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その他いろいろ

青息吐息



「ばれんたいん?」

 聴きなれない言葉に、ゴーンは心ならずも彼女に聞き返した。
 微笑む女はこっくりと頷いて、かわいらしい色合いの紙に包まれて細く裂かれた布が結び付けられた小さな包みを差し出した。
 恐らくは受け取れと言うことなのだろうが、ゴーンは険しい目を向けて言外にそれを拒否した。
 が、彼女はそれを引っ込めるような仕草も狼狽した様子も、微塵も見せない。彼に睨まれてもにこにこと微笑みを絶やさないのは世界広しと言えど彼女だけである。大抵は一目散に逃げるか、泣き出す。

「要するにね。異界の日付で毎年二月十四日に女の子が男の人にチョコレート……甘い食べ物なんだけど、を渡して愛を告白をするのよ」
「…………………待て、神よ」
「何かしら、ゴーン」
「誰が、誰に、そのちょこれえととやらを渡すつもりだ」
「私が、貴方に、このチョコレートを渡すつもりだけれど?」

 あの時は何を言われてるのかさっぱり理解できなかった、と後にゴーンは部下に語っている。思い出すだけでいつも厳しく釣り上げられている目がどこか遠くをぼんやりと見つめるほどだったので、その心労具合は生半可なものではないようだ。

「とは言え、普段お世話になってる人に感謝の意を示すために渡す場合や、一月後にホワイトデーと言うバレンタインのお返しをしなければならない日があって、そのお返し目当てで何でもない相手に義理チョコを渡すパターンもあるのだけど、でも大丈夫。心配は要らないわ。このチョコレートは本命だし、ホワイトデーのお返しなんて全然いらないから」

 きゃ言っちゃったうふふ、なんてほんのりと頬を桃色に染めて恥ずかしそうにもじもじと身をよじる女に、ゴーンは重力に従ってそのまま地中に潜っていけそうなほどに脱力した。怒ったり呆れたりする気力すら根こそぎ奪われた。
 感謝の意味で渡されたり、お返し目当ての義理チョコとやらであってくれたほうがありがたい。と言うよりも、むしろいらない。欲しくない。欲しいものがあるとすれば、それは唯一、この破壊神に分類される女神からの解放である。

「もちろん、受け取ってくれるわよね?」

 極上の、という形容詞がつくであろう微笑を浮かべて迫ってくるが、生憎とゴーンにはこの世で最も恐ろしいものにしか思えない。カッチドンガが可愛らしくすら思える。
 包みを受け取るということは、即ち彼女の言う愛とやらを受け取るということに他ならないのだから、断りたい。非常に断りたい。
 だが、女の周囲を淡い光を放ちながら浮かぶ四つの太鼓が物語るのは。

「一つ聞かせろ」
「何かしら?」
「オレに拒否権はあるのか?」
「うふふ。どうだと思う?」

 白い指が、空中で太鼓を叩く時のような動きをする。
 それは愛の告白ではなく、脅迫と言うのだ。思うだけに留めて、ゴーンは特大の溜め息をつきながら、疲れたように頭を振った。文句を言ったところでうふふと笑っていなされるだけだ。徒労でしかない。
 己の身の不幸をひしひしと感じるゴーンには、包みを受け取る以外の選択肢は用意されていなかった。



20xx.xx.xx
初出 修正



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