それは敵に対してそんな風に夜の挨拶をする。
唐突な出現に驚くでもなく微笑むそれを一瞥するとビークスは忌々しそうに口を開いた。
正々堂々ととは言え決闘で負けた者に勝者が何の用があるというのか。あるとすれば男には一つしか思いつかなかった。
「何をしにきた、パタポンの神。敗者を嗤いにでもきたのか」
「貴方に聞きたいことがあって」
冷たくあしらった筈であるのに、それは微笑を崩さない。
まるで仮面のように表情が変わらず感情も読み取れない。それが宿敵であるヒーローを連想させ、ビークスの心を苛立たせた。
「その鎌」
破壊と殺戮のリズムを刻む五指の一本が男の持つ凶器にぴたりと向けられる。
「私のお気に入りの子と同じ鎌を持つ、貴方はいったいだあれ?」
ひたりと向けられる視線と問いに、胸がざわめいた。
貴方はだあれ? 貴方はだあれ? あなたはだあれ?
ぐるぐると回るその問いかけ。不愉快極まりない感覚に目が回りそうだ。
ぎりと強く歯を噛み締めて、それらを振り払うようにパタポンの神に向かって唸りを上げる鎌が振り下ろされた。
けれど凶刃は幻影のような彼女には当然のように傷の一つもつけることが叶わずに地面に音を立てて突き刺さった。
突き刺さった鎌を引き抜き、パタポンの神に突きつける。仮面の下の目は怒りに燃えている。
不愉快なのは愚かな質問をされたからだ。答えは、決まりきっている。
「バ・カ・メ! これはわしのレアものよ! そしてしっかりと覚えておけ、パタポンの神! わしはダークヒーローの一人、がっつきビークスだ!」
高らかに宣言すると、仮面のように思われたそれの微笑みが僅かに変化した。しっかりと見ていなければ気がつかないほど些細な変化だった。
美しい弧を描く唇がほんの少しだけ引き締められる。言いたい言葉を飲み込むように。
穏やかでありながら力強い光を湛える目がほんの少しだけ揺らぐ。何かに動揺するように。
それらの変化が何を意味するのかビークスには全く理解できなかったが、その表情に頭の片隅がちりと痛んだような気がした。
「……そう、ね。おかしな事を聞いてごめんなさい、ビークス。よい夜を」
震えるような声を残して、それは夜の闇の中に溶けて消えていった。荒野には一人、ビークスだけが取り残された。
貴方はだあれ?
今はもうしない声が、何故か耳にこびり付いて離れない。
己を見つめていた物言いたげな瞳が、脳裏に焼きついて離れない。
パタポンの神が消えた虚空を見つめ、投げかけられた問いにもう一度男は己の名前を唇に乗せる。
七人のダークヒーローの一人、がっつきビークス。
そうであるはずなのに、その名前はひどく空虚に響いた。
2011.05.21
初出